第17章 03話 エンカウント
聖墳墓殿堂の内部で突如起こった激しいエーテル流、そしてそこから現れたまだ幼い少女――。
いきなりの出来事に出くわした巡礼者や観光客は騒然となった。
「命に別状はないようですヨ」観光客の中に医術の心得のある中年の女が少女の容態を診て言った。「エーテル酔いのせいでしょうヨ」
エーテル酔いとは、エーテル濃度が特別に高い場所にとどまることで体内のエーテル流を乱され、一時的に気を失うなどの症状が出ることを言う。
「まだ空中に渦巻いておりますな」
龍骸苑の正式な袈裟を身に着けたドニエプルが言った。他宗派の装束を隠すことなく着ることで、宗教関係の見学者であることを示している。円十字と龍骸苑は特に対立しているわけではないので、これもカルボ発案の『あえてわかりやすくすることで目立ちにくくさせる』アイデアのひとつだ。
「……不穏だな。あの娘に続いて何かが降ってきそうだ」
フォレストエルフのセラが、ドニエプル同様に危険な匂いを嗅ぎ取ったように言った。召喚術で世界の内側と外の領域を接続する際に起こる現象に近いがそれにしてはエーテルの圧力が高い。
「この子ひとりが……召喚……されたのか? 天使や妖魔の類には見えないな」
そこに、誰かが係りの者を呼んだらしく、担架を持った円十字の職員が駆けつけてきた。
早速担架に乗せられ、気絶した少女は医務室に運ばれていった――が、それは一足遅かった。
聖墳墓殿堂の高い天井付近にまた強烈なエーテルの流れ激しくなり始めた。
「今度は何!?」
激しいスパークが巻き起こる空間から、うっすらと人間型のシルエットがにじみ出た。また何者かが聖墳墓殿堂に現れようとしているのは、魔術に心得のない者の目にも明らかだった。
ひときわ大きな火花が炸裂し、同時に目に見えない爆発が起こり、”彼ら”が現れた。
ついさっきまで何も無かったはずの場所に現れたのは4人の男女だった。
アッシュはエーテル流の巻き起こす風に目を細めながら4人を見た――瞬間、ぞわりとうなじの毛が逆立った。
完全武装している。
それぞれの背格好はバラバラで、手にしている得物もまた共通点がない。しかし彼らはあきらかに戦闘を行う集団だ。
「うおお!」4人の中のひとり、まだ若い金属鎧姿の男が叫んだ。「どこだ、ここはァ!? 何でこんなところにいる!?」
「落ち着きなさい……先に目標を確保、考えるのはそれからよ!」
次に叫んだのは長身の女で、見事なプロポーションに大小様々な布製の護符をミイラのように巻きつけ、服の代わりにしている。
突然姿を現した謎の男女に気をとられ、普通の巡礼者たちは呆然と立ち尽くした。担架で少女を運んでいた係員は足を止め、アッシュたちも何が起こっているのかわからずに傍観者になっていた。
「……おい、いたぞ」
フード付きの外套に身体をすっぽり隠した男が、担架の上の少女に気づいた。
「動くな、諸君らには関係のないことだ」
また別の男が口を開き、巡礼者たちをその場に押しとどめる。背中に背負った恐ろしく長い剣をカチャリと鳴らし、一直線に担架へと向かった。
「この娘は我々の……関係者だ。すまないが後は我々に任せてくれ」
長剣の男はそう言って少女を担架から抱えあげようとした。
「待って!」「だめ!」
そこに、黒薔薇と白百合が同時に声を上げた。
素早く担架へ駆け寄って、左右から少女を守るように位置取った。3人の小さな手を重ね合わす。少女と黒薔薇と白百合、3人の身体が薄い燐光に包まれると、担架の上の少女はウッとうめいて弱々しくまぶたを開け、言った。
「……ダメ、こいつらは……敵……”キサナドゥ”……」
かすれ声だったが、それは確かに少女の口から出た言葉だった。
「ほう」フォレストエルフのセラの長い耳がぴくりと反応した。「聞き捨てならないな。敵だって? 君らはいったい何者だ?」
「それはこちらのセリフだ、美しいエルフのお嬢さん」
長剣の男が、表情を崩さずセラに返した。どうやらこの男が4人のリーダー格であるらしい。
「彼女は我々が保護する。渡してもらおう」
そうだそうだ、と金属鎧の男が子供のように囃し立て、「余計なことに首を突っ込むんじゃねえよ。オラ、散った散った」
4人の男女は、事の顛末を伺おうとする巡礼者や観光客たちを追い払い、担架の上で苦しむ少女を囲むように動いた。
「さ、その子を渡して?」
護符を体に巻き付けた妖艶な女が、担架を前後で支える係員に言った。はちみつが耳朶に巻き付くかのような甘い声だ。
係員は何かを反論をしかけたまま口を半開きにして、ぼんやりとなった。
それが何らかの術であることは明らかだった――少なくともアッシュやカルボたちの目には。しかし担架の上でエーテル酔いに苦しむ少女と、奇妙な風体の男女との関係は不明だ。怪しいからという理由だけで割って入るには、確証が足りない。
「君たちもどいてくれ」
長剣を背負った男は、担架の上の少女を両脇から守ろうとする黒薔薇と白百合に言った。
黒薔薇と白百合は互いに見つめ合い、ふたりだけに通じる思考の同調を瞬時に行った。
「答えは」「ノーですわ!」
双子の人造人間は首を左右に振り――次に担架の上の少女に向かって、脳内エーテル波を放射した。
「何ッ?」
長剣の男が戸惑いを見せた。想定外の行動だったのだろうか。
「あうっ!」
黒薔薇と白百合のエーテル波を受けた少女は狭い担架の上でのけぞって、苦悶の表情を浮かべてからカッと目を見開いた。
次の瞬間。
少女は担架の上から忽然と消えてしまった。
聖墳墓殿堂の中がいっせいにざわめいた。
少女の姿は――野次馬になって取り巻いていた巡礼者たちの人垣に紛れていたからだ。
「そいつらを捕まえて!」
叫んだのは当の少女だった。亜麻色の髪を編み上げ、清楚な衣装を身にまとう少女の甲高い声が殿堂の天井まで響き渡った。
謎の男女4人はそれぞれに『しくじった』という表情になった。
「わたくしの名はクレリア、アロケルカイム国王エイジィ二世が四女クレリアである! そこの者共はわたくしを拐かそうとした罪人! 今すぐ捕らえなさい!」
「お……」アッシュは何が何だか分からないという顔で、クレリアと名乗った少女の年に似合わぬ凛々しい態度を凝視した。「お姫様だって?」
「……ちっ、あのガキ余計なことを」
金属鎧を着込んだ男が、軽薄そうな唇を歪めた。目つきが妖しくなっている。腰に差している剣の柄頭に触れながら一直線にクレリアの元へと歩み寄っていく。
アッシュは自分がこの場で何をすべきか決め兼ねていたが、男の放つ殺気のフレーバーに覚悟を決めた。あれは人を殺す眼差しだ。あるいは自分と同類かもしれない。そんな人間が、巡礼者の群れに紛れた少女を捕まえるために何をしでかすか。止めなければならない。
「んぁあ?」金属鎧の男が片眉を釣り上げ、己の前に立ちふさがったアッシュの面構えを睨みつけた。「なんだお前、遊んでほしいのか」
「そうだと言ったら?」
「望みどおりにしてやらあ」
ざわつく聖墳墓殿堂に、鞘を払う音が響いた。
「おい、抜いたぞ!」
「逃げろ!」
「だれか! 衛兵!」
巡礼者たちは口々に叫んだ。事が簡単に収まりそうもないことを悟ったのか、三々五々に散っていく。
「シロ、クロ、お前たちはさっきの子を頼む!」
「合点承知ですわ!」「おまかせですの!」
アッシュの指示に、黒薔薇と白百合は浮遊能力で空中を滑ってクレリア姫を称する女の子のそばにつけた。
「ジャビア、時間をかけるな」
異様に見えるほど長い得物を背負った男が、鎧姿の男に声をかけた。
ジャビアと呼ばれた男は答える代わりにひひっと気味悪く肩を震わせ、兜の面を下ろした。これで全身がくまなく装甲された。
「ハアッ!」
躊躇なく剣が走った。重厚な金属鎧を身に着けていると思わせない素早さである。アッシュは間合いのギリギリ外になる距離までバックステップ、懐から護身用のバトンを抜いた。
「ンなもん一本で何しようってんだァてめえ!」
剣を翻しながらジャビアが言った。
堅い樫材の棒は相手が生身であれば殺傷能力を持ちうるが、全身金属鎧で固めた相手には不利であることは誰の目にも明らかだった。
だが。
いつものハードレザーアーマーさえも着ていないアッシュの動きは素早く、ジャビアの剣を二撃三撃とくぐり抜けていく。
「んナメるな!」
怒声とともにジャビアがアッシュの胴を薙いだ――かに見えた次の瞬間、アッシュはジャビアの背後に回り膝の裏にバトンを叩き込んだ。さらにぐらりと姿勢に隙が生まれたところに、腰に向けて裏蹴り。
うおッと叫んでジャビアは前につんのめった。
アッシュは容赦しない。
背中を向ける形で片膝をついたジャビアの後頭部に容赦なく蹴りを放った。金属鎧を着込んでいても、それを使いこなせなければ重しになるだけだ。アッシュは聖騎士時代にそのことを骨の髄まで教え込まれている。
兜に衝撃を食らって、悪くすれば脳震盪でダウンする。ジャビアも運の悪いひとりになるはずだった。
しかし、強烈な衝撃を食らったのはむしろアッシュの方だった。
「くあッ!?」
足首からふくらはぎあたりにかけて何かが弾けた。
電撃だ。
ヒットの瞬間、鎧の表面から電撃が放たれたのだ。
「このやろう……甘くみてたぜ」ガシャリとジャビアは立ち上がり、兜のバイザー越しにアッシュを睨めつけた。「クロウ、小娘はそっちでなんとかしろ! いったいどこの誰かしらねえが、こいつはこの場で殺す」
「時間をかけるなよ」
クロウと呼ばれた長剣の男はそれだけ言って無言でクレリアの元へと走った――が。
「おっと、こちらもお忘れなく」
龍骸苑の袈裟を着た巨漢の行者、ドニエプルが行く手に立ち塞がった。
「わたしたちもだ」
セラ、カルボもまた謎の一団の前に出る。
戦闘が始まった。