第10話 01話 ジョプリンの災難
少し長めのキャンペーンシナリオになります。
お付き合いください。
龍骸苑。
世界宗教としては円十字教会に次ぐ規模の宗教団体である。
円十字教会が世界と、世界を作った始源の塔へ信仰を捧げるように、龍外苑の門徒たちにも信仰の対象がある。
龍骸――文字通りのドラゴンの骸だ。
かつて10万年世界を支配した巨神の時代、唯一まつろわぬ種族があり、それがこの世ではじめに生まれたドラゴンたちだった。幾度と無く巨神とドラゴンは戦い、”ジ・オーブ”を奪おうとした。オーブを持つ種族はこの世を支配するという造物主の掟がドラゴンを退けたが、もしオーブ無しに全面戦争が行われれば両種族とも滅んでいたのではないかと現代の考古学者はいう。
ともあれ、巨神の時代も人類種の時代もドラゴンはすさまじい力を持つものであり、敵に破れ地に倒れ、骨だけになってもなお巨神の首に食らいつく程だったと伝承は伝える。
そうしてついに完全なる死を迎えたドラゴンは長い年月をかけて地に帰り、あるいは骨の姿そのままに地上に野ざらしとなった。
巨神文明の最後の幕引きはドラゴンと人類種の共闘とされており、ドラゴンは人類全ての盟友であったという。
そしてドラゴンが握ったオーブを――人類が簒奪した。ドラゴンは偉大だが何ごとも力によって支配するという点では巨神よりも危険であった。そこで人類は持てる知恵のすべてを使い、最高位のドラゴンのひとりであった”レインボードラゴン”を騙して――人間側にとっては機転を働かせてというこことになるが――オーブを手に入れ、世界を支配した。
それから一万年。
人類の時代になってもなおドラゴンの遺骸は空に海に大地に残り、完全に朽ち果てるにはさらに数千年、数万年、あるいは地に帰ることはないのかもしれない。
龍骸苑は、そのように永遠というほどの時を渡り、なおかつかつての巨神たちと互角に渡り合ったドラゴンたちに強い尊敬の意を持ち、ドラゴンおよび龍骸を信仰対象にしようという教義を掲げている。
信者は”龍の門徒”と自らを称し、”龍のごとく強く、龍骸のごとく朽ちるを知らず”霊と骨肉をその身に宿そうと言うのが彼らの信仰なのだ。
「……というわけで拙僧は行者なわけですが、これは円十字における聖騎士に当たる存在ですな」
ドニエプルに龍骸苑の精舎を案内されながら、アッシュたちは龍骸苑が商業都市ヴィネにおいてどのような役割を果たしているかを嬉しそうに説明した。
「どうですかなカルボ殿、お気に召されたでしょうか?」
ドニエプルはずい、とカルボに一歩踏み出した。
「え、ええ。よくわかりました」カルボは押しの強さに困惑気味に返し、「とにかく、聖騎士の代わりとしてこのヴィネの平和を守っているんですね」
「ご理解をいただき恐悦至極」ドニエプルはでれっと笑顔を作った。
「ドニエプルさん、ちょっといいスか?」とアッシュ。
「気にせずドニエプルと呼んでくだされ、アッシュ殿」
「じゃあ、ドニエプル」
「なんでしょうかな?」
「この都市で最近事件が増えてるってのは聞いたよ。俺達も駅について早々に出くわしたからな」
いったい何が起こってるんだ、とアッシュは眉間にしわを寄せた。
ドニエプルはうむ、と深くうなずいて、「今までにも犯罪組織の抗争と言うのはなかったわけではない――が、昨今の流れは異常といえましょう。単純な抗争というより、お互い全滅するまで続けているが如く。戦争が起きていると言っても過言ではない」
「戦争……」
「組織が完全にふたつに分裂して、新しい勢力ができて、もう後戻りがつかない状態だとか」
「そんな……」カルボの顔色はやや青ざめ、「いったいどういう組織なんですか、その”新しい勢力”っていうのは?」
「あいやいや、申し訳ないが拙僧も巷に聞こえる噂しか知らんのです。建前ではそんなものは存在しないということになっているが、このヴィネに大きな犯罪組織があって、やり過ぎないかぎりは警察にも黙認されている――というのは、子どもでも知っている。しかし本当のところは、やはり地下の闇の中に隠されておるわけです」
カルボの顔色はますます血の気が引いた。14の時に飛び出した故郷、そして組織がのっぴきならない状況に陥っている。自分に何ができるのかを探っているようにアッシュには見えた。
「”青い葉”の内部抗争っていう線は間違いないみたい」
「それでイーソンさん……だっけ? カルボの恩人」
「うん」
「何らかの理由で消されたってことか」
「うん……」カルボはぎゅっと拳を握りしめ、「なんだかいろいろ嫌な予感がする……わたしの知る限りイーソンは組織の中でも”魔薬”の取引に関しては反対派だった。それが暗殺されて、今度は青い葉とつながりのある屋台を爆破されて、その犯人は流行りのドラッグを射っていた……」
「原因はドラッグか?」
「もうちょっと証拠がないとだけど、たぶん」
「どっちにしろ、信頼できる組織の人間に接触しないと話が進まないな」
「うん」
「ちょ、ちょっとお待ちあれ御二方」ドニエプルが焦った顔で割って入った。「いったい何をするおつもりか? 犯罪組織の抗争に首を突っ込むように聞こえましたが?」
カルボは首を振って、「ごめんなさいドニエプルさん。わたしもう……首どころか全身ふみこんでるの」
*
ジョプリンはケチなこそ泥であるが、スリの腕には自信があったし、じっさいそれは確かなものだった。
その日もマーケットの客の間をヨロヨロと酔っ払いのような足取りで歩き、ぶつかったと見せかけて懐に手を伸ばした。ちょろい標的だ。革の財布は一瞬で所有者が変わり、ジョプリンの”上がり”になった。
人混みをすっと抜けて、ジョプリンは財布の中身を確かめ、悪態をついた。中身は50銀。今日一日の生活費でほとんど消えてしまう額だ。組織への上納金を考えると頭が痛くなる。
どうやらもう2、3人から頂戴しなければならないようだ。
ここ最近の組織からの締め付けはちょっとやり過ぎだ。上がりの4割も納めろと言われれば、ジョプリンのような腕のあるスリ師といえどもかなり苦しい。もっと下っ端の連中にとっては、警察に捕まる可能性を考えればやればやるほど割にあわない仕事になる。
どこの世界もそうだが、新人や後継者がいなくなればその仕事全体が停滞し、先細りになっていく。そんなことがわからないほど組織は愚かではあるまい。
――いったい何を考えているのやら……。
ジョプリンはため息を付き、もうひとり楽そうな標的に目をつけて、人混みをスイスイかき分けた。
鎧にマント姿――外では強いが町中では注意力が散漫になるタイプと見た。危機に対する備えのベクトルが違うところに向いているのだ。
「おっとすまねえ」
ジョプリンは酔っぱらいが肩をぶつけたように演技し、鎧姿の男の懐に手を伸ばした。
確かな手応えあり。
ジョプリンは心のなかでにやりと笑い、財布を抜き取った。
その途端、ジョプリンは手首を掴まれた。
マズい、と思った時にはもう遅い。鎧姿の男はジョプリンの胸ぐらを掴み、足がプラプラ揺れるくらいの高さまで引っ張りあげた。
「くっ、首が……!」
掴まれた襟首が喉を締め付け、声も叫びも上げられない。このままでは窒息してしまう。
「や、やめ……」
何とか声を絞り出すと、ジョプリンはどさりと路上に投げ落とされた。
「ジョプリン、お久しぶり」
鎧姿の男の隣りにいた胸のデカい女が、周りの通行人に聞こえない声でジョプリンの耳元で囁いた。
ジョプリンは、咳き込むのをやめ、女の顔をまじまじと見た。まさか。そんなはずはない。
「カルボねえさん、なのか?」
女はこくりとうなずき、緊張のおもむきで「聞きたいことがあるの、ジョプリン。すこし……付き合って」
ジョプリンはなおもカルボの顔を呆然と眺めながら、ねえさんがそう言うなら、と喉元を抑えて立ち上がった。
*
カルボは13歳で”青い葉”を抜け、生まれ故郷のヴィネから飛び出した。
それ以前の彼女は指導教官であったイーソンに”先が恐ろしい”と言われるほど高い技術を持っていた。
ジョプリンはカルボが10歳の頃に”青い葉”に入った新人でその頃すでに15を過ぎていたが、カルボの能力と利発さに感服して彼女のことを自然と”ねえさん”と呼ぶようになった。
カルボがブルーハーブを抜け、実家にはもう戻らないと聞かされた時のショックは今も忘れられなかった。まだ十の子供の頃から高い能力を持っていて、年若くして美貌の片鱗をうかがわせていたことで、ジョプリンは複雑な思いを彼女に抱いていたからだ。
ジョプリンはカルボの足抜けを何とか止めようとしたが、師匠のイーソンが暗に認めていたことを知り、ジョプリンは自然に手を引いた。
これはもうやむを得ないことだ、とジョプリンは自分を抑えた。
カルボは魔薬の取引を続ける限りブルーハーブには戻らないと言い切り、宣言通り組織を抜けた。
同時にそれは”家出”でもあった。
組織にドラッグの流通を認めたのは、盗賊ギルド”青い葉”の総元締め――カルボの父親・ヒューレンジだったからだ。