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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第19章「アロケルカイム領事館攻防戦」
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第19章 03話 ブレス・オブ・ザ・ワイルド

 聖都カン、アロケルカイム王国領事館中庭。


 キサナドゥ構成員ファラディは”魔法使い殺しメイジブラスター”の異名を持つジャミングダストを用いてクレリア姫および黒薔薇、白百合を無力化、クレリア姫の身柄を手に入れた。


「保険だ……」


 ファラディは懐からシリンジを取り出し、手袋をはめているとは思えないほどの鮮やかな手並みでクレリアの首筋にエリクサー液を注射した。姫は強力なテレポーターであり、ジャミングダストで精神術サイオニクスを封じ込めてもなおどこかに瞬間移動してしまう可能性があった。フレームに同じ妨害効果を持つ青銀珊瑚シルバーコーラルを埋め込んだ馬車に押し込めて誘拐しようとして失敗した――それどころか犯人である4人のキサナドゥ構成員も一緒に巻き込んで遠く離れた聖都カンの地下墳墓に跳躍させた――という事実があるのだから、今度こそ慎重にならなければならない。


 ジャミングダストの効果で頭痛を覚え、苦しんでいたクレリア姫は麻酔エリクサーの効果ですうっと力が抜けてへたり込んだ。


 ファラディはマスクの下で薄く笑い、クレリア姫の小柄な身体を肩に担ぎ上げた。


「ま、まって……」


 声を発したのは、長く美しい黒髪の少女、黒薔薇だった。双子の姉妹・白百合とともにクレリア姫と精神接合状態にあるため、黒薔薇にも麻酔の影響が出ているらしい。その眼差しには意識の混濁が見て取れた。


「ひめを……クレリアひめを……」


「つれていかないで……」


 白百合が黒薔薇の言葉の後を継いだ。大きな青い目の端から涙粒が溢れている。


 ファラディのマスクからシュコーと呼吸音が漏れた。


 黒薔薇と白百合のことを、ファラディがどのような感情で見ていたのか、本人よりほかは誰にもわからない。


 フード付き外套にマスクをかぶったキサナドゥの構成員は、結局、黒薔薇と白百合には手を出すことなくその場を立ち去ろうとした……。


     *


 いま、アロケルカイム王国領事館にはキサナドゥ構成員のジャビア、ファラディそして妖術師ウォーロックの3人がおり、そこにシグマ聖騎士団の増員が駆けつけようとしている。


 一方で、病院の屋上で装着型ボーンゴーレムを操るキサナドゥ構成員・ザンドムを撃破したアッシュとドニエプルも領事館に向かい、それに先行する形でカルボとセラが間もなく領事館に到着する。


 この中で一番動きが早いのは聖都セラの建物の屋根から屋根に飛び移って進むフォレストエルフのセラであった。


 セラは領事館へ近づくと正面玄関ではなく脇から壁をよじ登り、ネコ科動物の俊敏さで屋根の上まで一気に登った。


 そのまま中庭まで迷いなく突き進んだのは野生の勘がその理由ではない。


 黒薔薇と白百合の念話テレパスによってそのように導かれたからだ。


 跳び、駆け、空中に飛び出してそのまま弓を構え、太陽を背に矢を打ち込んだ。


 ファラディの外套をわずかに切り裂き、エルフの矢は芝生に深々と突き刺さった。


「姫を返せ」見事なバランスで中庭に着地し、セラはほとんど息を乱すことなく言った。「次は足を射抜く」


「……なんと」


 ファラディは逃げることもしなかった。反撃も忘れ、フォレストエルフから立ち上る猛獣にも似た恐ろしい美しさに打たれたかのように立ちすくんだ。


「聞こえなかったか!」


 セラの怒声が中庭に響いた。躊躇なく構えた弓から矢が放たれる。


 ブツ、と嫌な音を立てて外套ごとファラディの右腿を貫いた。


「くあッ」


 マスクの下で悲鳴がこもった。ファラディは片腿を破壊されてよろめき、クレリア姫を危うく落としそうになりながらなんとか地面を踏みしめた。


「あと二回だけ言うぞ」


 セラは先程までの全力疾走で汗が吹き出し、浅い褐色の肌が濡れている。神々しいほどに艶かしい。


「姫を放せ。次は残りの足、それから心臓だ。絶対に外さん」


「……そういうわけにはいかない」


 ブツリ。宣告どおり矢が放たれ、完璧な的確さでもう片方の腿が撃ち抜かれた。


 ファラディはまたマスクの下でうめき声を発する。


 が、セラの予想に反して崩れ落ちることはなかった。


 汗に濡れる眉がすっと険しくなった。両足の腿を弓矢で射抜かれて立っていられる人間などいない。エルフでもいないだろう。あるいは鬼族であってもだ。


 マスクをかぶっているため人類種かどうかも定かではないが、ともかくファラディはまだ立っていた。


「……姫を放せ。これで最後だ」


 セラは思慮深さを捨て、新しい矢をつがえた。狙いは心臓。セラの腕であればこの距離で狙いを外すことはあり得ない。


 そのことはファラディも身に沁みて理解したはずだった。


 ファラディはクレリア姫を中庭の芝生に下ろした。投げ下ろしたのではなく、気を失っているとはいえ王族に対する礼を失しない程度の慎重さで寝かせた。


 セラはさらに困惑した。両腿を破壊されているのだ。そんな動作などできるわけがない。


 だがファラディは、痛みを感じている気配こそあれど動いている。


「手を頭の後ろで組め」


 そう命じたが、ファラディはそれには従わず両腿に突き刺さった矢を無造作に引き抜いた。冗談のように血が弧を描いて吹き出す。


 美しい生け垣が飛び散った血に汚され、セラの眼尻がひくりとつり上がる。


 容赦はなかった。宣告どおり、セラは降伏しようとしないファラディの胸に矢を射かけた。


 思ってもみないことが起きた。


 ファラディは外套の裾を翻し、横っ飛びでセラの狙撃をかわしたのだ。


「何!?」


 我が目を疑うセラだったが、悠長に分析している暇はない。ファラディは回避の動作から勢いを乗せ、懐からシリンジ型ダーツを投げ放ってきた。同時に三本。


 セラはこれを前転して回避。シリンジが花壇に落ちて割れると中の薬液がこぼれ、しゅう、と白煙ときつい刺激臭を立ち上らせた。酸だ。まともに浴びていれば大やけどしていただろう。


 ――なぜそんな動きができる……?


 奥歯を噛み締め、セラはもう一本矢をつがえて射た。


 ファラディはこれもかわした。


 おまけに腿の傷は塞がり、もうほとんど血は流れていない。


「アンデッドか貴様!」


 セラは叫んだ。そうでもなければつじつまの合わないタフネスぶりだ――と、そこまで考えてセラは別の可能性に気づいた。自己治癒、身体能力強化を使う仲間ならいる。ドニエプルだ。モンクであれば気功の力で腿の破壊をも修復してしまえるのかもしれない。だが目の前のマスク野郎からはエーテル流を感じない。気功も魔術も、何であれエーテル操作術を使えばエーテルの流れが活発化する。それがないのだ。


 ではいったい何を――と、思考を遮るようにファラディが動いた。息を吸い込んで、吹く。


 セラは腰からショートソードを引き抜き、ファラディがマスクの口部から放った吹き矢を撃ち落とした。


 刀身にわずかな粘りが残る。


 毒だ。


 酸も毒も錬金術の産物、エリクサーにちがいない。


 となれば。


「薬物強化か!」


「……ご名答だ」ファラディがマスクの奥のくぐもった声で答えた。「エルフ女め、辱めてやろう」


「黙れ!」


 セラはいったん後ろに跳んで間合いを計り、一息三射と言われる速射術の技を見せた。


 だが、ファラディは常人ではありえない反応速度でこれをかわした。3本の矢のうち最後の一本だけは避けきれずに左の前腕に突き刺さったが、運動能力が落ちない。


 ――なんだこいつ!


 ファラディのマスクの奥で、両の瞳に鈍い赤の光が灯っていた。この場にカルボがいれば、魔法薬物”アクセルレッド”を服用したと見抜いたことだろう。


 危険なエリクサーによって反応速度を急激に引き上げられたファラディは大ケガを負っているはずの両足を物ともせず、ひとっ飛びに間合いを詰めた。


 セラの弓を構える前に手で抑え、もぎ取り、背後に投げ捨てる。


「しゅう!」


 ファラディのマスクの口部から、今度は毒針ではなく粉末状の毒エリクサーが噴出した。粘膜に貼り付き激しく刺激する催涙毒だ。まともに浴びれば洞窟ケイブライオンでさえ無力化されてしまう。


 美しいフォレストエルフはこれで顔中から液体を垂れ流してファラディの言ったとおりに辱められることだろう。


 ただしそれは実際に浴びればの話だ。


 セラは声もなく粉末をくぐり抜け、エルフならではの芸術性と実用性の両方に優れたショートソードをエリクサー使いに突き立てた。


「むうッ」


 ファラディは尋常ではない反射神経でスウェーするも、外套を刺し貫いて身体まで刃が届いた。


 続いてローキック。フォレストエルフの特徴である長い手足を活かした肉弾技だ。エリクサーで治癒してしまったとはいえ、エルフの矢に貫かれた足にこれは効く。ファラディは一瞬がくりと姿勢を崩した。


「はッ!」


 ショートソードの斬撃、そこから半身をひねっての足刀蹴り。さらに変化しての裏拳がマスクに覆われた頬を弾いた。花々の咲き誇る優美な中庭に、革製のバッグを鞭で思い切り叩いたかのような音が響く。


 セラは舌打ちして、「浅いか!?」


 あごを打って脳震盪を起こさせることが狙いだったが、踏み込みが少し足りなかったようだ。


「ぬうー……!」


 ファラディの唸り声にははっきりと怒りの成分が含まれていた。辱めるどころか、顔面を殴られて鼻血が出ている。


 セラがなぜ催涙粉末を浴びても平気なのか、ファラディにもようやく理解できた。エルフと言えば精霊だ。風の精霊を操って体の表面に張り巡らせ、呼吸と視界を確保したのだ。


 どくん、と心臓が脈打った。アクセルレッドが切れかかっている。


 シュコー。マスクから吐息が漏れた。アクセルレッドは身体能力を爆発的に高める反面、効果が切れるとしばらくは指一本持ち上げるのもやっとなほど強烈な倦怠感に襲われる。もしもいま反動に呑まれたら、眼の前にいるフォレストエルフに殺されることは明白だ。いくらエリクサーで身体を強化していても首を切り落とされれば死ぬのだ。


 ファラディはぶれ始めた視界の中で肉食獣のように迫るエルフの脅威を感じた。


 危険だがやむを得ない。フードの内側に隠したアンプルをひねり、アクセルレッドをショット――。


 過 剰  投   与    の結果ファラディは再び針が振り切れるような反応速度を手に入れた。骨格が筋腱が軋み、目で追うことさえ困難な速さでステップを踏み、一気にセラへ躍りかかる――と見せかけて芝の上に寝かせたクレリア姫のところまでジャンプした。


「くっ、逃がすか!」


 セラはぐっと身体を沈め、ファラディの後を追って飛び跳ねた。まさしくネコ科動物の動きである。


 しかし――。


「……ここまでだ、エルフ」


 ファラディは麻酔を打たれぐったりとしたクレリア姫を担ぎ上げ、盾にした。首筋にシリンジを押し当て、得体の知れないエリクサーをいつでも注射できるようにしながら。


「貴っ様……!」セラの双眸が爛々と燃える。「一国の姫君を、よくもそのような!!」


「問答は無用に願おう。自分のせいでこの娘を殺したくなければ、武器を捨てて後ろに下がれ……」


 ファラディのマスクの下の眼差しと、セラの凶暴な視線がぶつかり合った。


 空気が残酷に張り詰めていく――。


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