第08章 04話 敵対関係
死臭漂う地下施設は本当に宮殿の一室のようで、精霊造石と恒耐性レンガが惜しげも無く使われている。いずれも高級品だ。
長テーブルが二脚おいてあり、そこから見上げる位置にはバルコニーのような張り出しがあって、宮殿全体を見渡せる特別大きく座り心地の良さそうな椅子があった。それはまるで玉座のようで、腰掛ける者が只者ではないと暗に知らしめているようだった。
「諸君らが何者かは問うまい」玉座に腰掛ける男が宮殿全体に響く朗々とした声で言った。「ひとりは我らが同胞のようだが。人間が生きてここまでたどり着けるとは少し意外だ」
アッシュは何も言わない。ヴァンパイアの男が言うに任せた。
「私の名はガスコインという。この宮殿の主だ。彼らはみなヴァンパイアだ――信奉者の人間も混じっているがね」
ガスコインと名乗るヴァンパイアは眼下のテーブルを見ろとばかりに手を広げた。
無残な光景だった。
テーブルの上に並べられた”食料”はまだ生きている人間であり、ヴァンパイアたちがそれに噛みつき、あるいはナイフで切りつけ、血をすすっていた。
血を吸いきってカラカラになった四肢は足元のバケツに投げ込まれ、それを狂信者たちが時おり片付けている。吐き気をもたらす腐敗臭は、死体の一部がどこかに運ばれ、それが腐っているのだろう。
宮殿のテーブルに付いたヴァンパイアたちの食事風景は、もはや吸血ではなく人肉食に近いものがあった。
「おぞましいと思ったか? こんなものはまともな所業ではない、悪そのものだと感じたか?」
アッシュは答えず、腰にマウントしてあるメイスを引きぬき、鋼の頭を下に向けてブラブラとさせている。
「確かにそうだろう。我ら夜の者――”ブラッドサッカー”が生きていくためにはこうした行為を取るしか無い。昔ながらの美女の首筋に歯を立てる時代には戻れんのだ。ヴァンパイアがこれだけの数集まればな」
「うぅ……」
カルボが小さくうめいた。ガスコインの、そして長テーブルに着いているヴァンパイアが一斉にカルボを見たからだ。うら若き乙女の血。それはヴァンパイアに取って最高のごちそうであるに違いない。どの視線も”食料”を見る目をしている。
「さて、私にはどうしてもやらなければならないことがある。それを聞いた上で……キミたちに判断して欲しい」
「判断?」
「キミたち……というより、人間全体に福音をもたらすかもしれないことだ。同時に我々ヴァンパイアにも」
「人間とヴァンパイアの双方に利益がある。そういうことをいいたいの?」
カルボは寒気を覚えたのか自分の両肩さすりながら言った。
「そういっても問題はあるまい」
「いいッスよ。まずは話は聞いてから、ってことで」
意外にもアッシュはあっさりとガスコインの提案を飲んだ。アッシュの性格なら、いきなり長テーブルに飛び上がって瞬時に2、3人の頭を潰してしまってもおかしくない状況だ。
「結構、結構。ではまず、私がなぜ大図書室から”本”を手に入れようとしたか……だ」
*
ガスコインが欲したのは、巨神文明時代に行われていたという肉体の復元、死者の復活、生命創造等の研究にまつわるおよそ300年前に記された古い書物だった。
例えば大怪我による四肢の欠損を補うという発想は現在の回復呪文においても存在している。しかし書物に書かれていたのは、切断された四肢のほうから身体を再生させる技術といったものだった。こういった巨神時代の技術をよみがえらせることに成功すれば人類は死を超え、永久不滅の人類種が世界を掌握できる――というのがその趣旨だという。
さらに書物には死亡した人間の魂とエーテル痕を記録し、”マナ”――エーテルを生命の領域へと変質させた別名”生命の源”――による補完にて死者を別の肉体で復活させるという実験をしるしていた。
「そして人体の錬成だ。ありとあらゆる生命にまつわる呪文、エーテル工学、そして錬金術。これらの融合によって生命そのものを生み出せる――と書かれている。私が欲するのはこの”生命そのものの錬成”だ」
「そんなことして、いったいなにをしようってぇの?」
カルボはギュッとこぶしを握り、ガスコインに、そしてニヤニヤと笑いながらヒトの血肉を貪る怪物たちに吠えた。
「見ての通り、私たち吸血鬼はブラッドサッカーの名の通り血を飲まねば生きていけない存在だ。人類種にとって敵となる運命にある。では、こうすればどうか? そのテーブルの上に乗っている死体を、どこかから連れてくるのではなく、”錬成された生命”と置き換えたら? どうだね、吸血鬼が誰も殺さずに血液を飲めるなら、人類と吸血鬼はあるいは共存の道さえ歩めるかもしれんのだ」
「吸血鬼と……共存!? そんなこと、そんなこと……!」
カルボはうろたえた。もしそんなことができるなら、ヴァンパイアという種が丸々人類との敵対を止めるかもしれない。ガスコインが2000金という大金をかけて本を手に入れた理由も理解できる。
「私は早速この本の記述のとおりに実験を始め、その成果をほかのヴァンパイアのコミュニティに共有することを誓おう」
ガスコインは大仰に手を広げ、度量の広さをアピールした。
「それで、自分らに何をしろってんスか?」とアッシュ。
ガスコインは肩をすくめ、「見なかったことにして欲しい。我々はこれから”自家製の食料”を作るための施設を急ピッチでつくり上げる。そうすればお互いに……急にはムリかもしれないが、殺し殺される関係は氷解していくはずだ。どうだね、悪い話ではないだろう?」
「いやだと言ったら」
「その時は殺し合いだ」ガスコインの顔つきが瞬時に変わった。「キミたちを逃がすわけにはいかん。この本はまだまだ研究しなくてはならないんだ」
「そうスか。じゃあ、もいっこ教えてもらっても?」
「構わんよ」
「その本の……題と作者は?」
「題名は”生命の曙光”。著者はジャコメ・デルーシア、だ」
ジャコメ・デルーシア。
「アッシュ」「カルボ」「その名前」「お父様の……」
黒薔薇と白百合が浮遊をやめ、床に降り立った。その顔は、彼女らにとっては珍しく青ざめて、折れてしまうほど不安げだった。
「心配するな、クロ、シロ。話の内容がどうも怪しいと思ったんだ」
「なんだ? 何ごとかね?」
「黙っててもらっていいスか、お山の大将」
「何!?」ガスコインは怒りというより驚きの反応を示した。
「いっこ教えてさしあげますよ。あんたらは密かにプラントなんて作る必要はない。偶然って恐ろしいッスね、そのものズバリがある場所、知ってるんスよ。自分」
「……どういうことかね?」
「西メラゾナ巨神文明遺跡。その奥に」
「……どういうことだ? キミたちは何を? なぜそんなことを知っている」
「偶然って恐ろしいッスよね。だから、あんたらはここでひとり残らずぶち殺すことにしましたんで」
アッシュはひとごろしの目をガスコインとその眷属に向けた。
「生命創造? そんなもんさせませんよ。黒薔薇と白百合の弟や妹を、あんたらの食料にくれてやる? 冗談でしょ、薄汚い吸血野郎が」
ガスコインはアッシュの言葉に戸惑い、どうすればいいのかわからなくなって、奇妙に光る虹彩を明滅させて――ピタリと動揺を止めた。
「そうかそうか。そういうことなら話は早い。キミたちは私たちの食卓に並べることにしよう。ははは、いつもどおりのやり方だ」
しゅう、とガスコインの牙の間から毒の息が吐き出されると、それを合図に長い2卓のテーブルに腰掛けていた食事中の吸血鬼が音もなく立ち上がった。
「キミらと私たち。どちらかが死ぬまでだ。わかりやすくていい。では行くぞ」
吸血鬼たちの口が裂け、長い犬歯が伸びる。人間であり、人間ではない生き物がそこにいた。
「……カルボ」
「うん、わかってる」
アッシュとカルボが、お互いにしか聞こえない声で何かを合図した。
ガスコイン配下の下級ヴァンパイアが爪と牙を伸ばし、襲い来る――その前に。
「みんな、目をつむって!」
カルボはそう叫んで、腰のホルダーからエリクサーを引き抜き、投げた。
瞬間、ものすごい閃光がガスコインの宮殿で爆発した。
閃光爆薬というひねりのない名前のエリクサーは、強烈な閃光を発する目眩ましだ。なんの用意もなく間近で受ければ数秒は身動きを取れなくなる。特に夜目の効く夜行性の動物には効果的であり、同じく夜にいきる吸血鬼にも当てはまる。
「あああああッ!!」
吸血鬼の叫び声が血まみれの宮殿に響く。両目を抑え苦悶する吸血鬼たち。中にはもがいて床に倒れる者までいた。
そして、それを見逃すアッシュではない。
「数が多いから勘弁してください。なぁに、全員地獄に落ちるんだから心配する必要は無いっすよ」
その言葉を、何人の吸血鬼がまともに聞けただろうか。
方向感覚を失って体をふらつかせる手前の吸血鬼の口にメイスがぶち込まれ、長い犬歯をへし折り、下あごをもぎ取りながら後頭部まで貫通した。
アッシュは止まらず、死肉と血にまみれた長テーブルに飛び乗って奥にいたひとりに中段蹴りを放った。高さはちょうど吸血鬼の顔面。吸血鬼は後ろに倒れこみ、床の上で悶絶した。その体の上にアッシュは両足で飛び降り、胸骨のど真ん中に着地した。アッシュ自身の体重と鎧の全重量が加わったその重さで胸骨が軋みを上げる。
「さすが吸血鬼ッスね。これだけじゃアバラは折れないか」
代わりにメイスが全力で叩きこまれた。皮膚を、筋肉を、骨を突き破り、メイスは心臓を叩き潰した。
吸血鬼は通常の人間に比べ、頑丈な身体と戦闘能力を得る。人間よりも強くなければその血を吸うことなどできないからだ。
だから人間を侮る。
身に備わった強さを実力と勘違いする。
アッシュのメイスはそのどれもを吹き飛ばした。
「もいっかい言っておきますよ」アッシュは閃光から回復しつつあるガスコインを見上げ、言った。「あんたらはここでひとり残らずブチ殺す。こいつらも、あんたも」
ガスコインは奥歯をぎりぎりと噛み締めた。
閃光にやられた下級吸血鬼の半分以上はまだ身動きがとれない。
殺戮が始まる。