第01章 02話 襲撃
「チクショウ! 腕が、うでがああああッ!」
手首から先が無くなった右手を必死で抑えながら、野盗のひとりは乾いた地面に崩れ落ちた。出血が止まらなければ、あと数分で動けなくなるだろう。
「クソッ、こんな奴がいるなんて聞いてねえぞ!?」
「いいからやっちまえ、二対一だ!」
残ったふたりの野盗が叫んだ。ワックスで髪をトサカのように逆立て、革鎧に亡者の顔のようなペイントを施した奇抜な男と、伸び放題のひげに小さな骨をいくつも結びつけた男。錆の目立つ長剣と弓をそれぞれ構えている。
アッシュは二滴ほど返り血の飛んだ顔を野盗たちに向け、丘から飛び降りた。
「素っ首叩き落としてやるぜ!」
トサカ頭は叫び、切れ味の鈍った長剣を横薙ぎに振るった。
ガギン、と金属同士が噛みあう音が湿り気のない澄んだ空に高く尾を引いた。
「うおお!?」
トサカ頭は剣を取り落とした。アッシュのメイスが長剣の斬撃を打ち返し、強烈な打撃で弾き飛ばしたのだ。拾おうにも、もう役に立たない。長剣は中ほどの衝突点でばっくりと90°近く折れ曲がっていた。
「素っ首が、なんスか?」
アッシュの目には恐ろしいものがやどり、西メラゾナのまぶしい日差しの中でもなお鈍く光っているようだった。
口の端から泡を飛ばし、トサカ頭は予備のナイフをしびれる手で抜き放った。何か威嚇の声を叫ぶが、言葉になっておらずその場にいる誰も聞き取れない。
と、アッシュの注意がトサカ頭だけに向いた隙に弓を持ったヒゲ男が弓を構えたまま馬車の裏から回りこみ、狙いもそこそこに矢を射こんだ。距離が近い。いくらプレートアーマーといえど、十歩ほどの位置から矢が命中したら全くの無傷とはいかないだろう。
この場の運は野盗側に味方した。
放たれた矢は真っすぐ飛び、アッシュの脇腹に突き立った。
「ぐっ」衝撃によろめいて、上半身のバランスが崩れる。
「おらッ! 死ね!」
トサカ頭がナイフを両手で構え、顔面にむけて突き上げた。
一瞬の交錯。
またもや絶叫が空に吸い込まれた。
峰のある鋼鉄の板を八方にぐるりとならべたメイスの頭は、軽量化と打撃力の集中、そして刃物を絡めとる機能を備える。アッシュはナイフが届くより先にメイスで受け止め、ひねってへし折り、反対にトサカ頭の顔面にメイスを突き入れたのだ。金属の塊が叩きこまれ、トサカ頭の顔面は陥没した。鼻の骨が折れ、頬骨が凹み、血混じりの前歯がぼろぼろと抜ける。
最後に生き残ったヒゲ面は冷静だった。
――あんなヤバい奴とやっていられるか!
踵を返し、まっすぐ後ろに走りだした。逃げるつもりだ。
アッシュはちらりとその背中を見つめ、右手に握ったメイスの柄を軽く弄んだ。
ためらいか。単なる気まぐれか。アッシュは野盗を見逃した。
「あー、あー、逃したらだめだってば!」
半生体馬車の荷台で両手を拘束されているカルボが声を上げた。
「なんで?」
アッシュはすっかり殺気の抜けた態度でそう言って、脇腹の装甲板に突き立てられた矢を引っこ抜いた。どういう理由からか、血の一滴もこぼれていない。
「だって、その……」カルボは口ごもり、「悪いやつだから……」
「そっちこそ悪いやつじゃないのか。さっきの保安官、罪人だって言ってたけど」
「う……」
「まあいいや。名前は?」
「……カルボ。あなたは?」
「アッシュだ。この馬車、フェネクスとか言う向こうの町から来たんだよな?」
「……わたしのせいだ」カルボは質問には答えず、後悔に満ちたため息を吐き出した。
「なにが?」
「わたしのせい。さっきの三人、わたしを捕まえようとしてたの」
「山賊に? 悪いやつに襲われたということはいいやつなのか? 何やって捕まった?」
「泥棒」
「……悪いやつじゃねーか」
アッシュはそこまで聞いて、半生体馬車の御者台で動かなくなっている保安官の遺体をおろし、「幌でもなんでもいい、布で死体を包み込んでやってくれないか」
「包んで、ってロープ解いてくれなきゃできないよぅ」
「手は自由にしてやる。逃げるなよ」
*
アッシュは自らが叩きのめした野盗に声をかけたが、手首を粉砕されたひとりは出血多量ですでに息がない。顔面を潰されたもうひとりは喋らせても何を言っているのかわからないが、一応命にかかわる怪我では無いようだった。
保安官の遺体が急ごしらえの死体袋に収められ、入れ替わるようにアッシュが御者台に登った。カルボの手縄は結び直され、ついでに前歯が全部砕けた野盗も一緒に繋げた。何日風呂に入っていないかわからない悪臭を撒き散らす野盗を隣に乗せられてカルボは抗議したが、アッシュはせまいんだから我慢してくれと却下した。
「とにかく一度町に引き返そう。カルボっていったか? 今のところ信用できないから縛ったままにさせてもらう。そこのフガフガ言ってる奴もだ」
「それから、どうするの?」
「それから? それから……さあな。どうしたいんだろうな、俺は」
「えっ?」
「……いや、なんでもない。傭兵の仕事を探してるだけだ。俺みたいなのが……」アッシュはエーテル感応手綱を操り、半生体馬車の馬首をまわして荒れ野の街道を逆に進みだした。「……必要な土地なんだろ、このあたりは」
日が傾き、気温が下がり始める。
空にはふたつあるうちの赤い方の月がかすかに透けて見えた。
*
数時間後。
街道から離れた鉱山跡。
そこはかつて良質な銀を生産していたが、なんであれ無尽蔵という訳にはいかない。時が経つにつれて鉱石は枯渇し、やがて放棄された。そこに残された穴ぐらをすみかとするのはトカゲやヘビやネズミばかりではない。法の網から抜けだした野盗のねぐらにもなる。
その鉱山もまさにそういう場所だった。
薄湿った空気に漂うコケとカビの臭い。そこに垢じみた野盗の姿があわせて7人いて、焚き火で煮こまれている鍋から立ち上る中身の分からない臭いが入り混じり、地獄を薄めて塗りたくったような悪臭が暗闇に渦巻いていた。
「……例の小娘はしくじったか」
焚き火の周りに車座になっている野盗のひとりがひび割れたような声を漏らした。
クロゴール。
野盗どもの頭目である。
大柄で必要以上に華美な衣装を身につけ、どす濁った顔色が揺れる火に照らされるさまは、それ自体が法や秩序に対する冒涜であるかのように思わせる。
「あ、あんな護衛がいなきゃオレが捕まえたんだがよゥ。まだ若いが、相当な使い手だぜありゃあ」
馬車を襲撃した野盗のうち、ひとり逃げ出した髭面の男が寒気を抑えるように両肩をさすった。長いヒゲに結付けられた小さな骨がシャラシャラと音を立てた。
「まあしょうがねえ。あんな小娘に期待したのが間違いだったな」
「じゃあ、お頭」
「ああ。結局オレたちでやるしかねえようだ」
クロゴールはそこでよろりと立ち上がり、木板に貼り付けられた地図の前に立った。単純な白地図。手描きの俯瞰図。街道、裏道、エーテル機関車の線路。どれも細かい注釈が虫に集られたように書き加えられている。
「”金の指紋”……」
パチン、と燠火が小さく弾けた。
「ここまで7年かかったんだ。必ず……」
クロゴールはそこでベルトに挟んだナイフを抜き取り、ダン、と地図に突き立てた。
「必ず手に入れてやる……!」
ナイフの切っ先は、フェネクスの町の中心地に深々と突き刺さっていた。