Epilogue いってきます
バルダ・リトヘンデは、有する一切の財産を、息子オズ・リトヘンデに相続させる。
花屋〈サン・ラトリ〉――つまり、バルダの自宅から、遺書が見つかった。蜂蜜食堂の女将、ミダによると、もしオズの記憶が戻らなかったら、自分の養子とすることを決めていたらしい。
財産を譲るということは、花屋を譲るということでもある。バルダは、オズにバスター以外の逃げ道を残してくれていたのかもしれなかった。やはり、バスターは危険な仕事であるからだ。
花屋はオズのものとなったが、だからといってオズが目指すものは変わらない。ガイムバスターになることだ。
バルダが花屋をやっていたのは、死んだ奥さんが残したものを”守る”ため。たとえガイムバスターであっても、花屋であっても、その”守る”という意志は優劣のつけられるものではない。
オズは、バルダの意思を引き継いで生きていく。”守る”という意志を――
だが、だからといってバルダの愛した人が残した花屋を、放り出してしまうのは嫌だった。そこで、ミダが手を差し伸べてくれた。オズのいない間は、ミダが花屋をあずかることになったのだ。「花屋を開けることはできないけど、いつでも再開できるようにアタイが管理しといてあげるよ」と。
暖かい風が吹く中、オズは街の教会に足を運んでいた。季節は夏に入るかというところで、まばゆい太陽がオズを照らしている。教会の裏にあるのは、墓地。オズは墓参りにやってきたのだ。
ガイムの襲来から一週間あまりがたっていた。結論から言えば、今回の襲来は〈波〉ではなかった。もし波であるならば、突然変異体が一体だけのはずがない。なにより、波は一国を滅ぼすほどの規模をもっているのだ。セナやルークの一族――ミュウ族の国が、滅びてしまったように。
ガイムは、突然変異体を頭として群れることがあり、今回の襲来はそれにあたる。だが、街の城壁が突破される寸前になることはめずらしい。この出来事は〈災害指定級〉として、バスター連盟に報告されたのだった。
そのせいか、突然変異体を倒したオズは、いまや大陸中に名前が知れ渡ることになってしまった。Aランクバスターの息子であった、という事実と合わせて、連日、新聞やテレビでその名が上がっている。街を歩くだけで注目され、オズはどうにも落ち着かなかった。英雄などと言われても、オズにはピンとこなかった。
オズが目覚めた能力――超越輝術は、あの日から鳴りをひそめていた。これは、〈超越輝術の片鱗〉と呼ばれる状態らしい。超越輝術は、発現してから使いこなせるようになるまで、時間がかかる場合がある。
だが、剣の腕は明らかに上がっていた。「バルダの剣技を見ているようだ」とガロンは言った。なぜオズがバルダの技術を受け継いだのか。これも、まだ謎に包まれたオズの超越輝術の一端なのかもしれない。
加えて、レベルが低いにも関わらず超越輝術を発現するのは、今まで例がないことだ。夢の中で出会った少女、エヴァは言っていた。「あなたの魂には、ほかの人間にはないものがある」と。オズが超越輝術に目覚めた理由は、そこにあるのかもしれない。
エヴァという少女のことは、調べたり、聞いたりしてみたが、なにもわからなかった。得体の知れない不気味さは残るが、オズのやることは変わらない。ただ、前を向いて歩き続けるだけだ。
わからないことといえば、まだあった。突然変異体が、オズを狙ったこと。突然変異体を倒しても、その体を吸収できなかったこと。だが、後者についてはそれでよかったのかもしれない。突然変異体が消滅したあとからは、巨大なガイストーンが見つかったのだ。それがあれば、街の復興の一助となるはずだ。
真新しい墓石が多く並ぶ中を、オズは歩く。街のために命を落としたバスターのものだ。ボスト・シティは救われたが、代わりに大勢のバスターが犠牲になった。犠牲者の中には、下級バスターだけでなく、上級バスターもいた。そのすべてが、バルダがオズを守って死んだのと同じく、仲間や下級バスターをかばって死んだのだった。街をあげての盛大な葬儀では、多くの人が戦死者を思い、涙した。その最中、オズはこの世界の不条理を垣間見た気がした。こんなにも人は簡単に死ぬのか、と。バルダのような強者でも、この世界ではあっけなく死んでしまうのだ。
バルダの墓は、新しい墓が並ぶ場所とは離れたところにあった。妻と一緒に眠ることになったからだ。
オズの手には紫色の花――リュコエが握られていた。バルダの妻が好きだった花だ。オズは、花屋でバルダの妻の写真を見つけていた。その瞳は深く、吸い込まれそうな紫色だった。オズには見慣れた色。毎朝、顔を洗うときに鏡の前で見ている。自分の瞳の色と、一緒だった。
墓の前で、オズは膝をついた。
「認定試験を受けに街を離れるからさ、挨拶をしにきたよ」
時がたつのは早いもので、ボスト・シティを離れる日が訪れていた。オズは、別れの挨拶をしにきたのである。
「結局言えなかったけど、俺は異世界からきた人間なんだ。……だから多分、父さんの息子の生まれ変わりじゃないと思う」
オズは、バルダに自分の秘密を打ち明けられなかったことを後悔していた。そして、自分がバルダの息子の生まれ変わりではなさそうであることを、残念に思っていた。
バルダの妻が流行り病で亡くなったのが、十五年前。それから、その魂が遠い世界の日本で生まれることがあるだろうか。そもそも、元の自分の年齢は十五より上だったかもしれないのだ。
「もしかしたら、天国で本当の息子に会ってるかもしれないな。がっかりさせてごめん……。でも、父さんは許してくれるよな。俺が、”オズ・リトヘンデ”って名乗ること」
オズは手に持った花を、花立てに供えた。
「自分がどんな存在なのか、まだよくわからない。だけど、生きる意味はわかった。この花に誓うよ。これから俺は、父さんの意志を引き継いでいく」
リュコエの花言葉。それは――“君を守る”
オズは立ち上がった。
「なにもない俺の心を温かく満たしてくれたのは、父さんなんだぜ? ――ありがとう。父さんに出会えてよかった」
言うべきことは言い終えた。その場を去ろうとして、オズは背を向けるが。
「――あ、あと、Gブレードもらってくぞ。俺のはどっかにいっちゃったからな。父さんのGブレード、使いやすいし」
そして。
最後に、言わなきゃならないことが、まだあることに気づいた。
「じゃあ……いってきます」
オズは今度こそ、背を向けた。それを見送るように、温かい風が吹く。墓の花立て。供えられた花が、風に揺れた。
オズはその足で北門へ向かった。〈ライン〉が伸びているのは街の南北。そこから、学園都市フロンティアへ行くことになる。旅程は十日。他国を横断しての長い旅だ。だが、ボスト・シティはまだ近い方である。遠いところだと一か月以上かかるという。それで試験に落ちたら、悲惨なことになるが……
北門に着くと、竜車が数台とまっていた。ラインを渡る定期便である。護衛として、プロバスターが何人かついている。
街を出る客の見送りのためか、大勢の人が集まっていた。街から街への移動もこの世界では大変である。万が一のこともある。見送りをするのも当然かもしれない。
「――オズくん、こっちこっち!」
オズが振り向くと、見慣れた仲間の姿があった。いつもと違うのは、赤髪の少年――アルス・アトラスもその場にいたことだ。最近は予備生で行動をともにする機会が増えた。殴り合いをしたことで、アルスはなにか吹っ切れたようだ。
セナやルークは、アルスの過去の暴言を許すことにしたらしい。ルークは模擬戦の相手が増えたと喜んでいた。アルスも満更ではなさそうで。この一週間、嬉々として模擬戦を行う二人の姿がジムで見られた。やはり二人は根っからの戦闘好きらしい。オズは一歩引いてそれを眺めていた。
セナが「オズくん」だなんて口に出して言ったものだから、周囲がざわつき始めていた。オズは駆け足で、三人の元へ近づく。
「遅かったじゃねぇか」
アルスが声をかけてくる。オズは冗談めかして。
「ごめんごめん……そうにらむなよ」
「……べつに、にらんでねえよ。元からこういう顔だ」
むすっとした顔で答えるアルス。もっと笑ってもいいのに、とオズは思う。
「オズくん、もう少しで出発だって」
「いやぁそれにしても、オズもずいぶんと人気者になったねえ」
ミュウ族の姉弟もオズに声をかける。オズは頭をかいた。
「人気っていうか……やっぱ慣れないな……」
周囲からの視線を感じながら、オズは落ち着かない気持ちをもてあました。荷物を竜車の御者にあずけながら、セナが口を開く。
「それにしても、オズくんのレベルが間に合って本当によかった」
「ああ。でもみんなと比べるとなあ……」
オズは苦笑する。
現在、四人のレベルはこうなっている。
オズ :15
セナ :19
ルーク:22
アルス:20
突然変異体を倒し、膨大な経験値を得たオズ。それでも明らかに、オズのレベルは低かった。というより、予備生でレベル20越えの方がめずらしいようなのだが……
「オズ、いいこと教えてあげようか。オズが間に合わなかったら、姉さんは試験を一年見送る気だったんだよ」
「――えっ? マジで?」
「ちょっとルーク、よけいなこと言わなくていいから!」
セナはルークを小突いた。そして、恥ずかしそうにオズを見る。
「だって、オズくんのそばにいてあげるって約束したもん。……オズくんは、もう忘れちゃったかもしれないけど」
自分で言って恥ずかしかったのか、セナは顔を赤らめた。
オズは思い出していた。二人で星空を見上げた夜のことを。
「忘れるわけないだろ。ありがとうなセナ。……これからもそばにいてくれ」
「――うん!」
セナが笑顔を輝かせた。それを見てルークがにやにや笑い、アルスがつぶやく。
「まったく……なんつークセえ会話してんだよ……」
しかし直後、アルスの顔は引きつった。
「――げっ! ババア!!」
アルスの視線の先。孤児院の院長がこちらに近づいてきていた。どうしていいのかわからない様子で、アルスは固まったままだ。
「アルス、試験がんばってきなさいね」
オズたちのもとに近づいた院長が、アルスへ笑みを向けた。
「お、おう……」
視線をさ迷わせながら、つぶやくアルス。次に、院長はオズへ顔を向けた。
「オズさん、ありがとう」
「えっ?」
「オズさんなら、この子の友だちになってくれるんじゃないかしらと思っていたの」
「――ばっ、なに言ってやがる! コイツは、と、友だちなんかじゃねえからなッ!」
アルスが慌てた様子で叫ぶ。院長はクスリと笑った。
「アルス。辛かったら、いつでも帰ってきていいからね」
「――! あ、ああ……」
またもや、ぶっきらぼうに返すアルス。
「じゃあ、私はこれで。――オズさん。アルスのこと、よろしくたのみますね」
「はい。まかせてください」
オズは一種の使命感のようなものを感じて、院長へうなずいた。それを聞きとどけると、院長はきびすを返した。離れていく院長の背を、アルスが見る。その目には、迷いの色が見えた。
試験に合格したら、そのまま学園生活が始まる。学園生活は五年間。つまりその間、この街を離れることになるのだ。
「――おい! まてよ!」
アルスが院長を呼び止めた。振り向いた院長に、アルスは戸惑いながら、声をしぼり出した。
「……い、いってきます」
院長は一瞬目を丸くしたが。微笑んで、アルスに返事をする。
「いってらっしゃい」
そうして、院長は去っていく。アルスは、少し涙ぐんでいた。オズを含めて残りの三人は、それを微笑ましげに見つめたのだった。
その後も、お別れを言いに知り合いが足を運んでくれた。
書類仕事に追われる中、わざわざ会いにきたジムマスターのガロンからは、「お前はいずれ世界をしょって立つバスターになる。期待してるぞ」と激励をもらい。
蜂蜜食堂の女将、ミダは店を抜けて弁当を届けにきてくれた。セナは別れを惜しみ、号泣していた。そんな姉につられてか、ルークも寂しそうだった。オズは世話になった礼とともに、「花屋をお願いします」と頭を下げた。
「オズ。セナを泣かせるんじゃないよ!」
ミダが肩をばしばし叩いた。相変わらずの力加減に肩を縮こまらせながら、オズはうなずいた。
「時間になりましたので、出発いたします! お客さまは竜車に乗り込んで下さい!」
御者の声が響き渡った。利用客が竜車に乗り込んでいき、オズたちもそれに続いた。セナは最後までミダに抱きついていたが、やがて、名残り惜しそうに竜車に入った。そして、先頭の竜車が走り始める。
「あ〜! まってまって! 私も、乗ります!」
そんな声とともに、一人の女が姿を現す。
「――あれ? ミオさん?」
息をきらせて竜車に乗り込んできたのは、バスタージムの受付嬢――ミオ・アプトンだった。両手に、大量の荷物を引きずって。
「ミオさん、どっか行くんですか?」
「じつは私、学園都市フロンティアへの転勤が決まったんです! だから私、これからもオズ君の担当を続けられそうです!」
「えっ、そうなんですか?」
距離をつめるミオにすこし動揺しながら、オズは答えた。そこにセナが割り込んだ。
「じゃあせっかくなので、わたしやルークの担当にもなってください。オズくんだけっていうのも変じゃないですか。同じボスト・シティ出身なんですから」
「そ、それもそうね。セナちゃんの担当も務めさせていただこうかしら……」
ピンと張った細長い耳と、桃色のウサミミ。笑いあう美少女と美女。どこか底冷えするような空気を感じ、オズは二人からそっと離れた。この二人、仲が良いのか悪いのか、よくわからない……
「もしかして、オズって耳フェチ?」
ルークがつぶやいた。アルスはなにかに気づいたように、慌てて自分の耳を隠す。半獣人であるアルスからは、狼のような獣耳が生えているのだが……
「なんで隠すんだよ。せっかく立派な耳をもってるのに……。アルスの耳、けっこうかっこいいと思うけどな」
「お、お前、気持ちわりぃやつだな……」
アルスが恐ろしげに言う。
「――あ、もちろん、ルークの耳も俺は好きだぜ!」
ミュウ族のルークからは、セナと同じく細長い耳が顔の横から飛び出ている。ルークは、なぜだかがっかりしたように肩を落とした。
「あぁ……姉さんはきっと苦労するな、これは」
「え、なんだよ急に」
「いやぁ、なんでもないさ。あはは……」
やがて、オズたちを乗せた竜車も走り始めた。セナは窓から顔を出し、涙を流しながらミダに手を振っていた。オズは、窓からだんだん小さくなっていくボスト・シティの風景を眺めていた。ほかの面々も、思い思いに窓の外を見つめていた。
しばらくして、見送りの人々の姿が小さくなり見えなくなると、セナは窓から顔を引っ込めた。目をごしごしこすり、不意に「あっ、そうだ」とつぶやく。
「わたし、サンドイッチ作ってきたんだった!」
「「……!!」」
固まるオズとルーク。
忘れもしない。あの殺人的な味を。
セナはカバンから包みを取り出すと、オズに見せた。
「ほらみて。オズくんが前においしいって言ってくれたやつ、作ってきたよ!」
包みを開けると、そこにはおいしそうなサンドイッチが。
――見栄えはいいのである。恐ろしいことに。
「わあ、おいしそうですね!」
ミオが両手を合わせてそれを見る。腹をすかせていたのか、アルスがごくりとつばを飲んだ。
「あー……、今はお腹すいてないから、あとで食べるよ」
オズは顔を引きつらせつつ、その脅威を後回しにすることに決めた。
「あ、じゃあ、私がひとつもらってもいいですか? 私、お腹すいちゃって」
「……おい、オレにもよこせ」
なにも知らない二人がサンドイッチに手を伸ばす。それを見たルークは細長い耳をしゅんと萎れさせた。なにか、恐ろしい未来を幻視してしまったのかもしれない。
オズは現実逃避するように、窓の外へと視線を移した。
人の手の入り込んでいない、草原が広がっていた。
自然が、どこまでも淡々と続いている。
空は澄み渡っていた。
海のような青空が、はてなく続いていた。
道は長かった。
先は見えない。
オズが歩み始めた旅路は、まだまだ始まったばかりである。
これにてEpisodeⅠは完結となります。次話からEpisodeⅡです。




