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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第04章「リッパー事件」
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第04章 02話 猟犬

 闇の中。


 地下空間に大量のろうそくが立ち並んでいる。


 ヒビ割れた壁に蛍光エリクサー塗料で描かれた魔法陣の前に立つローブ姿の男が、強い魔韻を含んだ呪文を唱えていた。


 ぱしん。


 どこかから枯れ木をへし折ったような音がした。


 地下空間に枯れ木などない。


 再び音がなる。立て続けに三回だ。


 音を立てているのは空気そのものだった。呪文により魔法陣に流れ込んでいたエーテルが一部バックロードし、空気を弾き飛ばしているのだ。


 と、魔法陣の表面に変化が起こった。


 結露するように透明のゼリー状のものが浮き上がり、少しずつ互いにくっつきあい、大きな雫になっていく。


 男の呪文がひときわ大きく地下空間に響き渡った。


 それがピタリと止む。


 ずるり。


 ゼリー状の塊が魔法陣から剥がれ落ち、石床に落ちた。


 それは空中のエーテルを吸い込んでぶよぶよと膨れ、やがて何かの輪郭が見え隠れし始める。


 半透明になったその体は次第に乾いた血のような赤褐色を帯び始め――赤子のようによろよろと立ち上がった。


「”ホーンドマン”……」


 呪文を唱え終わった男が、しわがれた声でその塊に語りかけた。その名の通り、牛のようにうねったホーンがぞろりと生えている。


「召喚に成功したようね」


 ローブの後ろから、痩せた女が声をかけた。5、60歳だろうか。白髪が目立つ髪を後ろでまとめ、目の力が強い。一見貴族の女主人といった風貌である。


「やはりこの地下ポイントは”闇の勢力”が近うございますな」ローブの男が言った。「ところで、”リッパー”はまだ見つかりませんか、トヴァ夫人」


 トヴァ夫人と呼ばれた女はこめかみに指を当て、”頭が痛い”というジェスチャーをした。


「困りものだわ。まさか搬送途中で逃げ出すとは……何人か雇って回収に向かわせたけれど、秘密主義も考えものね。リッパーの居場所を探知できる人材程度は手元に置いておくべきだったかしら」


「やはり私自ら出て行ったほうが」


「あなたは商売ビジネスの要よ。このタイミングで地上に身を晒すことは許可できないわ」


 トヴァ夫人は硬い声で言い切った。反論の余地を与えない話し方だ。


「”アイレスハウンド”。あれを使いましょう。日が明けるまでが勝負ね」


「回収業者に貸し与えるので?」


「ええ」


「足がつきませんかな」


「アナタが心配することじゃないわ。始末はこちらでつけるから」


「失礼を」


 頭を下げかけたローブの男にトヴァ夫人はかまわないわと言って、召喚陣の前からくるりと踵を返した。


     *


 再び夜のサン・アンドラス。


 街の中は辻々に聖騎士たちの姿が見え隠れし、アッシュたちの想像以上に厳重な警備が敷かれていた。


「ちょ……っといくらなんでも多すぎない?」とカルボ。


「聖騎士団総出だな」


 アッシュたちは観光客を装って通りを歩いていたが、”リッパー”を探しだすには少々難しい状況になって来ていた。


 聖騎士の数が多すぎて、これはもうパトロールという状態を超えている。何らかの異変があったとしか考えられない。


 ――なんでこれだけ数を出してくるんだ……?


 状況から言ってリッパーを捕縛もしくは成敗しようとしているのは間違いない。逆にそれ以外の目的があるなら、自分たちに出る幕はない。


 アッシュは軽く目をつむり、記憶を辿った。


     *


『いいかアッシュ、聖騎士にとって守らなければならない”命”がある』


 威厳のある声。懐かしい声。かつて聖騎士だった時に聞かされた声。


 アッシュにとって、それは絶対に等しい者の言葉だった。


『命?』


『仲間の命だ』


『仲間の……』


『そうだ。聖騎士は悪に対して絶対に引いてはならない。もし悪によって仲間をうしなったら、必ず、何があっても報復する』


『どうして?』


『聖騎士が悪に対して何かを譲れば、我々の存在意義なんぞ無に等しいからだ』


     *


 アッシュは再び目を開き、言った。


「タウ聖騎士団の誰かが殺されたんだ、リッパーに」


     *


 サン・アンドラス某所、ひっそりとした建物の影。


「これを……連れて行くんですか?」


 昼間にリッパーを回収しようと檻を運んでいた男たちに、口元を薄絹のマスクで隠した老女――トヴァ夫人という名は男たちの知るところではない――が大型犬を繋いだロープを手渡した。男は青黒い顔色になって、そっとそのロープの端を掴んだ。大型犬はどす黒い闇が凝固したような姿で、ヒゲや体毛は一本も生えておらず、眼球が何処にも存在しない。犬と言うより巨大なヤモリか何かのようだった。


「鼻が効くわ」と老女は答え、「この……犬の進む方向について行きなさい。リッパーはそこにいるはず」


「しかしですね、街のあちこちに聖騎士団の連中が」


「心配要らないわ。”アイレスハウンド”は極端な人間嫌いなの。ちゃんと避けて走るか、もしくは……」


「もしくは……?」


 邪魔者は食い殺すから、と老女はマスクの下で薄く笑った。


     *


 ガラガラと車輪が石畳の道を走る音が聞こえ、聖騎士のひとりはぴくりと顔を上げた。


 馬車が走っている様子はない。誰かが荷物を運んででもいるのだろうか――とその聖騎士は思った。だがその音はどんどん大きくなり、どうやら自分の持ち場に近づいてきているようだった。


 どうも様子がおかしい。不意の出来事に備え、聖騎士は腰に下げた剣の柄の具合を確かめた。


 何が出てこようとこちらは完全武装の聖騎士である。全く気づかない不意打ちでもない限りは殺される心配はないはずだ。あとはこの剣で成敗すれば……。


 だが聖騎士は全く気づかない不意打ちを首の後ろに受け、一本釣りされた大型魚のように空中にぶら下がった。


 しゅう、と邪悪な吐息が聖騎士の頭上から漏れた。


 建物と建物の間に手足をつっぱり、カミソリのように鋭い爪で犠牲者を切り裂き、吊り上げる。人間のようでいて、そのフォルムは全く人間ではない。


 ”リッパー”。


 その名の通り人を切り裂く正体不明の化物――。


 聖騎士を殺めたリッパーは満足した様子でこぼれ落ちた血をすすった。


 そして全身の表皮がぽこぽこと泡立つと、全く違う何かに肉体が変異した。そこに立っているのは人間の女だった。変身能力だ。


 リッパーは体を震わせるようにケタケタと笑い、新たな犠牲者を求めて次なる暗がりへと向かった。


    *


 ”アイレスハウンド”の嗅覚に任せるまま檻を手押ししている回収業者たちは、自分たちが法外な報酬目当てでとんでもないことに巻き込まれているのだとようやく気がついた。


「これ、聖騎士の死体ですよ……!」


 三人の男たちのひとりが、この世の終わりのような顔をしてリーダー格の男に訴えた。ハウンドは三人の男のことなどまるで意に介さず、石畳にぶちまけられた血を長い舌で舐め上げ始めた。


「おい、犬、犬っころ、そんなもの舐めてないで、とっととリッパーのところに連れて行ってくれ! 頼むよ!」


 リーダー格の男は声を抑えながら怒鳴った。


 と、今度はいきなりハウンドが矢のように飛び出して、リッパーのところまで猛然とかけ出した。回収業者の男たちはついていくのがやっとだ。


 ――こんな姿を聖騎士に見られたら、確実に殺される。


 男たちは全身に汗をかきながら、しかし提示されている成功報酬の莫大さに恐怖を抑えこみ、アイレスハウンドの後を追った。


     *


 アッシュたちに偶然が味方した。


 裏通りを挟んだわずかの距離に、檻を運ぶ車輪の音が聞こえたからだ。昼間のやり取りで聞き覚えのあるアッシュは聖騎士たちよりも素早く対応し、身を隠していた建物の陰から素早く飛び出した。


 結果はひどいものだった。


 聖騎士ひとりの遺体と、その血を舐めとった跡。そしてそして独特の残り香。


「お香を無茶苦茶にミックスした匂いみたい」とカルボ。


「この方は」「もう」「動かないの」「ですか?」


 黒薔薇と白百合は、生まれて初めて見る人間の死体を前にきょとんとしていた。人や動物は死ぬものだ、という概念にも初めて触れたのだ。


「その話はまた今度だ。早く後をつけよう」


 アッシュは建物と建物の間から飛び出したであろう回収業者の檻を追って走りだした。


     *


 女に化けたリッパーはさらなる犠牲者を求め、辻々に立つ聖騎士たちを値踏みした。法と秩序に見を捧げた高潔な騎士たちの血や臓物はリッパーにとって最高のエサになる。引き裂いて、血を啜る瞬間のことを考えると下腹に熱い疼きさえ感じた。


 厳重な警備が自分に対するものであることを理解する知能はリッパーにもあった。だからたっぷり楽しむには日を改めるか、もしくは――見境なく殺して味わうのが一番だ。


 そしてリッパーは後者を選択した。


 まず建物の屋根まで飛び上がり、聖騎士たちの動きをつぶさに探る。そして一番警備の手薄のところを探し、女のふりをしながら近づく。本性を露わにして恐怖に引きつった顔を引き裂くのは最高の楽しみだ。


 リッパーの身の軽さは特筆すべき物がある。


 屋根から屋根へ、音もなく跳ぶ。まさに”空を飛ぶ女妖魔”の名にふさわしい動きを見せる。人間は頭上で起きていることには注意を向けづらい。それが聖騎士だとしてもだ。


 そしてリッパーは目をつけた。他の聖騎士メンバーからは少し距離をおいた、いかにも頑丈そうな背の高い男。


 リッパーは女の変身を解かぬまま、その聖騎士へとゆっくり近づいた……。


    *


「いたぞ」


 ”アイレスハウンド”の尾行に引っ張られるかたちで回収業者はとうとうリッパーの実物を視界にとらえた。


「聖騎士が襲われそうになってますけど……」業者の男たちのひとりが腰が引けた様子で言った。


「どうしようもない。あの暑苦しい鎧のやつが殺されたら、すぐ飛び出してリッパーを捕まえる」


「……ちゃんと捕まってくれますかね」


「黙っていろ。檻の中に入って来れさえすれば終わりだ」


「あの婆さんの言うこと、どこまで信用できるんですかね」


「今さらそんな話! 俺たちはもう引き返せない所まで来てるんだ」


 リーダー格の男は恐怖と緊張を抑えこみ、背の高い聖騎士がリッパーに殺されるのを見守った。


     *


 リッパーは最初、聖騎士に対して色仕掛けを使った。


 女に変装できる能力を利用して隙を作るという算段だ。


 しかし聖騎士にそれは通じず、逆効果ですらあった。聖騎士団の厳しい戒律を徹底して守る堅いタイプの人物だったからだ。


 何者だ、という鋭い声はすでに近くまで寄ってきていたアッシュたちと回収業者の両方の耳に入ったが、聖騎士はそれに気づかない。


 聖騎士、アッシュたち、回収業者は三者三様に息を呑んだ。


 そして事は起こった。


 まずリッパーが変装を解いて四肢を鋭い刃に変え、カミソリの爪を伸ばす。


「うおお!?」


 聖騎士はうろたえながらも剣を抜き、迫り来る恐ろしい刃を受け止めた。


 良い反応だとアッシュは現場に駆けつけながら思った。かなりの腕前で、怪物相手でもひるまない。


 ――助太刀は要らないか?


 一瞬アッシュの脚が鈍った。聖騎士がバケモノを始末してくれるなら、それはそれで街は平和になる。


 だがそうはならなかった。


 回収業者の男がアイレスハウンドのロープを離してしまったのである。ものすごい力で引きちぎるように飛び出して、常人の筋力ではとても抑えきれなかった。


 そしてアイレスハウンドはまず聖騎士の背後からふくらはぎに噛み付いた。グラリとバランスを崩したところを飛び上がり、首筋に牙を立てた。


 完全武装の聖騎士である。当然首の後ろもガードしているが目のない猟犬(アイレスハウンド)には関係ない。ギシっと金属の歪む音がして、聖騎士は体を後ろにそらす状態になった。


 そこをリッパーは見逃さない。


 おぞましい鎌のような腕を両方の頸動脈に突き刺し、喉を切り裂いた。噴水のように血を吹き出し、気管を切断されて叫ぶこともできず、聖騎士は死んだ。


 ――野郎!


 アッシュは人間技とは思えないスピードで距離を詰め、腰の後ろに布で包んで吊り下げていたメイスをリッパーの体に叩き込んだ。


 耳障りな音を立て、リッパーの後ろ足が一本粉砕された。


「な、お前は……!」


 聖騎士を挟んで反対側から回収業者の男が現れた。アッシュの顔を見て、男はひどく動揺した。


「なぜこんなところに!?」


 何かを話している場合ではない。アッシュは小さく舌打ちして、メイスでの二撃目をリッパーに叩きこもうとした。


 だがリッパーは思いのよらぬ行動に出た。その場をジャンプして回収業者の持ち込んだ檻に飛び乗り、そうするのが当たり前のように檻の中へ潜り込んだのだ。


 そして――小さな火花が散ったかと思うと、リッパーの姿はこの世から瞬時にして掻き消えた。


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