第06章 04話 住処
アッシュがはっと目を覚ますと、左右の腕に軋むような痛みが走った。
「まだ動かないほうがいいと思う……」
ベッド脇の椅子に腰掛けていたカルボが不安げに言った。
「……ここは?」
「診療所。大ザルを倒したあと運び込まれたの。覚えてる?」
「いいや……でもだいたい分かる」
「だいたい?」
「ああ。アレをやった後はいつも立っていられなくなるからな」
アッシュの言葉にカルボは再びあのメイスの猛連打のことを思い出しのか、少し怖い顔をした。
「相手が死ぬか、こっちがぶっ倒れるか。そういう技なんだ」
「うん……」カルボはそう言われてもなんと返せばいいのかわからなかった。「えっと……一応包帯と治療エリクサーをつけてるんだけど、大丈夫かな? 動かせるようになる?」
「もう少し休めばな。いま何時だ?」
「朝の9時」
「クロとシロは?」
「大ザルに壊された柵を直すって、見学に行った。何にでも興味あるね、あのふたり」
「そうだな」
アッシュは少し笑った。アッシュはあまり笑わない。言葉遣いはともかく愛想はいいし、性格が暗いわけではないのだが、あまり笑わない。それがなぜなのかカルボはいつも少し気になるがなんと言って聞けばいいのかわからなかった。おそらく、元聖騎士だったことと関係があるのだろう。そのことは多分アッシュの中の繊細な場所と結びついていて、そこに踏み込むのは気が引けるのだ。
「じゃあ、あとはお医者さんに見てもらってね。わたしはちょっと仕事してくる」
アッシュは目をしばたかせて、「おい、仕事ってお前、この町でなにかやらかす気じゃ……?」
「ちーがーう。噂話。情報を集めてくるの」
「なんだ、それならいいけど」
「アッシュって心配症だね」
「そうか?」
「そうだよ。でも……」
「うん?」
「あの、ありがと……アッシュが来てくれなかったら、わたしたぶん死んでた」
「気にするなよ。そういうのがパーティってことだろ」
カルボはそれを聞いて、くふふと変な声で笑った。
「なんだよ」
「いま恥ずかしいこと言った」
「だっ……別に構わないだろ」
「うん。なんか、そう言うこと言うよねアッシュって」
「そうか?」
「うん。じゃあ、行ってくるから」
「ああ」
カルボが診療所を出て行くと、アッシュはなにやら本当に恥ずかしくなってきて、誰も見ていないのに首を壁側にかしげた。
*
湖で巨大化した魚が取れるというのはラウムの町では決して珍しいことではなかったが、陸上の動物が巨大化し始めたのは町にいたひとりの魔法使いがどこかに消えてしまった後のタイミングだった。
町の住民のほとんどが彼の――シアーズという名らしい――仕業か、最低でもなにか関わりがあるに違いないと思っていた。
住民の意見は概ねそのようなところで、情報を集めたカルボもほぼおなじ意見だった。
「動物を巨大化させるってことは、動物をどこかで捕まえてこないといけないわけだからさ、たぶんひとりじゃ出来ないと思うんだよね」
カルボはそう切り出して、ラウムの町の周辺地図――手書きのものだ――をテーブルの上に広げた。
いま彼女らがいるのは町の役所で、アッシュたち四人とディマス町長、カチイレのあわせて6人がテーブルを取り囲んでいる。
「では誰か協力者がいると?」とディマス町長。「しかしこの町に彼の手伝いをしているような人間はいないと思うんだがねえ」
「この町じゃないのかも。全然知らない流れ者が、その魔法使い――なんだっけ? シアーズ?」
「そうです」とカチイレ。
「そのシアーズをそそのかしたか何かして、それで巨大生物づくりをするようになったとか」
カルボたちはそれぞれに可能性を論じたが、決め手となるものは出てこなかった。
「ここで何を言っても憶測に過ぎないってやつでしょう」今まで黙っていたアッシュが口を開いた。「この際誰が何のために妙なことをしでかしたのかどうでもいいと思うんスよ」
「というと?」
「つまり、これッス」
アッシュは腰の後ろに下げたメイスを抜いた。大ザルとの戦いで付いた血糊が若干残っている。
「敵をぶん殴って話は終わり」
「そ、それはたしかにそうだな」ディマス町長はアッシュの目にうっすらと宿る怖いものを感じ、首をカクカクとぎこちなくうなずいた。「だがどこに彼が――彼らがいるのか、それがまだわかっていないんだ。
「それなんですが……」カチイレが遠慮気味に手を挙げた。「カルボさんのこの地図で、ちょっと気になることが」
「気になること?」
「はい。今まで町を襲いに来た巨大動物は、全部町の東側からやって来たと思うんです。私の記憶が正しければ、西側から現れたのは昨夜の大ザルが初めてだと」
「言われてみればそのとおりだな」とディマス町長。
「となると……シアーズの隠れ家みたいなものはたぶん町の東側にあるんじゃないかって」
「おお、となるとここだ」ディマス町長は興奮気味に地図を指で押さえた。「この洞窟。むかし山賊の住処になっていたはずだ。まともな神経ならそんなところに潜むのは御免被りたいが、シアーズがまともでなくなっているなら、あるいは……」
「決まりッスね」アッシュはテーブルから離れ、「カルボ、クロ、シロ。行こう」
アッシュ以外の一同はぽかんとした。
「ちょ、ちょっとまってよアッシュ。いくらなんでも短絡的っていうか……」とカルボ。「確かに洞窟が怪しいっぽいけど、いきなり突っ込むの?」
「だって、一番可能性が高いんだろ?」
「それは……」
「一番可能性が高いところから殴り込みに行く。空振りだったら別の所を探す。その次は別の場所だ」
「あ、ちょっとまってよ!」
「それでは」「わたくしたちも」「失礼」「いたします」
アッシュは振り返ることもなく役所を後にし、カルボ、黒薔薇と白百合も後に続いた。
*
昨夜の雨の影響で山道はぬかるみ、土と緑の匂いが濃厚に漂っている。
「あーもう、あなたたちはいいよね、空飛べるから」
カルボが悪態をついた。ブーツに泥がはねて汚れるばかりだが、黒薔薇と白百合はうしろでふわふわ浮かんでいるので靴も服も綺麗なままだ。
洞窟に向かう山道を登り始めて一時間と少し。
目的地はまだ見えてこない。
「アッシュもアッシュで、よく鎧きたまま山登りなんかできるね」
先頭を歩くアッシュはいつもの紋章を削り取られたプレートアーマーを身につけているのに、苦もなくひょいひょいと歩いて行く。
「元々この鎧、見た目より軽いんだよ」
「発泡金属装甲だっけ?」
「そう」
とはいえ金属鎧は金属鎧である。カルボが身に着けているソフトレザーよりはずっと重いし関節の動きも制限されるはずだ。
そのとき、いきなりものすごい羽音が聞こえて、カルボはその場にしゃがみこんだ。虫の羽音――だがそれにしても極端に大きい。首筋がゾクっとした。
「こいつは!」
アッシュが叫んだ。首を引っ込めてしゃがみ込むカルボの頭上に、毒々しい黄色と黒の縞模様が飛んでいた。ハチだ。それも人間の頭より大きな体をした巨大バチである。尻の先から出し入れされる野太い針までがはっきりと視認できる。
「カルボ、頭上げるな!」
アッシュは居合い抜きのごとくメイスを抜き、逆手に持って巨大バチの体を打った。だが接触音が軽い。足を二本吹き飛ばすだけに終わった。
「クロ、シロ、抑えられるか!?」
「やって」「みます」
黒薔薇と白百合は手を取り合って小さく歌を共鳴させ、投網のように空気の歪み――念動波を放った。かろうじて一瞬、ハチの羽ばたきが止まった。そこをアッシュが弧を描く軌道でメイスを振り、巨大バチは胸の部分を粉砕され、地面に崩れた。
「大丈夫か? もう終わったぞ」
アッシュはハチの死体を靴底で念入りに踏み潰し、カルボの手をとって立ち上がらせた。
「ああ~、あの羽音……わたし飛ぶ虫とか苦手なんだ……おまけにあの大きさ」
「刺されたら即死しそうだな」
「怖いこと言わないでよ、もぉ」
一行はさらに山の奥へと進む。洞窟への道はまだ見えない。しかし大ハチが襲ってきたということは、この辺り一帯で何らかの巨大化処置が行われているに違いない。どうやら当たりのようだが……。
この先の洞窟に魔法使いのシアーズは本当に立てこもっているのだろうか?