第06章 05話 スニーキング
「ここか」
3時間ほどかけて山を登り切ったところで、ようやく洞窟の入口が見えてきた。
一見ただの自然洞窟だが、中にはずいぶん古い補強が入っていて、見捨てられた鉱山のようにも見える。
「ここで待ってて」
そう言うとカルボは身を低くして洞窟の入口に忍び寄り、そっと中をうかがった。
「ここからは何も見えないけど、カビ臭いのと混じって動物のにおいがする。くさい」
この洞窟から巨大化した動物が現れて夜な夜なラウムの町を襲っているというのなら辻褄は合う。どちらにせよアッシュの肚は決まっている。
「行くぞ」
「え、もう?」
「勝手口を探すのも面倒だろう? 正面から全部片付けるほうがスッキリしてていい」
そう言うと、アッシュは鎧の調子とメイスの具合を確かめてから堂々と洞窟に入っていった。
「カルボ」「わたくしたちも」「一緒に」「参りましょう」
黒薔薇と白百合――いまはひらひらした人形のような服ではなく、ひっかかりのすくないスパッツと長袖のシャツを着ている――に促され、カルボはアッシュの後に続いた。
*
入り口に入ると確かに獣臭さが空気に混ざっているのがわかった。もし生きているのなら、あの世に送ってやらないといけない。
オイル式カンテラを片手に先頭を行くのはカルボだ。足元にどんな罠が仕掛けられているのかわかったものではない。
「あちこちに足場が組まれてるな。でも何年も使われてないって感じだ」
「山賊が住み着いてたって言ってたから、その当時のものでしょ」
一行は慎重に進んだ。罠だけではない、巨大化した動物が鼻先にいきなり現れるかもしれないのだ。
「あっ、ここ敷板が腐ってる。踏まないで」
「なんか、新鮮だな」
「え? なにが」
「カルボがシーフに見える」
「それどういう意味」
アッシュは答える代わりに苦笑して、前を歩くカルボのヒップラインを目で追った。
*
カルボが”止まって”のジェスチャーをして、オイルランタンのシャッターを閉じた。
「……どうした」
「静かに。物音がした」
カルボが洞窟の曲がり角から一瞬だけ顔を出し、すぐにアッシュの方を振り返った。いきなり空が落ちてきたような顔をしている。
「き、気持ち悪い……」
アッシュはカルボと入れ替わるように顔を出し、不味いものを口の中にねじ込まれたような気分になった。
洞窟の壁を、巨大なムカデが這っていた。
大蛇か何かのように身をくねらせるその大きさは軽く人間の身長を超え、腕よりも太い。赤黒い体、足、大あご。噛みつかれたら毒でやられてしまうだろう。
幸いまだこちらには気づいていないようだったが、カルボが生理的嫌悪感で腰が引けている。忍び足で進むのは難しそうだ――いや、そもそもアッシュは金属鎧を身に着けていて、どう慎重に進もうと物音を立ててしまう。
ここは叩き潰して道を作るべきか。
と、アッシュが物陰から出ようとする前に、頭上を黒薔薇と白百合を飛んでいった。
――マズい!
アッシュは黒薔薇たちを引っ込めようと飛び出した。
だがその前に、黒薔薇と白百合はいつもの様にお互いに向き合い、不思議な声で歌った。
いつもなら歪んだ空気の塊が打ち出されるところだが、今回は違った。独特の波長の歌が空気に波紋を起こし、それが大ムカデの体を包み込んだ。その途端、ムカデは動きを止め、洞窟の壁からぽとりと落ちた。
「なにやったんだ、お前たち?」
「催眠音波」「です」
黒薔薇と白百合のサイオンとしての能力だろう。ムカデはだらしなく活力を失い、されるがままといった状態だった。
「今のうちに通り抜けよう」
アッシュたちはムカデを起こさないよう通り過ぎ、さらに奥へと向かった。
*
獣臭、そして腐臭。
洞窟の奥に進むに連れ悪臭が増していく。しかし洞窟はずっと一本道で、迂回できるルートはどうやら存在しないらしい。
だから、もし安全にすり抜けようと思ったら――みなごろししかない。
アッシュたちの行く手を阻むのは、背中に座って動けそうなオオトカゲだった。青黒い舌で口の周りを舐め、巨体に似合わぬ動きで足首を噛んでこようとする。威嚇の声を上げ、アッシュの脚に狙いを定め――いや、狙いを定めていたのはアッシュのほうだった。
鉄のブーツに守られた足が思い切り口中に叩きこまれ、鋭い歯がガリガリと削り落とされた。そこに容赦のないメイスの一撃が頚椎粉砕。トカゲのしっぽ切りを見せることなく即死。
*
「……奥の方から声が聞こえる」
カルボが言った。膝立ちで耳を澄まし、後ろのアッシュも動きを止めて鎧が鳴らないよう注意する。黒薔薇と白百合はふたりでお互いの唇に人差し指をあて、”喋るな”をした。
「……私が! ワシガ! あらゆる生物を! ”始源種”マデチカラヲ……! 取り戻させるのだ!!」
妙な声だった。ふたりの人物が喋っているようでいて、ひとりが異なる声色でがなりたてている。黒薔薇と白百合のように意思疎通の取れた調和はない。
「何かに憑依されてる感じだな」
アッシュがカルボに少し近づき、耳打ちをした。カルボに近づくと柔らかくていい匂いがする。
「昔見たことがある。カルトにどっぷりハマった教祖に神格が取り憑くとああなるんだ」
「どうすればいいの?」
「これ以外でか?」アッシュはごついメイスを掲げてみせた。
「それで殴ったら死んじゃうじゃん!」カルボは小声で怒鳴った。
「巨大生物作って遊んでる魔法使いなんて頭かち割るのが一番だ」
「でも……」
「わかってる。けど……」
アッシュは空気に漂う濃密な獣の臭いを嗅いだ。洞窟のひらけたドームのような場所の中央に巨大な魔法陣が描かれ、その周りの壁面には鉄格子のはまった穴蔵があり、その一つ一つに動物が閉じ込められている。
「あれを全部相手にするのはキツいぜ」
と、そのときまた怒鳴り声がして、「”始源種”への還元によって唯一”始源の塔”との和合が可能になる! ワシガソノ技術ヲ生ミ……わ、私が……私は……ワシガ……?」
「……急ご、錯乱してるうちに」
カルボはきりりと引き締まった顔でそう言って、ベルトのホルダーから何本かのエリクサー瓶を引き抜いた
*
作戦はこうだ。カルボが隠密行動でシアーズの後ろから近づいて気絶させる。それで何も起こらなければ問題はひとまず解決。
察知された場合はアッシュが走って当身を食らわすか、それ無理なら黒薔薇と白百合の催眠音波で眠らせる……。
アッシュと黒薔薇、白百合は物陰にじっと身を潜め、息を殺してカルボの動きを目で追った。
「”始源種”! そうだ! ソウダ! 私が……ワシガ……最初の……初メテノ、種の起源に……?」
シアーズの意味不明の叫びが洞窟の中に響き、天井から差す光がスポットライトのようにローブ姿を浮かび上がらせる。ある種の荘厳さがあった――しかし辺りには鼻の奥にこびりつくような獣臭が漂い、シアーズの怒声に反応して時折吠え声を発している。
その騒がしさはカルボに味方した。
足場を確かめつつ慎重に位置取りを決め、距離を詰める。
一歩。
にじり寄ってもう一歩。
あとわずかの距離で息を整え、真後ろやや右から背後を取る。
カルボの動きは瞬間的だった。
音もなく立ち上がり、スプレータイプの小瓶から睡眠エリクサー吹きかけたのだ。シアーズらしき意味不明の言葉を叫ぶ男は、かすかなうめき声を発した後ぐらりと体が前後に揺れて、洞窟の石床に無様に崩れ落ちた。
あっけない勝利――と言ってしまうのは簡単だが、カルボは緊張のせいでどっと汗をかいていた。
「カルボ」「すごいですわ」「カルボ」「流石ですわ」
黒薔薇と白百合がカルボのもとに飛んで、三人で肩を抱き合った。
「俺は出番なし、か」
アッシュはメイスを右肩に担ぐようにして安堵の溜息をついた。どうやら魔法使いは殺さずに済んだらしい。
第6章終わり
第7章に続く