第二十五話 中庭で
「あ、アイツの――!」
そのラグーンを目にした途端、思い浮かぶのはあの男。茶髪に紫眼の少年――オズ・リトヘンデ。辺りをバッと見回すが、アイツはいない。ほっとしたような残念なような、なんだか不思議な気分になる。
「あなた、ひとりなの?」
「きゅう!」
白い小さなラグーンが、あたしの胸に飛び込んでくる。きゅうきゅうと顔をすりつけてくるラグーンに驚くが、あたしは昔飼っていたペットのことを思い出した。父にねだって皇族御用達の商家から買ってもらった貴重なカーバンクル。このラグーンと同じくらいの大きさで、よくあたしになついていたっけ。
あたしはどちらかというと動物好きだ。選択授業も『生物』をとったくらい。そういえば、アイツもとってたのよね……。
「きゅう~?」
小さく首を傾け、あたしを見つめるラグーン。あたしは思わず――
「か、かわいい~!」
ラグーンをぎゅっと抱き締めた。じたばたもがくラグーン。
「あ、ごめんね? 苦しかった?」
「きゅう!」
ふるふる、とラグーンは首をふった。もしかして、あたしが言ったことがわかるのかな?
しばらく、嬉しそうにパタパタ羽を動かすラグーンを撫でていた。でも、あたしの気持ちは晴れない。このかわいいラグーンにちょっと癒されたけど、それでも晴れない。
はあ、と再びため息をつく。
「……ねえ、どうしたら友だちができると思う?」
――ガサリ。
茂みから物音がして、私は身構えた。
そこにいたのは。
「あ。」
「――!」
吸い込まれるような紫眼と目があって、あたしの心臓が跳ねた。慌てて抱いていたラグーンを脇に置く。
もしかして、今の言葉、聞かれたかしら。
また、見られたくない姿を見られてしまった。この男とお風呂で遭遇した時のことを思い出して、あたしの顔が熱くなった。
「ま、またのぞき!? このヘンタイ!」
「――はぁ!? 俺はゴンを探しに来ただけだ! ――ゴン、行くぞ!」
声を荒くするコイツを見て、あたしは「しまった」と思った。本当はキツイ言葉を使うつもりなんてないのに、どうしてか使ってしまうのだ。
「きゅう!」
隣に置いたはずラグーンが、あたしの膝によじ登ってきた。
「おいゴン、なにやってんだこっち来い!」
「きゅう~」
ラグーンは飼い主へ背を向け、尻尾をぷりぷり振った。うるうるした目であたしのことを見上げてくる。
かわいい。あたしは思わず抱きついた。
「…………」
「…………」
――なにやってるのあたし!
でも、抱きしめてしまった以上はもうどうしようもない。あたしは、地面を見つめて彼の言葉を待った。
「はぁ……まったくゴンは」
かさり、と地面を踏みしめる足音がした。アイツが近づいてくるのがわかって、心臓がばくばく鳴った。
「……隣、いいか?」
「か、勝手にすれば」
ちらと横目で見ると、少し距離を空けて隣に座るのが見えた。間に人ひとり分くらい。微妙な距離だ。意外にも、アイツからは怒ったような雰囲気は感じなかった。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。なにかしゃべりなさいよ、と思いつつ、ラグーンを撫でる。
「……名前」
「は?」
「こ、この子の名前、教えなさいよ」
「……ゴン」
「へぇ、ゴンちゃんって言うのね」
「きゅう!」
あたしに名前を呼ばれて、嬉しそうに尻尾をふるゴンちゃん。
「ほんと、かわいい~」
「そいつ、よく勝手にいなくなるんだ。困ったやつでさ」
「ゴンちゃん、元気なのね~、よしよし。……この子、いくつ?」
ゴンちゃんがいるおかげで、緊張するけどなんとか話せそう。こんな風にコイツと話すことになるなんて、なんか不思議な気分。
「わからない。そもそも、ゴンと会ったのは……」
ゴンちゃんとの出会いの話を聞いた。ゴンちゃんは親をガイムに殺されたらしい。……かわいそうに。でも、コイツがゴンちゃんの親代わりとしてがんばっているみたい。ゴンちゃんのことを話す横顔は、なんだか大人びて見えた。
あたしも小さいときに飼っていたカーバンクルの話をした。ゴンちゃんの話に比べたらつまらない話だけど、会話が途切れるのがなんだか嫌だったから。
とりとめのない話をぽつぽつとした。最近は地下迷宮によく潜っているだとか、休暇になったけどたいしてやることがないだとか、宿題がむずかしいだとか、罰則を受けただとか。
クラブ勧誘会の罰則で、学内清掃を命じられたらしい。やっぱりコイツ、問題児だったのね。
そうやって、しばらく会話は続いた。
しかし、ふと会話が途切れた。あたしはどうしたらいいかわからなくなって、ひたすらゴンちゃんの頭を撫でる。
もしかして、本当はあたしと話すの嫌なのかな。……それとも、まだなにか怒ってる? 頭の中がぐるぐるした。
「……おまえ、友だちいないの?」
「えっ?」
いきなり言われた言葉に驚いて、反射的に顔を上げた。瞬間、目があった。あたしは慌てて目をそらす。
「……あんたには関係ないでしょ!」
言葉にした途端、顔が赤くなるのがわかった。――やっぱり聞かれてたんだ! ただただ恥ずかしかった。
「おまえとはさ、出会い方が悪かったと思うんだ」
「……?」
「闘技祭のとき、俺のこと応援してくれた……よな? おまえのおかげで、最後まで戦えたんだ」
「――べっ、べつに! あんたのこと応援してたわけじゃ……!」
「ていうか、会うたびに変態とかストーカーって呼ばれるのはヤダ」
「な、なにが言いたいのよ」
「あー、なんつーか、おまえさえよければ、その、俺がとも……」
「――やめて!」
あたしは思わず彼の言葉を遮った。地面に視線を落とす。その続きの言葉はたぶん、あたしが望んでいたもののはずだったのに。なぜか、コイツには言われたくなかった。もやもやする。
隣で息を飲む気配がした。あたしは慌てて言葉を続けた。
「名前!」
「……は?」
「おまえ、って言わないで。……な、名前で呼んでよ」
なにを言ってるんだろうあたしは。自分で自分がよくわからなかった。
「エリカ」
「――!」
彼に名前を呼ばれた瞬間、体中をゾワゾワした不思議な感覚が駆け巡った。嫌な感覚ではない。むしろ、もう一度味わってみたいとさえ思った。
「これでいいのか? そういうエリカこそ、俺を名前で呼べよな」
「え、えっと…………オ、オジュッ!」
「……ぶっ! 噛んだな」
「な、なに笑ってるのよ!」
あたしは恥ずかしさで思わず立ち上がりかける。すると、
「きゅう~」
こてん、とゴンちゃんがあたしたちの間に転がった。そのおかしな姿にあたしは毒気を抜かれてしまった。アイツと目が合い、「ぷっ」と小さく笑ってしまった。
「……やっと笑った」
「え?」
「いや、いつも険しい表情してたからさ。せっかくかわいいのに、もったいないなって思ってた」
「――ッ!?」
面と向かってそう言われると、あたしはいよいよ体がおかしくなった。さっきよりもゾワゾワが大きくなって、胸の奥が痺れたみたいにツーンとした。
――ポツ、ポツ、
「あ、雨だ」
目の前の彼がそう言うのを、あたしはどこか上の空で聞いた。
しばらくそうしていると、雨足が強くなってくる。
「わ、いきなり降ってきたな。建物のなかに入ろう。――っておい、なにボーッとしてんだよ。ほら」
「――きゃっ!?」
手を掴まれ、ぐいと引っ張られる。あたしは慌てて本を持って、なすがまま引っ張られていく。ゴンちゃんはするするっとあたしの腕をつたい、アイツの頭の上によじ登っていた。
教育棟のなかに入ると、「うわ、けっこう濡れたな」とアイツがつぶやく。掴まれた手がじんじんと熱くなっていく。あたしは掴まれたままの手を、夢見心地で見つめた。
「――姫様?」
ハッと我にかえる。あたしの従者――メイド姿のスーが驚いた表情でこっちを見ていた。あたしは慌てて手を振りほどき、スーに近寄った。
「スー、迎えにきてくれたの?」
ふと視線を落とすと、スーが傘を持っていることに気づいた。
「は、はいです。急に雨が降ってきたので。……あの、もしかして、邪魔してしまいましたか?」
「な、ななななに言ってるのよスー! 意味がわからないわ!」
「……姫様、せっかくなので、オズ様とお話の続きをされたらどうです? 急な雨で中断しちゃったのですよね?」
スーが眼鏡を輝かせて言った。いつもよりイキイキとしている気がする。いったいどうしたっていうの。
「あ、実は俺、このあとばっそ……じゃない、やることが残ってて。悪いけど、また今度ってことで」
その言葉にがっかりしている自分がいる。そのことに気づいて驚いた。
「そうですか、また今度ですね。……でも姫様よかったですね。またオズ様とお話ができますよ」
「――なっ、よくないわよ! べ、べつに、コイツとまた会う必要なんてないもの!」
また勝手に口が動いてしまった。
――なに言ってるの、あたしのバカバカバカ。
「……そっかぁ。エリカはもうゴンに会いたくないってさ。残念だったなゴン」
「きゅう……?」
悲しそうな表情でこっちを見つめるゴンちゃん。あたしは即座に前言撤回する。
「う、うそに決まってるじゃない! また会いましょゴンちゃん!」
「きゅう~!」
「ははは。よかったなーゴン。……じゃ、俺そろそろ行くわ。またな、エリカ」
手を上げて去ろうとするアイツ。
今言わなきゃ――!
あたしはどきどきしながら口を開いた。
「またね。……オ、オズ」
「ああ、またな」
最後にニッと笑って、オズは背を向けた。なんだか頭がくらくらする。その後ろ姿を、あたしはボーッと見送った。
「姫様、そろそろ部屋に帰りましょう」
「……ええ」
あたしたちは歩き出す。
「ゴンちゃんといっぱい触れ合えたみたいで。よかったですね」
「えっ、ゴンちゃん? ……そ、そうね。ゴンちゃんと会えてよかった」
「また、会えますね」
「――そ、そうね! ……あ、ハインには言わないでちょうだい? なんか、怒りそうだわ」
「もちろんです。わたしが怒られちゃいます。『なぜ姫に下賤なものを近づけた!』って言うに決まってるです」
あたしとスーはくすりと笑い合った。
どこか浮遊感を感じる足どりであたしは歩く。
ふと、思った。そう言えば、オズはあたしとけっこうな間話してたけど、罰則は大丈夫だったのかな。と。
後日、罰則を倍にされた哀れな生徒が二人いたことを、エリカは知る由もない。




