第03章 01話 ふたりの少女
サファイア色の液体に浸かっていたふたりの少女は、神殿の床に寝かされたまま目覚めようとしない。
メッセージを鵜呑みにするならば彼女らが研究者ジャコメが後世に遺した研究成果ということになるが、よもや生きた人間だとは思いもよらぬことだった。
「目を覚まさないとわかんないね」
カルボはタオルで少女たちの顔を拭いてやり、頬に触れて体温や脈拍を確認し始めた。
――案外良く気がつくな。
アッシュはカルボの気遣いに感心した。こういうことが女らしさというものなのだろうか。
「そうだ!」カルボが急に立ち上がり、「”指紋”! メッセージが書いてあった”指紋”だよ!」
「ん? ああ、どこかにそれを通すスリットがあるはずだな」
「そう!」
意外にもそれは神殿の床にあった。
親切にもわざわざ石畳の色を変えてある。
危険はおそらくないだろうと思いつつも身構えて、アッシュはスリットに”指紋”をセットした。
ごうん、と重い音がして、床がスライドし隠し部屋があらわになった。
そこは小さな夢の国だった。
*
毛足の長いピンク色のじゅうたんに天蓋のある白いベッド。
大きなフリルの付いたカーテン、ふたつの月と星の飾り物。
ぬいぐるみと恐ろしく柔らかいクッション。
どれもが小さい女の子が夢見るようなデザインで統一されている。
「人形の家みたい」
カルボが言った。たしかに、巨神が人間サイズの人形遊びをするとすればこういうモノになるのかもしれない。
その人形の家は完璧に保存され、時間の経過を感じさせない。印象だけではなく、停滞の呪文が空間全体にかけられているらしかった。
と、眠っていたふたりの少女がおもちゃか何かのようにいきなり跳ね起きた。
ふたりは一糸まとわぬ格好のまま、声をかける間もなく”人形の家”の中へ飛び込んだ。
*
長い黒髪、赤い目、黒と赤の服をまとった美しい少女。
長い金髪、青い目、白と青の服をまとった美しい少女。
それぞれの名を、”黒薔薇””白百合”といった。
彼女らはまるで体重がないようにふわふわと床から浮いたり着地したりして、幽霊のようだった。だが肉体はそこにあり、エーテルで出来た幻ではない。同時に人間であるかどうかも定かではなかった。
ゆったりとした服の裾をひらひらさせて遊ぶさまはまだ幼い子供のようだ。服は人形の家のクローゼットにしまわれていた。
古風で癖の強い言葉遣いをするものの会話は可能で感情もある。その点では人間とかわらない。
彼女ら自身は、自分たちは魔法の力によって生み出された人造人間だと言う。そのことを特に問題だと思っていないようだった。
アッシュは頭を抱えた。”金の指紋”を手に入れ、カルボと一緒に古代遺跡を探索しに来たのは物味遊山のためではない。役に立つ遺物、端的に言えばカネになるものを見つけるためだ。
実際に見つけたのは、古代に封印された女の子がふたり。どう考えても身寄りのない子どもたちである。いや、それどころか人間ではないかもしれない。連れ帰っても余計な苦労を背負い込むのは目に見えているが、遺跡の奥に放って置くわけにも行かない。
結局アッシュとカルボは黒薔薇と白百合を連れ、遺跡をあとにした――。
*
「なんなんだいその子たちゃあ?」
フェネクスの町に戻ってきたアッシュたちは、住民と顔を合わせる度に同じことを聞かれた。
アッシュは野盗から町を守った功労者扱いされ、”金の指紋”をもって遺跡に赴いた時もそれなりの期待を受けていたのである。それが持ち帰ってきたのが生きた人間――見た目だけではそうとしか言えない――となれば、驚かれるのもしょうがない。
「私は黒薔薇」
「私は白百合」
「どうぞ」「よしなに」
黒薔薇と白百合は訓練されたかのような完璧なシンクロで乱れなくおじぎを返した。
「よくわかんねェが、お人形さんみたいな可愛い子だねぇ」
「ええ、そうッスね……」
アッシュは曖昧に笑うしかなかった。
*
アッシュとカルボ、そして黒薔薇と白百合は、宿をとって話し合うことにした。
黒薔薇と白百合はふわふわ空中を浮いて移動できるので別として、アッシュとカルボは徒歩でメラゾナ巨神遺跡の谷から戻ってきた。疲労もあるし、アッシュなどは遺跡で戦った叫ぶ脳みその体液を浴びてろくに服を洗えてもいない。すぐにでも休みたい気持ちはあったが、今後のことについて話しておかない訳にはいかなかった。
黒薔薇と白百合のことである。
「……まさか、子供が宝ってことなのか?」
アッシュは見るものすべてが新しいという風にふわふわと宙を泳ぐふたりの美しい少女を横目にしつつ、深刻な顔でつぶやいた。
「あのクロゴールがこの子たちをほしがってたってこと?」
カルボもまた難しい表情で言った。黒薔薇たちが好奇心でどこかに行ってしまわないよう二人と手を握っている。
「そうは思えない……けど、いまさら確かめに行くわけにもいかないしな」
「うう~……」
「どうした?」
「もしかしてわたしお母さん?」
「うん?」
「ほら、冒険の最後に『子供こそが真の宝だったのです』とかいって、アッシュがお父さんで、わたしがお母さんとか、そういう話? これ」
「な」アッシュはいきなりのカルボの発言にむせそうになった。「何を言ってるんだお前は」
「でもわたしまだお母さんやるような齢じゃないのに……」
カルボはあああ、と頭を抱えた。どうも本気で悩んでいるらしい。
「……それはまあ、俺だって子供連れで傭兵やるわけには」
「だよね……ねえ、どこか信用できるところに預けるっていうのは?」
「たとえば?」
「えっと、えっと……うーん……教会とか?」
「……教会、か」
アッシュは渋った。聖騎士団を追放された時に円十字教会そのものから破門されている身である。孤児を預ける、という点においては教会よりふさわしい場所があるとは思えないが、気軽に頼っていい相手でないことは確かだ。
だが、はるか地の果てのようなメラゾナである。破門者全員を地方の教会が把握しているとは思えない。目立つことさえしなければまず怪しまれないだろうし、なにより町を野盗から守った貸しがある。
「ね?」
「じゃあ、そっちをあたってみるか……ん?」
それまでアッシュたちの会話を他人事のように聞いていた黒薔薇と白百合が、床の上に自分の足で立ってまじまじと見つめてきた。
「もしかして」「もしかして」「お別れ」「でしょうか?」
「えーっと……」カルボはひきつった顔でアッシュのことを見た。「……どうしよう?」
「そのことは……」
後回しにしよう、とアッシュはうなだれた。
ふたりとも、なんと答えたらいいのかわからなかった。
*
西メラゾナは乾いた土地で、フェネクスの町では生活用水を地下水から組み上げているものの有り余るほどではない。貴重である。
火事を防ぐという意味合いも含めて、風呂は公衆浴場に限られていた。
黒薔薇と白百合のことはひとまず教会の僧侶に相談するということにして、アッシュはゆったりとお湯に浸かっていた。
鎧もメイスもない裸の状態は、長年染み付いた習性から心もとなく感じる。いま滞在しているフェネクスでは住民に感謝されこそすれ危害を加えられる心配はないが、世の中どこで何が襲ってくるのかわからない。申し訳に足首にまいたバンドに小型のナイフを忍ばせているのはそのためだ。
「兄さん、すごい体だねえ」
居合わせた入浴客がアッシュのことをまじまじと見て、関心したように言った。
メイスを振り回し鎧を着込んでいるのが日常になっているアッシュの身体は筋肉が発達していて、背中から二の腕にかけては特に分厚くなっている。フルスイングで敵の頭蓋骨を叩き割るために鍛え上げられたものだ。加えて全身に大小の傷跡が刻まれていて、歴戦の過去を物語っていた。
「どうも。恐縮ッス」
アッシュは湯船の中で首をすくめるように挨拶を返した。
アッシュは初対面や目上の人間には一歩下がった態度で話す。シグマ聖騎士団に所属していた時のクセだ。組織には上下関係があるが、聖騎士団のそれは団内の位階という厳然たる区切りがあった。だからいまだにアッシュは敬語を――少々癖があるが――使うようにしている。
もうひとつ、アッシュが相手を立てる物言いをするのは自分が敵とみなした相手なのだが……。
「ぎにゃー!」
突然浴場に悲鳴が上がった。壁を隔てた女湯のほう。特徴的な叫び声はカルボのものだ。
「あっ、やめ……だめ、やめなさい!」
相当切迫しているらしい。声が上ずっている。緊張感。アッシュは湯船から飛び出し浴場の中で身構えた。
「やー! 離して! 離しなさいってば!」
――誰かに連れ去られようとしている?
耳をそばだて、危機を感じたアッシュは目つき鋭く助走をつけ、跳んだ。戦士として訓練された跳躍力は半端なものではない。
一気に男女風呂の仕切りをよじのぼり、「大丈夫かカルボ! 何があ……」
湯けむりの中で視線がカルボに焦点を結んで、アッシュはあぜんとした。
そこにいたのは石鹸の泡まみれになったカルボと、同じく泡にまみれて彼女をはさみ、ピッタリと肌を寄せてぬるぬるさせている黒薔薇と白百合の姿だった。
誘拐などではなく、女三人がお風呂で互いにちょっと変わったやり方で洗いっこしていたところで、アッシュはその三人の泡まみれの裸を思い切り見てしまった。
いつものキャットスーツから開放されたカルボの豊かで形の良い胸。
そこに抱きついて左右から肌と肌とで泡立てる黒薔薇と白百合の控えめな胸。
スラリとした手足が、太ももと腰回りが、互いの身体に絡み合って……。
「だっ、がっ、あの……」アッシュは混乱し、「違っ……その、悲鳴が聞こえたから……」
「あわわわわわ……」カルボもまたとっさのことに何がどうなっているのかわからなくなって、「そそそそういうことじゃなくて、この子たちが……その」
ふたりは入浴で血色の良くなった顔をさらに紅潮させ、アッシュは仕切りから手を離し、男湯に戻った。
「兄さん、ストレートに覗き過ぎじゃないかね?」湯船に浸かっていた男が呆れるような称えるような様子で言った。
「す、すんません。ちょっとその……止むに止まれぬというか」
アッシュは動揺がおさまるのを待って浴場を出た。
結局、のぼせるまで入ることになってしまったが――。




