第17章 04話 四人組
聖墳墓殿堂の内部はますます混乱した。
円十字教会の聖所として静穏に保たれていた空間に突如現れた少女・クレリアと、それを追っているらしい武装集団。
対峙するアッシュたち。
「なんのつもりかわからないが、邪魔をしないで欲しい。私たちはそこの娘に用があるだけだ」
4人の武装集団のリーダーと思しき男・クロウは、立ちふさがる僧服の巨漢・ドニエプルに言った。
「しかしあの娘はあなた方を敵だと言っている。それに、その背中のもの……」ドニエプルは無骨な指先をクロウの背負った長剣に向け、「聖所に持ち込むのはいささか場違いではないですかな?」
「……」
クロウは内心を読ませない表情を保ったまま、視線を左右に振った。
「……確かに、どうやら面倒なところに『出てしまった』ようだ」
出てしまった、というところに違和感を覚えたドニエプルだったが、その問を口にする前にクロウが動いた。
満身の力を込め、異様なほど刀身の長い剣を振り抜いた。
だが間合いが遠い。いくら長剣といっても数歩分足りない距離である。
ドニエプルは横合いに回り込んで刀身を蹴り飛ばし、そのまま半身をひねって裏拳を叩き込もうとした。
「ぬお!?」
しかし悲鳴を上げたのはドニエプルの方だった。強烈な衝撃――いや、熱風に当てられて転倒する。
「黒焦げにはならなかったか」
クロウが低い声で言った。振り抜いた剣は、先端から三分の一がまるで火事場で鍛えられている最中のように煌々と赤熱化していた。
「く……魔力付与品か」
ドニエプルはわずかに白煙を上げる右足首を押さえた。顔をしかめたのは、内側まで熱が浸透してやけどを負ったせいだ。
「当たれ骨まで焼き切る。次はかわせるかな?」
クロウは酷薄な笑みを貼り付け、先端が赤熱化する長剣を肩に担いだ。
「……どうでしょうな」
ドニエプルは奥歯を噛み締め、巨体を奮い立たせた。
――剣先に触れれば肉が焼け焦げる、と。
厄介な敵であるようだ。懐まで飛び込んで赤熱化した剣先をかわし、当て身を叩き込めば攻略は可能だろう。問題は、敵がそれを許してくれるかどうかだ。
「いくぞ……!」
クロウは身を低くし、第二撃の構えを取った。剣先から陽炎が立ち上る。
ドニエプルもまた重心をすっと落とし、体内のエーテルを活性化させた。
*
その一方、美しい肢体に護符をミイラの包帯のように巻きつけた女と、フード付きの外套で全身を隠し、ご丁寧に顔にはハエを思わせるマスクまでした人物がセラ、カルボのふたりと対峙した。
最初に動いたのは護符の女だった。
バッ、と両手を前に突き出すと、掌に巻かれた護符の呪印が活性化し、どろりと溶け出した。それは見る間にどす黒い霧となり、流れ出してセラとカルボの視線を遮り始めた。
「面妖な!」
セラはそう言って一歩身体を引き、腰に下げているジャーを開いた。聖墳墓殿堂に足を踏み入れるのにふさわしくない弓も小剣も今は帯びていない。ジャーの中にいる精霊だけが頼りの状態だ。
「セラ、気をつけて! もうひとりのほうが……!」
カルボが叫んだ。が、その声は黒い霧が何らかの魔術的効果で妨害され、セラの耳には酷いノイズがかかって聞こえた。
「顕現せよ精霊獣、かの霧を打払い給え」
逆巻く小さな竜巻が聖墳墓殿堂の空気をかき混ぜ、中からサルとトラを混ぜ合わせたような半透明の獣が這い出てきた。風の精霊獣である。
ブハウ、と瞬間的な突風が巻き起こった。それは黒い霧を狙ったもので、煙幕や噴霧のたぐいならば一瞬で吹き飛ばしてしまうだけの威力があった。
霧は一瞬減衰し散ってしまうが、しかしまた注ぎ足されるようにして広範囲を包み込んでいる。
「幻術だよ、セラ!」カルボが霧越しに叫んだ。「風で飛ばそうとしても効果が低い……元を断たないと!」
音声まで邪魔をする幻術の霧に阻まれ、その声はセラにほとんど届かなかったが、霧がただの目くらましではないことだけは理解した。
「ならばあの女を!」
浅い褐色の肌に銀髪。美しいフォレストエルフは躊躇なく霧を飛び越え、護符の女に長い足でハイキックを叩き込んだ。が、空振り。そこに立っていたように見えた女は人間のシルエットにわだかまっていた霧の塊だった。
と、予想しなかった方向からセラの二の腕に鋭いものが突き刺さった。
「あうッ!」
痛みで思わず声が出た。それは投げ矢のようでもあったが、薬液の入った細いビンが取り付けられており、投げる注射器のようなものだった。
それを投げつけたのはもうひとり残っていたフードにマスクの男だった。すぐに霧に紛れ、姿は見えなくなった。
セラは力任せに注射器を引き抜いたが、すぐに左腕全体が麻痺しだしていた。しびれ、感覚が薄くなり、手が持ち上がらない。
「カルボ! 気をつけろ、こいつら毒を使うぞ!」
「くくっ、もう遅いわよ」
左腕を押さえつつ怒鳴ったセラの目と鼻の先に、霧の中から護符の女が現れた。
「なに!」
セラは一瞬動揺し、体軸がわずがにぶれた。
そこを女は見逃さず、ぬうっとセラの肩に手を置いた。すると女の体に巻きつけられた護符が自然にほどけ、音もなくセラの身体にまとわりついていく。
「ぐ……!」
セラは歯噛みした。身体が異様に重い。女からするすると巻き付いてくる護符が、そこに記されている呪印の力を発揮しているらしい。石の塊をいくつも背負わされているかのような感覚だ。
数秒と経たず限界を迎え、セラは声も上げられずに殿堂の硬い床に倒れ伏した。
「そこでじっとしていてね、エ・ル・フ・さ・ん?」護符の女は艶やかにそう言うと、一転険しい顔になり「ファラディ、そっちは!」
「安心しろ、終わった」
ファラディと呼ばれたのはフードにマスク姿の男で、幻術の黒い霧を通ってぬっと現れた。
その肩には、小麦袋を担ぐかのようにカルボが抱え上げられていた。
*
「カルボ! セラ!」
ふたりの様子を見たアッシュは短く叫んだが、返答はない。
「よそ見していられるご身分かァ?」
全身を金属鎧に包んだ男・ジャビアは耳障りなせせら笑いとともに手にした剣を突き出した。
アッシュはそれをかわしざま、バトンで思い切り小手を叩いた。
「ぐあ!?」
ジャビアが悲鳴を上げた。たとえ頑丈な金属製の篭手をはめていようとも、アッシュの持っている得物が普段のメイスではなく木製のバトンだったとしても、”小手砕き”の威力は骨まで響く。
手にした剣が弾かれて、床の上で甲高い音を立てた。
だが、同時にアッシュも低くうめいていた。篭手にバトンがヒットした瞬間、ジャビアの鎧から再び電撃が放たれアッシュを襲ったのだ。
攻撃が当たると自動的に電撃で反撃する鎧。ジャビアが着込んでいるのはそういうマジックアイテムらしい。黒鋼のメイスならまだしも、バトンと徒手格闘だけでは反撃のダメージだけで動けなくなってしまう。
――どうする!?
アッシュは電撃のせいで痺れた頭をフル回転させた。セラ、カルボはおそらく戦闘不能。行者であるドニエプルは素手でも戦闘力に変わりがなく、この状況では一番頼りになるが、相手にしている剣士もその魔法の長剣込みで明らかに手強い。
自らをアロケルカイム王国の姫だと名乗る少女は、アッシュらの敵に回る武装集団を”キサナドゥ”だと言った。
それが本当かどうか、いまは確かめるすべがない。
焦りが湧いてくる。
キサナドゥ。よりにもよって、今日、この場でその名を聞くことになるとは。
――勝利条件は何だ、考えろ……。
キサナドゥ。その名が本当であるかどうかはどうでもいい。叩きのめすのみだ。だが戦力は不利。ならば最低でも敵の目的を不首尾に終わらせる必要がある。
敵の目的とは何だ?
あのお姫様とやらをどこかに連れて行くこと?
どこに……いや、そもそも奴らはどこから来たんだ?
アッシュの脳裏に、少女と4人の集団が現れた時の光景がよぎった。反応から見て、4人は聖墳墓殿堂に来るつもりは無かったはずだ。
少女を連れて聖墳墓殿堂から抜け出すのが奴らの目的ならば――アッシュは身体から余計な力が抜けるのを感じた――圧倒的に不利なのは奴らの方だ。
「クロ、シロ! その子を連れて聖墳墓殿堂を出ろ! 地上にでて聖騎士団に助けを求めるんだ!」
「あっ、てめえこの野郎!」黒薔薇たちよりも先にジャビアが反応した。「ふざけるな、ンなことされてたまるか!」
ジャビアは剣を構え、素早く突いてきた。
それに対し、アッシュは軽くバックステップで間合いを広く取る。
「ドニ、お前も無理するな。時間を稼げばこいつらは行き場がなくなる!」
アッシュは叫びつつジャビアの剣先を大きな動きでかわした。
その視界の端で、高貴な少女を両脇で抱えて移動していく黒薔薇と白百合の姿が見えた。