03話 突入せよ
アロケルカイム王国領土内、巨大地下遺跡。
アッシュたちは遺跡の中で行き会った秘術師のデシルとともに、強力なゴブリンたちが待ち構える建造物を目指していた。そこではデシルの仲間が囚われの身となっている。急がねば彼らの命が危ない……。
「……それで、どんな連中がいたんだ? そのゴブリン屋敷には」
道すがら、アッシュがデシルに話しかけた。
が、デシルはぼんやりと前方を眺めたまま反応しない。
怪訝に思ったアッシュはデシルの視線を追った。秘術師の目は、先頭を進むカルボのピッタリとしたスーツに包まれたお尻の動きに釘付けだった。
「おい」
「おふっ」デシルは脇腹を小突かれて妙な声を上げた。「えっ、あっ、何だ?」
「何なんだお前は」
「何なんだ、っていわれても……ああ、ゴブリンが何だって?」
「だから、敵の戦力でわかっていることがあったら全部教えてくれ。ただのゴブリンの巣穴じゃなかったんだろう」
「そう……そうだよ、その通り。あれが噂の、って感じのイカツくて悪そうなのがいた」
「何匹くらいだ」
「はっきりと見たわけじゃねえが、少なく見積もっても全部で20匹はいた」
「全員戦闘員か? というか、何の施設だったんだ」
それもはっきりしない、とデシルは煩わしそうに髪の毛をかき混ぜた。「どこかからかっぱらってきた絨毯なんぞを敷いて、人間の豪邸を真似したような建物だった……でもそれはオレたちが見た範囲のことだ、実際のところなんだったのかはわからない」
「地下牢があったのだろう?」セラが口を挟んだ。「仲間の他に誰か先客はいなかったのか」
「檻に押し込められる寸前で逃げ出してきたんだぜ? 確かめてる暇なんて……でも、オレが見た範囲にゃそんな様子はなかったよ」
デシルは苦い顔をして肩をすくめた。態度こそ軽薄な若者そのものだが、ギリギリのところを命からがら逃げてきたことだけは真実のようだった。
「人間を生け捕りにするための地下牢であれば、思い当たるフシもありますな……」ドニエプルは無精髭の生えたあごをさすり、眉をひそめた。「妖術の実験やゴブリン・カルトの生贄として使うつもりやも」
人間の血肉を実際に何らかの素材として使っていたのはアッシュたちもエンチャント施設で目の当たりにしている。
「うー、なおさら急がなきゃだね」
カルボはかわいらしいしかめ面を作って一同を見渡した。アッシュ、ドニエプル、セラはそれぞれ特に口には出さなかったが、何を置いても救わなくてはならないという決意めいたものが表情に宿っていた。
――何なんだ、こいつら。
デシルはエリクサーホルダを身体のあちこちに装着しているせいでただでさえ豊かなところを強調されているカルボの胸を観察しながら、思わずにいられなかった。
ひとりでゴブリンの魔の手から逃げ出したデシルは、本意ではないにせよ仲間の命を一度は見捨てた。いや、アッシュらと合流した今でも逃げることができるものなら逃げてしまいたいと思っている。
デシルのパーティとアッシュたちとのつながりは、地下遺跡に入る前にちらりと顔を合わせたくらい。お互いの名前すら知らないはずだ。
――なのに、こいつらのほうがノリノリで助けようとしてやがる。
いわゆるお人好しなのだろう、とデシルは思った。でなければあとで救出料をふんだくられるか、だ。
だが後者の可能性はなぜか感じられなかった。
どうしてか自分でもわからない。
そのわからなさが、デシルに今この場から逃げ出すことを押しとどめていた。
*
斑点のある濃いオレンジ色の肌、並のゴブリンよりふた回り以上大きな上背。
鎧を着込んだ完全武装のゴブリン門番が2匹、巨神文明時代の人間用施設にゴブリン風装飾を加えた建物の前にどっしりと構えていた。
「……いったい何をするための場所なんだ?」
狭い遮蔽物に身体を押し込めながら、アッシュが言った。
「神殿……のようにも見えますな。やはりゴブリン・カルトの拠点なのでは?」とドニエプルがさらに身体を折り曲げつつ言った。
「詮索はあとだ、まずあの2匹をどうするか……カルボ、胸が邪魔だ。息ができない」
狭苦しいところから顔だけ出そうとして、セラはカルボの身体にぎゅうぎゅうと押し付けられていた。
「いままでのゴブリンとは一味違う感じ」カルボは無理やりお腹を引っ込めながら――どうやっても胸は引っ込まないので――言うと、懐からエリクサーのポーションを取り出した。「眠りガス。これ使って」
「あー、それならオレの術も合わせたほうがいいな」
デシルはそう言って、腰のホルダーにくくりつけている魔導書のカバーを指先で小突いた。
「何が使えるんだ、秘術師?」
「”秘術の弾”を使う。あー、つまり、小石ほどの大きさの物体を狙った場所に飛ばす術だ」
「このエリクサーも飛ばせる?」とカルボ。
「できるぜ。んでそっちのエルフのねーちゃんの……」
「セラ=ヴェルデだ、人間の坊や」
「あー、セラね、わりいわりい……で、セラさんの弓矢にもくくりつけて、ふたつ打ち込めば大丈夫だろ、たぶん」
「よし、急いだほうがいい。それで」
行こう、とアッシュが口にする直前、背筋にぞわりと悪寒が走った。その正体を確かめるよりも早く、アッシュは盾を掲げて危険な何かから仲間たちを遮った。
木板と鉄板を合わせた盾に、ダン、と鋭く突き刺さったのはゴブリンの矢であった。
ゴブリン闇追者と呼ばれる黒に近い灰緑色の肌をした隠形と不意打ちのスペシャリストが放った矢にはたっぷりと神経毒が塗り込まれており、もし盾で防がなければかすっただけで歩行不能、呼吸困難に陥っていたことだろう。
ぎりぎりのところで回避できたとはいえ、これは完全なゴブリン側の先制攻撃であった。
「ニィエン! ニィエン、ウーゴ!」
外からはほとんど気づかれないように隠蔽されている物見やぐらから、ダークストーカーの鋭い叫びが響いた。
2匹の門番はいかつい顔をはっと上げ、兜を深くかぶり直した。その上でアッシュらが潜んでいる遮蔽物の方を見て、足元の石を投げつけた。偶然そこに落ちていたものではない。投石で攻撃するためにあらかじめ形と大きさでより分けたものだ。
同時に、ダークストーカーも弓矢の狙いを人間たちに定めている。
「このままじゃいい的だ、散開しよう!」
アッシュの号令で、仲間たちは急いで別々の方向に飛び出した。屈強な門番の投げつける投石、その間を縫うように射られる毒の矢。
「拙僧が前に出ましょう、あの弓矢をその間に!」
ドニエプルが叫び、素早く呼吸を整えた。全身のエーテル流が活性化し、心身を巌のかたまりのごとく頑丈にする構えを取る。
「ディヤ!」
「ノアミト、ブシャッケ! ニィエン!」
野太い呪詛の声を上げ、ゴブリンの門番2匹が思い切り石を投げつけた。人間の握りこぶしほどの投石を生身で受ければ、当たりどころによっては致命傷にさえなりうる。
だが。
「ぬぅん!」
巨漢のモンクは強固な意志と体術、そして体内エーテル操作術によって空中の石を廻し受けで撃墜した。
「いまです!」
「任せろ」
アッシュはドニエプルの背後から飛び出すと、恐ろしく素早い動きで2匹に駆け寄った。まず左手に持った盾に全体重を載せて叩き込む。手前側のゴブリン・ゲートキーパーに盾の縁がぶち当たった。大きくバランスを崩したところに腰の革ケースから一閃、黒鋼のメイスが巨躯のゴブリンの顔面を襲う。
「ギャラアア!」
奥側のゴブリンが間に割って入った。鉄棍を突きこんで、顔面への直撃をそらす。
そこからアッシュは身を翻し、回転を加えた小手砕きを見舞う。
が、ゴブリンたちはそこからさらに互いの隙を補い合う動きを見せ、必殺の一撃である小手砕きを受け止められた。
「こいつ!」
思わぬ連携にアッシュは半歩身を引いた。ゴブリンといえど油断ならない相手だということは頭ではわかっていたが、予想以上に動きが鋭い。
反対に2本の鉄棍が同時にアッシュの頭と腹を狙う。
アッシュはメイスで1本を跳ね返し、残りを盾で防いだ。重い手応えが肩にまで伝わる。
一方、ゴブリン風の装飾でカモフラージュされた物見やぐらから、隠密戦法を得意とするゴブリン・ダークストーカーの矢が放たれる。
「このッ!」
セラはダークストーカーをやぐらから叩き落とそうと弓を射返した。
しかしやぐらの装飾は宗教儀礼的な意味だけでなく籠城時の防御の役にも立つように設えてあるものらしく、惜しいところで物陰に隠れてしまう。
「あっ……アッシュ、危ない!」
カルボが叫んだ。ダークストーカーが、2匹のゴブリン・ゲートキーパーと打ち合うアッシュの頭を狙って弓矢を構えていた。
「下がってくれ、オレがやる!」
そう言ったのはデシルであった。腰の魔導書の封を解き、必要な記述に指を添わせる。古代巨神魔法語で書かれた頁の一枚一枚はそれ自体が秘術の力を操作するための構成要素のひとつであり、呪文、精神集中、体内外のエーテル調和を同時に行うことで起動する。
空中に紫色の妖しげな言霊の小人が踊り、文字と紋様で紡ぎ出された投石機が姿を表した。その大きさは人間の背丈と同じくらいだ。
「放て!」
デシルの命に従い、秘術の投石機が石の代わりにカルボの用意した催眠ガスのエリクサーを投げた。その軌道は通常の物理学に従わず、射出された後にぐんと速度を増して物見やぐらの只中に突っ込んだ。
バフッ、と白煙が上がった。ポーションが割れて中身が吹き出したのだ。
「フギャオオ!?」
やぐらの内側でどたばたとゴブリンが転倒した。どうやら狙い通りガスを吸い込んだらしい。手足の動きが急激に制限され、立っていられなくなったのだ。
「一気に片付ける!」
セラが目つき鋭く宣言した。ひゅうっと息を止め、わずかな指運までも完全にコントロールしてやぐらの防御をすり抜けるよう狙撃する。
1本。すぐさま次を引き絞って2本、3本。
血飛沫が吹き上がる。
沈黙。
「お見事!」と叫んだのはドニエプルだった。
いくら身体を頑強にしているとはいえ、毒矢を皮膚で受けるのは危険を伴う。どうしても防御に専心する必要があった。だが矢が飛んでこないのであれば別だ。守勢を解いてアッシュに加勢できる。
「っおりゃあッ!!」
跳び足刀蹴りが門番の首元に叩き込まれた。全身を覆う金属鎧のため即死はしなかったが、思い切りバランスが崩れた。
そこにアッシュのシールドバッシュがつんのめった顔面をかちあげ、次の瞬間には右のメイスが脳天に叩き込まれた。頭蓋骨が鉄兜ごとへしゃげ、無事な下顎骨だけがかくかくとかみ合わない歯を震わせた。
残り1匹――ゴブリンのロジックに従えば、数と力に劣る状態になった時点で逃走か降伏を選ばざるをえない。
そしてそれが許される状況ではなく、厳格に練磨されたドニエプルの正拳突きが片をつけた。
比較的苦しまなかったはずである。
*
「ケガはないな?」
アッシュの言葉に一同はうなずいた。敵を倒した後だが、その顔に安堵感はない。
「ううむ、これだけ騒ぎになれば守りを固められますな」
ドニエプルはそういって、悔みを込めた右の拳を左の掌に打ち付けた。建物の中にいるゴブリンもその警備同様一筋縄ではいかない個体であることは必至だが、こっそり入り込むどころではなくなった。
「だがなんとかするしかあるまい」フォレストエルフのセラは美しい銀髪を頭の後ろで結わえつつ言った。「デシル、さっきの魔法は中々便利だな、何回ぐらい使えるんだ」
デシルは少し思い詰めたような表情で、「5回……はいける。普段ならな。でも、オレの力でどこまで通用するか……」
「焦らずに、急いでいこ。ね?」
カルボがデシルにそう言って、緊張を解くよう微笑みかけた。
デシルはすまねえ、と感謝したが、やはりその顔には何か強い危惧を感じさせるものがあった。
「なんだデシル? 何かあるんだったら」
話してみろと続けようとしたアッシュだったが、その前に足元から突き上げるような激しい力が湧き上がってきた。
「地震!?」
広大な地下空間が鈍く揺れた。
と同時に。
「見ろ!」
アッシュたちの目の前にある建物の屋上から、一条の妖光が遥か高い天井に向けて放たれていた。