第三話 ここだな?
荒地の真ん中にぽつりと存在する都市があった。それは、まるで砂漠に存在するオアシスのよう。土の国ザナの地方都市、ルカタウン。学園都市フロンティアにラインをもって隣接する都市として、多くの人でにぎわう街である。オズたち一行は、旅程九日目にして、この街へとたどり着いていた。
ガイストーン製の堅牢な城壁の内部、その街並みは土の国の文化を色濃く残し、ガイストーン製の家屋が一般的となった現代でも、レンガや石、土づくりの建造物が多かった。
「満室だった。でも、ゴンも一緒にってのがそもそもだめだったらしいけどな」
「きゅうー」
「わたしもダメだった。ミオさんはどうでした?」
「こっちも泊まれるところは見つかりませんでした。やっぱり、どこも受験生が多いですね」
街の広場。石づくりの噴水の前で、三人と一匹は肩を落とした。ゴンはオズの肩の上で、オズの真似をするように首をがっくりと下げた。夕焼けが哀愁の雰囲気を深くかもし出している。
学園都市フロンティアは目前である。大陸各国から受験生が殺到するこの街では、宿をとるのは容易ではなかった。
「いざとなったらバスタージムの宿舎で泊めてもらおうと思ってたのですけど、そこもいっぱいみたいで。――ごめんなさい。ジムの職員を経験しておきながら、役に立てなくて……」
「いえ、そもそも俺が規定レベルに達してなくて予約ができなかったので……ミオさんのせいじゃないですよ。とにかく、ルークとアルスを待ちましょう」
本来なら、受験のために遅くとも一か月前には滞在する街の予約をとるものなのだ。だが、オズが受験規定レベルの15に達したのが出願締切の直前だったため、予約が満足にできなかったのである。
「――あ、ルーク! そっちはどうだったの?」
「その様子だと、姉さんの方は収穫なしみたいだね。ボクたちの方は……うーん、泊まれるところはあったけどね。ただ、ちょっと問題が……」
「宿泊代が高すぎる。ありゃぁ、ぼったくりだ」
戻ってきたルークとアルスは、渋い顔を張りつけていた。どうやら、二人して同じ宿を見つけたようである。
「高いって、どれくらいなんだ?」
「一泊一人120,000メノだとよ」
「「「たかっ!!!」」」
「きゅう?」
報告を聞いた三人は思わず口をそろえた。当然だ。相場の十倍である。
「でも、あいてるんだろ? だったら泊まった方がよくないか? そこらへんで野宿するわけにもいかないだろ」
「オレは反対だぜ」
「なんでだよ。アルス、竜車酔いで疲れてるだろ? なんなら俺がお金を出してもいい。休めるときに休んでおかないと、試験にさわるぞ?」
いつぞやと違い、父の遺産を継いだオズには、そこそこの手持ちがあった。ムカデ型ガイム〈ガントム〉を倒したことで得られたガイストーンを、ジムで換金してもいい。
「オズ、じつは宿が東方諸国式でさ。アルスはそれがイヤなんだって」
「えー!? いいじゃないですか! 東方諸国式ならお風呂もあるんですよね?」
「わたしもむしろいいと思う! 高いけどそれならガマンできるよ!」
女性陣には好評のようだ。オズも同じく賛成である。
「アルス、いったい何がいやなんだよ?」
「オズ、てめぇ……まさか、東方諸国の文化を知らねえのか!」
「な、なんだよ急に」
ただならぬ空気を感じて、オズは口ごもる。
アルスは、カッと目を見開いた。
「東方諸国のやつらはなぁ、恐ろしいことに……ベッドで寝る文化がねぇんだ! “タタミ”とかいう床の上で寝るんだとよ! 信じられるか!? 床に寝るんだったら野宿とたいした変わりはねえじゃねぇか! そのくせ宿泊料金120,000メノ!? ぼったくりもいいところだッ! それに、東方式便所は最悪だ! オレは昔、あれでひどい目にあったことがあるッ!!」
拳を握りしめ、はあはあと息を吐き出すアルス。セナとミオは、彼の剣幕に少々引いてしまったようだ。――ああ、だめだ、ゴンも引いちゃってる。
オズはふと、気になったことを聞いてみた。
「……アルス、まさかお前、ベッドじゃなきゃ眠れないのか?」
「そっ、そういうわけじゃねぇけどよ……っ」
「じゃあべつにいいだろ。東方諸国式の宿で賛成の人!」
「「はーい」」
オズのかけ声に、セナとミオが手を上げた。ルークも、「ボクもさすがに野宿はやだなあ……料金については目をつぶるよ」と手を上げた。ゴンが、みなの真似をして片手を上げる。
「多数決で東方諸国式の宿に決定だ! アルス、あきらめろ」
「……けっ、勝手にしろ」
「きゅうきゅう」
――かくして、民主主義的できわめて平和な方法で、今夜の宿が決まった。
この街に滞在している客が多いからか、もうそろそろ夜だというのに通りは大勢の人が行き交っている。オズの頭に乗ったゴンが、街並みを興味深げに見やっていた。宿へと向かいながら歩く中、ルークが口を開く。
「あ、そうそう。じつは、問題はまだあってさ。まあ、たいしたことじゃないんだけど」
「まだあるのかよ?」
「うん。宿泊客の中に、ブリュンヒルデ皇国の第三皇女一行がいるらしいんだ」
「えっ、それってもしかして……あのエリカ姫?」
反応したのはセナだった。ルークはうなずく。
「そうだよ姉さん。そのエリカ姫。……驚いたんだけどね、彼女、プロバスター認定試験を受けるんだってさ」
「ええっ、本当ですか? 皇族ですよ?」
今度はミオが驚いたように手を口に当てた。オズは話についていけなくて、尋ねた。この世界の常識は、オズにはまだ到底わからない。
「そのエリカ姫、って有名な人なのか?」
「うん。すっごく有名なお姫様だよ。皇国建国以来の美少女っていわれるくらい容姿端麗な人で、公務のたびにテレビに映るくらい」
「うーん、アイドルみたいな感じか?」
「そうですね、近いと思います。あと、輝術の腕前も有名ですよ。プロバスター顔負けの火属性輝術の使い手だって聞きました」
「へぇー。ただのお姫様ってわけじゃないんですね」
「あ、そうそう。姫付きの騎士として、“神童”ハイン・クレディオも試験を受けるってさ」
思い出したように、ルークはつけ足した。それを聞きつけたアルスが、口をはさむ。
「おいおい、マジかよ。“神童”つったら、十三歳で〈白騎士〉の称号をもらったやつだろ? なんでわざわざバスターなんかに」
「さあー? お偉い人が考えてることなんか、ボクたちにはわからないよ。まぁとにかく、皇女様が同じ宿にいるってことは頭の片隅に入れといて」
新たに人の名前が出てきて、オズは理解するのをやめた。どうせ、そんな高貴な人たちと関わり合いになることなどないだろうと。
そうしてオズたちがたどり着いた宿は、高額な宿泊料にふさわしい、格式高い東方諸国式の高級旅館だった。ボストの街で見た、薬湯屋〈えにし〉と雰囲気がやはり似ている。敷地はかなり大きく、整地された庭園が晶灯で華やかにライトアップされていた。
男三人(+一匹)と女二人で別れ、それぞれ部屋へと案内される。和風のホテルを思い起こさせる部屋の一室。「くっ……これがタタミ……ッ!」などとアホっぽい発言をかます不良は無視し、オズは畳の上にごろりと寝転がった。ルークは旅行カバンから獣娘の写真集を取り出し、熱心に眺め始めた。――ああ、まともなやつはゴン、お前だけだ。としみじみ思いながら、しばしゴンとたわむれていると、夕食が運ばれてきた。
「――おっ! しゃぶしゃぶだ!」
「きゃう!」
運ばれてきた料理を見て、オズは思わず喜色を浮かべた。うすく切ったお肉と、色とりどりの野菜、そして鍋。オズはごくりとつばを飲み込んだ。料理を運んできた女将――和服チックな服を着ている――は、かすかに笑みを浮かべた。
「〈ススキ鍋〉というオウミの国の料理でございます」
「はん、うまそうじゃねぇか」
「うんうん。おいしそうだねえ」
「夕食は“食べ放題”となっておりますので、追加する際はお呼びください」
「――なにぃッ!?」
アルスの目が見開かれる。女将はくすりと笑い、「それではごゆっくり」と言って部屋をあとにした。
「そうか、そういうことかよ。……高い宿泊代は、夕食で元をとれっつうことだなっ!? ――ハッ、上等!」
「いやまて、それはチガウ」
「オズ、もたもたしてると先食べちゃうよ。もぐもぐ」
「きゃう!」
「あっ、おいゴン。鍋に近づいちゃあぶないぞ。俺がお前の分もしゃぶしゃぶしてやるからな」
――三十分後。腹のふくれたオズは、寝転がりながら試験対策ドリルを読み込んでいた。同じく食べ終えたルークは言わずもがな、少し離れた場所に座り込み、鼻息を荒くしながら雑誌を食い入るように眺めている。アルスは肉の追加をすでに四回もとり、にも関わらずいまだに肉をバクバクと口に放り込んでいる。ゴンはアルスの膝の上に移動し、アルスが取ってくれた肉を頬張っていた。アルスがゴンに優しく接していることに少々驚きつつ。オズは感心して口を開く。
「お前ら、よくそんなに食えるな……」
「はん、こんなんじゃ、120,000メノには遠く及ばねぇ!」
「きゅうきゅう!」
「……まあ、がんばれ」
――それからさらに三十分後。
アルスは倒れていた。
「くっ……苦しい……。食いすぎた。腹いてぇ……」
ドリルを横に置いて身を起こし、オズは呆れた目でアルスを見やった。
「最近薄々と感じてたんだけど……お前、バカだろ?」
「あん? てめぇ、今なんつっ…………うっ」
「大人しくしてろって。吐くぞ。――ってあれ?」
オズは部屋を見渡した。無様に倒れ伏すアルス、壁際に座り込み『月刊 ケモナー魂』を真剣に読みふけるルーク。
部屋を一周し、机の下、押し入れの中をのぞき込んだあと、オズは叫んだ。
「ゴンがいない!! どこに行ったんだ! ――おい、アルスッ! さっきまでお前と一緒に肉食ってたろ! ゴンはどうした!?」
「あん? そういえば、どこに行きやがったんだ? ……うぇっ」
「まったく――アルス、お前は寝てろ! ルーク! ゴンを探しに行くぞ!」
ルークは雑誌を閉じると、ため息をつく。
「まいったねぇ。『ケモナー魂』に熱中してる間に、まさかこんなことになるなんてさ」
「手分けして探すぞ!」
「りょーかい。ボクは姉さんにも知らせてくるよ」
オズとルークは、部屋を飛び出した。
* * *
「ほぇ〜。ヒマなのです〜」
大浴場の入り口で、一人の少女が所在なさげにつぶやいた。メイド服を着こなし、度の強い丸メガネをかけた少女だった。その側頭部からは、左右それぞれ山羊のねじれ角が生えていた。――その種族は、山羊系統の半獣人である。彼女の名前は“スー・ミラン”。ブリュンヒルデ皇国第三皇女、“エリカ・ローズ”姫の付き人である。皇国では、皇族の付き人は半獣人が務めるという伝統があるのであった。ぽやっとした言動からは想像しにくいが、彼女はエリカ姫とともにバスター認定試験を受験予定の、れっきとしたバスター予備生である。この旅館に宿泊している皇国の一行は三人。皇女のエリカ姫、姫付き騎士のハイン。その二人に続く三人目が、彼女、スーだった。
『お風呂には一人で入りたいから、スーは入り口でだれも来ないように見ててちょうだい』
エリカ姫にそう言いつけられ、スーは入り口にたたずんでいた。
入り口の横に立てかけられた看板には、『ただいまの時間、女湯でございます』とでかでかと記されている。
試験勉強のために参考書を持ってくればよかったです……などと考えながら時間をもてあましていると、視界の隅に白い影が入り込んだ。
「きゅうー」
白くて小さなラグーンだった。とことことスーの近くまでやってくると、「きゅう?」と一鳴きして顔を上げる。
「ふわぁ、かわいいラグーンさんなのです!」
「きゅうきゅう」
「ほぇ? どこに行くですか? まってください〜。……あたっ」
バタン。
「イタタ……。あっ、ラグーンさん、まってなのです〜」
「きゅううー」
羽をパタパタはためかせながら遠ざかっていくかわいらしい白ラグーンを、スーは思わず追いかけていく。――職務怠慢である。そして去り際、大浴場入り口の看板にぶつかり、それをひっくり返してしまったことに、本人は気がつかなかった。看板は裏返しになり、裏に書かれた文章が躍り出た。
――『ただいまの時間、男湯でございます』
数秒の後、一人の少年がそこを通りかかる。――白ラグーン、ゴンを捜索中のオズであった。
「おーい、ゴン! ――変だな、こっちから鳴き声が聞こえたんだけど。……ん?」
看板に気づいたオズは、『男湯』の文字をじっと見つめ、そして『ゆ』と書かれた暖簾を確認し、その奥を見やる。
ぴかーん、と直感のようなものを感じとり、オズは悟りの微笑を浮かべ、ひとりうなずいた。
「――ふっ、ここだな? 隠れても無駄だぞゴン」
オズは暖簾をくぐり抜け、足を踏み入れた。――決して入ってはならない、パンドラの地へと。




