第03章 05話 リッパー
――何をやってるんだ、俺は。
サン・アンドラスの街並みを全力で走りながら、アッシュの意識は自問自答を繰り返していた。
今の自分は傭兵のはずだ。カネを貰って武器を振るうのが仕事の。それがどうして迷子になった不思議な少女たちを探して走り回っているのだろう。
一度できた縁というものは簡単にはほどけないらしい。黒薔薇と白百合のことしかり、自分が元聖騎士であったことしかり。
今は鎧も身につけず、メイスも持っていない。無防備だがそのぶん体は軽い。
――俺はどうしたいんだ?
聖騎士団にはもう戻れない。それなのに、聖騎士の鎧を捨てられない。
未練だ。
カルボのことはどうだろう。初めはそれほど長くふたりパーティを組む気はなかった。偶然行きあって、ただそれだけだと。
黒薔薇と白百合はもっと複雑だ。まるで遺跡を踏破した褒美のように与えられた。不思議な少女たちであることはわかる。だが彼女たちの世話をしながら放浪の旅に出るなんてことは不可能だ。
だからこそ、孤児院に預けるという方針をカルボと確認した。父代わりも母代わりも自分たちにはムリだと。
だが――。
「ええい、くそっ!」
口に出して悪態をついた。
はっきりしない自分自身に腹が立った。
かつての聖騎士であれば、聖騎士団の上役に相談してうまい方法を考えてもらえただろう。今は何の後ろ盾もない。だったら自分自身の力で彼女たちに道を付けてやらなければならない。しかしその壁は厚く――。
――いっそあのクライヴという聖騎士に話をつければどうだろう、俺がムリでもカルボに間に入ってもらって……。
そのほうが、くだらない思考を巡らせるよりよほどマシなように思えた。
だが今は、とにかく黒薔薇と白百合だ。人形のような美少女で、世の中の常識をほとんど知らない。そのうえだいたいいつも浮遊している。呪文を唱えている様子もないのにだ。いわゆる特異体質、特殊能力者だとみて間違いない。
彼女らが誰かの後をホイホイついていくようなことがあれば? 何かのトラブルに巻き込まれる可能性はある。
サン・アンドラスは日差しの強い清々しい街だが、同時に観光客に対する犯罪も少なくない。彼女らに何かあれば必ず後悔する。
息が上がりそうになりながら、アッシュは大通りから脇道へ、裏通りを巡ってとにかく探した。カルボとの合流時間まであと15分。
もうこの近辺にはいないのか、と諦めかけた時である。
路地をふわふわと浮いている白百合の姿をついに見つけた。
「おーい、白百合!」
アッシュは大声で呼ばわった。
だが、妙なことになっていた。
白百合は浮かんだまま何者かに手を引っ張られ、建物の裏に連れ込まれようとしていたのだ。
*
「黒薔薇!」
大通りの屋台で黒薔薇を見つけたカルボは大股で駆け寄って、思わず抱きしめた。
「勝手にウロウロしちゃダメっていったでしょ?」
「はい、黒薔薇も申し訳なく思っています」
黒薔薇は大きな目を伏せ、神妙な顔で言った。だが口の周りがべとべとだ。
「……なんなのこの焼きイカ」
屋台の女主人に話を聞き少し色を付けて代金を支払ったカルボは、「もうひとり、白い服の女の子がいたでしょう? どこに行ったか知りません?」
「あんたのことを探しに行ったんだろうけど、まだ戻ってくる様子はないわねえ」
「そうですか……」
カルボは安堵した。黒薔薇が見つかったのなら白百合もどこかで迷子になっているのだろう。アッシュと出くわしていればいいのだが、そうでなくとも三人で合流すれば見つけるのはそう難しくはない。
「でも不思議な子だねえ、ふわふわ浮かんで。あたしゃてっきり怪物の仲間かと思っちまったよ」
「怪物……ですか?」カルボは何かざわつくものを感じ、「何ですか、それ。詳しく教えてくれませんか?」
「いえね、ついこないだ、この街のどこかで魔法使いが得体のしれないバケモノを呼び出したっていうウワサがあってね。夜な夜なあちこち飛び回って、血を吸うだとか子どもをさらうだとか……それでこの子たちもその仲間じゃないかと思っちゃったけど。でも、こんなに可愛いしおとなしいから、そんなことはないってすぐわかったけど」
「あちこち飛び回って……」
「そう。それを退治するためにあちこちに聖騎士団が暑っ苦しい格好でウロウロしててね。ってことはウワサはほんとうなのかしらねえ」
カルボは硬い表情で女主人に礼を言い、黒薔薇を連れてその場を離れた。
「ねえ黒薔薇」
「はい?」
「しばらく浮かばずに自分の足で歩いて。いい?」
「はい。その通りに」
カルボは嫌な予感に包まれた。もし白百合が単独でどこかをウロウロして、事情を知らない聖騎士と出くわしたらどうなるのだろう? まさかいきなり成敗されるなどということはないだろうが、拘束されて教会かどこかに連れて行かれても不思議ではない。
自分かアッシュが事情を説明できればいいのだが……。
「とにかく一刻も早く白百合を探そ。ヘンなことになってなければいいけど」
「はい。黒薔薇も心配ですわ」
カルボはそれを聞いて少し表情を和らげた。この子たちは人間と違う何かかも知れないが、お互いの無事を案ずる心を持っている。
とても良いことだとカルボは感じた。
*
「急げ、人目につく」
路地裏には三人の男。白百合の手を強引に引っ張って、大通りからは陰になっている場所に置かれた檻の中に押し込もうとしてた。
「えらく綺麗な娘ですね。話と少し違うような」男たちのひとりが、リーダー格に尋ねた。「本当にこの娘が”リッパー”なんですか」
「余計な口を叩くな。もし違っていても構わん。とにかく聖騎士の目につかない内に……」
と、その時。
「ドコに行くんスか、あんたら」
男たちはぎくりと肩を震わせた。檻を押しても引いてもびくともしない。息を切らせたアッシュが、路地裏にぐっと身を入れて檻を掴んでいたからだ。
「こいつ!」
男のひとりがアッシュに食いかかった。
大ぶりで軌道の見え透いたパンチ――いや、それはパンチではなく手のひらを開いてそこに電撃を纏わせる接触呪文、スタンタッチだ。
アッシュは半歩後ろに下がってそれをかわし、無意識に腰の後ろに手をやった。
――メイス!
手応えがない。当然だ、いまは鎧もメイスもつけていない。防御力には全く期待できない薄手の服を着ているだけだ。素手で戦わなければいけない。
「どこかへ行け! お前には関係ないことだ!」
抑えた声で叫びながら、スタンタッチの男が再びアッシュを狙う。動きが鈍いのは男が戦士ではなく呪文使いだからだろう。
電撃自体は侮れない。まともに当たれば失神か、最低でも体がしびれてしばらくは足止めを喰らう。もしメイスがあればこの時点で男の肘は逆に曲がっているだろうが、素手での格闘戦では少し勝手が違う。
――『お前には関係ないことだ』……?
アッシュはさきほどの男の言葉を気にしつつ、前蹴りで軸足の膝を正面から蹴飛ばし、バランスを崩させた。そこにボディブローを二発叩き込むと、呪文の維持が不可能になって霧消した。
「すんません、自分も別にやりあう気はないんスけど。その子はウチの身内なんスよ。ここは引いてもらえないスかね……」
口調こそへりくだったものだったが、アッシュの目は据わり抑えきれない殺意が冷気のごとく流れ出している。
「お前の身内だと!?」
リーダー格の男が怖い顔で前に出た。
「どういうことだ? お前も”リッパー”のことを知っているのか!?」
「”リッパー”? 何スかそれは」
「なに? ……まて、どうやらお互い勘違いがあるようだ」
白百合を誘拐しようとしていた男たちはそれぞれに武装や呪文を解き、鋭い目でアッシュを正面から見た。
アッシュもだらりと手を下げたが、ひとごろしの眼の色はそのままだった。
「私たちは”リッパー”という……生き物……を探している。空中を飛ぶ女の妖魔だ。肉体を切り裂き犠牲者の血をすする。おまけに変装能力をもっているらしい」
「……」アッシュは答えず、先を促した。
「この娘を見つけたのは偶然だが、空中を跳ぶという特徴に合致していたので捕獲しているところだったのだ」
「捕獲?」
「”リッパー”は我々の……なんというか……研究対象、なのだ。だが君がこの娘と関係しているなどとは思ってもみなかった……」リーダー格の男は額の汗を拭い、「これは本当に”リッパー”ではないのだな?」
アッシュは長々とため息を付き、普段の目つきに戻った。「違う、と言って信じてもらえるんスか?」
「そうか、それでは……なんというか、済まなかった」
誘拐犯――もとい、リッパーとやらを捕獲しようとしている男たちは慌てて白百合を自由にさせた。
「白百合!」
「いったいなにが起こったのかわかりません」
「わからなくていいよ」
ふたりの再会を見て、リーダー格の男もまた大きくため息をついた。
「それでは、すまんがこれで失礼させていただく……少し、急いでいるものでね」
男は路地裏から大通りの様子を見て、すばやく檻を移動させて去っていった。
「黒薔薇とはぐれてしまいましたの」白百合がわずかに顔を伏せた。
「大丈夫だろう、きっと。向こうもカルボが上手いことやってくれる」
――”研究対象”って何のことだ?
アッシュはもっと問いただすべきだったと小さく舌打ちした。彼らはもうどこかに消えてしまっている。
こうしてひとまず事なきを得た黒薔薇と白百合だったが、さて――。
「”リッパー”って、何だ?」
第3章おわり
第4章に続く




