第三十七話 迷宮祭:その六
「――きゅう!」
「あ……ゴン、ちゃん……」
ゴンがエリカの元へ飛んでいき、すぐにパアァと白い光が放たれた。殴打され血と涙でぐちゃぐちゃになったエリカの顔が『治癒』されていく。
ハインに体を向けつつ、オズはエリカの様子をちらりと見た。
――ひどい怪我だ。唇は切れて血が出ているし、目の付近や頬は紫色に腫れ上がっている。髪の毛は乱れ、普段はきれいな紅の髪は砂で汚れている。
エリカは自分の腫れ上がった顔を見られたくなかったのか、オズと目が合うと顔を伏せた。その目からこぼれ落ちる涙を見て、オズはカッと頭が熱くなるのを感じた。――それは“怒り”だ。ハインに向き直り、オズは今まで感じたことのないほどの怒りを、爆発させる。
「エリカの顔に傷が残ったら、どうするつもりだぁッ!!」
オズはハインへ斬りかかった。チッと舌打ちをし、ハインはすばやく赤い球体――オズはそれが〈賢者の石〉という代物であることをまだ知らない――を腰の収納スペースにしまいこむ。そして背にかけた盾を構えると、オズの攻撃を迎え撃った。
ぶつかり合う刃。オズの怒りの剣と、ハインの憎悪の剣が交差する。Gブレードを振りながら、ハインは忌々しげにオズをにらみつけた。
「リトヘンデェ……! なぜ、この場所がわかった!?」
「スーから聞いた! エリア10に転移していくところを、見たってな!」
「チッ、あの亜人め……! しぶとく生きていたか!」
「――亜人だと!? そのふざけた呼び方はやめろッ!」
オズの大振りの一撃が、ハインの盾を震わせる。
「ぐっ……!」
たまらずハインは飛び退き、距離を取った。オズは荒げる声を抑えつけ、ハインへ問う。
「おいハイン、おまえ舐めてるのか……? どうして、ガイムをけしかけてこない?」
ハインがガイムを操れるのは、もはや疑いようもない。先ほど腰にしまった赤い球体が、なにかのキーになっていそうだ。しかしハインは、ガイムをオズに襲わせる素振りを見せない。周囲に大量のガイムを待機させたままである。
ちなみに、オズは〈Gシューズ〉を駆使し、ガイムの群れを飛び越えてこの場にやってきた。そのお陰で、エリカに決定的なことが起こる前に到着できたわけである。
周りを取り囲むガイムを気にしながら、オズは怒りを落ち着かせる。ハインは冷静さを失って勝てる相手ではない。
「ほざけ……! 貴様に隠された力――超越輝術はすでに把握済みだ! ガイムを倒すたびに強化される力――それを知って、貴様にガイムを襲わせるわけがないだろう? ――ガイムども! いいか! 絶対に手を出すなよ!」
GURURU……とうなりながら、ガイムは大人しくハインに従っている。普通ならありえないその光景に、オズは歯噛みした。
「そうか……冬期休暇のあの事件も、おまえの仕業だったんだな? じゃなければ、俺の超越輝術について知ってるはずがない」
冬期休暇の迷宮訓練で、オズはユーリを守るために未覚醒の超越輝術を使っている。「把握済み」ということは、ハインがそれを見ていたということだ。
「――ご名答! この計画を行うに当たって、一番厄介だったのは貴様だったからなァ! 〈賢者の石〉の効果を確認するついでに、貴様の能力を見極めたのだ! リトヘンデ……貴様は、『ガイムを倒す』もしくは『ガイストーンを吸収する』という手段がなければ、ただの一学生に過ぎない――そうだろう?」
「くっ……」
図星だった。匣内のガイストーンも、ここへ来るまでにすべて消費してしまっている。
そして〈賢者の石〉というワード。おそらくあの赤い球体のことだ。あれをどうにかすれば、ガイムの暴走を止められるかもしれない。そのためには、まずハインを倒さねば――!
「――クハハハハッ! 図星のようだな! ガイムを遠ざけておけば、貴様が超越輝術を発揮することはない! ――ならば、強化されていない貴様など、私の敵ではない!」
ハインは顔を歪めて笑った。その顔はいつもの高貴さとはかけ離れている。これが、ハインの本性だったのか。それとも……
「ずいぶんな余裕だな。……闘技祭での戦いを忘れたのか? 俺とおまえの実力は拮抗していたはずだ!」
「……フン。認めるのはシャクだが、確かにその通りだ。……ククク、だが、貴様は姫を守りながら戦わねばならないのだぞ?」
だれかを守りながら戦う――それは想像するより遥かにむずかしいことだ。
とくに、位置取りには気をつける必要がある。ハインをエリカに近づかせないように立ち回らなければならない。エリカを人質に取られたら、その時点で終わりだ。
「くっ……見損なったぞハイン。おまえがここまで卑劣なやつだったなんてな……!」
「どうとでも言うがいい! 元より貴様に理解してもらおうなど、思ってもいない!」
ハインはふたたび間合いを詰める。Gブレードと盾を巧みに使い、攻撃を繰り出してくる。オズはそれに応戦する。――激しい打ち合いが再開された。
「――リトヘンデェ! やはり、貴様は徹底的に殺さねばならない! この私の手でな! そうでなければ収まりがつかん! ……こうも、計画を邪魔されたとなればなァ!」
「計画……だと?」
「本来なら、貴様はガイムの群れに埋もれて死ぬはずだったのだ! 仲間の危機を前にすれば、貴様は超越輝術を解放せざるをえなくなる。……だが、超越輝術には時間的制限がある上、使用後の反動は馬鹿にならないのだろう? 終わりのないガイムの攻撃に、貴様の超越輝術は持つはずがなかったのだ。――だが、貴様は仲間を置いてここへやったきた!」
「……俺の仲間を舐めるなよ! 何体ガイムが束になって襲ってこようが、みんなは絶対に負けない!」
オズが言葉にしたのは、仲間への信頼だ。仲間を想うだけで、オズの内から力が湧いてくる。
激しい打ち合いの中、ハインは絶叫する。
「――くそがァァァッ!! その態度が気に入らぬのだァ!! 貴様さえ……! 貴様さえいなければ、姫は私のものになっていたというのにィィ!!」
狂気に彩られたその叫びに、オズはゾッとした。
「どうしてだ……! ハイン、おまえはエリカを守る騎士じゃなかったのか!」
ハインはギリッと歯を鳴らした。憎悪に燃え盛った瞳でオズをにらみ返す。
「守っているに、決まっているだろうが……!」
「……なに?」
「私は……貴様という畜生から、姫をお守りしているのだァ!!」
ハインは叫び、いっそう苛烈に攻め立てる。オズは混乱した。
「――なに言ってんだ!? 俺がエリカに、なにかしたのかよ!」
「黙れぇ! 貴様の存在そのものが、姫にとって害悪なのだ! 害悪である貴様は、早急に駆除しなければならない!」
「いったい、なにを……!」
言っていることがめちゃくちゃだ。オズが応戦しながらそう思っていると、背後でジャラジャラ……と鎖の音がする。
「これを外せば、あたしも戦える……」
「きゅう……!」
ゴンの輝術によって多少回復したエリカが、拘束から逃れようと必死になっていた。だが、顔はいまだに痛々しく腫れたまま。声にも力がなかった。ゴンの『治癒』は負傷を完治させるほどの効果はない。
「姫、無駄な足掻きですよ。それは、罪を犯した高レベルバスターを拘束するための手錠だ。生半可なことでは外すことなどできまい! クハハハハ!」
戦闘中のハインは狂ったように笑う。エリカは「そんな……」と肩を震わせ下を向いた。
「エリカ、おまえはそこで見ていろッ! 俺が、ケリをつける!」
「オズ……!」
「――き、貴様ァァ! これ以上、姫をたぶらかすなァ!」
ハインが怒りのままにGブレードを叩きつけてくる。オズはそのひとつひとつを、冷静にさばいていく。
正直、ガイムが襲ってこないのは都合がいい。いくら超越輝術が使えたとしても、この状況でガイムに襲われればエリカを守れないからだ。そのことはハインもわかっているはず。だが、彼はガイムを襲わせなかった。それはなぜか。
――恐れているからだ。オズの力を。
そして、ハインは怒りで冷静さを失っている。
「――疾」
オズはGシューズを使い、ハインの懐に入り込む。
「――おらぁッ!」
「ぐっ……!」
一撃目――防がれる。だが、二撃目、三撃目……と攻撃を加えていくうちに、ハインは対処しきれなくなっていく。
あれから試作を重ねて不具合を克服したGシューズである。動きのキレは以前より遥かに増している。オズの立体的な攻撃が、ハインを翻弄していく――!
闘技祭の時から、お互いにレベルも上がって強くなっている。だが、オズが押している展開になっていた。
ハインの剣には、もはや以前のような“重さ”は感じられなかった。信念、誇り――そういった想いが、ハインの剣からは失われていたのだ。
そして、闘いは動く。
バキイィィン――!
「――なにッ!?」
ハインの盾が砕かれる。オズの剣術はすでに達人の域である。鋭い太刀筋に、騎士の盾は耐えられなかった。
「うおおおおッ!」
オズのGブレードがハインへ叩きつけられる。
「――グハァッ!」
ハインは吹き飛び、岩山の間を転がっていく。オズは止まらない。ハインに追撃を加えていく。
もはやハインは為す術がなかった。オズの攻撃が、ハインの体を傷つけていく。
「おまえ……あの時の方が、強かったよ」
オズはつぶやいた。以前のハインは違ったのだ。誇りと高潔さをもったバスターだった。……だが、ハインは変わってしまった。
「――くそがァ! そんな目で、私を見るなあァァ!」
ハインは左手をつき出す。
「《シントラ・エミッツァ! 燦爛たる白光よ!》」
「――な!?」
ハインが戦闘中に輝術を使うことに驚きつつ、オズは飛び退いた。
次の瞬間、まばゆい光がハインから放たれ、オズは思わず目をつむった。
そこで気づく。――これはただの目眩ましだ。ハインの狙いは――エリカだ。
「クハハ! ぬかったな、リトヘンデ!」
「……!」
エリカの息を飲む音が聞こえる。
だが、オズは慌てなかった。体から闇のマナを放出し、瞬時に辺りへ張り巡らせる。目が見えなくても、マナの乱れを追えばいい。オズは、エリカへと走るハインを捉えた。
「《サタナ・キアルド! 漆黒の弾丸!》」
「――なにっ!?」
オズの輝術がハインへと突き刺さる。
「――グボァッ!」
吹き飛ぶハイン。視界が回復する中、オズはエリカとハインの間に立った。エリカを背に、ハインへGブレードを向ける。
「まさか、あんな手を使うとはな」
オズはもう、ハインが強敵には見えなかった。
「おまえ……弱いよ」
実力でも勝てず、卑怯な手を使っても通じなかった――その認めがたい事実に、ハインは肩を震わせた。
「この、私が……なんというザマだ……! ……くそ、仕方あるまい……この技は少々寿命を縮めるが……リトヘンデ! 貴様を殺すためだ! ――私の命など!」
「なに……?」
オズは身構える。まだ奥の手を隠し持っていたのか……?
そのとき、うしろでエリカがハッとしたように叫んだ。
「――ハイン! あれを使うつもり!? やめなさい! あれを使ったら……!」
「姫よ、止めても無駄だ! ――《エル・ドーナ! 血よ、我が魂を糧に脈動せよ!》」
――カッ!
ハインの体が光輝く。その光は天にまで昇らんばかりの大きさである。
そして、
「行くぞ! リトヘンデェッ!」
次の瞬間、ハインの体がぶれた。
「――ぐはっ!?」
オズは吹き飛んでいた。一瞬遅れて、胴に焼けるような痛みが走る。――Gブレードで斬り裂かれたのだ。
「クハハハ! まだまだァ!」
ふたたびオズは攻撃を受ける。視界にまばゆい光――ハインの姿が映ったかと思うと、次の瞬間には斬りつけられている。
速すぎる――! ハインの動きが、オズには捉えることができなかった。斬りつけられ、吹き飛ばされ、オズの体から血が散っていく。
「冥土の土産に教えてやろう! 我がクレディオ家に伝わる秘術――『限界突破』だ! 生命力を贄に、身体能力を倍化させる――! それは『身体活性』の比ではないぞ!」
ハインは命を燃やして戦っていた。『限界突破』は、凄まじい戦闘力を得る代わりに、寿命を縮めてしまう諸刃の剣であった。使用後、肉体に後遺症が残ることもありえる大技である。
「――かはっ!」
今度はオズがなぶられる番だった。オズの血の匂いを感じたのか、周囲のガイムがGUOOO……と鳴きはじめた。
無数の攻撃を受け、オズは地を転がり、そして吹き飛ばされる。
「――ハイン! もうやめてっ! あなたの狙いはあたしでしょ!? なんでも言うこと聞くからぁ!!」
「もう遅いッ! この男をぶちのめすところを、あなたはそこで見ているがいい! ――クハハハハハ!」
その嗜虐的な高笑いを聞いて、オズは思った。命を燃やして戦っても、今のハインは所詮、堕ちた騎士でしかない。――ならば、どうして自分が負けるのか。
オズは諦めなかった。ハインの剣を受けながら、雷のマナを練りはじめた。それは闇のマナで『身体活性』されたオズの体に染み込んでいく。
制御はむずかしく、オズはそれを成功させたことがない。――だが、ここで成功させなければ、自分は死ぬ。そして、エリカも。
オズは小さくつぶやいた。
「――《超身体活性》」
紫電がバチバチとオズの体を渦巻く。それはオズの体を焼くほどだ。
熱い痛みをこらえながら、オズは捉えた。――ハインの姿を。
オズは吼える。想いを剣に乗せて。
「おらあぁッ!」
「――! 馬鹿なっ!」
自身に迫る速さの攻撃に、ハインは目を剥く。オズはハインの太刀をいなしはじめ、隙を縫って攻撃してくるまでになった。
「――なんだ! それは……!」
「『身体活性の輝術』だ。おまえも、よく知っているだろう?」
「……見え透いた嘘を、つくなっ!」
わずかに焦燥を顔に浮かべ、ハインはGブレードを薙いだ。
――なぜ、私の速さについてこれる!?
ハインはわからなかった。オズの底が見えない。彼が抱いたのは、純粋なる恐怖だ。
一方、オズが言ったことは本当だった。身体活性は無属性に分類されている輝術である。各々が使いやすい属性のマナを選び、身体活性として行使する。――言い換えれば、どんな属性のマナでも身体活性は発動するということだ。
――なら、二つの属性を混ぜたらどうなる? 闇の輝術以外は苦手だが、オズはほかの属性――とくに雷――を自身の輝術に複合させることができた。俗に複合属性と呼ばれるもので、これを使えるバスターは少ない。研究も進んでいないため、体系立てられてもいない。
オズが行使したものは、そんな、バスターの常識から外れた技だった。
――闇と雷の身体活性。
二つの属性による身体活性は相乗効果を生み出した。オズの身体能力は、普段の何十倍へと引き上げられる。
オズはたったひとりで、長い歴史をかけてクレディオ家が編み出した秘術に食らいついたのだ。
しかし――
「ククッ、そんなものか! 貴様もここまでだったようだな!」
「くっ……」
そう、まだハインの方が速い。オズが一撃を加えれば、ハインが二撃、三撃を返してくる。
――もっとだ。もっと、雷のマナが必要だ!
オズの体を、さらに紫電が飛び散っていく。焼けた皮膚から、シュウゥ……と煙が出るほどだ。
――まだだ、もっと!
雷が主を焼こうとのたうち回る。紫電がオズを飲み込んでいく。
そして。
ついに、オズはハインの速度を超えた。
「くらええぇぇぇッ!!」
「――な、なぜ……!」
オズのGブレードがきらめく。それはハインの体へ、真一文字に刻みつけられた。――紫電を纏った一太刀。ハインの体を、雷が落ちたような衝撃が襲う。
「ぐああああああああぁぁぁぁっ!!」
吹き飛び、ハインは岩山に叩きつけられた。そして、ずるずると崩れ落ちる。それと同時、ハインの体から光が引いていった。『限界突破』がきれたようだ。
ぐぅぅ……とうめくハイン。それを聞いて、オズはほっとした。どうやら死んではいないようだ。いくら敵がハインと言えど、オズは人殺しにはなりたくなかった。
――終わった。
オズは肩の力を抜き、超身体活性を解除する。
ザッ
そのときだった。ひとりのバスターがこの場に現れたのは。
「フウカ先生……」
その姿を見て、オズは安堵に包まれた。
赤と金が混じった髪を、ポニーテールで結んだ小柄な女性――フウカであった。オズの頼れる担任が、助けに来てくれたのだ。
「リトヘンデ、無事だったのか」
そう言って、フウカはオズに近づいてくる。
「ええ。“無事”とは言いがたいですけど、なんとか。――それよりフウカ先生、今回の黒幕はハインだったようです」
「ほう……」
オズが指をさした先をちらりと見て、フウカはうなずく。
「あと、エリカが拘束されているんです。はやく外さないと――!」
そう言って、オズはエリカの方を向いた。
「――オズ! うしろッ!!」
「きゅううぅッ!!」
オズの視界に映ったのは……目を見開き、叫ぶエリカだった。
「え?」
オズは振り返る。
迫り来るGブレード。――殺気の乗った一撃だ。
オズは唖然とつぶやいた。
「……フウカ、先生?」




