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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第01章「金の指紋」
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第01章 01話 遭遇

「判決を読み上げる」


 冷たい石造りの聖堂に、円十字えんじゅうじ教会シグマ聖騎士団副長の声が厳かに響いた。


「聖騎士アッシュ。この者、当聖騎士団主計長サンズを重大な過失により殺害した行為について、教会からの破門を申し渡す」


 おお、と聖堂に詰めていた聖騎士たちの間から小さなため息の連なりが聞こえた。


「聖騎士アッシュは本日只今よりその身分を剥奪。今後は聖騎士と名乗ることを禁ずる。本件に関する反論はあるか、アッシュよ」


 アッシュと呼ばれた青年は、答える代わりに両手の拳を爪が食い込むほど握りしめた。


「……では身分剥奪の証として、その鎧からシグマの紋章を取り外す。係りの者、前へ」


 たがねと小ぶりのハンマーを手にした聖騎士団の一員がアッシュを取り囲む。輝かしい聖騎士のプレートメイルに取り付けられた紋章に鏨を打ち込み、引き剥がすのだ。

 

 金属同士が軋み合う耳障りな音が鳴り、無残に削ぎ落とされる紋章の末路を見ておれず、同席した何人かの団員たちは目を背けた。


 シグマの紋章を胸甲と肩当てにつけた聖騎士の鎧は、シグマ聖騎士団一員であることを見るものに宣言し、聖騎士としての誇りが形になったものといってもいい。


 アッシュはもはやその紋章を身につけることを許されない。


 教会から破門され、名誉を剥奪され、追放されたアッシュは、いずこかへと消え――。


     *


 3年後。


 そこは西メラゾナ巨神遺跡群と呼ばれる場所。


 砂と岩ばかりの乾いた大地に刻まれた深く広い谷――かつて世界を支配した”巨神きょじん”たちが暮らし、人智の及ばない活動をしていた巨大な痕跡である。


 巨神類はその名の通り人類に比べてはるかに巨大で、それゆえ遺跡もスケール感が狂うほどの大きさになる。


 一個一個がちょっとした城塞ほどもある立方体のブロックが地下にいくつも積み上げられ、往時には巨神たちが地下と地上を行き来していたはずだ。


 もっともそれははるか過去の話。今はもう、巨神たちの姿はどこにもない。


 西メラゾナの巨神遺跡にはいまだに価値のある遺物が眠っているとされ、それはたいていはガセか法螺話だが時には事実であったりもする。


カネのにおいに引きつけられ、遺跡の周りには調査を目的とした研究者や魔法使い、一攫千金を夢見る山師や盗掘者、ごろつき、傭兵、食い詰め者など様々な人種があつまり、やがて遺跡の周辺に集落ができ、年月が過ぎてひとつの町が生まれた。


 町の名はフェネクス。


 ここから物語を始めよう。


     *


「んにゃー!!」


 乾いた空に素っ頓狂な叫び声が響いた。


「ヤダヤダヤダ、離して!」


 女である。歳は17、8ほどだろうか。整った顔に緩くウェーブした髪。体にピッタリとしたキャットスーツが見事な曲線を描いている。


 その女は両手をロープで縛られ、太った保安官に強引に引っ張られてどこかに連れて行かれようとしていた。


 フェネクスの住民たちは何事かと人垣を作り、事の顛末を見物し始めた。


「いったい何があったんだ?」

「盗みだとよ」

「あんな小娘が?」


 口々に噂話が飛ぶ中、遺物の買い取りを引き受けている道具屋の親父が険しい顔で女の後ろ姿を睨みつけ、「ふてえ女だ、店員に雇ったその日に盗み働きやがった」


「そりゃ災難だったな」


「逃げる前に捕まえたから良かったよかったようなものを。まったく……」


「おい、静かにしてくれ」保安官が住民たちを見渡した。


「この女、盗賊団に関わっているらしい。フェネクス(ここ)じゃ手に負えないから、裁判所のある都市にまで私が送り届けることにする。異議はあるか?」


 住民たちはそれぞれに肩をすくめ、勝手にやってくれとジェスチャーした。遺跡の発掘は忙しい仕事だ。手の開いている者は少なく、女泥棒に関わっている暇はない――その魅力的な腰のラインに視線だけは向いていたが。


「待って、待って待って、待ってよ!」女が慌てて言った。「わたしが盗もうとしたのは理由があって、それがないと大変なことになるんだってば!」


「大変なこと? なんだねそれは」保安官は小首を傾げた。


「だから、その……」女は言いよどみ、「……”金の指紋”。それがないと、この町が盗賊団に襲われて……本当なんだってば!」


 女は何とか抗弁しようとするが、盗人のたわごとと見なされ、聞き流された。


「けっ、なんだかしらねえが”金の指紋”は先代から受け継いでるウチの家宝みたいなもんだ。それと盗賊団に何の関係ある」


 道具屋のオヤジは苦虫を噛み潰すように言い、とっとと連れて行ってくれと吐き捨てた。


「違うの、本当なの! 信じてってば!」


 なおも女は叫んでいるが、結局は町の雑音に紛れた。


「君、名前は」保安官が問うた。


「……カルボ」


「妙な名だな。偽名か? 本名か? まあ、どちらでも構わないか……」


 カルボと名乗った女は半生体馬の引く馬車の荷台に押し込められた。


「本当だってば……アレを持って行かないと、町が……死人が……」


 青ざめた顔でうつむいて何事かをつぶやくカルボだったが、独特の力強いいななきを乾いた空に響かせて半生体馬車は出発した。


     *


 フェネクスの町と都市部は距離があり、半日ほど馬車を走らせてからエーテル機関車に乗り換え、さらに数時間の時を要する。


 保安官はそれだけの時間を泥棒女と過ごすことにいささかうんざりするが、同時に発掘街ではまずお目にかかれないスタイルの美人である。何らかの役得くらいあってもいいだろう――と根拠の無い妄想を巡らせて少し鼻の下を伸ばした。


 もっとも今はまだ乾いた街道の途上である。野盗のたぐいが襲ってくる可能性はある。気を抜くのは危険だ。


 と、保安官の心拍数が跳ね上がった。街道の向こうから、ボロ切れのようなマントを頭からかぶった男が徒歩でやってくるのが見えた。しかもどうやら武装している。


 ――やれやれ、さっそくか。


 緊張感で口の中がしびれる。保安官は悪党を取り締まるために一応は武器や魔法の使い方を身につけているが、それでも戦闘のプロというわけではない。


 すれ違いざまに半生体馬車が襲われる――ということは有り得る話だ。西メラゾナ地区はほとんどが砂と岩だらけの無人の荒野。呼べば衛兵が来る場所ではない。


 自衛のため、小脇に忍ばせた鎮圧杖ライオットワンドをそれとない動作で握り締めると、男とすれ違うほどの距離に近づいた。


「やあ、こんにちは。徒歩は大変だろう? どこに行くつもりなんだ」


 馬車を停め、保安官は努めて明るく声をかけた。保安官の立場として素性の知れない人間を放置するわけにも行かない。それに誰もいない場所で挨拶をされれば無視はできないものだ。


「……この先に遺跡の発掘場所があるんスよね? そこで傭兵の仕事でもと思って」


 刈り込んだ髪の、上背のある青年である。言葉遣いはともかく、態度そのものは妙に礼儀正しい。


 そのとき風が吹いて、男のマントが翻った。白と銀をベースにした、傷と凹みだらけのプレートメイルがあらわになった。薄汚れてはいるものの、デザインの美しさは田舎の保安官にも理解できた。安く手に入るものではない。だが胸甲の部分に穿たれた不自然な裂け目がいびつな影を落としていた。


 この暑いのにプレートメイルなんぞよく着れるな、と保安官は出かかった言葉を飲み込んだ。傭兵の身でプレートメイルを運用するのは手がかかる。金か実力か、どちらかに富んでいる証拠ともいえるのだ。


「フェネクスまでは遠いぞ、気をつけてな」


「すんません。どうも」


 男はそう言いつつ、半生体馬車の幌付き荷台に女――カルボがうなだれていることに気づいた。


「……罪人だ。裁判所に連れて行くんだ」


 聞いていないのに保安官が言った。


 カルボの手を縛るロープを見て、男はほんの少し眉をひそめた。左の眉毛に指一本ほどの途切れ(・・・)がある。古傷らしい。


「じゃあ、気をつけて」


「うっス。そちらもお気をつけて」


 口調こそぶっきらぼうだが男は話の通じる種類の人間のようだった。


 保安官は安堵の溜息をつき――そのまま呼吸が止まった。


 どこかから飛んできた太いクロスボウの矢が、首筋を貫通していた。


「どしたんスか!」


 半生体馬がさお立ちになっていなないた。ただならぬものを感じ、鎧姿の男は急き込んで保安官に声をかけた。答えがない。即死である。頸動脈をやった(・・・)らしく、鮮血があっという間にこぼれ落ち、赤い水たまりを作った。


「ひゃっはァ!!」


 街道の左右にあった小さな丘から合わせて三人の異様な風体をした男たちが顔を出した。そのひとりの手にはクロスボウが握られていて彼らが保安官を射たのは間違いなかった。ごろつき、野盗、強盗団。そんなところだろう。


「おい、そこのお前!」頭頂部を残して髪を剃りあげたリーダーらしき男が声を張り上げた。「その馬車に女が乗っているな?」


「だめ、言わないで!」いつの間にか目を覚ましたカルボが、小声で必死に懇願した。「おねがい、わたしあいつらに狙われてるの! いないって言って!」


「だいたいわかった」


 鎧姿の青年はのっそり(・・・・)そう言うと、野盗たちと向かい合った。


「お前、その馬車の護衛か?」


「……いや、たまたますれ違っただけッス」


「ヘッ、目撃者には死んでもらうぜぇ」


 ガシャリとクロスボウが構えられた。


「勘弁して……もらえないッスかね」双眸にやどりつつある感情を隠すように、男はわずかに顔を伏せた。


「ダメだなァ。さもなきゃあ……そうだな、お前、いい鎧身につけてるな。そいつを脱いでどこかに行っちまえば生命だけは見のがしてやらァ」


 瞬間、薪を割ったような衝撃音がメラゾナの青い空にこだました。


「あっ、動くなこのやろ……え?」


 クロスボウを構えていたはずの男の腕からいつの間にかクロスボウが消えていた。


 足元に木片が――血まみれの木片がばらまかれていた。


「うわ、うわあああ!?」


 野盗の男はようやく理解した。


 先ほどの音は、クロスボウごと手首から先が粉砕されたものだと。むき出しの肉と白い骨、ちぎられた動脈から冗談のように血が噴き出している。


「すんません、この鎧は渡せないんスよ」


 鎧の男は一種異様な目をして、右手に持ったごつい鈍器にへばりついた血と肉片を振り落とした。


 男の名はアッシュ。


 シグマ聖騎士団の名誉を剥奪され一介の傭兵に身を落とした戦士の、目にも留まらぬメイスさばきであった――。

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