05話 モンスターハウス
ゴブリン・カルトの聖堂は、入り口からしてゴブリン風装飾の粋を凝らした造りになっていて、人間の目から見ればひどく乱雑で禍々しく、ある種の迫力に満ちていた。
「ディヤアアアアア!!」
聖堂の入口を守るように立ちはだかるゴブリン戦侯の野太い雄たけびが響いた。『殺せ!!』。
ゴブリン弓兵、ゴブリン祈祷師、ゴブリン斥候たちがバリケードの奥から飛び道具と魔法の呪文で人間の侵入者を攻める。
盾で防がれ、あるいはかわされ、決定的な損耗を与えることは出来ないが、屈強のゴブリン突撃兵が想定の位置に展開する時間は十分稼いだ。
「ホウ! ホウ!」
「ホフゥーック!!」
「ディヤ、ニィエン! ディヤ、エルブーン!」
4匹のゴブリン・アサルトは手にした得物をがっしりと構え、後衛と連携しつつ人間たちを攻め立てた。
分厚い戦斧、悪意に満ちたデザインの両手剣、頭蓋骨をモチーフにした意匠の戦槌、恐ろしいトゲを四方四方八方に伸ばしたモール。
いずれ劣らぬ凶悪な戦士たちである。
「気をつけろ、こいつら半端じゃない!」
人間の侵入者――アッシュが叫んだ。見ればわかることではあったが、それが見掛け倒しでないことをアッシュの嗅覚は嗅ぎ取っていた。
「フゥゥゥーッ!」
戦斧を振りかざす突撃兵。
対してアッシュは声も発さずメイスを走らせ、攻撃の端緒にあわせてぶち当てた。金属同士がこすれ合う悲鳴。火花が上がり、突撃兵は上半身のバランスを崩した。
すかさず凧形の盾に渾身の力を込めて叩きつけた。頑丈な盾の縁を肩にめり込まされ、濃い緑の肌をしたゴブリンは転倒を余儀なくされた。
とどめ――はさしきれなかった。
アッシュの元にゴブリンの後衛たちからありったけの飛び道具が放たれたからだ。
盾を構え、さらに数歩バックステップを踏んで攻撃を交わしている隙に、戦斧の突撃兵は体勢を立て直してしまった。
一方、残り3匹の突撃兵はドニエプルとセラに襲いかかっていた。
振りかぶられる両手剣、迫り来る戦槌、血を求める棘付き鉄球棍……。
ドニエプルが体内エーテル流を操作して攻撃を受け返し、セラが一息三射の早射ちで牽制、さらに秘術師のデシルが”秘術の縄”を放ってなお全ては防ぎきれず、ドニエプルは左の前腕を切り裂かれた。浅手だが出血を余儀なくされる。毒が塗られていれば致命打になりかねないが、幸いにしてそれはなかった。
両者譲らず。
仕切り直しとなり、互いに距離を探り合う。
と、ゴブリン・アサルトの1匹がいきなり転び、隙が生まれた。
これは偶然でも何でもない。
先程の激突の最中に、カルボが今回の探索に合わせて新調した小型のクロスボウで麻痺毒のエリクサーをゴブリンの1匹に撃ち込んでいたのだ。
好機と見るや一切躊躇なくアッシュが飛び出した。メイスが黒い軌跡を描いて転倒したゴブリンに吸い込まれた。
身につけていた胸甲ごと胸郭を叩き潰され、戦槌のゴブリン・アサルトは血を吐いて苦悶した。即死したほうがマシだったかもしれない。
「崩れた!」
アッシュの短い叫びに呼応して、仲間たちが動く。ゴブリンはどれも一筋縄ではいかない個体で、数も多い。場の流れに乗って一気呵成に攻め立てなければ押し返されてしまう。
デシルの”秘術の弾”が紫の火花を散らし、姿勢を低くしたドニエプルのタックルが戦斧を持った突撃兵の下半身を刈り、セラの矢が短距離で鎧の隙間を狙う。
「来た、来たよ!」
カルボは攻撃に加わる代わりに叫んだ。
来たのはゴブリン戦侯である。
体格は突撃兵たちよりもさらに大きく、全身をゴブリン風の入れ墨と傷跡に覆われ、手にする武器は厳ついこと甚だしい斬馬刀。同じ鬼族でも、小鬼の一族というよりは蛮鬼の血が入っていると言われたほうが納得のいく巨躯である。
「ホォォフゥーック!!」
気の弱い女子供なら卒倒しかねないほどの雄叫び。戦侯、頭上に掲げた斬馬刀を力任せに振り下ろした。
「下がれデシル!」
アッシュが無理やり首根っこをひっつかんでどかさなければ、若き秘術師は頭頂から尻まで真っ二つになっていたことだろう。
後衛をいきなり狙い撃ちにした戦侯のやり口に、アッシュは歯噛みした。”秘術の縄”で複数のゴブリンを一時的に行動不能に陥らせることが可能なデシルは、ゴブリン側の方が頭数において勝っている今の状況では人間側の戦術の要となりうる。単にデシルが鎧を身に着けていないところを攻撃してきたのではなく、そこを突かれると弱いというのを読んだ上での動きと考えるべきだろう。
「でかいのは俺が抑える、他のゴブリンを1匹でも多く減らしてくれ!」
宣言通り、アッシュは戦侯へ盾をぶちかまし、牽制のメイスを振るって突撃兵たちから遠ざけた。
だが、ゴブリンたちにも後衛がいる。
ゴブリンの祈祷師はゴブリン・カルトの預言者に仕える僧職であり、治癒術や身体強化術に精通している。まじないの言葉を紡ぎ、複雑な手印を切ると、戦侯の身体に草色のエーテル光がまとわりついた。体表に薄い層を形成し、敵からの攻撃を滑らせるという術である。
戦侯はその力に満足し、アッシュにニヤリと笑いかけると、一転狂気に満ちた目つきで斬馬刀を振るった。
*
その頃地上では、土砂降りの続く戦場で新たな血が流れていた。
ゴブリンの軍勢が巨大妖魔・黒後家蜘蛛を召喚し、対するアロケルカイム王国の魔術師が雷霆鳥を解き放つ。
ゴブリン狙撃兵の狙いすました大弓の一撃が騎士団の英雄の頭を射抜いたかと思えば、アロケルカイム軍秘蔵の大魔法具・”審判の錫杖”が火を吹いて3桁に達するゴブリンが一度に倒れる。
ゴブリンと人類種の攻防は優劣がほんの5分で入れ替わることの連続で、趨勢は未だ見えてこない。
しかしアロケルカイム軍は情報伝達の――つまり軍全体の戦術の要である伝令術士の中継ポイントを謎の局地地震によって破壊されている。これがじわじわと影響を及ぼし始めていた。
命令の遅延、足並みの不一致は戦が長引けば長引くだけ不利を生じさせる。次第にアロケルカイム軍の死傷者は増え、やがて看過できない結果をもたらすと予想された。
雨はまだ降り続く。
*
荒い息遣い。そして激しい鼓動。
気がつけば、アッシュの世界にはそのふたつしか無かった。
ずいぶんと長い時間その状態が続き、右腕の重いしびれと体中の倦怠感が戻ってくると、ようやく周りの状況に目を向けられるようになった。
とはいえ右目の視界は塞がっている――額の上の方から滴る血が目に入って、半ば固まっていた。
アッシュはゴブリンの死体に覆いかぶさられ、ゴブリン・カルトの聖堂の床に押し倒されていた。相手はゴブリン戦侯だ。メイスを頭蓋に何発も叩き込まれ、顔中の穴から体液を吹き出し、目玉が眼窩から抜け落ちている凄まじい状態である。
片手を持ち上げるのですら苦労するほど消耗していたが、アッシュは戦侯の重厚な肉体をなんとかずらし、転がり出た。
身体のあちこちが嫌な熱を持っていた。手傷を追った箇所だろう。そのうちいくつかは骨が折れているようだった。
静かだった。
「……誰か……」カラカラの喉で、アッシュはなんとか声を出した。「返事……カルボ?」
「よかった、アッシュ無事だった」
カルボの声がした。鼻声だが、ちゃんと生きている声だ。
「……どうなった? よく覚えて」
いない、と言おうとしたアッシュは、片足を引きずって近づいてくるカルボの姿に息を呑んだ。キャットスーツの脛のところが奇怪な色に変色し、綻んでいる。ゴブリンの武器で殴られたらしい。それに、片方の鼻から血が出た跡があり、頬が腫れている。
「おい、だ、大丈夫か」
アッシュは自分の状態も考えず上体を起こし、震える声を上げた。直後に全身の痛みと疲労感から悲鳴が漏れ、再び床に仰向けになる。
「ちょっとやられちった」カルボは痛みからか情けない顔を作って苦笑いした。「他のみんなも無事だよ、なんとか」
「そうか……」
アッシュは安堵のため息をついた。左の脇腹が鈍く疼いた。広い範囲に打撃を食らっているようだが、今はどんな状況で入れられたのか思い出せない。
「おお、アッシュ殿! よかった、生きているようだ」
ドニエプルは比較的傷の浅そうな様子で、アッシュのかたわらに駆け寄った。モンクであり、体内エーテル流を自在にコントロールするドニエプルは自己治癒の術に長けている。こういう時には誰よりも頼りになる仲間だ。
セラは少し離れたところで瓦礫の上に腰掛け、特に何ごともないという風を装っていた。しかし彼女も矢傷を受け、カルボのエリクサーを飲んでようやく落ち着いたところだった。
デシルは――。
デシルは傷こそ負わなかったが、大きなショックを受けていた。
アッシュの戦い方だ。
ゴブリン突撃兵のしぶとさ、戦侯の力強さ。弓兵や斥候との連携に加え、聖堂の奥から魔法の力を持つ闇神官や預言者が現れ、いよいよ絶体絶命の危機になった時、アッシュはひとごろしの目になって猛烈な敏捷性を発揮した。
並み居るゴブリンを次から次へと殴り殺し、味方の窮地を未然に防ぎ、何箇所も手傷を負いながらも状況を覆し、ゴブリンを壊滅させたのだ。
――只モンじゃねえ。
改めてデシルはそう思わざるを得なかった。
「……デシル、おい、デシル」
「おあっ」ぼんやりとしていたデシルは身体をビクッとふるわせ、「あー、はい! なんでしょう」
アッシュはカルボの手当を受けながら、「ゴブリンの1匹……魔法使いっぽいやつを生かしてる。尋問してくれ。終わったら地下牢に行こう」
言うとおり、心臓の上に一撃を食らって死んだゴブリン預言者のかたわらで、ひいひいと血の泡を吹きながらまだ生きている闇神官の姿があった。
デシルは秘術師であり、古代巨神魔法語を始めとする様々な言葉に精通している。ゴブリン語もそのひとつだ。
数分の尋問は比較的スマートに収まった。闇神官は預言者に強い忠誠心を抱いていたが、その”強さ”はあくまでゴブリン基準のものだ。結局は数と力の習性に従い、地下牢への安全な行き方と地下牢の鍵のありかを吐いた。
「おいおい、アッシュ、アンタ立てるのかよ?」
デシルは地下牢の解放に付き合うというアッシュに驚いた。いくらカルボの治療用エリクサーを塗りたくられたとはいえ、全身に打撲と裂傷が刻まれている。
「ここにひとりでいてもしょうがないだろ。邪魔しないように後ろの方にいる」とアッシュ。
果たして――デシルの仲間たちは無事だった。
とはいえ生贄にされる予定はあったようで、時間を惜しんでアッシュたちが助けに乗り込んだのは正解だったといえる。
「デシル、てめえ……ひとりだけ逃げたのかと」デシルの仲間のひとりが、ゴブリンに殺される恐怖から解放されて涙声で言った。
「あー、いや、オレは……ひとりで逃げようとした。臆病モンだよ。ここにいる人たちと偶然行き合わなかったら、捕まって殺されるか何もかもおっぽって一生逃げ続けるか、どっちかだったはずだ」
デシルは仲間たちと和解した。
「すまねえ、アッシュ。アンタたちのお陰で、その……一生自分のことを卑怯者と思い続けなくて済んだみたいだ」
「よかったね、デシル」
照れくさそうにそっぽを向くアッシュに変わって、カルボがデシルのことをねぎらった。かわいらしい頬に軟膏タイプのエリクサーとガーゼを貼ってあるのが痛々しい。
「ちょっと今回は無茶をしすぎたみたいだ」
場が落ち着いたところで、カルボにせっつかれてアッシュが皆をまとめるように言った。アッシュたちも、デシルの仲間たちもそれぞれゴブリンに手ひどくやられてボロボロだった。
「ここはいったん地上に戻って……ん?」
異変の匂いがした。
アッシュたちが振り返ると、そこには――。
「おいおいおい、嘘だろ……!?」
あの人工地震を引き起こした妖光が、地下遺跡の別々の場所から立ち昇っていた。
合計4本もの光の柱が。
21章終わり
22章へ続く