第06章 03話 ジャイアントエイプ
湖での漁と林業、そして慎ましい狩りが主要産業というラウムの町で起こった巨大動物騒ぎは、町の経済に大きなダメージを与えている。
網を簡単に引き裂く巨大魚。森を支配し始めた巨大オオカミや巨大ハチ。畑を荒らす巨大サル……。
まともな作業ができない状態が続けばカネが回らなくなるのは自明である。
原因もわからずただ苦しめられる状態のみで、傭兵を雇おうという話が持ち上がるのは当然のことと言えた。
「今日は雨だし、時間も遅いし、調べるのは明日からにしよ?」
カルボの言うことはもっともだった。探すにしろ倒すにしろ雨の中では効率が落ちる。
「宿に部屋を用意しましてあります。今日はそちらに」
カチイレの誘導でアッシュたち四人は宿に向い、あてがわれたそれぞれの部屋に入った。
*
――巨大生物か……。
鎧の点検をしつつ、アッシュは今回の仕事を振り返った。元々巨大生物が町を襲うようになったのは、ここラウムに在住していた魔法使いがどこかに出奔して以来のことだったという。
ストレートに考えれば、その魔法使いが何かをしでかしたというのが一番可能性が高い。それなら話は簡単だ。魔法使いの頭をメイスでかち割れば事件は終わる。
が、町長のディマスが言うにはラウムの湖で採れる魚や水中生物が巨大化したことまでは件の魔法使いと関係あるとは思えない。つまりこの町には元々生物を巨大化させる”何か”があって、それを利用して――どんな方法で利用できるのかアッシュにはさっぱりわからないが――陸上のオオカミなどを巨大化させ、それが町に被害をもたらしているのではないか?
最終的にはメイスがモノを言う事件だとしても、それだけでは巨大化事件が収束するのかどうか。
アッシュは傷だらけの鎧に跳ねた泥を綺麗に拭き取り、明日に備えてベッドに横たわった。
*
雷の音。
次いで木板が引き裂かれる音。
アッシュは枕元においてあるメイスを握り、ほとんど無意識のまま宿の外に飛び出した。
深夜である。しかも夕方から降り続く雨はいつの間にか雷雨になっている。
そんな中、町の住民は農具や剣を片手にどこかに向かって走っていた。明かりはないが、皆必死な形相であることが肌に伝わってきた。
「すんません、いったい何がおこってるんスか」
住民のひとりを捕まえて、アッシュが尋ねた。
「出やがったんだ!」
「出た?」
「サルだよ、大ザルだ!!」
大雨に体を濡らしながら、アッシュはしばしの間立ち尽くした。町に来て早々にこれか。水滴がまといつくメイスを軽く振り、水を飛ばしてから住民たちが向かう先に走った。
*
大ザルである。
そうとしかいえないモノが、爪と牙とで町のバリケードを崩していた。その強烈な吠え声は雷雨降りしきる中でも高く轟いて近づく住民たちの足をすくませた。
――まずいな。
アッシュは大ザルの侵入を防ぐべく武器を手にした住民たちが遠巻きに取り囲んでいるのを見て、危機感が腰のあたりに張り付いた。アッシュの考えが正しければ、ただでさえ賢いサルが大型化すれば、もっと狡猾になるはずだ。おそらく手だれた山賊並みに。
だとすれば一か所で大暴れしているのは陽動だ。裏で別働隊が町に入り込んでくる用意をしてくるだろう……。
「どいてくれ! 俺が殺る」
メイスを構えたアッシュは人垣をかき分け――邪魔な住民は首根っこを掴んで後ろに投げ、バリケードをすっかり崩した大ザルと対峙した。
でかい。
しゃがんでいても人間の背丈に匹敵する高さだ。手も足も丸太ようで、むき出しの牙や眼光は邪悪な意志を持っているかのようだった。アッシュは生物学に詳しいわけではないが、それでもこの大ザルが単なる突然変異でこんな巨体を手に入れたとは思えない。裏に魔法使いがいるというのは間違いない……。
どこか近くに雷がおちて、雨の夜の中に大ザルのすさまじい顔つきが一瞬明るく見えた。
「ホキャァァァァ!」
耳を聾する吠え声とともに、大ザルは破壊されたバリケードから杭を引き抜き、それをアッシュに投げつけた。
――こいつ!
瞬間的に横にステップしてかわすだけの反射神経は持ち合わせているアッシュだが、避ければ後ろにいる住民に杭が当たる。メイスを真正面から打ち返して杭をバラバラにし、さらにアッシュは2歩ほど大ザルとの間合いを詰めた。
その途端、大ザルはするどいツメを生やした腕をもたげ、アッシュに振り下ろした。
アッシュはいま鎧を装備していない。あるのはメイス一本のみ。果たして野生動物、それも巨大化した個体に対抗できるのだろうか――?
ゴッ。
金属の塊が、肉の塊と激突した。
「ギイッ!?」
大ザルは低い声で吠えた。メイスの直撃を手首に喰らい、関節がぶらりと外れていた。アッシュの最も得意とする”小手砕き”だ。人間相手ならば、利き腕の武器を手首ごと粉砕する。メイスの重打撃を活かした技である。
だが大ザルはそのサイズに見合って手足の全てが頑健にできているらしい。脱臼はさせてもちぎり飛ばすまでの威力は出せなかった。
逆上し、かつ警戒心を強めた大ザルは腰を引き、雷雨の中をジリジリと後ろに下がった。
「これ、借りるッス」
アッシュは住民たちの槍衾から一本奪い取り、バランスを取ってから何の躊躇もなく大ザルの顔面に投げつけた。
投擲用ではない農具である。それほどスピードは出ない。大ザルはそれを払いのけ、アッシュを殴りつけようとした。しかし空振り。アッシュはすでに大ザルの懐まで飛び込み、ぐっと体を沈めて全身のバネをただ一点のために引き絞った。
「フン!!」
呼気とともにメイスを構えたアッシュが直上にジャンプ。大ザルの下あごに満身の力を込めた一撃が突き上げられた。確実に骨が折れた音がして、大ザルのかすれたような悲鳴が雨の中に響いた。
アッシュの攻撃は、しかし止まらなかった。見ているだけでぞっとするようなスイングが足の甲に叩きこまれ、その重心移動を利用した回し蹴りがサルの下腹にヒットした。
足の甲の骨を粉砕された大ザルはもはや立っておられず、巨体がどうと倒れた。
「すんません、あとは皆さんでぶち殺してください!」
アッシュの大声に自警団の男たちは最初戸惑ったが、何をすればいいのか理解した。手に持った武器や農具を大ザルの体に突き刺し、とどめを刺すのだ。
「ここの他にサルが侵入して来るような場所、ありますか?」
「ああ、ここの反対側、宿屋がある通りの奥だ!」男たちの中のひとりが反応した。
アッシュはそれに礼を言うより早く、言われた場所へと跳ぶように走った。
「なんて速さだ……獲物を狙う山犬だ、まるで」
自警団のひとりがそんな感想を漏らした。
*
アッシュの心配は間違っていなかった。
最初の一匹目は陽動。本命は別の場所。その本命とは2匹の大ザルだった。
一匹の大ザルですら恐ろしく頑丈で怪力を誇る相手だったのにそれが同時に2匹である。本命側のバリケードはすでに突破され、雨の中に数人の自警団が倒され、うめき声をあげていた。
「みんな下がって! 黒薔薇と白百合、お願い!」
アッシュより遅れて目をさましていたカルボと黒薔薇、白百合の三人は、自警団たちと共に2匹の侵攻をなんとか食い止めようと懸命に働いていた。
「ラー」「ラー」「ラー!」
黒薔薇と白百合が互いに向かい合わせになって歌う。空気が歪み、雨粒を弾き返す球体が生まれ、それが大ザルの元へ投射された。
「ガファッ」
巨体に歪んだ空気の塊をぶつけられた大ザルは後ろにひっくり返り、もがいた。
雨の中、おお、と自警団たちから歓声が上がった。
しかしサルは2匹いる。まだ無事の片割れが恐ろしく俊敏にジャンプして、空中をふわふわ浮かんでいた黒薔薇と白百合に向かって躍りかかった。
「この!」
カルボがギリギリのところで反応した。ベルトのホルダーから閃光エリクサーを取り出して、雨と泥でぐちゃぐちゃになっているサルの眼前に投げた。チカッと強烈な閃光が放たれて、大ザルは視力を奪われた。
眼前で焚かれた閃光弾のせいで大ザルはもんどり打つ。自警団はここぞとばかりに倒れたサルをめった刺しにして、とどめを刺そうとした。
しかし最初に念動波で吹き飛ばされた一匹が嵐のように暴れ回り、自警団の男たちを弾き飛ばした。大ザルたちは、脳の容積が増えたせいかみな賢い。陽動作戦を考えつくくらいだから、同胞を守るという意識もあるのだろう。
「ホッキャアアアアァァア!!」
身がすくむような叫び声を上げ、大ザルが跳びかかった。今度は――宿屋の軒先で指示を出していたカルボの方へ。
「やば……!」
カルボは逃げ足には自信がある。だが今は身を守る武器や便利なキャットスーツを身に着けていない。大ザルの膂力を前にすればのれんほどの効果しかないだろう。
そして、盗賊といえど運の善し悪しまでは操れない。その場を離れようとしたカルボはつま先が軒下の板と板との間に挟まり大きく転んでしまった。
黒薔薇と白百合の念動波はまだ準備中で間に合わない。自警団たちも、今はそれどころではなかった。
今この状態で役に立つエリクサーは手元にはなく、大ザルを阻める力も、自らを守れる盾もない……。
ごがっ。
ものすごい音がして、カルボの体の上に何かの塊が降ってきた。大ザルがのしかかってきた――かに思えた。
「おい、大丈夫かカルボ!」
ごろりと起き上がったのはアッシュだった。
「……アッシュ? 何でこんなところに……?」
「いいから早く立ち上がれ!」
アッシュはそう言って満身に力をみなぎらせ、大ザルの体をメイスでめった打ちにした。
「山に帰ったほうが身のためじゃないッスかねえ、おサルの大将!」
叫びながらも、アッシュの打ち込みは一向に止まらない。一息入れることもない徹底的な乱打だ。骨と肉が鋼鉄に叩きつけられる荒々しい音が響く。人間技とは思えない速さ、そして威力だ。
カルボは驚きと、何とも言葉にしがたい感情で数秒動けなかったが、その場から這い出して距離をとった。
と、大ザルの一匹は倒れた――顔面は原型を留めないほど潰れ、顔中の穴から体液が漏れだし、膝は破壊されて白い骨が飛び出して、頭蓋骨が何箇所も陥没している。
しばしの間、雷雨とアッシュの呼吸音だけがその場を支配した――その場から誰も動けなかった。カルボも黒薔薇も白百合も、自警団たちも、もう一匹生き残っている大ザルも、誰も。