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11.施設からの逃亡

 さやかは、美羽の親族みたいに、ずっと寄り添って、心配そうに見守っていた。

 美羽は、先ほどの麻酔のおかげで、心地よさそうに眠っている。

 3時間ほどで、車は施設最寄の病院へ到着した。ここの病院は、一般の患者も受け付けている、施設職員のための病院なので、秘密を守ることができた。

 美羽は救急車から下ろされ、担架に乗せられて、そのまま手術室へ運び込まれて行った。

 後を追って行ったさやかの目の前で、手術室の扉は閉じられ、手術中の赤いランプが点灯した。

 さやかは、壁際の背もたれのない黒い長椅子に腰を降ろした。さやかのしているピンクのベルトの腕時計は、お昼前を指していた。

 山の中にあるこの病院は静かで、朝からのいろいろな出来事で疲れていたさやかはうとうとし始めた。

 どのくらい時間が経過したのだろう。さやかは不意に目を覚まし、立ち上がると、病室の窓から外の景色に目をやった。

 秋も本格的に深まり、空は青さを増していた。少し寒そうに感じられる。

 でも、透き通ったどこまでも続いていそうな青空を眺めるのが、さやかは好きだった。

─咲子、学校でうまくやっているかな。

 うしろで物音がしたので振り返ると、女性の看護士にストレッチャーを押されて、手術を終えた美羽が出てきていた。

 

 さやかは病室へ行き、美羽のそばへ付き添った。美羽は、まだ目を覚ます様子はなかった。

 病室は狭かったけど、個室であった。秘密を保持したいという施設の判断だろう。

 さやかは、美羽のやすらかな寝顔と、青い窓を交互に見つめて、暇をつぶしていた。

 さきほど、施設の救急隊員がやってきて、施設に戻るよう促されたが、さやかは、美羽が目覚めるまで、離れないと断った。

 その隊員は仕方なさそうに、部屋を出て行った。

 

 いつの間にか日は沈み、部屋は薄暗くなっていた。さやかは、美羽が寝ているので、電気を点けず、自然にまかせておいた。

「あ…」

美羽がうめき声を上げたので、窓から星を眺めていたさやかは、急いでベッドへ駆け寄り、美羽の手を取った。月並みと思ったが、自分の手のぬくもりが刺激になり、少しでも、早く意識が回復してほしいと願っていた。

「さやか、さん?」

美羽は、首だけをこちらに向け、さやかを見つめた。廊下の明かりが個室内に漏れていた。

「そうだよ! よかった、先生呼んでくるね!」

さやかが立ち上がろうとすると、美羽はさやかの制服の袖をつかんで制止した。

「…静かにして、それと、何か書くものあるかしら」

美羽は、まだ完全に麻酔からさめていないのか、発音がおぼつかなかった。さやかは胸ポケットの生徒手帳と、それに刺してあった小さいボールペンを美羽に渡す。美羽は、傷口が傷むのか、つらそうな表情で、そろそろと起き上がる。

「だめ、無理しちゃ、まだ…」

さやかは止めるが、美羽はさやかの口をふさいで、

「静かにしてって、言ったでしょ。ねえ、話を聞いてくれる? でも、決して声を上げないで、黙って言うとおりにして」

女性は、思ったことがそのまま口をついて出てしまう。

「わ、わかったよ…」

美羽は、ベッド用のテーブルをさやかに用意させ、そこへ手帳を置いて、地図を書き始めた。

さやかは、そっと、

「電気、つけようか…」

「だいじょうぶ。明かりを点けると、動きを察知される」

美羽は、首を振った。さやかは、ここは施設の病院なのに、警戒するのはへんだなと思った。美羽は書きながら、ゆっくりと静かに話し始めた。

「さやかさん、あなたは、施設にとって問題になる行動を起こしすぎてしまったの。桜子先生を窓から突き落とそうとしたこと、そして、今朝のこと…」

さやかは、いつも味方になってくれる美羽にそう言われると、落ち込んでしまう。その様子を見て、美羽は、

「責めてるんじゃないの、さとしさんがした事なんだから、それに、あなたはもう、さやかさん、になったんだから」

さやかは頭が混乱してきた。さとしはたしかに自分で、辛い記憶もある。だけど、少しずつ、彼は自分と別の存在になりつつあった。

「でも、今回のことで、施設はあなたを処分することを決定したわ」

「処分?」

「完全に存在を抹消することよ」

「わたし、もう消えてもいいよ」

「さやかさん、まだそんな…」

美羽はさやかをじっと見つめて、それだけ言うと、生徒手帳のページを開いて、さやかの前に差し出した。そこには、バス、電車の乗り継ぎと、簡単な地図、そして、住所が書いてあった。

「外で待っている施設の隊員に気付かれないように病院を出て、ここへ行って」

美羽は、疲れたのか、ベッドに倒れこむようにして横になり、肩で息をしていた。

「もし、消えたければ、ここで、私と一緒にいてね」

さやかは、迷っていた。でも、咲子のことを思い出した。もう一度、会って図書館の時のことの誤解を解きたいと思った。

「美羽さん、行ってきます」

さやかが立ち上がると、美羽は安心したようにうなずいた。

「気をつけてね、あと、この薬、とりあえず1月分、あなたと、もう一人の人の分、持って行って」

「なんの薬?」

「行った先の人に聞いて、ほら、急いで、人がきちゃう、それから、メガネも」

美羽は布団の中から、メガネを取り出して、さやかに渡した。

「これで、いつでも、さやかと一緒だから、ほら行って!」

美羽に急かされて、さやかはそろそろと個室のドアを開ける。蛍光灯で冷たく照らされた廊下は、静まりかえっていて誰もいない。

 さやかは意を決して、そろりと一歩を踏み出した。階段をくだり、1階のロビーまでやってきた。

 階段を下りたところの壁際から、受付をうかがうと、明かりはついているが、カーテンは閉じられていた。ロビーは消灯されており、数人の一般患者が、暇をもてあまして、座っているだけだった。

 さやかは入口に向けて、走り出した。

 入口を抜けたところで、タバコをふかしていた施設の隊員と鉢合わせになった。さやかが出てくるのを、ここで見張っていたようである。目が合って、お互い息を飲んだが、警戒していたさやかの方が一瞬早く、脇をサッと抜けて行った。

 隊員はたばこを投げ捨てると、あわててさやかを追いかけてきた。

 しかし、いくらさやかが女の子とはいえ、14歳の若いさやかの体力に、40代の隊員がかなうわけはなく、さやかはなんとか、病院から逃げ出すことに成功した。

 とはいえ、車を使って追ってくるに違いない。ふもとの町へ通じるのは、病院の目の前を通っている、この道だけである。道沿いを歩いていたら、見つかってしまう。急いで、大きな町へ行き、町の雑踏に紛れ込む必要がある。

 秋とはいえ、ずっと走り続けていて、さやかは汗だくになっていた。車のライトが後ろから迫ってくるたびに、道をそれて、森の中にかくれて、やり過ごした。顔も制服も、土ぼこりでまみれていた。

 病院の前にも、バス停はあったが、まさかそこで待っているわけにはいかない。

 ほどなくして、バス停を見つけた。時刻を確認していると、美羽のメモの通り、ちょうど最後のふもとの駅行きのバスがやってきた。

 お客はさやか一人で、バスの中は広々して感じられた。山間を走るバスの景色は、深い暗闇であったが、時おり木々の切れ目から、遠くに海が見えるのだった。

 14年前、自殺したさとしは、美羽につれられて、ここを通って施設にやってきたのだった。そして今、さやかは、ここを通って施設から逃げ出している。

 美羽も、自殺して、ここに連れて来られたのだろうか。今はどこでどうしているかわからないけど、舞子もきっと。

 考え事をしているうちに、ふもとの駅に着いた。さやかは隊員や施設の人間らしき人がいないか、あたりを見回してから、バスを降りた。

 美羽のメモどおり、ふもとの駅には、最終の上り特急電車が待機していた。

 少し時間があったので、さやかはトイレに入り、鏡を見た。髪は汗でべたべたしており、顔は土まみれになっていた。制服はいうまでもない。

 鏡の中の女の子はみっともない自分の姿に赤面すると、顔を洗って、櫛を取り出して髪をすいた。

 さやかが電車に乗り込むと、ほどなくして、電車は動きはじめた。

 終点は、ある県の政令指定都市だった。夜11時になっていたが、この時間でも、改札には、人がいっぱいいた。

 さやかは生徒手帳を片手に目的地に向かって歩いていく。

 駅から15分ほど歩くと、7階建ての賃貸マンションの前に着いた。メモには、503号室と書いてある。

 エレベータを5階で降り、503号室の前に立ち、表札を見た。でも、そこには、何も表示されていなかった。

 もう夜の12時を回っている。こんな夜遅く失礼かと思ったが、他に行くあてもないし、なにより早くお風呂に入りたかったので、さやかは意を決して、チャイムを押した。男の人が出てきたらどうしよう、とさやかは心配になる。

 ドアの向こうで音が響いているようだか、反応はない。留守だろうか。突然来たのだから、仕方ない気もする。

 何回もベルを押したが、反応はない。疲れていたさやかは、もうどこへも行く気にはなれず、ドアにもたれて、座り込んで、目を閉じた。

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