第09章 05話 イーソンという男
「……どういう関係だったんだ」
ヴィネ駅前の広場でベンチに座り、憔悴した顔のカルボにアッシュが声をかけた。そうしないとカルボはその場から動きそうになかった。
数十秒の間を置いて、「わたしの……家庭教師みたいな人」
「家庭教師?」
「うん。教えてくれたのは勉強じゃなくて、技術」
「何の」
「盗賊の」
アッシュはぐるりと混乱して、左眉の古傷を掻いた。自分の技術の師。アッシュにとっては戦う方法を授けてくれたかつてのシグマ聖騎士団団長のコークスにあたるだろうか。そんな人物が、ある日突然目の前で死体になって現れたとあっては――全身の気力が抜けてもしょうがない。
カルボの両脇には黒薔薇と白百合が腰掛け、カルボを挟むようにして抱きしめあっている。アッシュはこういう時にどうすればいいのかわからない。自分も一緒に抱きしめてやればいいのだろうか。
それにしてもなんという偶然だろう。同じ列車にかつての師弟が乗っていたこと自体が大きな偶然だ。師匠が降りたところを狙って殺人が起きるなどという二重の偶然はそうは起きないだろう。
そこまで重なると必然と考えてしまいがちだがアッシュは偶然にすぎないと思っている。全く別の誰かが何らかの目的でイーソンなる人物を殺害し、たまたまそこにカルボと自分たちが居合わせた。
そういうにおいがする。
ただの勘だが、単なる勘ではない。聖騎士時代に多くの”悪”と戦ってきたアッシュは、悪意には流れがあるという言葉を教えられた。向きがあり、支流があり、源泉がある。その流れにはカルボは乗っていない――少なくともこの段階では。
「駅の片付けは済んだらしい。どうする、このままヴィネを離れるか? それとも……」
「……逃げたい」
「じゃあ」
「でも、ここで何もせず逃げ出したら、一生後悔するよね、わたし」
「……そうかもな」
「そうだよ、ぜったい」
カルボはそこでようやく微笑んだ。
「イーソンがなんで死ななきゃいけなかったのか、確かめたい。アッシュ、協力して」
アッシュは苦笑して、涙で目を腫らすカルボの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「『協力して』、ときたか」
「もぉ、子供扱いしないで」カルボは髪の乱れを直し、「でも、ありがと。わたしひとりじゃどうしていいかわからない」
「黒薔薇は」「白百合は」「お役に」「立ちますか?」
カルボの両側から身を寄せる黒薔薇と白百合が、不安げな顔でカルボを見た。
「もちろん。あなたたちが一緒にいてくれるから、わたしはずっと力をもらってるもの」
アッシュたちは駅前広場から移動した。
何もわからないが、何かを掴まなければいけない。
*
イーソン。
推定年齢50歳。男性。腕利きの盗賊技能トレーナーであり、盗賊というグレーの世界で生きる人間としては誰よりも度量が大きく、その人格を慕うものも多かった。
幼い日のカルボは彼の手ほどきを受け、今の技術を覚えたという。
カルボの言では誰かからの恨みを買って爆殺されるような人物とは程遠いらしい。
彼女が実家から飛び出してから4年間、シーフとして独り立ちできるまでいろいろな形で援助してくれたのもイーソンの個人的なはからいだった。恩人である。彼が居なければ、カルボは世間の荒波に揉まれ、もっとどす黒い犯罪の世界に身を沈めていたかもしれない。それゆえカルボのショックは大きかった。
「考えられるルートはないのか? その……恩人とやらの」
「ないよ」アッシュの問に、カルボは即答した。「あの人を殺そうとする”ブルー”の人間なんて考えられない」
「”ブルー”?」
「”青い葉”。わたしが……昔所属していた組織のこと」
いわゆる盗賊ギルドね、とカルボは付け足した。
盗賊と聞けばコソコソ盗みを働くか、もしくは遺跡の罠を外して遺跡の盗掘の片棒をかつぐか、もしくはもっとダーティな仕事に関わる人間だという先入観がアッシュにはある。だから自分のことを泥棒と名乗るカルボのことも最初は信用していなかった。だが彼女の言動からは”悪”の匂いは感じられず、アッシュはいまや頼りになる仲間だという意識を持っている。
それでも”賊”を自ら名乗るものである限り、何かの拍子に法を外れ、野盗山賊の仲間になっていてもおかしくない。カルボだから、立ち止まり明るさを持ち続けているのかもしれない。そのたががイーソンという人物だったとすれば、アッシュはカルボに代わって頭を下げて礼を述べたい気分になった。
「今日は一旦休んで、明日から情報を探ろう。俺はその組織のことを全然知らん。そのことも含めてな」
カルボはくしゅっと洟をかみ、うなずいた。
*
商業都市ヴィネは周辺地域で最も巨大なマーケットがある。驚くほど広く大きなひとつのテントの下に並んだ店、飲食店、露天、行商人。大口の買い付けに来る商人、食事を求める客の群れ、物見遊山の観光客。
そして――。
「この広く混雑したマーケットのあちこちで、アンダーグラウンドの取引が日夜繰り広げられているの。そこら中にスリもいるよ。気をつけてね」
「アンダーグラウンドってことはアレか、闇で作られた高揚エリクサーとか?」
「……そういうこと。わたしは自分の技術と、それを教えてくれた人たちのことは誇りに思ってる。でも闇エリクサーの売買に手を染める組織には居たくなかった。だから……13の時に飛び出して、それっきり」
アッシュはカルボの横顔を見て、その美しさと険しさに軽く肩をすくめた。人にはそれぞれの事情がある。それはアッシュ本人にも言えることだ。
安易にそこには触れるべきではないとアッシュはそう思う。
同時に、イーソンというカルボにとっての大事な人間が殺されるという現場に出くわした以上、そこに背を向けることはもっと大きな後悔を生むはずだ。
アッシュのやることは決まっている。分厚い革の筒に入れて腰に吊るしているメイスの確かな重み。カルボの行く手をもしも邪魔するものがあれば、その前に立って排除するのが自分の役目だ。
「”青い葉”の構成員は、普通の商売人とは違うっていうサインをつけてるの」
「不思議」「不思議ですわ」「そんなもの」「付けないほうが」「ばれない」「ですわ」
黒薔薇と白百合が彼女らにとっては至極まっとうな疑問を口にした。
「誰から何をいくらまで盗んでいいか。そういう一線を元締めが決めてしまわないと、店自体が潰れたり警察が出張ったりしてくる。何ごとも程々にしますっていうサインになっているの。それを守る構成員だけがこのマーケットで仕事ができる。構成員じゃない人間が仕事をしようとしたら、半日と立たずに地下へ引っ張り込まれるってわけ」
「と、いうことはその”青い葉”はマーケットの地下に本拠地がある?」とアッシュ。
「そういうこと。ご多分に漏れずこの都市も地下には巨神文明の遺跡があってね、そこは近隣の盗賊たちの横のつながりを作るある種の宮殿みたいになってるの。開かれるのは舞踏会じゃなく、お互いの取り分を決める密談だけどね」
「大体わかった」
「ほんと?」
「構成員をひとりとっ捕まえて、あとはコイツがモノを言う」
「だっ、ダメよアッシュ! マーケットで血が流れたらただじゃすまないんだから!」
アッシュは小さく笑い、「わーかってるって。脅すだけだ」
「本当? 骨も折らない?」
「大丈夫」
「本当かなぁ~……まあいいわ、ちょうどあそこに構成員がいるから行ってみよ」
カルボが指差した方向にはクレープを焼く屋台があり、一見してどこにでもいる普通の男が店を回していた。アッシュには全く見分けがつかない。
「クレープ」「クレープ!」「クレ」「ープ!!」
食べ物に目がない黒薔薇と白百合が目を爛々とさせて屋台へ走っていこうとする。
その時である。
まだ若い男がクレープを焼く店主に握りこぶし大のエリクサーバルブを投げつけ、人混みに急いで消えた。
パァン!
爆発音がマーケットの空間に響き渡った。
クレープの屋台はバラバラに吹き飛び、タイヤがひとつ何かの冗談のようにコロコロと転がった。
店主は――店主は血と土煙にまみれ、即死だった。
カルボは知らなかったのだ。
かつて自分が生まれ育った街が、血腥い抗争の只中にあることに――。