03話 ゴブリン・マニファクチュア
ゴブリンの大半は卑怯で卑劣で恥知らずだが、皆がみな無知蒙昧ではない。
ゴブリンの知恵者は人間やエルフの言語を読み書きしたり、ゴブリン語の古語――と彼ら自身は考えているが、実際には巨神文明の文字である――を紐解いて魔術や錬金術を扱うことができる。
ゴブリンの地下工場で見つかったメモリー・クリスタルには、そのような知恵者の姿が記録されていた。
空中投影されたそのゴブリンは奇怪な紋様と呪物を織り込んだローブを羽織り、ゴブリン風の飾りがついた杖を持ち、汚い響きのゴブリン語をまくし立てた。
「……何を言ってるんだ?」
アッシュがセラに説明を求めた。生物として環境適応能力の高いエルフは、複数の言語を学び取ることが上手い。フォレストエルフのセラも、汎人類種語と数種のエルフ語だけでなく、鬼族の言葉もいくつか使いこなせる。
「早口でよくわからないが、物資を運ぶとか資源が足りないとか……ああ、ここで作った武器を急いで持って来いと催促しているようだな」
「この派手なゴブリンは何者なのです?」とドニエプル。
「ゴブリンの付与術師だそうだ」
「だいたいわかった」アッシュは立体映像の中に手を突っ込んで感触のなさを確かめつつ、「工場で作った武器や防具をこいつが魔力付与するっていう、そういう流れだな」
映像のゴブリンの背景に、工場で作られた中でも特にできの良い品と思しき剣や斧が立てかけてあるのが見える。もしそれらが全て魔力付与品として強化されたものだとしたら、アロケルカイム王国を跋扈する巨大なゴブリン一族の脅威がどれほどのものかがうかがえる。単なる小鬼の大騒動では済まない。これは一国に対抗しうる軍事力を維持しているも同じことだ。
工場制手工業で武器防具を大量生産し、魔術による強化を行い、地下世界の遺跡を通じて地上の暗がりから湧いて出る緑の悪鬼。
ゴブリンエンチャンターは耳障りな笑い声を漏らし、それに応ずるように映像がどこかの地下空間へと視点を移動させた。
そこには――。
「いけませんなあ、これは」
ドニエプルは腕組みし、憤怒の形相になった。無意識に体内エーテルが活性化し、双眸が青白い熱を帯びる。
魔力付与や錬金術に用いられているのであろう様々な鉱物、植物、動物の素材、触媒が映し出され、その奥には足に鎖を巻かれて宙吊りになっている人間の死体があった。
喉を刃物で切り裂かれ、逆さになった頭の下には樽の中になみなみと注がれた血が溜まっていた。人間の生き血である。それを何らかの材料に使っているのだ。
「なんでこんなものを!」
怒りに駆られたセラはメモリー・クリスタルを床に叩きつけようとした。
が、アッシュに止められた。
「なんだ!」
「あれを見ろ」
アッシュは険しい表情で映像を指差した。
「……子供?」
金属製の檻の中に、3人の人間の子供が閉じ込められていた。泣き腫らした目からは生気が抜け、服も髪も薄汚れ、見るからに衰弱しているようだった。だがまだ生きている。少なくとも、この映像が記録されている時点では。
『おい、これはいつ記録されたものだ!?』
セラはひれ伏しているゴブリンワーカーの首根っこを掴んで締め上げた。くすんだ緑の顔が青黒く染まる。
「こいつはなんと?」とアッシュ。
「……三日前に届いたものだそうだ。殺されたかどうかはこいつらではわからん」セラの美貌が怒りに歪む。
「じゃあ、まだ生きてるかもしれないってことでしょ?」カルボが努めて明るい声で言った。「さ、急ご」
「……そうだな、カルボの言うとおりだ」セラはそう言って、気持ちを切り替えるついでにゴブリンを投げ捨てた。「道案内はこいつらにさせよう。この工場は……」
「大丈夫。溶鉱炉にはさっき爆薬しかけてきた」
「準備がいいな」
アッシュはカルボに苦笑してみせた。武具づくりの肝となる製鉄が回らなくなれば、ひとまず工場としては使い物にならなくなるだろう。徹底的に破壊するのは後でもかまわない。
「行くか。俺たちが今ここにいるのは何かの巡り合わせだ」
「うん」
「承知」
「了解だ」
アッシュたちは腰にロープを巻き付けたゴブリンの道案内を先頭に、地下工場を後にした。
*
巨神文明遺跡の特徴はなによりもまずその巨大さであるが、同時に人間サイズの生物が活動できる大きさの構造物が遺されている場合がほとんどだ。
巨神文明時代の10万年間、奴隷として使役されてきた人間やエルフ、珪素生命体テクスメックが使っていた部分がそれにあたる。
地下工場にメッセージを送ってきたゴブリン・エンチャンターがこもっている場所も、そんな遥か太古の人間用施設をゴブリン用に回収した地下構造物だった。
「ここで間違いないようだな」
アッシュが言った。工場からエンチャント施設までほとんど休まず走ってきて息が上がっている。
道中、ゴブリン語で『ヘタな真似をすればお前を殺す』と散々セラに脅されたゴブリンはすっかり縮み上がっていて、嘘を付ける余裕はなかったようだ。ゴブリンならではの保身を図る本能が、素直に従うほうが生き残る確率が高いと踏んだのだろうか。
「そいつはふん縛って置いていこう。見えるかカルボ?」
カルボは望遠鏡をザックから取り出して覗き込んでいた。
すぐに『静かに』とジェスチャーして、指を2本立ててみせた。見張りが二匹いる、というサインだ。
裏口に回るか――と言おうとしたアッシュは、それより早く弓矢を引き絞る音を聞いた。セラがすでに狙いをつけていた。
躊躇なく放たれた矢は正面入口に立つゴブリン歩哨の喉に食い込んだ。
「ア……?」
突然のことに、痛みも感じずゴブリン・センチネルは自分の首元を見た。
「アシュハ……ユガ、イラッジャッ!?」
もう一匹のゴブリンがそれに気づき、首にかけた呼子を吹こうとするが、慌てて手を滑らせた――次の瞬間にはこちらのゴブリンにも矢が2本生えた。胸と眉間。
10秒に満たぬうちに、ゴブリンへの憎悪に燃えるフォレストエルフの射撃は完了した。
「……片付いた。行くぞ」
セラはほとんど音を立てず入り口へと走る。先行しすぎではあったが、背中から立ち昇る怒りの気配は声をかけることを躊躇させるものがあった。
「セラ、こわい……」
カルボは寒気を感じるという風な仕草をした。柔らかな胸が軽くふるえる。
セラと出会い、旅をするようになって数ヶ月。この銀髪のフォレストエルフが強い正義感の持ち主であることはカルボたちも理解していたが、今日はとびきり切れているようだ。
「どうした、早く行くぞ」
「あ、うん。行こ、アッシュ、ドニ」
カルボに慌てて促されるまま、アッシュとドニエプルは後に続いた。
*
4人は気づかれることなくエンチャンテッド施設に正面から潜り込んだ。
中には貧弱なオイルランプがあちこちに焚かれ、床に不規則な影が落ちる。古い古い一万年以上過去の時代からそのまま姿を留め置いた巨神文明調のレリーフがあちこちに見られる。はるかな時間の隔たりを経ても、未だに巨神の目が奴隷を見張っているような感覚に陥らせる――そんな意匠である。
「罠があるかも」
カルボが可愛らしい小鼻を引くつかせ、ポツリと言った。先頭を早足で進もうとしていたセラがその一言で足を止め、カルボの方を振り返る。あからさまに焦れた顔をしていた。
「どこに?」
「んっとね、勘」
「勘?」セラはつい大声を出しそうになり、自分の口を抑えた。「……なんだ、適当か」
「適当じゃないよぅ」カルボは唇を尖らせ、「ゴブリンと言ったら罠だよ? 気をつけないと」
「俺もそう思う」とアッシュ。「さっきから妙に静か過ぎる……セラ、少し下がっててくれ。カルボ、先頭を頼む」
「おいよー」
しなやかな魔力付与品のキャットスーツに身を包んだ”盗賊令嬢”は、その肩書に反して盗賊とも令嬢とも思えない気の抜けた返事をしてパーティの先頭に立った。
*
ゴブリンは罠作りの巧みさでよく知られている。
小癪でねじくれた性根の持ち主であるゴブリンはほぼ共通して自分たちが常に何者かから迫害されているというある種の妄想を抱えていて、それゆえに自分の巣穴を護ることに関して強い強迫観念を抱いている。
そこで身につけた文化が罠だ。
ゴブリンが己のねぐらに罠を仕掛けるのは息をしたり食事をするのと同じである。生活の一部といっていい。家族や財産、何よりも自分自身を脅威から遠ざけるためなら、彼らは時間と労力を惜しまない。
結果、ゴブリンが住む森や洞窟、鉱山や遺跡は彼らにしかわからない手順で設置された罠だらけになる。何の備えもなく入り込んだら、退治する前に彼らの新たな食料や財産になってしまってもおかしくない。
そんな罠だらけの環境で日常生活を送るというのはどんな気持ちであろうか。
自分で罠に引っかかってしまうこともあるだろう。
無害化する手順を忘れたとしたら?
隣人や家族の仕掛けた罠で傷ついた時は?
ゴブリン社会における解決法は、やはり”数と力”である。加害ゴブリンとなった者が弱ければ集団暴行がその答えであり、強ければ――何もなかったことになる。
「そこ、圧力板があるよ」
地下遺跡の石床に身をかがめるようにして進むカルボは、自らが指差した場所に素早くチョークで印をつけた。一見無造作に置かれた木板だが、よく見ればピンと張った麻ひもがつながっていて、うっかり踏んでしまうと近くの壁に立てかけてある石材が倒れてくるという厄介な仕掛けになっていた。
「トラバサミだ……危ないから全部閉じとくね」
言うやいなやカルボはトラバサミの中央を棒で押し込んで作動させた。カシャン、と錆びた金属が跳ねる音がやけに大きく響く。
先行するカルボが罠を発見し、それを迂回したり解除したりしつつ奥へと進むうち、大きな両開きの扉が見えてきた。扉の隙間から、かすかに音と光が漏れている――ゴブリン語の耳障りな喋り声だ。
そのまま通り過ぎるべきか。
それとも中に押し入って安全を確保すべきか。
「中の様子は探れるか?」とアッシュ。
カルボは扉に耳を押し当てて、「何か話してるみたい。3匹以上かな」
「通り過ぎて後ろから打たれるのは面倒ですな」龍骸苑の行者は手甲の具合を直しながら言った。
「ドニと同意見だ」セラは弓を手に取り、すでにやる気のようだった。
「……わかった。開けると同時にセラが弓を射る。3本撃ち終わったら俺とドニとで突入する。それでいこう」
アッシュの言葉に一同うなずいた。
「よし、じゃあ……1、2の3!」
扉は開け放たれ、暴力が実行された。