戦いが怖くない
強い衝撃が体を襲う。
が、それだけだった。
――もしかして、生きてる?
目を開けると驚きに満ちた男の顔が映っている。
「な、なんだよそれ……!」
なにがなんだかわからないけれど無事らしい。
はっとして、男から逃げるように距離を取り、自分の頭が無事か手を当てて確かめる。
ぺたぺたと手を当てると、妙に固い感覚が返ってくる。
髪の毛は固くなっていて、先は針のような鋭さだ。
まるで鉄の塊だ。
一体全体どうしたんだろう。
わからないことばかりだ。
ただ一つわかったことといえば、目の前の男は敵意を持っていることだ。
それを実感すると、全身が寒くてたまらなくなる。
冷水に浸かったみたいに芯から冷えていく。
なのに不思議と体からは汗が噴き出す。
腕をまわし、ギュッと自分を抱きしめる。だけど全然おさまる気はしない。
寒くてたまらないのに、じっとりと暑くて息が乱れる。
この感覚は、恐怖だ。
幸いなことにこれまで感じたことはほとんどなかったけれど、恐怖とはこのような恐ろしい感情だったのか。
背中を向けて、悲鳴をあげて逃げ出したい。
俺が逃げれば間違いなく少女は死ぬ。それは確かだろう。
けれど、少女の命なんかどうだっていい。
まずは自身の命あってのものだねだ。
理性はそう告げているけれど、本能が待ったをかける。
頭の中から不快な声が聞こえてくる。
たくさんの泣き声が、止まらない。
逃げたいと考えれば考えるほど、子どもの泣き声は大きくなる。
くそ、どうなってるんだ。
頭が割れそうだ。
頭痛は逃げるなと強く告げている。
それなら取れる手段は一つしかない。
世間の皆様方。
どうやら私は少女を取るようです。
「お……」
「あん?」
「俺に構わず逃げてええええ!!!」
叫びながら男に突進する。
腰からつかみかかり、地面に引きずり倒す。
男は急変した俺に対応できず、そのまま二人で地面に倒れ伏す。
「ち、この野郎! おい、アーシャ! なんとかしてくれ!」
マウントポジションとなり男の顔を殴りつける。
鼻っ柱に拳を叩きつける。
殴った手が痛い。
だけど、殴るのをやめた途端押し返されてしまうんじゃないかと思うと怖くてやめられない。
「くそっ、なんだよこれなんでこんな……」
思えば人に暴力を振るったのはいつが最後だったか……。
「――私の声を聞いてください! 聞こえますか!?」
涼やかな声が馬車の方から聞こえてきた。
声の方を向く余裕はないけれど、おそらくさきほどの少女だろう。
逃げて、と言ったんだけど、彼女は逃げなかったようだ。
「聞こえてるよ!」
殴りながら怒鳴り返す。
とにかく気持ちを持ち上げていかなければ、気が抜けて棒立ちになってしまいそうだ。
「良かったです! 二人とも助かる方法が一つだけあります! どうか耳を貸してください!」
少女には秘策があるようだ。
「わかった! わかったから早く!」
どうせこのままだと事態は改善しない。
戦える人数は二対一なのだ。いずれやられてしまうだろう。
「『怖れないで』ください!」
――少女の言葉は妙に強く響いた。
彼女の声が心にスッと沁み渡っていき、パニック寸前だった気持ちは、まるで魔法のように速やかにクリアになっていく。
そうだ。一体何におびえていたんだろう。
足元でうめく男をあらためて見つめてみる。
まだ戦意は失っておらずもがいているが、俺一人に抑えられる程度の力しかないではないか。
さっきまで恐怖の対象でしかなかった男が小さく見えてくる。
「くそっ号令魔法が入りやがった! なんとかしてくれっ!」
男が怒鳴るが何ができるわけでもない。もう一人の冒険者に頼りっぱなしの言動はひどく他人任せで、矮小である。
こんなものか。
動けないように追加で殴りつけると男はぐったりとして意識を手放した。
「あたしだってもう魔力が残ってないんだよ!」
女、アーシャが遠くから杖を武器に走り寄ってくる。
きっと鈍器にするんだろう。
「私が援護します! だから全力で……」
少女がまた叫ぶ。
彼女の声はとても心地がいい。
こんな状況だけど、ずっと耳を傾けていたくなる。
「私、レイナ・クリストファーが命じる。貴女にできる『全力でその女を、殺せ』!」
瞬間、男の存在が俺の中からかき消えた。
今まで座っていたものから腰を上げ、女を殺すための迎撃姿勢を取る。
と言っても武道の心得なんかはない。頭を前に突き出し、突撃の姿勢になっただけだ。
今の俺の武器といえば、鉄のように固くなったこの頭だろう。
「え、ちょ、効き過ぎです! 魔法耐性とかないんですか!?」
そういえば、頭はどうして固くなったんだろうか。
命の危機を感じてそうなったのは間違いないけれど、他の部位でもそれができるなら、冒険者の女を殺すのにきっと役立つだろう。
握りしめた拳を「変われー変われ―」とにらみつけていると、徐々に光沢が出てくる。
試しに反対の手で触ってみると金属質な感触が返ってくる。
どうやら体の硬度は自在に変えられるようだ。
何故、とは思わなかった。
これなら、やれる。
「まだ出せるか……? 凍り付け『アイス・ブリッド』!」
女の言葉と共に、杖の先に細長い氷の弾丸が形成される。
アイスピックみたいだ。
牽制として射出するつもりなんだろう。
構うものか。
幸いにしてアイスピックの数は一本だ。
一発限りの弾丸など、恐怖して立ち止っている方がむしろ危険だろう。
狙いを付けさせないよう孤を描いて肉薄する。
「くそ、なめないでよ!」
もはや腕が届く距離だというのにまだ撃ってこない。
近寄れば焦っててきとうに撃ってくると思っていたんだけど、当てが外れた。
「私の魔力は護りの盾。全てを弾く魔力の盾『シール』! 対象は黒髪の女の人!」
俺の体が薄緑色の霧に包まれる。
霧は視界が悪くなるほどではない。
霧は気にせず拳を叩きつけた。
男を殴っていたときより嫌な感触が鈍いのは手が固くなっているからだろうか。
「うぐっ……『放て』!」
女も吹き飛びながら温存していた弾丸を撃ちだす。
その弾丸は予想よりずっと速く、目にも止まらぬ速度であった。
反応なんて出来やしない。
あわや命もここまでか、と思いきや氷の弾丸は霧の壁に阻まれる。
弾丸はギャギャギャと何かを削り取るような音を上げながら、やがてポトリと地面に落ちた。
危なかった。
命令の続きを実行しなければ。
「もう十分です。『やめなさい』」
またも妙に耳に残る言葉が聞こえてきた。
同時に女性――アーシャをころ……倒さなければいけないという気持ちは嘘のように抜けていった。
力が抜けて、ペタリとその場にしゃがみこんでしまう。
あ、草の感触が気持ちいい。
「後は私にお任せください! ありがとうございました」
いつの間に馬車から降りていたのか、少女は俺の近くでぺこりとお辞儀をした
――――
・肉体変質……ユウキが何故か持っている特性。体の形を意思の力で自由に変化、性質を変えることができる。その自在さは質量保存の法則に当てはまらない。