第01章 04話 防衛戦
フェネクスの街を見下ろす高台で、望遠鏡を覗き込みながら野盗の頭目クロゴールは歯に挟まったウサギ肉の端をせせった。視界には、矢弾を浴びて一般市民が死んでいく様子があった。
「まずは成功だな。それと、殺しすぎるなよ。”指紋”のありかを聞き出さねえといけねえからな」
「喋らなかったら?」
「遺跡の谷底に放り投げろ」
「へい!」
部下の男たちに手早く指示を出し、クロゴールは岩の上にどっかと座って酒をラッパ飲みした。
悠然と座って待ち続けるのかとおもいきや、クロゴールはそわそわと膝を震わせ、結局自分も高台を降りて街に向かった。
指揮官気取りをするには、彼の性根は賊に染まりすぎていた。
もしかしたら自分の手で皆殺しにしてしまうかもしれん――クロゴールは下卑た野盗の笑みを浮かべ、武器を手元に引き寄せた。
*
「ひゃああー! うひゃああー!!」
野盗のひとりが叫びを上げてバリケードを超え、金輪を嵌めた長い樫の棒を振り回した。
勇気を振り絞って棒使いに剣を向けた住民の男が胸を突かれ、肋骨が砕けて動けなくなった。
「頭かち割れってさあー! 親分が言うんだよー!!」
棒使いはコカ・エリクサーでもやっているかのように奇声をあげ、訳がわからないほど棒を振り回した。イカれている。しかしそのせいで動きが不規則でとらえられず、無駄に犠牲者が増えた。
「そいつは飛び道具で撃て! 近づくだけ無駄だ!」
住民の誰かがそう叫び、弓矢を持った男がふたり前に出て弦を引き絞った。
「ぎゃあ!」
放たれる前に悲鳴が上がった。弓を構えた男が、逆に別の野盗の矢に射殺されたのだ。
その賊は昼間路上でアッシュに矢を放ち、勝てないと見るや逃げ去った男だった。長いヒゲに吊るした小さな骨が風に揺れてカラカラと音を立てる。
「はっははは! 人間ってやつぁホントにもろいよなー!! こんなんじゃ歯ごたえがないぜ!」
「そーッスか?」
「え?」
背中から声をかけられ、弓矢持ちの野盗は振り返った。
カエルを生きたまま引きちぎったような悲鳴が上がった。
野盗の腹に鋼鉄のメイスが深々とめり込んでいた。
「内臓破裂ッスね」アッシュは左の眉の途切れたあとを掻きながら、ひとごろしの目で言った。「人間案外しぶといッスよ……せいぜい苦しんでくださいよ、長々と」
髭面の男はげえげえと血混じりの吐瀉物を振りまきながら、地面をのたうち回った。
「まずひとり……」
アッシュはそう言ってから、狂乱する棒使いの男を尋常でない目つきで見た。
「しゃああああー!!」
自分が獲物として見られたことを本能で察した棒使いは、めちゃくちゃに棒を振り回しながらアッシュへ襲いかかった。
金輪を嵌めた棒の硬さは剣すらへし折る。一方のアッシュは明らかにリーチの足りないメイスただ一本。そして棒の無軌道な動きは、防御すら難しいことを感じさせた。
「やったる! 脳みそ撒き散らしたる!」
棒使いは口からよだれを垂れ流しながら叫んだ。そして実際に骨を砕くべく棒を繰り出した。
結果は、アッシュ以外の誰も思ってもみない事になった。
迫り来る棒の先端に合わせてメイスの強打が叩きこまれ、その衝撃に棒使いの肩が脱臼。それだけでなく棒の先端がおもいきりへし折られ、端材のように砕けた。
「あのねおっさん、脳味噌まき散らすってのはねぇ、こうやるんスよ、こう!」
泣き叫ぶ棒使いの頭頂に、メイスが叩きこまれた。首から上が体幹にめり込んで、血まみれの柔らかいものがズルズルとこぼれ落ちた。
「……これでふたり」
アッシュは誰も声をかけられない空気を発散しながら、次の獲物を探して跳んだ。メイスに絡まった肉片混じりの髪の毛もそのままに――。
*
町のどこかでかがり火が蹴倒され、火の手が上がっていた。
次第に次第に明るくなる夜明けの空に、黒煙がもうもうと立ち昇る。
状況は芳しくなかった。
町の住民たちも、けっしてやわではない。奇怪な生物や太古の魔法で仕掛けられた罠をくぐり抜けて遺跡発掘を行うような荒っぽい仕事をしている。野盗にただやられっぱなしということはなかった。しかし残忍な野盗は殺人に躊躇がなく、その差が戦いのバランスを崩していた。
町の通りに、建物の隅に、橋の欄干に死体が増え、住民の死傷者はすでに10人を超えていた。
それでも保安官や元々町に雇われていた傭兵たちの必死の抵抗で野盗も倒れ、押し込まれることは何とか防いでいた。
「あそこの角だ、撃て!」
保安官の号令とともに矢が二本と、魔法を使える傭兵の電撃の呪文が放たれた。野盗は雷撃をまともに食らって、心臓が焦げて死んだ。
「今のうちだ、体勢を立て直し……」
しかしその声は阻まれた。野盗側の魔法使いがまたも広域消音の呪文をかけたのだ。
隙が生まれた。
そのタイミングで、別の野盗が保安官たちの背後に現れて、傭兵のひとりが後ろからナイフで喉を掻き切られて死んだ。音を消してからの隠密殺法である。
仕掛けてきた小男はネズミのようにすぐに姿を消した。
――なんてことだ、これ以上戦える者が死んだら降伏せざるを得なくなるぞ!?
保安官は頭から水をかぶったように汗でびっしょりだった。おそらく敵の残りは4人程度だろう。それらを押さえ込めるかどうか、秒刻みで自信が失せていく。
「…………られる! いったん引いて他の部隊と合流しよう!」
広域消音の効果が切れ、周囲に音が戻った。
声のやり取りができるようになった――しかしそれだけではなかった。
「ぬうん!」
ひび割れたような気迫がびりっと空気を震わせた。半端に残されていたバリケードが破壊される。
野盗の頭目、クロゴールが嗜虐的な笑みを浮かべて剣を掲げていた。
*
「お前たちに告げる! この町にある”金の指紋”。今すぐそれを持って来い! そうすれば命の保証だけはしてやろう!!」
クロゴールの耳障りで威圧的な怒鳴り声がフェネクスの町中に響いた。
「早くしろ、遅れればその分だけ多く殺すぞ! ははははは!!」
恐ろしい哄笑を間近で浴びせられた保安官は失神しそうになった。今そんな交渉を提示されれば住民の意見が割れる。誰かが”指紋”を渡そうと考えることは十分ありえることだ。”指紋”を隠しているのは町の中央にある円十字教会の聖堂だ。守っている僧侶は善良な男だが気が弱い。円十字の慈悲を理由に、独断で渡してしまうことさえ考えられる。
――ど、どうすればいい……こんな大事なことを私が決めるのか……!?
保安官はせめてもうひとりの相棒が殺されていなければ、と額の汗を拭った。
――条件を……条件を吊り上げて殺人と略奪を少しでも減らす……でいいのか? だがそんな交渉などやったことがないぞ……。
「どうした、そこに隠れているお前から殺してやろうか?」
再びクロゴールの怒声。それに呼び寄せられるように、生き残りの野盗たち頭目の周りに集まってきた。
はだけた上半身と顔全体に異様なタトゥーをいれた呪術師。
アイパッチをつけ、血まみれの薪割り斧をぶらぶらと揺らす殺人鬼然とした男。
クロゴールと、姿を現さない隠密殺法の小男。
あわせて4人。
「……保安官、降伏しよう」傭兵のひとりが切羽詰まった声で言った。「俺達だけでは全員相手にするのはムリだ。このままだと本当に皆殺しだ」
「ムリだと? そんなこと言ったらこの町は……!」
「だから、奴らの目的は”金の指紋”だろ!? しみったれた道具屋の家宝なんて知ったことか!」
傭兵の顔は青ざめ、何かの限度を超えた目をしていた。金で雇われた傭兵はただの住民とは違う。戦闘要員だ。法も秩序も関係ない野盗に降伏したとしても、許されず真っ先に殺される可能性が高い。
それは保安官も同じことだが――それでも彼には自分の町を、住民を守らなければならない一線だけは超えられなかった。
バリケードの後ろに身を隠していた保安官は意を決して立ち上がり、声を張り上げた。
「じょ……条件がある!!」
「ない!」
「え?」「なんだと?」「誰だ?」
「ない! っていったの!」女の声が割って入った。カルボだ。「これを見ろぉー盗賊どもぉ!!」
カルボは背中からガラス板のようなものを取り出し、それを野盗そして保安官たちに見せつけた。
「……あれか!」
クロゴールは肉食獣のように破顔した。まだ夜の明け切らない薄明の中ではっきりとは確認し難いが、それは金色の手形を押した紙をガラス板で挟み込んだもののようだった。”金の指紋”というのならば、まさにそれのことを示しているに違いない――クロゴールは強い酒を流しこんだように腹の奥が熱くなるのを感じた。
「よお小娘。捕まったと聞いていたが」
「逃げてきた」
「ははは、そいつぁいい。オレへの恩を返すには絶好のタイミングだぜ」
「あんなカビかけのパンと水を恵んだくらいで恩だなんて言わないでくれる?」
「けっ、腹ァ空かして倒れてたザマでどの口叩きやがる……いや、まあいい。さっさとそいつを持って来い」
「……渡したら、この町から出て行くって約束して」
「約束?」
「うん。できないなら……」
「ああ、するする。オレたちが興味があるのはその”指紋”だけだ」
ついでにお前もとっ捕まえて妾にしてやるがな、とは口に出さない。
じり、とカルボが動いた。
空気の張り詰め方が今までとは切り替わる。耳鳴りがするような静寂。殺し合いではなく、駆け引きの――いわば騙し合いの匂いが漂った。
――妙だな。
そう感じる鋭さが、クロゴールにはまだ残っていた。カルボの動向。何か裏があるのではないか。疑いというよりそれは盗賊ならではの直感だった。小娘はただ”指紋”を渡しに来ようとしているのではなく、何かを仕掛けてくるつもりだ……。
そう思い、クロゴールはタトゥー呪術師にあごをしゃくって”こちらから取りに行け”のジェスチャーをした。用心に越したことはない。
――おっと、そっちもいたか。
クロゴールの視界の端に、建物の陰に身を潜めている小男の姿を認めた。カルボの手にしている”指紋”さえ手に入ればなんでもいい。後ろからこっそり盗ませてもいいし、何となれば殺して奪い取ればいい。体にピッタリとしたキャットスーツの描く曲線はもったいなくあるが、7年かけて探し当てた”指紋”のほうがはるかに重要だ。
どこかでカラリとレンガか何かが崩れる音がした。
頃合いだ。
クロゴールはそう思い――同時にもうひとり、同じことを考えた人物がいた。
突然ひゅっと風を切って、握りこぶし程もある石がタトゥーの男の足元に落ちた。重い音だ――まともにぶつかれば屈強な男でも骨折するかもしれないほどの。
その一瞬、その場にいる全員の視線が落ちた石に注がれた。
否、それは落ちたのではなく投げられたのだ――クロゴールは異変を察知して注意を促そうとした。
それよりも早く、建物の屋根に昇ってタイミングを図っていたアッシュがそこから飛び降りて、プレートメイルを身にまとっているとは到底思えない俊敏さでカルボの元へ走った。
「えい!」
カルボもまたそのタイミングを見計らい、タトゥー男に対して腰に巻きつけていた布を広げ、投網のようにして頭からかぶせた。
「おっらァ!!」
気迫の声。視界を遮られた全身刺青の男の腹にアッシュ渾身の蹴りが食い込む。身体が前に傾いたところに、容赦のない大上段からのメイスが振り下ろされた。ぞっとするような音を立てて後頭部が砕けた。即死。
「伏せろ!」
そういってアッシュはカルボの頭を抑えこみ、姿勢を低くとらせた。そしてその身体を飛び越すようにして、背後から迫っていた小男のナイフをメイスで払いのけた。重い鈍器を操っているとは思えない動きだ。
不意打ちを邪魔され、正面からでは勝てないと見た小男は素早さを活かしてアッシュの後ろに回り込もうとした。
これは失策だ。
アッシュは地面を蹴り、砂利を跳ね上げた。目潰しを浴びて、小男がうっと呻いて動きを止める。
瞬間、その表情が凍りついた。鋼鉄のメイスの突きが顔面に迫っていた。
最初に片目。翻って鎖骨が砕かれ、左の骨盤が叩き割られる。悲鳴を上げる余裕さえなく、メイス三連打によって小男は崩れ落ちた。
「……自分、悪いけど手加減とかしないんで」
ぶっきらぼうな口調で、アッシュはクロゴールにひとごろしの視線を投げた。
クロゴールのこめかみに、太い静脈が浮いた。