第09章 02話 トランク争奪戦
「カルボ、おい、大丈夫か? 立てるか?」
入り口のドアに思い切り頭をぶつけたカルボは尻餅をついたまま動けない様子だった。
「……わたしのことより、早く逃げた連中を追って」
「そんなこと言っても」
「いいから! 黒薔薇と白百合に全部任せるつもり!?」
「そ……」アッシュは数秒間冷静さを欠き、やるべきことを見失っていた。「そうだな、すまん。大丈夫ならそれでいいんだ」
アッシュは気を取り直し、エンセンの部屋から飛び出した。
持ち前の俊足で走りだし泥棒たちを追いかける。だが貧民街はどこもかしこも入り組んだ違法建築の吹き溜まりで、どこをどう走り抜ければいいのかわからない。
「そうか、クロとシロ!」
彼女たちが賊を追いかけているはずだ。あんなひらひらした服装で上空を浮かぶ者は他にはいない。アッシュは曲芸じみた動きで近隣住居の屋根に飛び上がると、ぐるりと辺りを見渡した。
いた。
ふわふわと浮遊するいつもの優雅さは無く、スピードを出して泥棒連中を追いかけていた。距離はやや開いて、アッシュといえど追いつくのは少々面倒だった。なにしろ貧民街は道が入り組んでいて、土地勘がなければすぐに迷ってしまうだろう。
アッシュは全身のバネにぐっと力を蓄え、屋根の上を一気に走った。細い裏路地を挟んで跳躍、次の屋根に飛び乗ってさらにジャンプ。
信じられない敏捷性で合計5棟を飛び越えて、アッシュは泥棒たちまであとわずかところまで着地した。
「悪いッスねえ、返してもらいたいものがあるんで、止まってもらえないスかね?」
息を弾ませ、アッシュは彼らの背中に声をかけた。
泥棒たちの反応は、やや意外だった。
追い詰められた犯罪者は武器で殴りかかってくるのがお決まりだが、ここは魔法都市エリゴスの貧民街である。魔術研究からドロップアウトした学生や、犯罪組織と結びついて邪な魔術を使う者、つまらない個人的なことに悪用する者。天をつかもうとする腕の形をした魔術大学の塔を見上げてつばを吐く連中の吹き溜まりである。
ゆえに泥棒たち全員が呪文の心得があった。
マズい、と思った時にはすでに遅く、アッシュは四人分の”電撃”呪文を正面から浴びてふっとんだ。
「くあ……っ!」
鎧も身に着けていない状態で不意打ちを食らい、アッシュは全身が痺れて動けなくなった。
「お前、いったい誰だ……エンセンの知り合いか?」
泥棒――魔法使い――不良魔法使いたち――のひとりがアッシュの髪を掴み、無理やり顔を引っ張りあげた。
いつものアッシュなら皮肉のひとつも言ってやるところだが、まともにろれつが回らなかった。
「まさかお前もヤツのカネを?」
「ぐ……どういう……こと、だ?」
「フン、あの野郎あちこちに借金があって『もうすぐまとまったカネが手に入るからそれで精算する』って言いやがった。じっさいほとんどの借金は返し終わったらしいが――あの野郎、まだカネが有り余ってるって口を滑らしてな。馬鹿なやつだぜ、この貧民街でそんなこと口走って無事でいられる保証なんてねえってのによ!」
アッシュはまだ動かない体で唯一自由になる脳を回転させた。こいつらはエンセンを馬鹿にしているが、エンセンより賢いというわけではないらしい。おそらくエンセンの言う”ロッカーの鍵”を手に入れて興奮しているのだろう、べらべらと余計なことまで喋っている。同時に、エンセンがどれだけのカネを隠しているかまでは調べがついていないらしい。
「だったら……あんたたち運が無いッスよ……」
「あん? 何の話だ」
「エンセンが今どこにいるか、知ってるんスか……うう」
「なんだって?」
「エンセンのヤツが……2000金の在り処、が……」
「何だと? お前何者だ? 何を知ってる!?」
「う、う……」
アッシュは電撃にやられ、上手く喋ることができない。小声でぼそぼそと何かをつぶやくも、男には聞き取れなかった。
アッシュはちょいちょいと指を動かし、”耳を貸せ”のジェスチャーをした。
男はそれを聞き取ろうと頭を近くに寄せ――アッシュの頭突きをモロに食らった。
「あがーッ!」
鼻血が吹き出し、冗談のように地面にこぼれ落ちていく。
「こいつ!」
残りの男たちが再度呪文を唱えて攻撃の意思を具現化するが、鼻血を吹き出した男を肉の盾にしたアッシュに手が出せない。
「仲間に手ェださないってわかって安心したッスよ」アッシュはまだ痺れの残る体を無理やり起こし、鼻血男の肩関節を後ろから固めた。「一応聞きますけど、例の”もの”はどこです? 穏便に行きましょう、穏便に」
「ふざけるな! お前に鍵など渡すか!」
アッシュはそれを聞いて気づかれないように笑った。
――入れ食いで情報を吐くな、こいつら。
「悪いですけど、エンセンが”中身”を渡すよう指名したのは自分なんすよね。一応聞いておきますけど、鍵を渡す気、ありますか?」
男たちは当然のごとく誰も承服しなかった。
「まあ当然ッスね」と、アッシュは空を見上げ、「クロ、シロ、こいつらを動けなくしてやれ」
*
黒薔薇と白百合の念動波は回を追うごとに強く正確になり、上空から叩きつけて堕落魔術師たちを地面に這いつくばらした。
「この人達は」「どうしましょう」
「殺すってわけにも行かないが、放って置くわけにも行かないな……ん?」
アッシュは堕落した不良魔法使いの視線が黒薔薇と白百合に集まっていることに気づいた。その顔はデレデレだ。まるで人気の女歌手が戦場に慰問に来たかのよう――もっと簡単にいえば、下心がすけて見えた。
アッシュは改めて黒薔薇と白百合の外見を見た。美少女である。外見年齢は12、3歳位。人形のように整った容姿。長く美しい髪。双子であり、その仕草は完全にシンクロしている。こんな謎めいた美少女が突然現れたら驚くのもやむを得ない。
ぼんやりしている内にアッシュはロープで男たち四人の手首をまとめて縛り上げ、簡単に解けないようにしてやった。
「じゃあそのあたりでぼんやりしててください。自分ら、もう行きますんで」
「ああ~くろちゃん、しろちゃあ~ん!」
後ろでなにか聞こえたが、アッシュは無視した。
*
とある路面エーテル機関車の駅にあるロッカースペース、その616番のロッカーに1000金の入ったトランクが入っている――らしい。
「アッシュ」「開けないので」「ござい」「ますか」
黒薔薇と白百合が、ロッカーを前にして動かない様子のアッシュに怪訝そうに尋ねた。
「何が起こるかわからないからな。もしかすると、俺達が開けるのを見張ってる奴らがいるかもしれない。それなら鍵がなくても横取りできるって寸法よ」
ロッカーの鍵は特殊な魔法錠になっていて、物理的な方法で開くのは至難の業と言われている。だからこそエンセンはそこを安全な隠し場所と選んだのだろう。
細かい事情はこの際どうでもいい。
重要なのはトランクを安全に取り出し、そのまま安全に持ち帰ることができるかどうかだ。チンピラレベルでもエンセンのカネの話が流布していたのだ。トランクを強奪しようという輩が現れても不思議ではない。
――カルボと合流するのを待つか?
アッシュはごく自然に相棒のことを思った。だがカルボはアパートの扉で頭を打って、回復しているかどうかわからない。
これ以上は時間を無駄に使う。怪しむものも出てくるだろう。ここは黒薔薇と白百合にバックアップさせて、一気にトランクを抜いて大急ぎで駅の構内からでるか、もしくは路面エーテル機関車に乗り込んで尾行をまくかだろう。なにしろ1000金である。一生遊んで暮らせるほどの額ではないが、傭兵やドロップアウトした学生には今後の身の振り方が変わってくる程度には高額だ。
アッシュは黒薔薇と白百合に何か異変があったら知らせる、ないし自分の意志で念動波を使うよう念を押して、ロッカーのスペースへと近づいた。番号は616。数字を探し、ポケットから鍵を取り出す。あった。鍵を近づけて、魔法錠を開く。カシャン、と軽金属が回る音。ロッカーが開く。そこには大ぶりのトランクが入っている。わずかに手をかけると、しっかりと重みがある。鼓動が激しくなる。
アッシュは意を決した。
トランクを一気に取り出し、しっかり取っ手を握る。神経を集中させる。敵はいないか。どこかから狙われていないか。どれも確認できない。
ギリギリのタイミングで路面エーテル機関車に飛び込み尾行を――もしそんなものがいればの話だが――まく。
黒薔薇と白百合は別行動を取って、空を飛んで部屋をとってあるホテルまで自力で移動させる。頭をうったカルボも心配だが、命に別状がないなら自分の判断で戻ってくるだろう。
――あとは俺がトランクを守ればいいだけだ。
アッシュは腰のメイスを確かめながら、トランクをしっかりと抱え込んだ。