12.姉妹
─ねえ、おきて…
聞き覚えのある声に、目を覚ましたさやかが顔を上げると、そこには、どこかで見覚えのある黒髪の女性が、心配そうに自分を見つめているのが、目に入った。そして、派遣されて高校に通っていた、真面目だった頃の舞子に似ているのを思い出した。
「もしかして、舞子、さん?」
すわったままのさやかに聞かれて、その女性はこくりとうなずいた。手には、スーパーの袋をぶら下げていた。服は上下とも、グレーのスーツで、化粧もごく控えめなものだった。
「美羽さんから聞いてる。入って」
舞子は、ドアを開けると、さやかを招き入れた。
「そこにすわって、ゆっくりしてて」
部屋はシングル用の6畳一間でキッチン、バス、トイレ付きのものであった。玄関横のキッチンで、舞子はお湯を沸かしている。
さやかは促されるまま、部屋の丸テーブルのそばにおいてあったクッションに腰を下ろし。、美羽から預かった薬の入った紙袋を置いた。
「ごめんね、美羽さんから聞いていたんだけど、塾の先生の仕事で、遅くなっちゃって」
舞子は、部屋にやってきて、スーツとブラウスを脱いで、下着姿になった。さやかはおもわず、目をそらした。
「あら、かわいい」
美羽から、さやかについてのすべての事情を聞いていた舞子は、さやかの中に残っているさとしをからかった。
「でも、いいなぁ、わたしなんて、自分が何だったのか、ぜんぜん思い出せないんだから」
と、舞子はすこし寂しそうだった。
「制服、汚れちゃってるから、明日クリーニングに出しとくね」
舞子はさやかに歩み寄ると、さやかが脱いだ制服、スカートに、ブラウスを受け取った。制服には血はついておらず、ほこりはクリーニングすれば、よさそうだった。
「あの、着るものがありません…」
下着姿にされ、さやかは両手で胸を覆って、舞子に言った。
「あ、ちょっとまってね」
舞子は箪笥から、ひらひらのフリルつきのブラジャーとショーツ、そして、花柄のピンクのパジャマを取り出して、さやかに向かって放り投げた。余計な装飾がなく、無地のものしか着てこなかったさやかは、すこし戸惑った。でも、お世話になっているのに、選り好みはできず、着ることにした。さやかはそれをもって、浴室に向かった。
湯船につかりながら、さやかは自分の体のあちこちを眺めたり、なでたりしてみた。
今まで女の子だから当たり前と思っていた自分の体だけど、記憶を取り戻してから見てみると、衝撃的だった。
足の間にあるべきものがなく、すこしふくらんでいる胸を触ってみると、やわらかくて、自分の体じゃないみたいな気がした。
どうして今まで、自分が女の子なのに、女の子的なものを避けていたのか、少しわかった。そして、さやかは咲子が好きなことも。
お風呂から上がると、舞子はテレビを点けて、本を片手にコーヒーを飲んでいた。
ちいさな花がちりばめられたパジャマに着替えたさやかは、そっと腰を下ろした。着用しなれていないブラジャーがごわごわして違和感があった。テーブルに灰皿がないのを見て、さやかは、
「たばこ、やめたんだね。よかった」
「うん、あの時は、施設がわたしを次の風俗業に派遣するために、お客のニーズに合うように心をいじられていたの。美羽さんに教えてもらわなかったら、わからなかった」
舞子は、コーヒーを口につけた。
さやかが部屋を見回すと、塾の仕事に使うのだろう、本棚には、高校生向けの参考書、それに付随する資料がぎっしり詰まっていた。
「今は、塾講師として、施設から派遣されているんですか?」
「施設はもう抜け出してきたんだ。前に派遣された風俗店で、ひどい目にあって、しかも、その記憶を消して、何度も連れて行かれたの。怖かった。心をいじられて、あんなにひどいことをされても、へらへら笑っているようになって、でも、そうなったことすら、自分ではわからなかったの…。施設は、私の製造費を回収しようと、遮二無二水商売を強制してきたの」
よほど辛い記憶なのだろう。舞子は、思い出してしまったのか、涙をこぼし始めた。
「段々、自分が壊れていくのに耐えられなくなって、施設を飛び出したの。行くあてもなかったけど、以前、派遣で大学入試のために、勉強した経験のおかげで、個人経営の進学塾の講師として雇ってもらったの。結構評判いいんだから」
「へぇ…、さっすが」
さやかは感心する。舞子の用意してくれたホットミルクを口に含んだ。コーヒーを希望したが、子供は眠れなくなるよ、と言われてしまった。さとしの人生を足すと、さやかは28歳なのだが、中学生までを2回繰り返すのと、28歳まで過ごすのとは、人生の経験が違うのはわかる気がする。
「しばらくして、美羽さんが、その薬をもって、この部屋にやってきたの。というのは、さやかさんもそうだけど、私たちの体は、再編成によって作り直されたものだから、通常より基となる細胞が古くて不完全だから、毎日その薬を飲まないと、体に異常がでちゃうんだって」
舞子はテーブルの上の薬を指差した。
「これを定期的に服用しないと、細胞が、がん化してしまうの、って聞かされたわ」
以前、さやかが桜子先生を窓から突き落とそうとした後の幹部会議を、立ち聞きしたとき、自分はあと4~5年の命だと施設の偉い人が言っていたのを覚えていた。もっとも、その直後一に、度抹消されたものの、また思い出した、といったほうが正確である。
「ということは、あと、4、5年で、私はがんで死んじゃうの?」
さやかは気になっていた事を聞いてみる。
「その薬を服用しない場合は、てことらしいわよ、美羽さんによると。実際、美羽さんは30歳になるのに、まだ生きているよね」
舞子の答えに、さやかは、ほっと胸をなでおろした。消えてもいいと思っていたのに、いざ死を突きつけられると、怖いものだなと思った。
そして、その薬は施設にいるときは、食堂の食事や飲料水に巧みに混入されていて、知らず知らずのうちに摂取していたということだった。
舞子は、テーブルの上の薬を取り出した。何の変哲もない、白い錠剤であった。2錠取り出すと、一つをさやかに手渡した。
「美羽さんは、毎月危険を犯してまで、この薬を届けてくれるの。これからは、さやかも毎日忘れず飲みなさいよ」
舞子の言葉に、さやかは、手のひらの錠剤を見つめて、こっくりとうなずいた。
布団が一つしかなかったので、今日のところは、一緒に寝ようと誘う舞子に、さやかは照れながらも応じることにした。
「ずっと、一人でさみしかったんだ」
暗くした部屋には、都会の喧騒とともに、カーテンからは街の明かりが漏れてきていた。
舞子は、さやかと違って、以前の自分の記憶がない。両親や家族、親戚、友人、すべてから引き離されて、一人ぼっちだった。
「さやかが来るって美羽さんから聞かされたとき、うれしかった」
舞子はそう言うと、さやかの方へ顔を向け、右手で、髪のケアのため、タオルを巻いて寝ていたさやかの頭をなでた。
「なんか私たち、姉妹みたいだね。施設でも、ずっと一緒にいたし」
さやかがつぶやくと、舞子はうふふとわらった。そして、
「私は、お金をいっぱい稼いで、自分のこの体を施設から買い取るの。そしたら、つかまったり、処分されるのにおびえて、隠れてくらさなくてもよくなるわ。もちろん、さやかも一緒に買い取ってあげる」
舞子は意気込んでいた。しかし、体を買い取るために、施設に支払う金額は途方もない金額である。それだけ、さやかたちを再編成して作り出すのに、費用がかかっているのだった。あるいは、生まれ変わりたいという理由での安易な自殺を防止するためのペナルティかもしれない。でも、舞子の頭脳をもってすれば、あるいは、とさやかはすこし期待もした。




