4.咲子のいない日
「そうですか…」
さやかは、咲子の母親に、咲子の体調が思わしくなく、今日は学校をお休みすることを告げられて、玄関の前で肩を落としていた。
「昨日の疲れが残ってしまったのでしょうか…」
心配するさやかだったが、
「さやかなんて、だいきらい、しんじゃえ!」
2階の咲子の部屋から、かすかに声が聞こえてきた。
さやかは、昨日なにか咲子の気にさわることをしただろうか、思い出してみたが、メールもきちんと送っているし、心当たりはなかった。
母親は、すまなさそうに、
「ときどき、こんなことはあるの、あなたのせいじゃないわ」
咲子の母親は、さやかを心配させまいと笑顔でそういってから、玄関を閉じた。
咲子が学校に行かないのなら、その付き合いで学校へ行っているさやかも行く必要はないのだが、一応、中学生ということになっているので、こんな日も学校へ行っていた。咲子の周囲の環境のリサーチということもあったし、なにより、休んでいる咲子のために授業をまとめたノートを作成することが目的だった。
いつものように、電車に乗ると、大人やほかの中高生の制服にまじって、さやかと同じ中学校の制服を着ている子もちらほら乗ってきた。
クラスメートの子もいたが、さやかはちらっと目をやっただけで、それきり窓を流れるいつもの景色に目をやった。
「キャハハ!」
みみざわりな、聞き覚えのある甲高い声にさやかがふりむくと、クラスメートの花音が4,5人の友人たちと楽しそうに話していた。もっとも、さやかには、バカがさわいでいるようにしか見えなかった。
というのも、花音が咲子を仲間はずれにしている張本人らしいのだ。仕事で、咲子の友達をやっているとはいえ、さやかは花音によい感情を抱くことはできなかった。それでは、一流とはいえないと、さやかの作成した咲子の調査報告書を見た美羽から注意されるのだが、まだ子供なので、一流じゃなくていいよと、言い返した。
学校へついたさやかは、始業時間まで誰とも話さず、机の上で、本を読んでいた。ときどき教室を見渡すと、花音のグループの女子たちが、さやかのほうをちらちら見て、笑っているのだった。いつも咲子と一緒のさやかが、一人でぽつんとしているのが、おもしろいのだろう。
仕事として学校に来ているさやかは、この教室で起こることは別世界のような気がしているので、とくに気にすることはなかったが、咲希に関する情報を得ることができるかもしれないので、本を読むふりをしつつ、花音たちの会話に耳を傾けていた。
「やっぱり休んだねー」
「どんなの送ったの」
「よく見てくれたね、へー、そうなんだ、さやかのふりして…」
「うわ、ひどいね、花音やりすぎ!」
その後、また内輪で爆笑していた。さやかがすぐそばにやってきていた事に気がつかずに。
「あっ…」
花音が気づいたときには、彼女の携帯電話は、さやかの手に握り締められていた。
「返してよ! 人の携帯!」
花音の叫びを無視して、さやかはその場で携帯電話の画面に目をやった。
件名:さやかです
私はずっと前から、あなたのことがだいきらいでした。
先生やあなたのお母さんに言われて、いやいや友達でいただけです。
でも、自分にうそをつくのはやめます。
わたしは、あなたが大嫌いです。
明日から、いえ、たった今から、近寄らないでください。
永遠のさよなら さやか
「ほんとに、これ、送ったの…」
さやかの声は震えていた。その表情を見て、まずいと思ったのか、花音以外の女子はうつむいて押し黙った。
「送ってないよ、冗談で、作成しただけだよ」
花音は、すぐわかるうそをついて、さやかの手から携帯電話をうばいとろうとした。見ると、メールは送信済みフォルダに格納されていた。
「こんなことして、咲子が自殺でもしたら…」
さやかの目から涙があふれた。花音に怒るより、これを読んだ咲子が、たった一人の友達の、自分すら失ってしまったと誤解してしまったら、咲子は一人ぼっちになってしまう。咲子はさやかが施設から派遣されているとは知らないのである。
一刻も早く、このメールが花音により偽装されたものだと伝えなければならない。
「うるさい、携帯返せよ!」
花音は、さやかにとびかかってきたが、
「これは、先生に見せます、証拠品として」
さやかは教室を飛び出すと、階下の職員室行こうと、廊下を駆け出した。
「あ、桜子先生!」
朝の会に出席するため、出勤簿を片手に、担任の桜子先生が歩いてきていた。
さやかは、一度呼吸を整えてから、桜子先生に、いきさつを説明した。
「…そう」
桜子先生は、めんどくさそうな表情でさやかを見つめた。その表情をみて、さやかは胸につきささるものを感じた。気分が悪くなってきたが、さやかは続けた。
「遊びではありません。これはいじめです。このままじゃ、咲子、しんじゃう!」
さやかは、また泣きそうになったが、必死でこらえた。
「…それは花音さんの携帯みたいね。早く返してあげなさい」
桜子先生の無表情に、そこしれぬ冷たさと恐怖を感じたさやかは、前にも、誰かにこんな表情で見つめられたことを思い出していた。でも、それがいつ、どこなのか思い出せない。
桜子の表情は、さやかに怒りと恐怖を感じさせた。まるで、この世のすべての人から見捨てられたような気にさせられた。
─さやかさん、今日はもう戻りなさい!
さやかの頭の中に、美羽の声が響いていた。さやかの様子は、メガネについた小型カメラや腕時計形の生体情報測定装置により、つねに施設で美羽によりモニターされている。
美羽も、さやか一人にはりついているわけにはいかないので、おかしな兆候がでたときは、警報がなって、知らせるようになっていた。
ガラスが割れる音がした。
さやかが、桜子を2階の窓へ向かって、つきとばしたのだった。
「お前もしね!」
割れたまどから、半身が出ている桜子を、さやかは、ためらうことなく、突き落とそうとする。ガラスの割れる音をきいて、廊下には、たくさんの生徒がでてきていた。
「だれか! 早く、ほかの先生よんできてよ!」
「キャー、いやーっ!」
「いや、警察だろ! 電話!」
パタパタと数人が駆けていく音がさやかの耳に入った。こんなことをしているのに、冷静だった。
花音たちも、ほかの生徒の後ろで、青いかおで、さやかと桜子を見つめていた。
施設で、様子を見ていた美羽は、さやかの様子をみていた。画面には、窓から身を乗り出しておちそうになっている桜子のあわてふためく表情が写っていた。
すこしだけまよって、美羽は、画面の左下にある、赤い「非常停止」のボタンをクリックした。