わたし、篠原 梨絵の恋人
春
4月某日。
わたし、篠原梨絵は無事大学に入学した。
大学というのは、不思議だ。
なぜか、猫が多い。
別の大学に通う2歳上の姉もそう言っていた。
犬派な彼女は、その事を重要視していないようだが、わたしは違う。
ペット不可のワンルームマンションに1人暮らすため、飼ってはいないが、毎日猫のDVD を見て癒され、時には猫カフェにも通う。
そんな猫派なわたしは、毎日がメロメロだ。
特に、図書館横のベンチ近くに現れる猫が気に入っている。
彼(雄だった)は、茶色の体で頭の部分にのみ黒色の縞模様の入ったりりしい顔立ちをしている。
彼を見て、一目で「トラさん」と命名した。
低い声で、食べ物をねだる様子に胸をうたれたのが、入学2日目。
野良猫に無闇に餌を与えるのは、良くないという持論があるわたしは、撫でるのに止めたが、正直苦渋の決断だった。
「トラさん。かわいいねえ」
それ以降、彼と出会えば撫でまくる生活をしている。
夏
7月某日。
わたし、篠原梨絵は空き教室に呼び出しを受けた。
呼び出したのは、大学内で知らない人がいないほど、有名な、河内くん。
美術室にある石膏像のように、均整の取れた、きれいな顔。瞳は左右で、違う輝きがあり、ミステリアスな魅力があると評判だ。
見とれるほど鮮やかに微笑みを浮かべた彼の後ろに、
緊張した面持ちで控える男性。
茶髪に黒色のメッシュを入れた彼は、河内くんの従弟らしい。
カラコンだろうか、琥珀色の瞳が印象的だ。河内くんほどではないにしろ、整った顔立ちだが、つり目であることもあって、少しきつい印象だ。
そんな彼か河内くんより一歩前に出て、わたしの目の前に来た。
真剣な顔で見つめられ、思わずドキリとする。
「好きです。付き合ってください」
わたし、思わず「はい」と返事をしてしまった。
それからは、毎日楽しい。
彼――虎太朗くんは、わたしを本当に大切にしてくれる。
天然なのか、時々驚くような行動を起こしてしまうけど、
そんな虎太朗くんが、わたしも好きになってた。
「虎太朗くん、晩ごはん作るよ。なにがいい?」
「さかな!」
「あはは。本当に虎太朗くんは魚が好きね」
「え!梨絵の方が好きだよ?」
なぜか焦ったように言う虎太朗くんを、ぎゅうっと抱き締める。
なんて、幸せなんだろう。
虎太朗くんの髪に触れると、彼は気持ち良さそうに目を細めた。
その様子が、なんだかトラさんに似ていて思わず笑った。
そういえば、最近トラさんに会っていないが、元気だろうか。
秋
10月某日。
わたし、篠原梨絵は空き教室に呼び出しをした。
わたしが呼び出したのは、河内くんだ。
前回とは逆の立場になり、河内くんは面白そうに口角をあげている。
「聞きたいことがあるの」
「なに?」
河内くんに想像以上に優しく尋ねられ、わたしは思わず言葉が詰まった。
だけど、河内くんが次の言葉を促すので、ゆっくり息を吐いてから口を開いた。
「図書館脇のベンチの近くによく居た猫って知ってる?」
「いや、知らないな。猫に興味ないんだ」
河内くんはそう言って、くつりと笑った。
「・・・そう。じゃあ、もう一つ、聞かせて」
「どうぞ」
「虎太朗くんは、何者なの?」
わたしが発したのは、思い詰めた真剣な声だったと思う。だけど、それを聞いた河内くんは、愉快そうに目を細めた。
「馬鹿だなあ、あいつ」
そう言って河内くんは、声を出して笑った。
「君は、既に気づいているんだろう?」
そう。多分、気づいている。
河内くんは、わたしの顔色で、悟ったようだ。
かたん、と音を立て、机に腰掛け、まっすぐわたしを射抜いた。
本当に、左右の瞳の色が違うんだな、と全く関係ないことを思った。
「君次第だ」
河内くんは、言葉を続ける。
「君が彼の正体に耐えられないのなら、俺が、彼を元の姿に戻そう。君に、一生近づけさせないことも、約束する。だが、もし、今の関係を崩したくないのなら、君は気づいていないふりをし続けなければならない」
いいね?と、河内くんに念を押され、わたしは頷いた。
「梨絵?どうしたの?」
虎太朗くんは、相変わらず優しい。
それに泣きそうになる。
ねえ、虎太朗くん。
前、同じ大学の学生だと言ってたけど、それが嘘だって知ってるよ。
ねえ、虎太朗くん。
あなたの、手で顔を撫でる癖が、わたしは猫のようで好きだったよ。
ねえ、虎太朗くん。
あなたは、どうして、わたしがトラさんにしか言ったことのない愚痴を知っていたの?
ねえ、虎太朗くん。
わたし、決めたよ。
冬
12月某日。
わたし、篠原梨絵は独り街中を歩いていた。
首を飾る七色に輝く石のネックレスは、今は厚手のマフラーで隠されている。
ネックレスは決断を伝えにきたわたしに、河内くんがくれたものだ。
お守りなのだと言う。
「わたしは、何も知らない」
わたしの伝えた言葉に、河内くんは泣きそうな表情をして顔を歪めた。だが、その表情は一瞬で改められた。
「ありがとう」
河内くんはそう言って、わたしに、ネックレスを差し出した。
「君が、君たちが幸せであり続けるために、これを持っていて欲しい」
あなたは何者なの?
その一言は、どうしても聞けなかった。
彼が、今まで見た中で、一番美しい笑みを見せていたから。
「梨絵ー!」
虎太朗くんが、両手を目一杯降っている。
わたしは、その様子に思わず顔がほころぶ。
とても愛しい、わたしの恋人。
わたしは、虎太朗くんの方へと駆け出した。