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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第08章「ブラッドライン」
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第08章 06話 血統

 全身がばらばらになりそうな衝撃。体がしびれて動けない苦痛。


 その中で、アッシュの意識は記憶の森の中をさまよった。


 そこには命の恩人であり、父親代わりであったコークスの姿があった。


『お前は言葉使いがなってない』


 記憶の中で、開口一番コークスはそう言った。


『知らねえよ言葉づかいなんざ。俺ァそんなの誰にも教わってねェしな』


『そういうところがいかんと言っているのだ』コークスはごま塩の無精髭をなでた。『お前はもう誰にも顧みられない戦災孤児ではない。シグマ聖騎士団の名誉ある団員のひとりだ。団員である以上、看板に泥を塗ってはいかん』


『じゃあどうしろっつーんだよ』


『相手を敬え。他の団員に、団員以外の人間に、己自身に恥じることなき言葉を使え』


『でも、そんなの俺には……』


『……しょうがない奴め。少しづつでもいい。ぎこちなくても構わん。だが相手を敬わん人間は相手からも敬われん』


『そ……そう、ッスか。わか、わかった……わかったッス』


『ははは、まあそんなものでもいいだろう。それとな』


『え?』


『お前の敵に対しても言葉使いを丁寧にしろ』


『敵に? ぶちのめして終わる野郎を敬えって言うのか……いうんスか』


『そうだ』


『どうして』


『格好いいからだ』


『はあ?』


『敵に対して乱暴な言葉使いをするヤツはな、しょせん二流よ。山賊を見ろ。チンピラを見ろ。ヤツらの声と言葉を聞け』コークスは大きな手でアッシュの頭をなでた。『本当に強い奴は黙る。開く口には余裕がある。お前もそうなれ』


『俺にできる……ッスかね?』


『できるかを問うな。やれると誓え。聖騎士の名誉をお前の胸の中に燃やすのだ。そうすれば、答えは自ずから出る』


『……ありがとう、コークスのオジキ』


 アッシュの胸の中に小さな火がおこった。


 己にあと3秒だけの気絶を許し、かつての聖騎士は両足を踏ん張り、精霊造石の冷たい床から立ち上がった。


「……さあ、続きをやりましょうか。三流吸血鬼さん!」


     *


 上級吸血鬼ヴァンパイアロードガスコインはゆっくりとカルボたちへの元へ歩み寄り、蠱惑こわく的な視線を投げかけた。


 一瞬その目に囚われたカルボは、体の自由を奪われ、すぐにでもガスコインの足元に這いつくばりたい衝動に駆られた。


 そんなものに屈してはいけない。カルボの芯のある精神がガスコインの視線をはねのけた。


「黒薔薇、白百合、あなたたちもあの目を見ないようにして!」カルボはかたわらの黒薔薇たちに声をかけ、腰からエリクサーの小瓶を引き抜いた。


「さて、まだおもちゃを隠し持っているのかね、美しいお嬢さん」


 ガスコインは大仰に振る舞い、余裕のあるところを見せた。まるで王侯貴族のようだ。


 そんな茶番につきあっていては本当に命がなくなる。カルボは頭のなかで幾通りもパターンを考え、投げつけるエリクサーを吟味した。ヴァンパイアは毒の効きがわるい。人間とは体の仕組みが違うからだろう。睡眠ガスなどは、特に上位吸血鬼相手には通用しないと見ていい。


 外傷を与えるエリクサーはどうか。最も確実なのは、最初に使った閃光を放つエリクサーだが、手持ちがすでに無い。ならば発火系、爆発系、粘着系、スリップ系あたりのモノが確実だ。ただ、ヴァンパイア相手にどこまで通用するか……。


 ガスコインは大股でまっすぐカルボたちのところへ進んでいく。邪魔するものなど何も無いかのように。


 意を決し、カルボはエリクサーの小瓶を投げつけた。足元にスリップを。上半身には火炎瓶を。ガスコインはそのふたつの小瓶から逃げようともせずさらにカルボへと近寄って――透明になって消えた。


 一瞬の出来事にカルボの足がすくんだ。火炎エリクサーは床に落ちて火の手を上げた。なんということか。透明になれる上に素早く動く怪物。どう対応すればいいのだ?


 だが視覚で捉えられなくなっただけで本体はどこかにあるはずだ。どこかに空気の屈折した場所があるはず。そこがガスコインの居場所だ。


 そのとき、カルボは何がなんだかわからなくなって転倒した。透明のままどこからか姿を現したガスコインが、カルボの体を押し倒し、その首筋に牙を突き立てようとしていた。


「だめ!」「カルボから」「離れ」「なさい!」


 ラー、ラー、ラー!


 黒薔薇と白百合が歌を歌う。ふたりの間の空間に空気が圧縮され、念動波としてガスコインに向け放たれた。普通なら空気の塊で吹き飛ばされるはずが、ガスコインは命中の1秒前に危険を察知し飛びのいていた。その先でまた透明に変じて姿を消す。


「はははっ、美しいふたごのお嬢さんも戦う力を持っていたとは少々意外だ。殺すのは惜しい。やはり全員吸血鬼に変えて手元に置きたくなった。だが、先にあの小僧を」


「俺がどうかしたッスか?」ガスコインの言葉尻を踏みつけるようにアッシュが言った。


「チッ、まだ生きていたか……うん?」


 ガスコインはアッシュの方を見て、その異変に気づいた。透明化が自然と解ける。


 配下の吸血鬼たちが全員殺されるか、戦闘不能状態になっている。みなごろし(・・・・・)だ。


「なんだ……どういうことだそれは?」


 ガスコインの目つきが変わった。得体のしれない光を帯びる虹彩に加え、瞳孔が真紅に染まった。


「いったいいつの間に」


「あんたがカルボに手を出そうとしてる間に、ですよ」


「バカな!? 下級とはいえ吸血鬼だぞ!? 人間の貴様がなぜそんな……!」


 ガスコインの綺麗になでつけた髪がはらりと乱れた。


「別に関係ないんじゃないスか? 人間とか、吸血鬼とか」


「なに?」


「弱い奴が死んだ。それだけッスよ」アッシュは肩をすくめ、恐ろしいひとごろし(・・・・・)の目でガスコインを睨みつけた。「次はアンタだ、ガスコイン。弱い奴は死ぬ。ただそれだけ、ただそれだけッス」


「だぁまれぇっ! この虫けらがぁぁぁ!」


 ガスコインは全身に力をみなぎらせ、アッシュの頭上から跳びかかった。


 アッシュは壊れた長テーブルの天板を投げつけ牽制をひとつ噛ませた。板きれ程度でどうにかなる相手ではないが、一瞬の目隠しにはなる。ガスコインはテーブルを爪で引き裂き、そのままアッシュの頭を叩き割った。赤黒い血と、ドロドロとこぼれ落ちる薄いピンクの脳みそ。


 にやりと笑うガスコイン。シンプルな決着だ――と思った矢先、膝頭に強力な打撃が加えられた。


「ぬがあ!」


 上位吸血鬼ヴァンパイアロードは少々の傷などすぐに復元してしまうが、骨と肉と腱を一撃で砕かれればそうも行かない。


「代わり身か!」


 ガスコインが叫んだ通り、アッシュは辺りに転がっていたヴァンパイアの死体を代わり身にして頭を割らせ、その隙に膝を砕いたのだ。


「おのれ、おのれこの糞ガキがあ! ぶち殺してやる!」


「”本当に強い奴は黙る”……か」


「なにぃ?」


「あんた、それほどでもないッスね」


 その言葉に、ガスコインは全身を青黒い悪魔のように変化させ、これまでより遥かに早い動作でアッシュに跳びかかった。


 ――正面から撃ち落とす? それとも横っ飛びでガードするか? どっちだ!


 1秒未満の選択。アッシュが選んだのは――あろうことか、顔だけを守って胴体すなわち胸甲を正面から晒す姿勢だった。


「馬鹿め、クソ人間め! 望み通り鎧ごとぶちぬいてやる!」


 それはアッシュの賭けだった。聖騎士だった時も、そこから追放された後も、常に己の窮地を救ってくれた鎧。何度も攻撃を受け止め、その度に発泡金属の隙間部分に充填された衝撃吸収エリクサーは減っている。どんな攻撃をどこまで受け止められるかわからない。


 だからこれは賭けだ。


 アッシュは、これが最後になるとなんとなく予想がついていた。


 最後?


 何の最後だろう。


 命か?


 いや、そんなつもりはない。


 アッシュはただ、己の運命を賭けた。


 自分がここで終わるのか。


 それとも別の何かをつかむのか。


 思考はそこで途切れた。丸太で殴りつけられたような打撃が心臓のど真ん中に叩きこまれた。


 アッシュは丸めた紙のように吹っ飛んで、ぐしゃぐしゃに崩れた長テーブルに叩きつけられた。


 胸甲からは煙が上がり、接触時の衝撃を物語っていた。


 アッシュを呼ぶ声が宮殿にこだまする。カルボ。黒薔薇。白百合。しかしもはやアッシュに立ち上がる力はなく――いや、それ以前にもはや即死しているかもしれなかった。


 ガスコインは高笑いしてアッシュの手にしっかり握られたメイスをむしりとり、後ろに投げ捨てた。


「これでもはやどうすることもできまい、虫けらが。貴様の血は要らぬ。ずたずたに引き裂いてオオカミのエサにしてやろう」


 ガスコインは傷だらけの聖騎士の鎧に手をかけて、ベリベリと剥ぎとった。胸甲と金具でつながっている背鎧、腰鎧が引き裂かれ、アッシュの身を守るものは何もなくなっていた。


「では心臓を引きずり出してやろう」


 最後通告を述べ、ガスコインは破壊された右の膝をかばうようにしてアッシュの上に立ち、そして爪を伸ばした。


「があああああああああ!!」


 悲鳴が上がった。


 ガスコインのものだ。


 ガスコインは後ろに大きく倒れこみ、尻餅をついた。


「オジキ。やっぱりこの鎧はすげーよ」とアッシュは独りごちた。


 ガスコインの膝からは、ぶすぶすと白い煙が立ち上り、皮膚が焼けただれていた。


「貴様、いったい……何を……!?」


「足裏」


「何?」


「だから、この鎧の足の裏ッス。あんたらみたいな連中を片付けるために、ブーツのソールに聖なる銀の鋲が打たれてるんスよ。苦手ッスよね? 銀の武器」


「な、そんなインチキが」


 アッシュの答えは強烈な前蹴りだった。顔面への直撃を避けたガスコインの鎖骨にかかとがめり込み、邪悪なエーテルが掻き消えて浄化される。ガスコインは声にならない悲鳴を上げるが、聖なる蹴りを食らった右膝の回復が全く進まず、起き上がることができない。


 それでも”魅了の目”や、爪や牙や怪力はそのままに残っている。


 まずガスコインは邪気のこもった視線でアッシュを射抜いた。しかしアッシュには通用しない。ひとごろし(・・・・・)の目になったアッシュを魅了するには、ガスコインのカリスマ性が足りない。


 体を切り裂こうと振るった爪は、胸元を薄く切り裂くまでにとどまり、反対に長テーブルの残骸をあたかも白木の杭を突き刺すように脇腹に突き立てられた。


 死ぬ。


 ガスコインの背中に、その言葉がべっとりと張り付いた。


 人間の数倍の寿命、体力、精神力、魔力……あらゆるも強さを手に入れたはずだ。そして手に入れたジャコメ・デルーシアの本から得た知識で”人間の錬成”が行えるようになれば、食料は永久に我がものとなるはずだった。


 それが、どうだ。なぜこんなことになっている。


 宮殿は穢され、配下の吸血鬼は皆殺しになり、地上の信奉者たちも死んだ。


 この上自分まで殺される?


 ――そんなことがあってたまるか!


 ガスコインは最後の力を振り絞ってアッシュを突き飛ばし、透明になった。


 透明になり、這って逃げる。


 生き恥だ。だが生き恥を晒してもここは逃げて、再起の機をさぐる。ヴァンパイアは人間より長命で頑強だ。復讐は必ずできる。


 見ろ、やつはメイスを探しだして手にすることを優先し、我が見えざる姿を見ていない……。


「クロ、シロ」アッシュが床からメイスを拾い上げ、「”幻術破り”、あいつに効くかな?」


「はい」「やってみます」


黒薔薇と白百合はその独特の歌声で様々な現象を引き出す。空気の塊でモノを吹き飛ばす念動波、そして幻覚呪文によって生じたまぼろしの看破。自分たちをふわふわと浮遊させているのもその力だ。


 互いに向き合い手を握って、少女たちは不思議な響きの声を発した。


 ガスコインは――傷つき哀れに床を這う上級吸血鬼ヴァンパイアロードは、その最後の一枚のヴェールを引き剥がされた。運命は彼に味方しなかった。黒薔薇と白百合の”幻術破り”は、ヴァンパイア透明化にも有効だったのだ。


「がああ……がああああ!!」


 声にならない叫びを上げ、ガスコインは無様に手足をジタバタと振るった。もはや矜持もなにもあったものではない。


 さて――。


 ガスコインがどのような最期を迎えたか、長々と書き連ねる必要があるだろうか。


 ガスコインは死んだ。メイスと聖なる銀の鋲のブーツによって、血と布の混じった肉塊になって。


     *


「まあまあまあ、驚いたわ! 本当に本を持って帰ってくれたなんて!」


 盗まれた五冊の本のうち、ジャコメ・デルーシアの著書”生命の曙光”を持ち帰ってきたアッシュたちは大図書室の司書たちに大きく感謝され、賞賛と報酬を得た。


「あの、司書様」「司書様」「このあとがきになんと書いてあるか」「教えていただきたいのです」


 黒薔薇と白百合が、彼女らにしては珍しくおずおずと願い出た。


「あとがき? そうね、早く書庫にしまいたいところだけど、構わないわ」司書はページを繰って、「あとがき……これね。私は専門の研究者ではないけれど、どうやら300年以上昔に書かれたもののようだわ……」


     *


『生命。わたしは生命を操作することで始源の塔が何故始源足りうるやを研究した』


『その経過によってわたしは異端の者と指弾され、表立った実験はできなくなってしまった』


『しかし人生の最後の期間、古代遺跡にこもり真に求めていた結果を生み出したことに多大な満足を抱いている』


我が娘(・・・)らには”黒薔薇””白百合”の名を贈る』


『願わくば娘らに幸運を。娘らに続く妹や弟に幸運のあらんことを』


『”父”ジャコメ・デルーシアより』


     *


 黒薔薇と白百合の目から、澄んだ涙がはたはたとこぼれ落ちた。


「ジャコメ・デルーシアは異端の研究者だったけど、人工生命としてのクロとシロのことを誇りに思って、本当の娘と呼んでいたんだな」とアッシュ。


「何かが間違っていれば、この子たちの弟や妹が吸血鬼の餌になるために作られていたかもしれないと思うと、ぞっとする」とカルボ。


 苦しく激し戦いだったが、アッシュたちはただ静かな暖かさで心がいっぱいになっていた。


 ヴァンパイアになってしまったエンセンが魔術大学の治療院に運び込まれ、その後どうなったか、今はそれを語る場面ではあるまい。


 アッシュ。


 カルボ。


 黒薔薇。


 白百合。


 彼らは傭兵のパーティというよりもっと深い絆で結ばれた”仲間”になった。


 これからも、また別の形で物語が始まるであろう――。

第8章 おわり

第9章につづく

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