第10章 03話 歯のない男
レッドトップの刺客たちは、次第に”アクセルレッド”の効果が薄れてきたらしく、焦点がぼやけ、体から力が抜けていっている様子だった。
全員が全員とも、もはや逃げ出そうという気力がない――おそらくアクセルレッドの常習者なのだろう。クスリの高揚感を借りなければ動く気力もないといったところか。
そんな状態だったが、いま商業都市ヴィネの地下社会で何が起こっているのかはっきりさせないといけない。
カルボはレッドトップの構成員、それからブルーハーブの一員であり旧知の間柄のジョプリンに話を聞き、全体図を把握しようとした。
*
ひとつ確かなこととして、レッドトップはブルーハーブから分裂し新たに地下社会に生まれた勢力である。
そしてレッドトップは、魔薬を含めた違法エリクサーを大胆すぎる手口で捌き、ほんの数年で大きく規模を伸ばした。そのためなら”表”のカタギを利用したり殺害することに躊躇がない。普通の倫理観から言えば悪の組織と言える。
一方のブルーハーブは、殺すな、盗みすぎるな、表の目をかわせ、という掟を掲げている。カルボが生まれる前からある理念で、家出するときもそれは健在だった。
カルボは――。
カルボは幼少の頃からブルーハーブの中で育った。盗賊ギルドという名でも呼ばれる犯罪組織であっても、そこはカルボにとって帰るべき場所だった。
だがカルボは知ってしまった。
ブルーハーブという組織は、理念を掲げる一方で魔薬の取引を行っていることに。カルボはドラッグに関わらないと方針転換をしないなら組織を抜けると息巻いた。改革を叫んだ。
結局何も動かせなかった。
だから組織を離脱し、家にも帰らないように決めたのだ。
カルボはブルーハーブからは完全に手を切り、自分の盗賊としてのスキルで暮らしてきた。幸いなことにカルボの腕は同業者も舌を巻くほどだったので、危険な”仕事”は最小限に抑えることができた。
その間、ブルーハーブでは変化が起こっていた。ドラッグの取り扱いを段階的にとりやめ、市場に出回る量を縮小する――という指令が出たのだという。
カルボの実の父にしてギルドマスター・ヒューレンジ、そしてブルーハーブの方針転換は組織の穏健派には歓迎された。
だが――カネになるなら他人の生命を平気で踏みにじることを良しとし、それこそが盗賊のやり方だとする過激派が結束を強めてしまう。レッドトップの台頭である。
レッドトップの代表者はダン=ジャリスというシティエルフだった。
「シティ」「エルフ?」「いったい」「誰ですの?」
黒薔薇と白百合が話の途中で首を傾げた。いつもどおり寸分違わず同じ角度で。
「エルフは人間と近い種族だ。まとめて人類種って呼ばれてる」誰も言わないのでアッシュが口を開いた。「シティエルフは名前の通り都市生活に適応したエルフだな。善人も悪人もいて、商売もすれば罪も犯す。俺たち人間とほとんど変わらない。特徴といやあ耳が尖ってて背が低いってことと、生まれつきカネ勘定が得意ってことぐらいだ」
ダン=ジャリスは反ヒューレンジ勢力をまとめ上げ、レッドトップを発足させ今に至っている。ドラッグを扱っているとすれば、ブルーハーブよりもレッドトップにほかならない。
「そんな連中にイーソンが暗殺された」とカルボ。「組織の幹部をいきなり殺したってことは、レッドトップ――そのダン=ジャリスって男はブルーハーブを完全に壊滅させようって腹なわけね」
「残念ながらその通りでしょう……」ジョプリンが自分の髪をクシャクシャにかき混ぜながら言った。「いまや週一で名のあるお人が殺されてる状態ですよ。オレたちも対抗はしてますけど、なにしろ向こうは他人を殺してでもカネを稼げるならそれでいいってな考え方ですからね。対処が追いつかないのが現状です」
上納金も足りなくなってるみたいでさァ、とジョプリン口元を歪め、笑顔になっていない笑顔を作った。
「じゃあ、どうすればいい」とアッシュ。
「どうすれば、って」
「そのレッドトップとかいう連中にメイスをぶち込めばいいのか? ダン=ジャリスを暗殺する? 組織が成り立たないほど”間引き”すれば向こうも諦めるだろう」
「ちょ、ちょっとまってアッシュ、いくらなんでもそれはやり過ぎだよぅ」
「ねえさんの言うとおりでさァ。アンタが強いのは見ただけで分かるが、構成員は百人単位で、そのうえ他所からも素性の怪しい奴らが集まってる。ひとりで相手するなんざ無謀なだけですぜ」
「ならどうする?」アッシュは腰の革ケースから鋼鉄のメイスを抜き、おもちゃのバトンを操るようにくるくると遊んでみせた。「話し合いが通じる相手じゃないんだろう?」
「それはそうだけど……」
カルボはうつむき、綺麗な顔を曇らせた。アッシュのいうことはある意味で最適解だ。ドラッグの流通に全く忌避感を抱かない連中がヴィネの地下社会を支配すれば、街にはエリクサー中毒者が増え、組織にはうなるほどカネが集まるだろう。そんなことをさせるくらいなら綺麗さっぱりなくなってしまえばことは片付く。
が――。
カルボの読みでは、レッドトップおそらく暗殺者もかき集めているはずだ。盗みだけでなく暗殺までビジネスに組みこめばさらに儲かる。
「そういう”暴力部門”に力を入れているならアッシュひとりじゃ絶対無理だよ」
「とはいえ、見て見ぬふりってのは無いんだろ」
「うん……それはそうだけど」カルボは背を丸め、ため息をついた。「ひとつの組織を今日明日中に潰すなんて、どうやってって人数がたりない」
アッシュたち4人とジョプリン。ジョプリンは”信用できる盗人”だが飛び抜けた知恵者と言うわけではない。
「ねえさん」
「なぁにジョプリン?」
「その……」
「どうしたの」
「オレたちだけじゃどうやってもダメだっていうんなら……」ジョプリンは何度も手元とカルボを見比べ、おずおずと言った。「元締め……ヒューレンジ様に頼んでみては?」
ひくっとカルボの体全体が震えた。
「ねえさんが、その……ややこしいことはオレにだってわかりまさァ。でも、オレとねえさんとそのお仲間だけじゃ、やっぱりどうにもならない。ブルー全体の力を集中させないと。それができるのは……」
沈黙。
道を挟んだ商店から談笑の声が聞こえる。
空気の動きが鈍くなったようだ。何かわからないことが起きていることを察し、黒薔薇と白百合は身を縮こめて様子をうかがった。
と、停滞した空気を引き裂くような鋭い音が辺りに響いた。
素早い何かが宙に投げつけられた――いったい何が、と確かめるより早く、それはアッシュの首へと絡みついた。
――首!?
ほんの一瞬遅かった。警戒を解いていたアッシュの背後から鞭のようなものが走り、後ろから喉元へと巻き付いてきたのだ。
「アッシュ!?」
「つかまぁえたぁぁ……」
カルボが急き込んでベンチから立ち上がると同時に、ねちゃねちゃした声がマーケットの雑音をすり抜けるように聞こえた。
鞭の根本を視線がたどる。そこにいたのは、子どものような老人のような、年齢不詳の男だった。モゴモゴと動かす口の中はボロボロで、歯がほとんど残っていない。
「抵抗しゅるなよ、うごいたらそいつの首の骨をへし折る」
「な……!」カルボは数秒絶句し、「あなた、レッドトップね!? そっちこそこの人数に勝てるつもりなの? 放しなさい!!」
カルボは急激な心拍数の上昇に軽いめまいを覚えた。
その間も鞭はアッシュの首にめり込み、頸動脈を締め付ける。アッシュも指を引っ掛けて外そうとするが、力が強すぎて隙間に指がかからない。おそらく歯なし男の言うことはブラフではなく、その気になれば本当に首の骨を折ることができるのだろう。
「お前、その女」
「……何!?」
「へへへ……お前がかわりにくるんらら、しょいつを放してもいい」
「いいよ。じゃあ放して」
「え」
歯なし男の力が一瞬緩んだ。カルボの返答が全く間をおかずに返って来たので困惑したのだろう。カルボ独特の駆け引きだ。
その一瞬。
喉元に絡む鞭のわずかなゆるみに乗じ、アッシュは一度大きく息を吸い込んで、歯なし男に向かって猛然と跳びかかった。
「ぎひっ!」
歯なし男の胸にアッシュの蹴りが入る。しかし浅い。
「こにゃろ!!」
思わぬことが起こった。
歯なし男は急にアッシュを鞭から解放し――一転、全身をすまき状態にした。
「アッシュ!?」
カルボが叫んだ。不吉な予感が電撃のように走る。
しかし、おそい。
歯なし男はアッシュを鞭でぐるぐる巻きにしたまま、マーケットの隅にある下水溝のハッチに飛び込んだ。いつの間にか開いていたところを見ると、男はそこから地上に出てきた――ということだろう。
「アッシュ……アッシュ!!」
駆け寄ったカルボの目の前で、ハッチはバタンと閉じた。開けようといてもびくともしない。内側から鍵がかかっているようだった。
「はぁっ……!」
カルボは軽い貧血を起こしてその場にぺたりと座り込んだ。
考えていなかった。
いくらアッシュが強くても、ひとりの同じ人間なのだ。
なんとなくアッシュなら大丈夫、アッシュならなんとかしてくれると、単純に思い込んでいた。
カルボは青ざめた顔で、しばしの間何も考えられずに地面にへたり込んだ……。