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第四話 湯けむりの中の遭遇

 脱衣所に入ったオズは、人影がまったくないことに首をひねった。しかし、入浴の文化は東方諸国特有のものなので、わざわざ入りにくる人はいないのかもしれない、と納得する。


「おーい、ゴン。いるなら出てこいよ」


 しかし、オズの声がむなしく反響するだけで返事はない。室内に視線を巡らせ、オズは浴場へとつながる引き戸を発見した。近づくと、少しだけ開いていることに気づいた。ちょうどゴンが通れるくらいだけ開けられた引き戸の向こうから、浴場の水音が聞こえてくる。


「風呂に入ったのか。まったく、やんちゃなラグーンだ」


 どうせ入っている人はいないだろう。そう思い、服は脱がずに浴場へと侵入する。一刻もはやく、やんちゃ坊主をつまみ出さねばならないからだ。

 大浴場の内部は水蒸気が充満し、視界が霞むほどに煙たかった。いくつかの種類の浴槽をのぞき込みながら浴場内を徘徊していると、ぱしゃりと水のはじける音が聞こえてオズは振り向いた。


「スー? もうちょっと入っていたいから、あと少しだけまっ……!」


 オズは息をのんだ。――目の覚めるような絶世の美少女が、そこにいた。湯気のベールをまとった裸体は計算しつくされた彫刻のような均衡を保っていて、しかし、その均衡を破壊するかのような大きく豊かな双球が、あでやかな存在感を放っていた。水をしたたらせた真っ赤な長髪は、彼の狼の友人よりも遥かに赤く、まるで炎のよう。白い頬はほんのりと赤く染まり、やわららかそうな唇は暖色の晶灯(ジェイドランプ)の元で、可憐に微光を反射していた。赤い瞳を宿した(まなこ)はツリ目がちで、その勝ち気さを思わせる目は、今は困惑の色とともに呆然と見開かれていた。

 オズは、思わずつぶやいた。


「――きれいだ」

「なっ……!?」


 頬がいっそう赤みを増す。少女は、我に返ったように腕で自らの体を抱き、オズをキッとにらみつけた。


「なに言ってんのよこの痴漢! 変態! 変質者! ――死ねっ! 《アル・グラド・イグナトス! 大槍炎!!》」

「――へっ?」


 炎で作られた巨大な槍が、オズへと突き迫る。オズができたのは、とっさにマナを体にまとうことだけだった。


 ドガアアアァン――


 浴場は大破した。皮膚を焼かれながら、オズは吹き飛ばされる。浴場の出入口、引き戸をぶち抜き、炎の暴風を身に受けたオズは、脱衣所の壁に激突した。


「ぐはっ!」


 血を吐きながら、オズはよろよろと立ち上がった。なんて威力だ。オズは壁に手をつき体を支えつつ、戦慄した。


「――姫! ご無事ですか!」


 少年が一人、金髪を振り乱しながら脱衣所へと駆け込んできた。貴族然とした服装に加え、腰には西洋剣のような得物を帯剣している。少年はオズへと目を向けると、なにを思ったのか、剣を引き抜いた。


「貴様……姫の入浴に押し入るとは……っ! 命をもってつぐなえ!」

「……ッ!」


 ヒュンと風を斬る音が、オズの耳の近くを通りすぎていった。紙一重で剣をかわしたオズは、床を転がり追撃を避ける。こいつ、強い――!


「ッ! 今のを避けるか! だが、武器も持たないで何ができる! 大人しく死にたまえっ!」


 高速の剣激がオズに迫る。ヒュンヒュンと音を立てながら飛んでくる太刀筋をかわしながら、オズは冷や汗をたらした。もしかしたら、ルークやアルスよりも強いかもしれない、と。


「ぐっ」


 炎の輝術(オーラ)を身に受けたダメージが、オズの体をむしばんだ。オズは体勢を崩し、そして、それを隙とみた貴族風の少年はゆがんだ笑みを浮かべた。


「ここまでだったな。はてろ! 性犯罪者め!」


 オズの首に剣が迫る。ぎりり、とオズは奥歯を噛みしめた。


「ルーク・ブレア参上!」

「――なにっ!?」


 オズの窮地を救ったのは、ルークだった。かけ声を上げながらルークが飛び蹴りをかまし、貴族風の少年は剣を引いて距離をとった。

 オズの隣に着地し、皇国の騎士剣を目にとめたルークは、「なんてやっかいなことに……」とつぶやいた。


「……ミュウ族か。なるほど、二人組の犯行だったというわけだな?」

「犯行? さて、なんのことですかね? 白騎士サマ」

「ミュウ族よ、口の()き方に気をつけたまえ!」


 見下したように吐き捨て、貴族風の少年――白騎士“ハイン・クレディオ”は騎士剣を構え直す。ルークが体中からマナを噴き出して相対し、立ち上がったオズは闇の輝術(オーラ)の準備をする。


「――オズくん! そのケガいったいどうしたの!?」

「セナ!」


 オズに駆け寄ったセナが、「ひどい火傷……」と痛ましげにつぶやき、癒しの輝術(オーラ)をかけ始める。セナは輝術(オーラ)を行使しながら、ハインへと顔を向けた。


「どうしてオズくんにこんなことするんですか!」


 厳密に言えば火傷を負ったのは赤髪の少女――ルークの会話から、彼女がエリカ姫なのだとオズは気づいていた――のせいなのだが、セナはハインを怒りのまなざしで見つめた。


「なんだその目は……! 分をわきまえろ、折れた耳(ブロキンゴア)!」

「なっ……!」


 ハインの物言いにオズが激昂しかけたその時。


「ハイン、剣を下ろして! その人たちがミュウ族なのは、今回のこととは関係ないわ!」


 脱衣所の向こうから姿を現したのは、浴衣を羽織ったエリカ姫だった。どうやらオズたちが戦闘を繰り広げている間に、物影で着替えていたようだ。風呂上がりで濡れた髪の毛が顔に張りつき、上気した頬は色っぽく、オズは思わずつばを飲み込んだ。


「――姫! ご無事でしたか」


 エリカはハインの前へ出ると、オズに目を向けた。目が合うと、彼女はたちまち顔を火照らせる。そして、オズをビシィッと指差した。


「ア、アンタ! さっきのはどういうことよ! 説明しなさい!!」


 オズは目の前の存在が皇族であることを思い出し、しばらく口をつぐんだ。はたして事の発端は何であったのか、考えた。


「……あの、エリカ姫、ですよね? なんで、男湯の時間にお風呂に入っていたんですか?」

「――えっ? 男湯?」

「貴様! なにをふざけたことを! 今は女湯の時間だろうが!」


 エリカは面食らったような顔をし、ハインが声を張り上げる。


「いえ、白騎士サマ。今は男湯の時間ですよ。入り口の看板を見なかったのですか?」

「そ、そうです! わたしもさっき見ました! 男湯って書いてありましたっ!」


 ルークとセナが言い返す。エリカは疑わしげな目でオズを見つめ、オズはどうやら話が噛み合っていないことに首をかしげた。


「ふ、仮に貴様らの話が本当だとして、その男が看板を『男湯』のものに差し替えたのではないか? 自らの行為を正当化するためにな!」

「オズくんは、そんなことしません!」


 オズは話を聞きながら、どうやら状況が悪そうだと肝を冷した。もし本当に今は女湯の時間で、その上で何らかの手違いによって『男湯』の看板になっていたのだとしたら……?


「ふぇぇ〜。いったい何事なのですか〜?」

「きゅううー?」


 今度はメイド服を着たメガネ少女が現れた。胸にゴンを抱えて。


「ゴン!?」

「きゅうー!」


 オズが驚いて声をかけると、ゴンは飛び出してオズに飛びついた。一連の流れを見て、ルークの黒縁メガネがきらんと光った。


「なるほど、そういうことですか。オズのラグーンを誘拐(・・)したのは、あなた方だったのですね?」

「誘拐!?」


 疑問の声を上げるオズへ、ルークは「まぁまかせて」と目配せする。


「誘拐だと? 貴様、なにを言っている?」

「ボクたちはペットのラグーンが先ほど行方不明になり、探していたのですよ。なぜ、オズのラグーンを彼女が持っていたのです? ……まさか、看板を差し替えてオズをここにおびき寄せたのも、彼女のしわざなのではないですか? 飼い主が犯罪を犯して投獄されれば、残ったラグーンを手に入れられる……なるほど、たしかにそこまでして欲しくなるのもわかりますよ。なにせ、ゴンは滅多にお目にかかれない希少種ですからね!」

「きゅう?」


 ルークは一気にまくし立てる。オズは、それをハラハラしながら聞いていた。皇族を相手に“脅し”をかけているように聞こえたからだ。


「スー・ミラン! どういうことだ! 貴様、いったいなにをした!」

「ハイン、ちょっと静かにしてて。……スー。なんであのラグーンを持ってたの? それに、浴場の入り口で人払いをしてってたのんだじゃない」

「ふぇ!? ご、ごめんなさい! わ、私……かわいいラグーンさんを見つけて、ほんの少しの間離れてただけなのです……!」

「貴様……なぜ姫の仰せつけを途中で放棄したのだ!」

「――ハイン! 黙ってって言ってるでしょ!!」


 エリカに怒鳴りつけられ、ハインは「くっ……」と口を閉ざした。メイド服の少女――スーは、おろおろと視線をさ迷わせている。エリカは短くため息をついた。


「今回のことは、これ以上とやかく言わないわ。それでいいかしら?」

「――なっ! 姫、なにをおっしゃるのですか!」

「ハイン! 黙りなさい!」

「……ッ」


 ルークは、ニコリと皇女へ笑いかけた。


「ええ、そちらがなにも言わないなら、ボクたちも誘拐うんぬんのことは忘れましょう」


 エリカはルークへうなずくと、次にオズの方に顔を向けた。またしても顔を紅潮させ、ぎこちなく口を開く。


「ア、アンタ! 二度はないんだからね! 覚えておきなさいっ!」


 フンッと顔をそらし、エリカはこの場を去っていった。「お、おさわがせしましたです!」と頭を下げたあと、スーがその背を追いかけていく。オズの腕の中で、ゴンが「きゅうー」と鳴いた。またね、とでも言うように。


「姫のお慈悲に感謝するがいい。劣等種族ども」


 〈白騎士〉ハイン・クレディオは、去り際に捨てゼリフを残していった。その一言にぶちギレそうになったオズだったが、セナに「大丈夫。わたし、あんなの気にしてないよ」となだめられ、苦々しい思いで見送った。

 ゴンが見つかったことにひとまず安心しつつ、オズは思った。ああ、どうしてこんなことになったのだろう、と。

 それは、プロバスター認定試験二日前の出来事であった。

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