第04章 01話 追跡
この世界の多くの都市がそうであるように、サン・アンドラスの街もかつて巨神たちの居住地だった場所を基礎にして建築されている。つまり遺跡の上に建てられているというわけだ。
10万年続いた巨神族の支配の後に奴隷であった人類が生活の基盤を築くにはそれが一番楽だったというのが大きな理由だろう。何もない場所に一から作るよりは労力は大幅に削減できた。
ゆえに、陽光降り注ぐ広々としたサン・アンドラスであっても、その地下には巨神たちの名残が静かに眠っている。
闇はどこにでもある。
たいていは上下水道やエーテル伝導管を通すのに使われている巨神類の地下施設だが、その片隅の暗がりで誰が何をしているか、全てを把握している人間は誰ひとりいないだろう。
何者かが人知れず、正式に認められない魔術の実験をしていたとして、いったいだれが気づくだろうか……?
*
「本当に」「本当に」「ごめん」「なさい」
黒薔薇と白百合はそういって全く同時に同じ角度で頭を下げた。
何事もなく再会できたアッシュたちだったが、もしかすると大きな事件に巻き込まれるかもしれなかった。この世界の一般常識がまだ身についていないふたりのことを誰がどういう目で見ているかわからない。じっさい白百合はもう少しで捕獲されてどこかに連れ去られるところだったのだ。
「で、その”リッパー”っていうのはなんなの?」カルボが眉をひそめながら言った。
「詳しくは何も……空飛ぶ女の妖魔、だそうだ」
アッシュは睦まじくくっついている黒薔薇と白百合を見て言った。
「わたしもウワサだけなら聞いた。なんか空を飛ぶ怪物がうろついてるって」
「黒薔薇と白百合はそれと間違われたわけか……」
「でも変だよね、それを退治しようと街に聖騎士がうろうろしてるのはわかるとして、捕獲しようとしてる人が別にいるなんて」
カルボの言葉にアッシュはうーんと唸って、「やっぱりそのまま見過ごしたのは失敗だったな。このままじゃ、聖騎士の連中にも黒薔薇と白百合のことを勘違いされるかもしれない」
遺跡で発見した少女たちを孤児院に預けようとしていただけなのに、妙なことに巻き込まれつつあるようだった。
「原因を」「見つけては」「いかがで」「ございますか?」
「原因?」とアッシュ。
「”リッパー”の」「正体を」「わたくしたちで」「見つけるのです」
アッシュとカルボはぽかんとした。黒薔薇と白百合がこんな具体的な提案が出てくるとは思っていなかったからだ。ふわふわ浮かんでこの世界の常識からズレた存在だとばかり思っていたふたりには驚きだった。
「いかが」「ですか?」
黒薔薇と白百合は胸の前で指を組み、祈るようなポーズを取った。
「アッシュ、どうする?」
「このままじっとしているのはどうもな……他に手もないし」
「お金もないしね」
「よし、クロ、シロ。おまえたちの話に乗ってみよう。本当に化け物がいるのなら、倒して衛兵に突き出せば報奨金くらい出るだろ」
「まあ」「まあ」「ありがとう」「ございます」
アッシュたち四人はお互いにそれぞれのことを見て、笑顔になった。
*
「変装しよ」
カルボが切り出した。
「変装?」
「うん。黒薔薇と白百合は大通りでふわふわしてるところを見られてるから、誰かが通報してるかもしれない。聖騎士団か衛兵に」
「ありそうな話だ」
「ね? だからふたりの……髪型と服くらいは変えさせて、それから空を飛ばないようにさせる。それだけでも効果はあるはずよ」
アッシュには異論はなかった。
黒薔薇と白百合は色こそ違うが腰まで届くストレートヘアで、おどろくほど美しい。カルボはふたりの髪をしばらくいじり、結わえたり編んだりしてアップにさせた。
「まあ」「これは」「不思議な感じが」「いたします」
大通りのショウウインドーに映った自分たちの姿を見て、黒薔薇と白百合は目をパチクリさせた。服もあちこちをしぼってピンで止め、雰囲気を変えてある。見る人が見ればわかってしまうだろうが、浮かんでいるところを見られさえしなければそれと見破られる心配はあるまい。
「器用なもんだな」
「ぐへへ、わたし盗賊だもん」
四人とも、身なりを整えて目立たなくして、観光客にしか見えないようにしてサン・アンドラスの街中を歩く。第三者が見れば兄弟姉妹か何かに見えている――多分見えている――ことをそれとなく確認し、アッシュ一行は噂話をあちこちに聞いて回ることにした。
「目標は観光客じゃなく地元で長いことお店やってるところ。あと病院と、教会の治療施設」
「病院と治療施設?」アッシュはテキパキと指示を出すカルボにきょとんとなった。
「そう。そのリッパーのウワサが本当なら、誰かが切り裂かれて何か怪我を負ってることになるでしょ? その被害者が運ばれるとしたら」
「教会か病院か、だな」
「そういうこと」
アッシュはなるほどと真面目に感心した。カルボが居なければ、頓珍漢なところに探りを入れていたかもしれない。
「俺は病院に行く。教会には、その、ちょっとな……」
「待って」カルボがアッシュの言葉を制し、「できれば四人一緒に行動しよ? 聖騎士にしろ警察にしろ、あと白百合を捕まえようとしていたよくわからない連中も、私たちがバラバラに行動してたら余計面倒」
「そういうもんか」
「本当に怪しまれずに済むのは全員別行動するのが一番だけど……」
「クロとシロはそうも行かない」
「そういうこと。じゃ、さっそく行こ」
「了解。クロ、シロ、お前らしばらく浮かぶんじゃないぞ」
「わかり」「ました」
サン・アンドラスの日はまだ高い。
強い日差しの中、四人の聞きこみが始まった。
*
”リッパー”なる怪物の噂が流れ始めたのは一週間ほど前のことだったという。
建物から建物へと屋根を跳んで移動して、刃物になった両手で犠牲者を切り刻む女型の妖魔――というのがその姿だったらしい。
らしい、というのは、たいていの人が単なる噂話しか知らず、直に自分の目で見たという話はほとんど出てこなかったからだ。
病院の受付や待合室の患者たちによると『体を切り裂かれて血を吸われた』犠牲者の存在も、又聞きばかりで確認できなかった。
ほとんどが空振りに終わった聞き込みだが、円十字教会だけは言葉を濁すような態度を示し、聖騎士団が妖魔退治に駆りだされているという話しか出てこなかった。
「よくらからないな。全部噂話だ」とアッシュ。
カルボは拳をあごに添えて、「でもアッシュの見た”白百合を捕まえた連中”は実在してるワケでしょ? この街に何かが起きているのは事実だよ」
「んー……俺が出くわした連中は”リッパー”を捕まえようとしていたけど、その姿形はよく知らないようだったな。だからシロを檻にいれて連れ去ろうとしてた。少なくとも捕獲しようとしている連中は実在している。リッパーのことを”研究対象”だって呼んでたし、一番あやしいのはあいつらだ」
「”研究対象”……でもそれが何なのかよく知らないってどういうことだろ?」
「下っ端に情報が降りてきてないってことかもな。そういう話は心あたりがある」アッシュは左眉の古傷を撫でながら言った。「組織ってのはどこも一緒だ」
「それって」
「うん?」
「……元聖騎士だった時の話?」
カルボは柔らかく尋ねた。
アッシュは自分の足元を見て、まあな、とだけ言った。
*
海岸沿いにあるサン・アンドラスの夕日はとても雄大で、見るものを圧倒する。
金色に染まる海に燃え上がるような空。
波の音。海鳥の声。
「白百合、美しいですね」「はい黒薔薇、とても美しいですわ」
互いの手を握り合って、黒薔薇と白百合は夕焼けの美しさに感動していた。
メラゾナの空と大地も美しかったが、サン・アンドラスも負けず劣らずだ。
「カネがある時にゆっくり見たかったな」アッシュは腕組みしながら無粋なことを言った。
「太陽はおカネ取らないからありがたいよね」カルボの感想も無粋だった。
美しい時間が過ぎて、やがて太陽は海の向こうへ沈んだ。夜が来る。
「よし、行くか」
アッシュの号令で、四人は夜のサン・アンドラスに繰り出した。
*
昼間の陽気で明るいサン・アンドラスも楽しい場所だが、夜は少し趣が違う。
白と赤、ふたつの月。そして星々がきらめく夜空の下、路上で音楽が奏でられ酒を飲み歌を歌い大騒ぎする地元の人達。そこに混じってくだけた気分を堪能する観光客たち。一方で暗がりでは恋人たちが愛をささやきあい、騒がしさとしっとりとした空気とが渾然一体となっている。
酒や料理の匂いが漂ってきて、黒薔薇と白百合がふらふらと近寄って行きそうになったのを引っ張って、4人は大通りから裏路地へと入っていく。
”リッパー”とやらがどこにいるのか、どんな姿をしているのか皆目見当もつかないが、何もしなければ何もわからない。
本命の女妖魔に出くわして、その場で倒してしまえばそれが一番いい。それがムリでも、リッパーを”研究対象”とみなす男たちや、リッパーを始末しようとしている聖騎士たちと話ができれば情報だけは手に入るだろう。
「クロとシロはやっぱりホテルにおいてきたほうが良かったんじゃないか?」
「だめだってば。この子たち、どうもお腹が空くと見境なくなるみたい」
夜は少しずつ更けていき、道路には時々完全武装の聖騎士たちの姿が見え隠れし始めた。
「タウ聖騎士団だ……」
「パトロールしてる……とか?」
「たぶんな。聖騎士が団体で動いてるってことは、絶対に倒さないといけない”悪”が現れてるってことだ」
それを聞いたカルボはうわーと顔をしかめ、「じゃあこの子たりがリッパーだって勘違いされてたら、何をされていたかわからなかったってこと?」
「そういうことだな。聖騎士団は化物相手に遠慮はしない」
「黒薔薇は」「白百合は」「化物」「なのですか?」
ふたりの少女たちにそう言われ、アッシュとカルボは慌てて否定した。
お前たちの正体はこっちが知りたいよ、とはアッシュも口に出来なかったが――。




