第19章 05話 追跡劇
半生体馬は錬金術とゴーレム作成術を組み合わせたサイボーグ、一種のキメラである。
生まれて間もなくエリクサーと外科手術を施され、乗馬用もしくは荷駄用、さらには軍馬用と目的に沿って育てられる。結果として、ナチュラルな馬に比べると非常に高い能力と適性を備えた馬となるのだ。
エーテル機関を小型化して搭載した乗用自動車もこの世界には存在するが、コストと利便性において半生体馬を上回ることができず、現在も運輸交通の基本は列車と馬車に偏っている。
半生体馬の特徴として、エーテル流を流し込めば誰でも思い通りに操作ができるようになるという点がある。エーテル伝導手綱を握り、エーテル流を伝えれば子供でも乗馬が可能になり、御者になれるのだ。
聖都カンでもそれは同じで、辻馬車(註:タクシーのようなもの)が大通りを何台も走り回っているのが日常風景になっている。
装着型ボーンゴーレムを使う”鬼械躯動”ザンドムを倒した後、病院で最低限の治療を受けたアッシュは通りに停めてあった半生体馬を拝借し、アロケルカイム領事館に急いでいた。
その真正面からキサナドゥの構成員3人と囚われのクレリア姫を乗せた馬車が猛スピードで走って来た。遭遇は偶然か、それとも天の配剤か。
一瞬のすれ違い。
元聖騎士の目は、全てを捉えた。御者役にフード付き外套とマスクの男。客車に全身鎧と、見たことのない女。そして背中におぶわれたままぐったりとしているクレリア姫。
アッシュは馬に急制動をかけ、棹立ちにさせてから一気に馬首を返した。
三年ぶりに訪れた聖都カンだったが、その地理は頭に入っている。
キサナドゥたちがこのまま逃げ込むとしたら、街を脱出するためのエーテル機関車か、大型移動馬車が複数停めてある停留場だろう。アッシュはそのように当たりをつけた。逆にそれ以外は行き場がないということになる。
――馬車を止める!
エーテル伝導手綱を握りしめ、アッシュは半生体馬の鞍の上でぐっと身を沈めた。半生体馬が狂ったように蹄をかき鳴らし、キサナドゥ構成員たちの乗る馬車に迫る。
*
一方、ジャビアたちキサナドゥ側も黙って見ていることはしない。
「あの野郎、聖墳墓殿堂でやりあったやつだな……」
ジャビアは思い出していた。木のバトンを使ってファラディらと自分を殴りつけてきた男。
「あ、あの人も聖騎士とか……?」
馬車の中で揺られる女妖術師シノンが、苦しげな声で言った。
「どうだかな」ジャビアは短く答え、「どっちでも構わねえが、やる気らしい。ようするに……」
「ようする、に?」
「敵だ。やっちまえ」
シノンはゴクリとつばを飲み込み、自分の役割を認識した。馬車から身を乗り出して杖の先端を敵に向ける。
ぽう、とエーテル光が灯りそこを焦点にエーテルが凝集。つぶやかれる呪文とジェスチャーの組み合わせでエーテル光が病んだ緑色のあぶくに変換され、膿汁のように飛び散った。
アッシュは速度を落とさないまま鐙と手綱を使い、アクロバティックな姿勢を取ってこれをかわした。しかし膿汁の一滴が衣服にかかり、強烈な焦げ臭さとともに布地を腐食させた。
いまのアッシュはハードレザーアーマーも脱ぎ、防御面ではほとんど備えもない。緑の膿汁を直撃されたら、落馬だけではすまないだろう。
――しったことか。
アッシュは半生体馬を巧みに操り、ジャビアらが乗る馬車の真横につけた。
車内を覗くと、電磁甲冑を身に着けたジャビア自らが剣を抜き、攻撃を準備しているのが見えた。
おまけに御者台に座るファラディが、隙を突いてシリンジ型ダーツを放ってきた。
こういう時、アッシュは腰の後ろの革ケースに答えを求める。
瞬間的な黒鋼の抜き打ちがまずシリンジ型ダーツを捉え、粉々に粉砕。そのまま振り抜いて、中身とともにシリンジの破片を馬車の側面に弾き跳ばした。薬液が馬車にまだら模様を焼き付かせる。
「野郎ッ!」
ジャビアが吠え、馬車のドアから乗り出して剣を繰り出した。
鋭い突きだ。
だがアッシュはメイスを最小限の動きで操り、切っ先をそらした。甲高い衝撃音とともに火花が飛び散る。二撃。三撃。
瞬間、ゾッと寒気が走り、ジャビアは剣を引いた。聖墳墓教会で受けたバトンによる手首への一撃を思い出したのだ。木のバトンですら、篭手を通して打撃が伝わってくるほどの威力だった――不安定な馬上であろうとも、黒鋼のメイスで小手をくらえばおそらく片手はブチ折られる。
――こいつとまともに打ち合うのは危険だ!
ジャビアは恥も外聞もなく馬車の反対側の席にずれ、アッシュから可能な限り遠ざかった。腕をふっとばされ、その時に発生する電磁装甲の電撃でクレリア姫を殺してしまうようなことがあれば元も子もない。キサナドゥの看板に泥を塗るだけで終わるだろう。
――オレは生きてもっと力を手に入れるためにここへ来たんだろうが!
フルフェイスの兜の中でジャビアは唇を噛み締めた。
「オイ、シノン!」
「は、はいぃ……」
「向こうの馬をねらえ、足止めするんだ!」
シノンは一瞬表情を曇らせる――馬を攻撃する行為の倫理的障壁にぶつかったのだ。だが彼女もまたキサナドゥの一員である。すぐに気を取り直し、生き延びるために、目的を遂行するために必要な行動を取った。
緑の膿汁を最大限広い範囲にぶちまける。半生体馬も、馬上の男もまとめて溶かすスプレーを放つのだ。
「えぃぃい!」
馬車の窓から杖先を伸ばし、呪文を唱えた。
が、急に杖を持つ手が軽くなり、シノンは呪文の中断を余儀なくされた。
「ひぃ……」
軽くなるはずだ。魔法の杖は先端から3分の1ほどが消失していた。
アッシュのメイスで一瞬にして粉砕されたのだ。
そして、アッシュ本人の姿も馬上から掻き消えていた。
ジャビアとシノンは目を見合わせ――その直後、馬車の屋根にドカンと何かが叩きつけられた。
「……上か!」
馬上から馬車の屋根の上に飛び乗ったアッシュは、まず御者台のファラディを狙った。馬車さえ停めてしまえば後はどうにでもなる。
全く容赦のないメイスの一撃が、ファラディの背後から打ち下ろされた。
ファラディの身体には、この時まだアクセルレッドの効果が残っていた。狭い御者台の上ではあるがファアディは派手な舞踏のように片手一本で身体を跳ね上げ、メイスの死の軌跡からかろうじて逃れた。
振り向きざま、マスクの口部に仕掛けた催涙粉末を吹きかけ――と、そこにアッシュの鋭い蹴りが顔面を捉えた。とうとうマスクがひび割れ、毒の粉が逆流する。
声にならない悲鳴と咳が混ざり合って、ファラディその場で行動不能に陥った。解毒エリクサーの入ったアンプルが外套の中にあった――あったはずだが、顔面をほじくり出されるような苦痛のせいで射つこともできない。
アッシュは容赦なく御者台からファラディを蹴り落とした。
「くそっ、ファラディが!」
ジャビアは焦った。馬車の制御を奪われれば、脱出ポイントまでの移動は難しくなる。予定は総崩れになってしまう。
――なんなんだ、あの野郎は!?
全くそのとおりであった。聖騎士ではない――衛兵でもない――そんな人間がいったい何がどうなってこのタイミングに駆けつけてきたのか。ジャビアたちからはわからない。
だが非情にもエーテル伝導手綱はアッシュの手に落ち、2頭立ての半生体馬車は急激に速度を落とした。
「せ、せ、先パイ……?」
「……しょうがねえ、ここからさきは人質頼みだ」ジャビアは背中のクレリア姫を親指で指し、「なんとしても逃げ切るぞ」
「は、はひぃ……」
ジャビアとシノンは馬車が安全に飛び降りることのできる速さに落ちるまで待ち、ドアを蹴破るようにして転げ出た。勢い余ってシノンは転倒。
「なにやってんだ、オイ! 逃げるぞ……」
「そうはいかないッスよ」アッシュが立ち塞がった。「アンタらはもうどこにも行かせない。ここでおわりだ」
「ちっ……てめえ、オレが背負ってるのが誰かわかってんだろうなあ!? このお姫サマ、そしてオレの鎧の力! てめえもその身で知ってるだろうが!」
「……そんで?」
「オレを攻撃すれば、電撃がお姫サマにも伝わる! 手出しするならしてみろ、てめえは王族殺しの仲間入りだ!」
「じゃあ、しょうがないッスね」
「え?」
アッシュはおもむろに歩み寄って、戦々恐々としていたシノンのみぞおちあたりに掌打を叩き込んだ。
「な」
ジャビアは呆然とし、シノンは悲鳴もあげられず崩れ落ち、激しく痙攣しながら胃の内容物を全部吐き出した。
「油断禁物」
「え?」
アッシュは無造作にジャビアの鼻先に触れ、面頬をキィ、と跳ね上げた。
目があった。
次の瞬間、無防備になったジャビアの顔面に、アッシュは手にしていたバトンを突き立てた。
鼻骨、頬骨、眼底にヒビが入り、何かの間違いかのように大量の鼻血が吹き出し――ジャビアもまた、地面に倒れた。
「おお、無血開城」
何故かそんな言葉がアッシュの口から出た。
ともかく、クレリア姫誘拐はこれで未然に防がれた。
全く無血でもなんでもないのだが。
*
シグマ聖騎士団作戦司令室に、粘りつくような沈黙が広がっていた。
「……まさかこんな幕引きとなるとは」団長ギョーム軽く天を仰ぎ、円十字の印を切った。「追放者アッシュ、あやついったいどういうつもりなのだ?」
「つもり……は無いのかもしれません」
副長ロトが言った。眉目秀麗な彼の表情に乱れはない。
「彼の言うことに嘘は感じませんでした。本当に墓参りに訪れて、たまたま事件に巻き込まれた。ただのそれだけであると見たほうが自然です……奇妙に思えますが、そういう人物なのですよ、アッシュとは」
ギョームは太った腹の上で指を組み、何度かため息をついてから、「まあ、いいだろう。キサナドゥどもの掃討を急がせよう」
「はっ」
ロトは一礼し、情報分析官にいくつかの指示を矢継ぎ早に下した。
「アッシュ……」
作戦ボードの片隅に貼られたアッシュのポートレイトにちらりと視線をやり、誰にも聞かれない小声で小さくつぶやいた。
ロトの瞳には、得体の知れない何かが宿っていた。
19章終わり
20章につづく