第17章 01話 むかしのはなし
「……ではそのザパ=リーンとかいう魔術師が”キサナドゥ”の一員だったと?」
龍骸苑の行者・ドニエプルは野太い腕を組んで眉をひそめた。
そこは客船の食堂である。騒がしい食事時の喧騒の中でアッシュたち全員が同じテーブルについて話し合いを行っていた。
「ああ。クラーケンを手懐けて思い通りに操ろうとしていたらしい」目の前に並ぶ海鮮料理に手を付けることなく、アッシュが言った。「話を聞く限りじゃ、実際に操ることは成功していたみたいだがな」
「そいつが今回の『幽霊海賊船団』の黒幕だったわけだろう?」とセラ。「だがもう片付いたのならそれでいいじゃないか」
アッシュは美しいフォレストエルフの女の言葉に答えず、押し黙った。
「”キサナドゥ”とは」「いったい何者ですの?」
双子の人造人間・黒薔薇と白百合が、新鮮な鯛のカルパッチョを頬張りながら言った。
「魔術師ギルドのひとつだよ」一点を見つめたまま口を開かないアッシュに代わってカルボが言った。「ホラ、ヴィネにあるわたしの実家が盗賊ギルドで、”青い葉”って名前だったでしょ。覚えてる?」
黒薔薇と白百合はつぶらな瞳でカルボを見てこくんとうなずいた。
「目的のためなら手段を選ばない――って、そういうこと考えるヒトはどんな場所にもいる。魔術を極めるためなら何だってするっていう魔法使いはいっぱいいる。そういうのが集まって、協力しあって作った組織が”キサナドゥ”ってわけ。だよね、アッシュ?」
「……ああ」
アッシュは気のない返事をした。見るからに、何か別のことが頭を占めているという様子だ。
食堂の喧騒の中、アッシュたちの席だけ沈黙が広がる。食いしん坊の黒薔薇と白百合も、空気の変調を感じて料理に伸ばす手を止めていた。
「あー、その、なんだ……」セラがいいにくそうに切り出して、咳払いした。「アッシュ、お前はそのキサナドゥとやらに何か因縁でもあるのか?」
「……」
「私は回りくどい言い方が嫌いだ」
「……ああ」
「そういう、『なんとなくそっちが察しろ』とでもいうような態度もな」
「……」
「はっきりしろ。言いたくないのならこれ以上は聞かない。だが、煮え切らずに黙っているくらいなら話せ。どっちなんだ」
セラの言葉は仲間たち全員の気持ちを代弁するものだった。
「因縁……といえば、そうだな。因縁としか言いようがない」
アッシュは難しい顔で小首をかしげ、テーブルの上のジョッキを一気にあおった。
「元々は俺が聖騎士になったきっかけの話だ……」
*
どこにでもある国の、どこの国にもある内戦は20年あまりも続き、戦況は拮抗しながらじょじょに国力を低下させた。苦しむのはいつの時代も市井の人々だ。
決着の付かない戦争に業を煮やした王様はひとつの線を超えてしまった。”暁の魔導結社”と呼ばれる組織”キサナドゥ”と手を結んだのである。
キサナドゥは魔術の暗い側面――殺人、疫病、破壊、暗殺、洗脳、死霊術など――に一切のタブーを設けないことで知られ、特に戦争時においては、大いなる力と引き換えに”死体の数が倍に増える”集団とみなされていた。
王様は追い詰められていた。このままでは玉座を追われるばかりか、かつて自分が命令を下し死罪にした者たちが亡霊となって自分を責め苛むのではないかという妄想に駆られていた。
いずれにせよキサナドゥはその噂通りに死体の山を戦場に築き、お定まりのように王様は武官文官よりもキサナドゥへの依存を高め、彼らが提供するある種のエリクサーを多飲するようになった。使役していたはずの者どもに取り込まれてしまったのだ。
内乱は絶滅戦争の様相を呈し始めた。
反国王派は日を経るごとにジリ貧になっていった。国土は荒れ、人は死にあるいは逃散した。
ところがある日状況が一変した。
シグマ聖騎士団による戦争への介入である。
通常、円十字教会麾下の実行組織である聖騎士団は国家間の政治とその延長の戦争には介入しない。だがその時起こっていた戦争は、狂った国王とそれを利用するキサナドゥというはっきりとした”邪悪”があった。介入しないことがより邪悪を増長させる。その状況に危機を感じた円十字教会上層部がシグマ聖騎士団の投入を決定させた。
自分たちの果てしない欲望に忠実な魔導結社キサナドゥの術者たちと、彼らが呼び出した妖魔、天使、アンデッドの数は、生きている国民よりも多いとまで言わしめる事態になっていた。
聖騎士団は、”始源の塔”の守護に当たるアルファ、オメガ両騎士団を除いて全てそのような悪を討ち滅ぼすために存在している。
大義も理由もない悪夢のような戦争は、キサナドゥとシグマ聖騎士団の対決へと転じ、すさまじい戦の嵐が吹き荒れた。
キサナドゥがその国から完全撤退するには半年の時を要し、シグマ聖騎士団は定員の3分の1を失った。
国土を覆っていた青ざめた死の気配は晴れた。
戦争は終わった。
戦争は終わったが――国土は荒れ果て、難民が、親を失った戦災孤児があふれることとなった。
そんな戦災孤児のひとりに、”野良犬”とあだ名される子供がいた。
生きるために――他の何ごとでもなく、ただ生きのびるためだけに野良犬は数人の同じような境遇の子供らと一緒にシグマ聖騎士団の本営を襲った。食料を奪い、自分の仲間たちに分け与えるためだった。
野良犬らが死なずにすんだのは、聖騎士団の崇高な理念あっての事だった。ただの軍隊であれば殺されていてもおかしくなかった。食料庫に侵入し、強奪し、逃げ延びる寸前まで行ったからだ。
そんなことは大人でもまず不可能なことだ。シグマ聖騎士団団長コークスは、戦災孤児たちのリーダーがそれをなさしめたことを見抜いた。
コークスが、なぜ”野良犬”一匹に目をかけて本国へ連れて帰り、なおかつ聖騎士になるよう訓練を施すようになったのか、当時の騎士団員たちには理解の及ばないことだったが――聖騎士となるには罪穢れからは無縁であるべきだからだ――ともかく野良犬は綺麗に洗われ、身なりを整えられ、コークス団長自らが後見人となり、聖騎士見習いとしてシグマ聖騎士団に入団した。
”野良犬”アッシュ。
他の団員からそう揶揄された少年は、コークスの厳しい教えにより数年後、正式にシグマ聖騎士団の団員となった。
*
「俺はコークスのオジキに救われて曲がりなりにも聖騎士になれた。そのことは口で何を言っても追いつかないくらい感謝してる」
アッシュはそう言って、すっかり冷めてしまったエビの辛ソース炒めをフォークで突き刺し口に運んだ。
「……でも、アッシュは聖騎士団を追放された、って」
カルボが周囲の客に聞かれることのないようトーンを下げて言った。
「私たちフォレストエルフも誇りを重んじるが、騎士やパラディンというのもそういうものなのだろう」セラもまた控えめな声で口を挟んだ。「その……買いかぶるわけではないが、アッシュ。お前がわけもなく名誉を捨てる人間とは思えない。いったい何をしでかしたというんだ?」
仲間たち全員の視線がアッシュに集まった。
アッシュは肩をすくめ、グラスを一気に空け、もう一度肩をすくめてから”不祥事”について語った。
親代わりでもあった団長コークスの死後の出来事である。
シグマ聖騎士団主計長サンズという男がいた。
噂が流れていた。サンズがキサナドゥと裏で結託し、情報と資金を流していたという黒い噂だ。
そんな折、アッシュに極秘命令が降った。副団長ロトによるサンズ暗殺命令である。
しかしその命令は、魔術によりロトになりすましていたキサナドゥのメンバーによって出された偽物だった。
キサナドゥに対して強い敵意を持つアッシュはそれを看破できず、偽命令に従って無実のサンズを殺害してしまう。
事実は正反対だった。
サンズは情報漏洩どころかキサナドゥの資金源を暴くだけの証拠をかき集め、組織壊滅への足がかりを固めていたのだ。
全ては仕組まれていた。
キサナドゥの手の者が知らぬ間にシグマ騎士団に入り込み、邪魔者を消す。そのためにアッシュは利用された。
「俺は……正しいことをなんにも見抜けず、キサナドゥへの憎しみだけで頭っから信じ込んでしまった。おかげでシグマ聖騎士団の顔に泥を塗り、味方殺しをしでかしたんだ。いくら過失だと言っても、破門されても仕方ない……俺が……自分の手でやったことだからな」
そこでアッシュはワインをもう一杯空け、短いため息を付いた。酔いが回ったのか、目の端が赤くなる。
しばし、一同は沈黙した。
魔導結社キサナドゥ。
その名前と活動にアッシュが並々ならぬ思いを募らせるのも無理はない――カルボたちは重苦しさを感じた。
「……じゃあ、どうするの、アッシュ?」カルボが遠慮気味に声を上げた。「その、ザパ=リーンとキサナドゥの関係を調べてみる?」
「……いや、それはアリオク(註:港湾都市)の軍かオミクロン(註:オミクロン聖騎士団。24の聖騎士団のひとつで海洋問題専門)の仕事だ。俺たちが余計な首を突っ込むと面倒事になる」
「だったら?」
「元々の予定を果たそう。ウェムラーさん(註:冒険者兼カメラマン。コークスの個人的な友人でもあった)の写真をオジキの墓に供える。そこから先は」
「その時考える?」
「ああ」
アッシュはうなずいた。
問題はある。コークスの墓は聖都カンにある。聖都カンは聖騎士団の母体となる円十字教会の総本山だ。教会を破門され、聖騎士団を追放された身でそこに訪れないといけないアッシュの心情はどのようなものだろう。
カルボがそのことを心配すると、アッシュは力のない苦笑いを浮かべた。
「お墓参り自体ずっと行っていないんでしょ、コークスさんの。その……聖騎士団を追放されてから」
「まあ、な」
「いっしょに……」
「うん?」
「一緒に行けるといいね、アッシュも」
「……そうだな」アッシュは手元で空になったグラスに視線を下ろし、「それが一番いい」
*
客船は夜の風を受けて海上をゆったりと走り、優雅な船旅を演出していた。
聖都カン到着まで、あと数日――。