第18章 01話 自爆
クレリアは自分の身に起きたことの全てを理解していたわけではなかったが、生まれて初めて感じるスリルに頭の芯がしびれるような陶酔感を味わっていた。
いま彼女は両脇を不思議な少女に抱えられ、低空ながら空中を浮遊している。全力疾走するよりも速い。
――ここはいったいどこ?
宙を滑るように引っ張られながら見上げる天井は高く、建物の中ではあるが人間の一般的な住まいとはかけ離れたスケール感であり、巨神文明遺跡の内部であることをうかがわせた。
「聖墳墓殿堂の中ですの」鈴を転がしたような可愛らしい声で、黒髪を結い上げた美しい少女が言った。「黒薔薇と申します。そちらは白百合」
――聖墳墓……じゃあここは聖都カンだというの?
「その通りですわ」今度は金髪を黒薔薇とは左右対称の形になるように結い上げた瓜ふたつの美しい少女が言った。「事情はよくわかりませんが、地上までわたくしたちがお連れします」
――地上まで……?
「はい!」
「……って、さっきからどうして私の思考を読んでいるの!?」
クレリアは一国の姫にしては少々はしたない大声で黒薔薇と白百合に叫んだ。
「あら」「そういえば」
人形のように美しい少女たちは大きな目をぱちくりさせて顔を見合わせた。
「……でも、何となく分かるわ」クレリアはまだ幼い眉間にしわを寄せて、「あなたたち、精神術師でしょう?」
「左様に」「ございますわ」
――だからこの子たちに『引かれた』のかしら?
「『引かれた』?」「どういうことですの?」
「もう! 勝手に頭を覗くのはおやめなさい!」
クレリアに怒鳴られ、黒薔薇と白百合はしゅんとなった。ふたりにとってはサイオンの能力を使うのは呼吸するのと同じで、悪気はない。
「どうもあなたたちとは波長が合う……というか、合いすぎるみたいね。それでこんなところまで跳んでしまったということかしら」
「どういうことですの?」と黒薔薇。
「……私もサイオンだということです」
クレリアはそう言うと、淡く可憐な唇を一文字に引き結び、黙り込んだ。
と、そのとき。
「危ない!」
3人に野太い警告の声が届いた。
「きゃあッ!」
少女たちの悲鳴が重なった。
硬い石の床に転がり倒れた彼女たちの頭上を、強烈な熱の塊が通り過ぎていった。タンパク質の焦げる匂いが漂う――誰かの髪の毛が熱で焦げてしまったらしい。
「そこまでだ、お嬢さんがた」
先程の声とは違う人物が、クレリアたちに声をかけた。赤熱する魔法の長剣をもつ男・クロウである。
「クレリア姫殿下、いい加減観念していただきたい。我々と一緒に来ていただく」
「お黙りなさい、匪賊の如き分際で! もうあなた達の言いなりにはならないわ!」
床から半身を起こしただけの姿勢ながら、クレリアは幼くも一国の姫君として毅然さを発揮した。
「……こんなところまで我々を巻き込んで跳躍するとは」クロウはクレリアの物言いをまるきり無視して周囲を見渡した。「やはりあなたはどうしても必要な駒だ……」
とそこまで言ったところでクロウは背後から接近する巨漢に気づき、熱波の剣で鋭く空を薙いだ。
熱の塊が陽炎でできた鎌のように飛ぶ。
「ぬうッ」
猛獣のような体躯の男・ドニエプルは大きく横っ飛びで熱波をかわし、気迫の声とともにクロウに向かって突進した。
ドニエプル、クロウ、両者の影が交差する。
男ふたりは激突し、そして弾き飛ばされる。
クロウの熱波の剣が当たる前にドニエプルの丸太のような蹴りがクロウの胸板にヒットした。
肉体にエーテル流を張り巡らせて放たれるモンクの打撃は岩をも砕く。熱波をかわしつつの姿勢で全力は出せなかったが、それでも一撃入れたことには変わりない。クロウは肺の中の空気を強制的に絞り出され、聖墳墓殿堂の床に転がった。
「ドニ!」
黒薔薇と白百合の顔がぱっと輝いた。
「おお、無事でよかった」ドニエプルは体中に焼け焦げた跡をつけていたが、それでもニィと白い歯を見せて応えた。「ささ、その子を連れて安全なところへ!」
「ドニも気をつけて!」
クレリアを抱き上げたまま、黒薔薇と白百合はふわりと浮かび上がって遠くへ飛び去った。
「さて、そろそろ諦めてもらいましょうか」
ドニエプルは瞬時に表情を引き締め、咳き込みながら立ち上がるクロウを睨みつけた。
「……どうやらいい巡り合わせではなかったようだな」クロウは片方の唇をつり上げ、「あともう少し……というところでお前たちのような連中に邪魔されるとは」
「話は官憲にでも語って聞かせるんですな」
「いや、それには及ばない」
クロウがちらりとドニエプルの肩越しに後ろを見た。そこには、人間離れした恐ろしいスピードで駆け寄ってくるアッシュの姿があった。
次の瞬間、クロウが手にする熱波の剣が、先端から根本まで白熱化した。
「ドニ、伏せろ!」
アッシュが叫んだのと同時に、熱波の剣は暴走して爆発した。
*
聖都カン。
円十字教会の総本山であり、かつてアッシュが在籍していたシグマ聖騎士団の本拠地でもある。
美しくも簡素な街並みには年中巡礼者に溢れ、地下には広大な聖墳墓、地上には不可思議な建築技法で空に伸びた空中庭園が存在する。高度を高くしすぎると天を支配するドラゴンが攻撃をしにやってくるというこの世界においてはほぼギリギリのバランスなのだという。
その都市の一角にある大きな病院に、アッシュたちがいた。
「いやはや、まいりましたなあ」
ベッドの上では、身体のあちこちに包帯を巻かれた痛々しいドニエプルが横たわっている。
クロウが自らの熱波の剣を使って自爆し、それに巻き込まれて大やけどを負ってしまったのである。幸いにして聖都カンは優秀な治癒術師が数多くおり命にかかわる事態にはならなかったが、当分の間は安静が必要になった。
「墓参りのつもりがとんだことになってしまいました」
「すまん」アッシュが神妙な顔で頭を下げた。「まさかこんなことになるとは……」
「あいや、アッシュ殿のせいではありますまい。それより、お嬢ちゃんがたはまだ……?」
「またアロケルカイムの領事館に行ったきりだ」とセラ。「どうも、あのお姫様に相当気に入られたらしい」
黒薔薇と白百合のふたりはクレリア姫を聖墳墓殿堂から逃がす手助けをしたということでアロケルカイム王国からいたく感謝され、だけでなくクレリア姫殿下直々に賓客として扱われていた。
「立場は違っても、同じサイオン同士だもん。何か通じ合うところがあったんだよ、きっと」とカルボ。
細かい事情はアッシュやカルボたちに伝わってきていないものの、クレリアは黒薔薇たちと年格好も同じくらいで――ふたりの人造人間はあくまで外見年齢ではあるが――個人的な友人関係になっているらしい。結果として、アッシュたちはアロケルカイム王国の後ろ盾を得ることになった。
「そのおかげで何事もなくお役目を果たせたのだから良しとすればいい」
セラは腕組みし、満足げにうなずいた。
言うとおり、クレリア姫の関係者であるという名目でアッシュは円十字教会の破門者であることを見破られることなく父代わりの存在であった前シグマ聖騎士団団長のコークスの墓に参ることができたし、コークスの生前の友人であったウェムラーの写真を供えることもできたのである。
アッシュの心配していた事態は回避されたが、それはそれとして不安が残る。聖都カンはシグマ聖騎士団の本拠地であることに変わりはないのだ。アッシュと直接面識のある団員は多い。顔を合わせればごまかしようがない。
カンからは波風立たない内に移動したほうがいい。アッシュはけが人のドニの手前、口にこそ出さないがそう思っていた。
と、病室のドアがノックされた。
入ってきたのは病院の職員で、アロケルカイム領事館からの手紙を携えてきた。
「お姫様からか?」とセラ。
文面にざっと目を通したアッシュは、「わからん。領事館に来てほしいようだ。全員で」
「全員?」
「ああ」
「なんで?」
「さあな。ともかく、そういうことらしい」
「拙僧はまだ動けませんが……」
「向こうもそれは知ってるはずなんだがな……悪い、留守番を頼む」
ドニエプルは包帯だらけの身体で肩をすくめた。
「じゃあ、準備ができ次第行こう」