第10話 02話 赤い頭
商業都市ヴィネの裏面に張り巡らされた犯罪組織”青い葉”。
その元締めは、あろうことかカルボの父親だった――。
スリ師のジョプリンからそう聞かされ、アッシュはカルボの砂漠の夜明けのように美しい髪に縁取られた顔をまじまじと見た。エーテル機関車に乗る前、カルボがヴィネには寄りたくないと言っていた意味がわかった。ヴィネはカルボのルーツであるとともに、本来であれば目を向けたくない過去だったのだろう。
だが、イーソンの死がそれを許さなかった。
「ねえさん、しかしお綺麗になりましたね」ジョプリンが、褒めるというよりはただ感心したように言った。「何年ぶりですか」
「4年ぶり。ジョプリン、あなたが無事でよかった」
「さっきそっちのお人に殺されそうになりましたがね」
「すんません、どうしても逃げられたくなかったんで。自分、ああいうやり方しかできなくて……申し訳ない」
アッシュが慇懃に頭を下げた。
「こちらのお人は? まさか……ねえさん身を固めたとか」
「ち、ちがうよぅ。アッシュは傭兵で、わたしたちの仲間」
アッシュは軽く頭を下げ、黒薔薇と白百合も合わせて深々おじぎをした。
「……なんだかよくわからねえ組み合わせですが、ま、それは後にしときましょう」ジョプリンはマーケットの通りから少し離れたベンチを指さし、「立ち話も何ですし、あちらへ」
一行はマーケットの利用客が自由に座れる休憩所に行き、一息ついた。
「それで……いったいどういう風の吹き回しなんです? ご苦労、あったでしょう」
「まあね。でも、今日はその話じゃないの」
「へえ?」
「イーソンのこと、何かしらない?」
カルボの問に、ジョプリンの目つきがキュッと鋭いものになった。
「悪いことぁ言いません、ねえさん。関わらないほうがいい。いまこの街はヤベエんです」
「それはムリ。だって……イーソンはわたしたちの目の前で暗殺されたんだから」
「そいつあ……!」ジョプリンは息を呑んだ。
「勘違いしないで、偶然同じ列車に居合わせていただけで、それまではイーソンがいることなんて全然知らなかったの。だから……あのね、本当はもうヴィネには戻らないつもりだった。でももう無理。無関係を決め込んでどこかに行っても、絶対後悔するから」
カルボの声は低く、揺るがない響きがあった。
ジョプリンは青ざめた表情で長い溜息をつき、「それで、どこまで知っているんです? 今の組織のこと」
「待った」
カルボが口を開きかけたところで、アッシュが間に割って入った。
「アッシュ?」
「お客さんだ」
カルボとジョプリンは一瞬目配せして、周囲の状況に注意を向けた。いる。久しぶりに再会して注意の緩んだその隙に、鈍く光るような気配を放つ男たちが3、4人休憩スペースを遠巻きに取り囲んでいる。
「まさか、”青い葉”の……!?」
「違いまさぁ、あいつらは組織から分裂した連中……組織の人間なら手当たり次第仲間に引き込むか、さもなくば殺しも厭わないっていうイカれた連中」
”赤い頭”。
ジョプリンはそう言って、懐から投げナイフを取り出した。
「ジョプリンさん」とアッシュ。「そういう話なら、こっちが向こうを殴りつけても構わない……ってことッスよね」
「え? ま、まあそうなるかな……?」
ジョプリンは腰の革ケースからゾロリと鋼鉄のメイスを取り出すアッシュに目を白黒とさせた。
「なら安心ッスね」
何を安心したのか、アッシュはベンチを立ち上がり、”レッドトップ”なる連中に堂々と姿を晒した。
「まどろっこしいことはナシで行きましょう」アッシュはまるで騎士同士が槍試合で名乗り合いするがごとくはっきりした声で言い、「かかってきてくださいよ――死ぬ覚悟があるならね」
*
”赤い頭”の構成員にどれだけの”覚悟”があったのかわからない。
確かなのは、彼らが首筋にシリンジでエリクサーを射ち、恐怖に一歩下がるどころか前に出ることを厭わなくなったということだけだ。
*
――速い!
昨日追跡劇を繰り広げた爆弾魔と同じく、レッドトップの構成員たちは魔薬の効果でアッシュも舌を巻くほどの身体能力を発揮した。
――アクセルレッド、だったか……すごい効能だな。
”加速”の呪文を受けたかのように襲い来る敵に、アッシュは動かずにその場で重心を下げた。
「アッシュ!?」
そのまま動かなければ敵の餌食だ――そう思ったカルボが叫んだ。
人間離れした機動で、まずアッシュの左右からレッドトップふたりが飛んできた。その両手には大ぶりのナイフが握られている。
距離、タイミング、いずれもがアッシュの死を予期させた――だが最初にふっとんだのは左手側の男だった。腰を下げたアッシュが、渾身の力で跳躍してメイスで突撃を仕掛けたのだ。これで片方は戦闘不能。右手側のもうひとりは攻撃の機をずらされ、やむなくその場から後ずさった。
残りは三人。だが全員がアクセルレッドを注射している。危険だ。
「ねえさんがた、ここは逃げよう! こいつら完全に殺しに来ている!」
ジョプリンは焦りの声を上げた。街でスリをして生きている男は、ここ最近の抗争をよく知っている。ブルーハーブとレッドトップ。なぜ彼らが潰し合いをしているのかを。
それはレッドトップ構成員の行動に現れている。
”ドラッグ”の使用にいっさいためらいがないことだ。それもそのはず、レッドトップはドラッグの流通を大幅に拡張しようとして、それが原因でブルーハーブからたもとを分かったのだ。
レッドトップの構成員は日を追うごとに増していき、”レッドトップか、さもなくば死を”などという危険極まりない標語のもとに勧誘している。
「……じゃあイーソンを暗殺したのは」
「間違いなくレッドトップの連中です。イーソンの旦那は誰からも慕われてましたし、ドラッグ流通に最後まで反対していた」
「邪魔者だったと」
「ええ。奴らやってることは無茶苦茶だが、とにかく手強い。エリクサーのせいもあるが、最近じゃ組織外部の連中をカネでかき集めて武装しているとか」
「だいたいわかったよ」
カルボはベンチからすっと立ち上がり、ベルトのホルダーからエリクサーを幾つか取り出した。
一方、レッドトップの刺客は機動力を最大に引き上げ、跳んだ。一瞬で三方向からの攻撃である。たとえ誰かひとりは先程の攻撃のようにメイスで潰されたとして、残りふたりがその隙を突けばいいというわけだ。アクセルレッドの高揚感がそれをさせているのだと思うと、アッシュは己の頸動脈がゴロゴロと脈動するのを感じた。
「アッシュ、目をつぶって!」
カルボの声。アッシュは最優先でカルボに従った。彼女は単なる女ではない。相棒なのだ。
レッドトップの刺客たちは、その瞬間空中にばらまかれた光の粒子に幻惑されていた。”輝きの砂”は、撒き散らした範囲内にまばゆい粒子を撒き散らし、五感をかき乱すエリクサーだ。
「くっ」
”砂”のほぼ中心にいたアッシュは、光に目をやられることこそなかったが、散らばる砂の効果で一瞬ぐらりとめまいを起こした。
だが、レッドトップの刺客たちはそれより深刻だった。アクセルレッドというドラッグは運動能力の他に感覚の強化が効能として含まれているらしい。眼と耳を閉ざし、うめきながら石畳にひっくり返った。
アッシュは頭を低くして、”輝きの砂”の影響を最小限に抑えながら刺客の一人ひとりを蹴って殴ってまわった。殺しても構わなかったが、足首を折って歩けなくする程度でやめておいた。話を聞き出して警察に突き出すならまだしも、死体に変えてしまったらアッシュたちのほうにもなにか嫌疑がかかるかもしれない。
「レッドトップが警察の深くまで潜り込んでいるのはおそらく間違いないでしょう」胸をなでおろしたジョプリンは、それでもなお青ざめた顔で言った。「ねえさんには言うまでもないことですが、それはブルーハーブも同じことでさァ。警察の中でも組織の見えない抗争は起こってるでしょうな」
「じゃあ、とにかくこの連中から情報を聞きましょう。噂話だけじゃ、黒幕まで辿りつけないわ」
カルボはキッと顔を上げ、ジョプリンとアッシュを交互に見た。
「ふたりとも、力を貸して。もうこれ以上、つまらないことでこの街を血で汚したくないの」
ジョプリンは真剣な眼差しで頭を下げ、アッシュは左眉の古傷を掻いて小さく笑った。
そんなこといまさら言うな、とでも言うように。