第18章 05話 鬼械躯動ザンドム
重く、鈍く、激突音が響いた。
空から落ちてきた巨大な骨格標本に黒鋼の無慈悲な一撃が叩き込まれた音だ。
「うおわっ」
奇妙な悲鳴を上げたのは、骨格の胸郭内部に融合するようにして操作している禿頭の男・”鬼械躯動”ザンドム。
人間より頭3つ分ほど大きい骨格はアッシュのメイスによる先制打撃でぐらりと揺れた。肋骨に凹みを残す威力だが、しかし破壊するまでには至らない。
ザンドムは額の傷からタラタラと流れる血を拭う余裕もなく後退し、病院の屋上のへりまで距離を取った。
「なんて威力だ!?」
驚くのも無理はない。ザンドムの操縦する巨大骨格は凶猛極まるケイブトロールの全身骨格をベースにしたボーンゴーレム、そこにエーテル機関の動力を加えたもので、作成に多大な年月と資金が投入されている。並の攻撃では硬質かつ弾力のある骨に弾かれて無効化されてしまうという逸品である。
その巨躯をメイス一本でいきなり揺るがされるというのは、ザンドムにとっては想定外だった。
「ナメるんじゃねイよ!」
ザンドムは胸郭内部からエーテル波、そして手指の操作によって骨格を俊敏に動かすことができる。装着融合することでゴーレムの一般的な欠点である”のろさ”を克服しているのだ。
白い骨の腕を頭上に振り上げ、そのままアッシュへと向けて殴りかかった。
生前のケイブトロールもかくやというスピードでザンドムが迫る。
禍々しい拳が突きこまれ、病院の屋上に再び轟音と砂煙が上がった。
直撃すれば生身の人間などピューレにしてしまう威力。
アッシュは大きくサイドステップでかわしつつ、体をひねって大きな骨格の膝にむけてメイスの一撃を見舞った。
ザンドムは意外な動きに出た。
その場で垂直にジャンプして、宙返りしてみせたのである。
――なんだこいつ!
アッシュは空振りになった姿勢のまま、驚きで一瞬足が止まった。もっと鈍重なモノと思っていたのだ。
「アッシュ殿!」
ドニエプルが叫んだ。
足の止まったわずかな隙を狙い、ザンドムが空中からちょっかいをかけたのである。
機械作動式の伸縮機構によって前腕骨格がズルリと伸び、解剖学的間合いの外からのズームパンチ。
アッシュはこれを身をかがめて避けようとした。
ザンドムは握りこぶしを開手、手刀にしてさらにリーチを稼いだ。
おそろしくごつい薬指と小指が、元聖騎士の肩口を打つ。
「ぐ」
丸太のブービートラップを食らったかのような衝撃に、アッシュは跳ね飛ばされた。強烈な打撃力である。ハードレザーの分厚い肩当てがちぎれ飛び、血のシミが広がった。
「はははァ、これこそが”鬼械躯動”! トドメだオラッ!」
屋上に着地したザンドムは重い足音を立てて、ダメージからまだ立ち上がれないアッシュへと駆け寄りその頭蓋骨を踏み潰そうとした。
「噴ッ!」
龍骸苑の行者・ドニエプルがそこに割って入る。全身を包むエーテル光が青白い軌跡を描き流星のようにザンドムのボディへ吸い込まれた。
宙吊りにした馬車を思い切り地面に叩きつけたような音。ザンドムの巨体は大きく姿勢を崩し、その場でたたらを踏んだ。
「アッシュ殿! 今のうちに!」
ドニエプルの背中に呼びかけられ、アッシュは左肩をかばいながら立ち上がった。
「……ドニ……無茶するな」
「心配は無用! 拙僧のエーテルはいつにも増して昂ぶっておりますぞ!」
言う通り、全身から吹き出すようなエーテルが肉体を活性化させているのは明らかだった。ここまで行者の本領が発揮されれば、多少の傷は放っておいても治癒してしまう。
だがキサナドゥの一員だった”熱波の剣”クロウの自爆によって受けた火傷はそれなりに深刻なものだったことをアッシュは忘れていない。いくらドニエプルが頑健と言えど、支障なく動けるようになるにはまだ数日の安静が必要なはずだ。
――人のことは言えないか。
アッシュは歯噛みした。左腕がまともに動かない。肩の骨にヒビが入ったか。あるいはもっと深刻な負傷かもしれない。
そしてザンドムである。
「くっそお、あのお姫様、知っててこんな奴らのいるところに跳ばしたんだな、チクショウ……!」
禿頭にふつふつと青筋が立ち、額の傷からさらに流血が滴る。
「……なるほど、アンタは性懲りもなくクレリア姫を誘拐しに行ったわけだ」アッシュは時間稼ぎがてらお喋りなキサナドゥ構成員に話しかけた。「そこをテレポートでここまで転移させられた、と?」
「うるせえな! そうだよ! だからこんなところで足止め食らってる場合じゃねえんだ!」
ザンドムは感情任せに装着型ゴーレムの四肢を振り回し、かつての骨の主であったケイブトロールもかくやというほど暴れだした。
「……カルボたちのところにも別のキサナドゥが飛ばされてるかも知れねえ。ドニ、ここはふたりがかりだ」
「承知!」
ドニエプルは体内エーテルを炎のように噴射しながら接敵、懐に飛び込んで大腿骨に組み付いた。特殊な仕様のボーンゴーレムといえども二本足で運動することに変わりない。転倒させることが最も手っ取り早いと見ての行動だ。
「ぬうん!」
巨漢のドニエプルもゴーレムに比べれば見劣りするが、その膂力は並々ならない。梁のように太い骨をクラッチし思い切り押し込む。
信じがたいことにゴーレムの片足が封じられてしまっている。
「放せ、放せよオイ! くそっマジでなんて日だチクショウ!」
ザンドムの声に焦りが混じる。
力技で引き剥がそうと、ごつい骨の手でドニエプルの背中を引っ掴もうとした――その動作をアッシュが押さえた。
音も発さず振るわれた黒鋼のメイスが、ボーンゴーレムの尺骨に叩き込まれた。
「うおお!?」
背筋がゾッとするような音を立て、手首に近いあたりで骨がひび割れた。もし人間サイズの生き物にヒットしていれば肘から先が瞬時にミンチに変わっていただろう。それだけの威力があった。
ザンドムが混乱から立ち直ろうとする、ドニエプルはそれを察知してボーンゴーレムの斜め後ろに回り込んでから膝の裏に正拳突きの乱打を入れる、さらに姿勢が傾いだところにアッシュのメイスがアシストする……。
めまぐるしい攻防が繰り広げられ、ついに耐えかねた屋上の構造が壊れ、穴が空いた。
3人は最上階の一室に落下し、上になり下になりあるいは振り回し振り回された。
凄まじい肉と骨の衝突。
打撃。
関節技。
そしてエーテルの爆発。
*
「ぐ、おおお……」
装着式ボーンゴーレムの右膝が砕け、転倒したザンドムは軽い脳震盪を起こした。額から流れる血は汗と混ざってドロドロのフェイスペイントと化し、狂乱した鬼族のような形相になっている。
「動け、動きやがれチクショオ!」
必死になって操縦ソケットに挿入された両手足を動かすが反応は鈍く、装置が焼き切れているらしくきな臭い煙が立ち上るばかりだった。
「決着はついた。いい加減諦めることですな」
短い調息のあと、ドニエプルは『執着を断つ』ことを示す宗教的サインを切った。激しい戦いで包帯も上着も上半身全てちぎれ、半裸になった胸板に汗が浮かび上がっている。
「武装解除されよ……命までは取らぬと約束しよう」
円十字教会の総本山に当たる土地で、他宗教の行者が慈悲を示すのはどこか滑稽な風景ではあったが、当人同士は死闘により激しく消耗した上での危ういやり取りだった。
「その前にいいスか」
不穏な声。アッシュがどこかからへし折れた金属パイプを引きずりながらザンドムに言った。パイプの片側は斜めに切り落とされ、竹槍のようになっている(註:当然この世界も竹は存在する)。
「時間が惜しい。アンタの他にどんなやつがクレリア姫誘拐に動いているのか吐いてほしいんスけど」
「そんなもん……てめぇ、そんなもん喋るわけ」
「喋らないのなら骨の隙間からこいつで串刺しッス」
ザンドムは危うく失禁しそうになった。斜めになった視界に映るアッシュのひとごろしの目。威嚇ではなく、それが実行可能であることを無言の内に語る恐ろしいものが宿っている。
「……ぐ……く、チクショウ……お、送り込まれたのは全部で5人だが、それぞれの目的や侵入経路は互いに明かさないようになってる……何人が実際に領事館に向かったか、オレ自身も知らない……」
「……」
「オイ、本当だよ! こんなところで死にたくねえんだ、だから喋ってるんだろうが!?」
「どうでしょうな」ドニエプルは険しい顔を崩さずに言った。「信用に値するかどうか」
「用心のためにとどめを刺しておくか?」とアッシュ。
「オイふざけるなよ!?」
ザンドムは顔の血糊が流れ落ちるほどの脂汗を吹き出した。
その必死さを見て、ようやくアッシュとドニは軽く息をついた。
「……どうしますかアッシュ殿」
「こいつは衛兵に引き渡そう。あとは……そうだな」
「ふむ?」
「……まず医者に診てもらおう」
「……そうですな」
アッシュは左肩の痛み、ドニエプルも火傷の傷跡がひきつって、走るのも困難な状態になっていた。
――何がどうなっているんだ……クロ、シロ!
じわりと胸ぐらを苛む焦りの中でアッシュは黒薔薇たちに呼びかけた。だが精神術師の能力で双方向チャネリングされていなければ念話は通じない。
薄曇りの空の下、アッシュは肩を抑えて仲間たちの身を案じた。
18章終わり
19章へ続く