02話 数と力
アロケルカイム王国内のとある地下領域、そこには巨神文明遺跡を利用したゴブリンの巨大地下工場が稼働していた――。
「まだ気づかれてはいないけど……」地下工場の様子を巨大な石柱の陰から覗き見つつ、カルボが言った。「どうするの、アッシュ?」
アッシュは難しい顔をして即答を避けた。
工場では、ざっと見繕って女子供含め200匹くらいが働いているようだった。200匹。それだけの数を正面から踏み込んで制圧できるかどうか。非戦闘員も多くいるであろう。だがこちらの戦力は4人だけだ。
「作業の監督役が何匹か突っ立っている」アッシュの代わりにセラが口を開いた。「あいつらだけでも排除すれば、しばらくは工場も動かせなくなるんじゃないか」
「ふむ、確かに」とドニエプル。「あとは施設を何か所か破壊しておけば武具の生産は滞るでしょうな」
工場を稼働させるがままにしておけば、その分だけアロケルカイム王国に跋扈するゴブリンたちの武装が維持されることになる。地上に戻って国軍に報告するだけでも手柄としては十分かもしれないが、見つけたこの場で可能な限り対処しておいたほうが手っ取り早いのは確かだ。
「爆薬なら少し持ってきてるよん」
カルボがホルダーから2液混合式のエリクサーを取り出した。
「だいたいわかった」仲間たちの意見を聞いて、アッシュの腹が決まった。「まずセラが弓で要所要所を狙撃する。そのあと騒ぎになるだろうから、乗り込んでいって邪魔するヤツを蹴散らして爆薬を仕掛ける。どうだ?」
カルボ、ドニエプル、セラはそれぞれうなずいて、準備を整えた。
「では私は先行してあそこの陰に隠れて狙撃する。援護たのむぞ」
セラは言うやいなや、身をかがめて移動を始めた。
奇襲戦の始まりだ。
*
鬼族の代表的存在であるゴブリンは様々な亜種が存在していることで知られる。
体格が人間よりも大きな者や魔術を使える者、弓矢を扱うことに長けた血筋もあれば、戦を指揮する立場に代々就くエリート一門もある。
最も典型的な姿は、背が低く猫背で腹が突き出ていて、鼻はぶつぶつだらけで大きく、本人たちは呪物と見なしているガラクタを髪やヒゲに編み込み、耳は尖り歯はギザギザで、肌は緑色でボロ切れを纏っている――といったところだろう。
地下工場のあちこちに立っているガッシリとした監督役と思しき個体は皆一様にガッシリと肩幅が広く、大ネズミの皮鎧を身に着け、肌の色はややオレンジがかっていた。標準的ゴブリンよりも筋力に優れた亜種、それも戦闘訓練を積んだゴブリンガードだ。
溶鉱炉小屋に詰めているガードは2体。
常にふいごが吹かれ、溶けた鉄が型に流し込まれる小屋の中は灼熱状態で、働いているゴブリンたちは汗まみれの布を腰に巻いているだけの姿をしている。ゴブリンと言えば自分より弱いものを虐げることが大好きな下卑た性質の持ち主で、自分たちと同じ種族も、そうでない生き物も、機会があれば奴隷として使役することで知られている。あるいはこの過酷な労働に従事しているのは皆奴隷に落とされた身分のゴブリンなのかもしれない。
ともかく彼らは黙々と働いていた。
勤勉なゴブリン、というのは少々考えにくい。
彼らは常に楽をしたがり、他人の成果を盗み、侵犯し、食らうことで生きている種族なので、自力で有用な文物を作るのが苦手なのだ。人間とゴブリンは昔も今も延々と相争う歴史を紡いでいる間柄だが、繁殖力においては圧倒的に有利なゴブリンが未だに人類種に勝てないのは、協力し、より良い文明を築いていこうという意識を持っていないからだと言われている。
だからこそアロケルカイムの一斉蜂起は異常事態といえるのだが、ゴブリンの地下工場はその秘密の一端を担っているのかもしれない。
何か得体の知れない背景がある――そうでなければゴブリンが大きな施設で武器防具を作っているような光景は生まれないはずだ。
セラの矢が、ごうごうと燃える炉の音にまぎれて飛んだ。
オレンジががった汗まみれの首を横から刺し貫かれ、ゴブリンガードは2、3歩よろめいて倒れた。かすかな痙攣、そして呼吸が止まり、円状に血溜まりが広がっていく。
「ホキャアア?」
同僚の異変に気づいたもう一匹のゴブリンガードが慌てて駆け寄った。手遅れ状態であることにはすぐに気づいた――次の瞬間には新たな矢が飛来し、二匹目のゴブリンも顔面を貫かれる。のけぞるようにして後頭部から倒れ込み、手足をばたつかせながら自分の吐いた血の泡で溺れて死んだ。
「シュッキャアアアッ!!」
突然矢で貫かれて死んだ二匹を見たゴブリン労働者の悲鳴が地下工場に響き渡った。
工場内をせわしなく走り回っていた身軽な子供たちがパニックを起こした。鎧造りの工程で作業していた女たちはそれにつられて悲鳴をほとばしらせ、玄翁や皮用の長針を投げ捨ててその場から逃げ出そうとする。
急の出来事に混乱した残りのゴブリンガードたちの反応は2つに別れた。ワーカーらを鎮めようとしてゴブリン語の怒鳴り声を張り上げるか、ワーカーたちと一緒になって慌てて逃げ出そうとするかだ。
たったの二矢でゴブリンの工場は混沌のるつぼと化した。
セラは騒ぎが広まっても精神集中を緩めず、三度矢を放った。
今度はゴブリンガードではなく、灼けた鉄を鍛える鍛冶場の建屋に突き刺さった。外したのではない。矢の先端にはカルボのエリクサー爆薬が仕掛けられていた。命中時の衝撃で2液が混ざり合い、急激に膨張して爆発を起こした。
「ギィィヤァ!?」
建屋の爆発で鍛冶場に残っていたワーカーが吹き飛ばされた。
さらにもう一矢。
ゴブリンたちの宿舎――と言っても屋根のない寝袋とハンモックの寄せ集めだが、憩いの場が爆発し、火の手が回る。手荷物を取りに、あるいは恐慌状態で仲間の持ち物を略奪しに宿舎に戻っていたゴブリンたちが巻き込まれ、ますます酷い有様になった。
「クギャア! エルブーン!!」
憎悪のこもったゴブリン語の叫びがして、哀れな緑肌の鬼たちはそこでようやく物陰から次々と狙撃するセラの存在に気づいた。
女子供は散り散りになりつつあったが、ガードや、ワーカーの中でも特に屈強な個体は怒髪天を衝く勢いでセラの元へと駆け寄ろうとした。
「ディヤ! エルブーン、ディヤ!」
エルフを殺せ――ゴブリン語の呪いの言葉である。
およそこの世のあらゆる環境に適応するエルフは、森の奥や洞窟、地下世界でうじゃうじゃと繁殖するゴブリンを邪魔者として排除する。ゴブリンの立場からすれば、他の場所でも生きられるくせに神聖な暗がりを侵犯するエルフは憎悪の対象そのものである。
とりわけゴブリンが厭わしがるのは、エルフは”人類種”の一員として”ジ・オーブ”の支配権の傘の下にいるという事実だ。ゴブリンのような鬼族は人類種と見なされないためオーブの加護を受けられない。それゆえ、本当の意味でゴブリンはエルフを打倒できないのだ。
「エルブーン、ディヤアアアッ!!」
汚れたシャツをまとうゴブリンが、できたての手斧を振り回してセラに襲いかかった。
セラはこれを至近距離から射撃。左肩の肉を削がれるが、怒れるゴブリンワーカーは流血も痛みもまるで無視して大上段から手斧を振り下ろした。
が、銀髪のフォレストエルフには届かなかった。
手斧がない。
斧だけではない。
手斧を持っていた手首から先がなくなっていた。
横合いから飛び出したアッシュの”小手砕き”によって吹き飛ばされたのだ。
「ホキャアアアッ!?」
ちぎれた動脈から派手に血がこぼれ落ちる。ゴブリンの足元にはすぐに血溜まりができて、もはや手の施しようがない。
「クガァ、ニィエン、ディヤ!」
「ディヤ、エルブーン! ディヤ、ニィエン!」
「ホゴゴゴゴ!」
仲間を殺されたゴブリンは口々にアッシュたちの死を願う呪いの言葉を吐き、手に武器や工具を取ってアッシュとセラを取り囲んだ。
その数およそ10体。
多勢に無勢と見て、ゴブリンたちは嗜虐的に牙を剥いた。ゴブリンの行動基準は数と力である。自分たちのほうが多く、強いと判断すれば徹底的に弱者をいたぶる。反対に自分たちがかなわないと見るや、媚に媚び倒し身内を売ってでも懐に潜り込もうとする。両極端で恥知らず、卑怯で卑劣な種族だが、それゆえ恐ろしい敵になりうるのだ。
鍛冶仕事を務めて上半身の筋肉がパンパンに膨れ上がったゴブリンの一匹が、暴力衝動を抑えきれなくなったか、ハンマーで殴りかかった。でたらめな軌道だが当たれば頭蓋骨に穴が開くくらいの力がこもっている。
が、また別の方向から邪魔が入った。
「どっせーい!」
龍骸苑の行者、ドニエプルの強烈な前蹴りがゴブリンの鍛冶師を直撃。右のあばらをへし折られ、吹っ飛んで、近くにいたゴブリンガードを巻き込んで玉突きを起こした。
ドニエプルの動きはそのまま止まらない。
練り上げた体内エーテルを総身にみなぎらせ、ローキックからの鮮やかな肘打ちでもう一匹の顔面を粉砕。次のゴブリンにはイノシシのようなぶちかましを叩きつけてテイクダウン、倒れたところに踏みつけを食らわせて喉元を破壊。さらにもう一匹……。
ゴブリンたちは呪詛の言葉を吐き出しながら立ち向かおうとするがもはや手遅れだった。
アッシュのメイス、ドニエプルの肉弾、そしてセラの弓矢にずたずたにされ、もはや数も力も維持できない。
最後に残った3匹は逃げ出した。短い緑の尻尾を巻いて、鍛冶場の建屋に向かって猛然と駆け込もうとした。
しかしそれも遅かった。
三匹の目の前で、建屋は爆発四散して崩れ落ちた。
カルボが仕掛けていたエリクサー爆薬が火を吹いたのだ。
ゴブリンたちの切り替えは素早い。生き残りたちは地に額をこすりつけて降伏した。きっぱりとした命乞いである。
ひとまず戦いは終わった。
*
「ねえ、これ」
すっかり崩れ去った建屋の中から、カルボは小型ながら頑丈なチェストを引っ張り出してきた。瓦礫の下敷きになっていたが、箱自体は壊れていない。
『御大層なものだな、何が入っているんだ?』
ゴブリン語を話せるセラが、卑屈に身をかがめるゴブリンたちに尋ねた。
ゴブリンらは恐々としながら顔を見合わせ、一匹が懐から鍵を差し出した。家来の如きうやうやしい態度だ。
「なんだこれは?」
中に入っていたのは一振りの短杖と小さな水晶柱だった。
「鎮圧杖……かな?」カルボはワンドをつまみ上げ、ためつすがめつして調べた。「こっちのクリスタルは……」
「ギラァ、マエーム……マエーム・クリヒスタァ」
ゴブリンの一匹がおどおどと言った。
「なんて?」
「マエームクリヒスタァ、記録再生装置だそうだ」セラが訳し、横から水晶柱を拾い上げた。「ゴブリンの識字率は低い、何か遠距離に情報を伝えるときに使うと聞いている。贅沢な話だな……おっと」
どこかスイッチに触ったのか、メモリー・クリスタルはセラの手の中で発光し始めた。そこから粗い映像が空中に投影される。
そこに映し出されたのは、どこか見知らぬ場所で行われているゴブリンの魔術儀式の様子だった。