チャプター52
剣は心臓を貫き、背後の木にまで突き刺さっていた。吹き出る真っ赤な鮮血と共に、昨日と同じように、悪魔の体からは謎の白煙がもうもうと沸き上がっている。
「これで、こいつも終わりっと。ふー、すっきりした。ようやく恨みが晴れたって感じだよ〜」
剣を突き刺したままで一息付いたその姿、その言葉は、二人のよく知るエルリッヒのものだった。ひとしきり大ダメージを与え、銀の剣で心臓を貫いた事で、怒りが収まったのだろう。
あまりの変わりように、二人は驚きを禁じ得ない。
「エ、エルちゃん?」
「ん、何?」
恐る恐る、ツァイネが話しかけてみる。返事に先ほどの冷たい様子は感じられない。やはり、怒りに支配されていたのが解けた、という事なのだろうか。
「あの、ごめん、こいつにダメージ与えられなくて」
「ううん、こっちこそ、無茶振りしてごめんね。今更かもしれないけど、二人がこいつに攻撃しなくてよかったよ。やっぱり、無防備な相手に躊躇なく攻撃するような卑怯な真似はしないでほしいって思うし、人間によく似てるっていうか元人間の相手に、遠慮なく攻撃するような真似はしないでほしいって思うから。汚れ役は、私一人で十分だよね」
「くぅ! そうだよ! 俺たちのエルちゃんはこうじゃなきゃ!」
あまりの変わりようには驚いたが、今のこの優しいエルリッヒの言葉に、ついつい感激してしまう。悪魔から吹き出た血を浴びて、全身が真っ赤に染まっていたが、とりあえず、いつものエルリッヒが帰って来てくれた。
「それはそうと、さっきの攻撃と立ち回りは一体……悪魔の攻撃は、俺たちでも見切るのが難しいのに」
「もー、いきなりそれ? 味気も色気もないじゃん。それよりも、こいつの事が先でしょ? 作戦はめちゃくちゃになったけど、心臓に突き刺したらさすがに死ぬでしょ。この煙は気になるけど……」
上手く話題を誘導し、悪魔に注目させる。もちろん、それだけが目的ではなく、この煙が気になっているのだが。銀の武器で付けられた傷がこのように反応するのか、受けた傷が瞬時にする時にこのような反応が起こるのか。
「そうだね。これならさすがに。だけど、本当に勝ったのかな。煙が出てるって事は、まだ生きてる証拠みたいにも思えるし……」
「だな。あれだけの力を持ってんだ、いくら心臓を貫かれたからって、あっけなく死ぬとは思えねえ」
三人が三人とも、「勝利」という状況に疑問を抱いていた。ぴくりとも動かず、その場で倒れている悪魔。そこから突き出た剣は、まさに今さっきエルリッヒが突き刺した物。状況だけを見れば、明らかに三人の勝利である。しかし、この言いようのない不安はなんだろうか。
「そういえば……」
先ほどエルリッヒが悪魔の腕を斬りつけた時、そこからは煙は出ていなかった。冷静になった今、どうやってやったのかは思い出せないが、確かにあれは指先だけ本来の姿である竜の爪に戻り、それによって繰り出した攻撃だ。ゲートムントの槍のように、黒い稲妻は走らないが、竜族の攻撃には、もれなく竜殺しの力が宿る。同族への戒めなのか、それとも神の意志があっての事かは分からないが、とにかくあれは竜殺しの力によって与えられた傷口になった。
もしやそれが関係しているのか、とも思ったが、昨日からの事を思い返せば、やはり銀の剣での攻撃にのみ反応しているようだった。
「ねえゲートムント、確か教会で銀のナイフも買って来たんだったよね。持ってる?」
「ああ。ほんの護身用にな、売ってるんだと。まさか、これしか銀の武器がないって言われた時はさすがに焦ったぜ。一応持って来てるけど、これがどうしたんだ? ほい」
道具袋から一振りのナイフを取り出すと、それを手渡す。刃渡りは十五センチほど、比較的肉厚の刀身だ。全部が全部純銀で出来ているのか、それとも薄い銀箔でコーティングしてあるのか、あるいは不純物の多い銀が使われているのか、それは分からない。だが、鞘から抜いたその身の輝きは、鉄で出来た一般的な果物ナイフのそれとは、確かに違っていた。
どこか澄んでいて、反射する光が白い。
「でも、これで何をするんだ?」
なんとなく訊いてみるが、ゲートムントにもツァイネにも、その目的はなんとなく想像できていた。今、この銀のナイフを使うとしたら、その目的は一つしかない。
「野暮な事訊かないで。それっ!」
悪魔の頬に、一筋の傷を付ける。本来なら男二人がやってもいいような行為だが、怒りに我を忘れた事への贖罪もかねて、自分が行う。
「……やっぱりだ」
「煙が出てるね」
「だな」
一筋の傷は、血を流すとともに、白煙を上げていた。心臓の傷と同じである。
「こいつがまだ生きてるのか死んじゃったのかは分かんないけど、今のではっきりした事が一つあるね。こいつは、銀の物で攻撃されると、傷口から白い煙が出るんだ。後は、その目的が分かればいいんだけど……」
煙は上がり続けているが、昨日のように傷口が塞がる様子はない。という事は、あの驚異的な回復は、悪魔が自らの意思で行っていた回復行為、という事になる。自然発生する回復ではなかったのだ。もし、今の状態が「死」ではなく「気絶」であったとしても、無意識に、もしくは何かしらの成分反応によってもたらされるものでないのなら、回復は行えない。
なんとなく、理には適っている。
「ねえ、この悪魔、なんだか老けてない?」
「えぇ?」
その変化に気付いたのは、ツァイネだった。言われるまま見てみると、確かに顔が老けているように見える。それまでは若々しい美青年だったが、これは五十を過ぎたような美中年とも呼ぶべき顔立ちだ。
「確か、悪魔との契約が終わってから、王様は不審に若返ったんだよね。って事はさ、これは悪魔の力が抜けて行ってる証拠なんじゃないかな」
「まさか〜、って言いたいけど、それが一番可能性高いかもね」
「じゃ何か? 銀の武器で悪魔の力が弱まった結果、て感じなのか?」
今の所、それが一番可能性としては高そうだった。が、懸念事項は色々とある。もうしそうだとして、完全に悪魔の力が抜けたら、その瞬間朽ち果てて死んでしまうのではないか。
「ほら、煙も少しずつ少なくなってるし」
「本当だ。悪魔の力が弱くなってる証拠かもね」
油断はできない。煙が完全に消えるまでは銀の剣は抜くまい。何が起こるか誰も想像できない以上、起こった事を素直に受け止めるしかないのだ。
「なあツァイネ、煙が収まったら、どうする?」
「どうもしないよ。何が起こるか分からないからね。鬼が出るか、蛇が出るか」
「だよね。もし王様が戻って来てくれたら、それが一番なんだけど、その保証もないし、悪魔がもう一回出てくるかもしれないし」
それは一番考えたくない可能性だった。いくら体力を回復しているからと言って、あんなに強い相手とは、できれば戦いたくない。身体能力で凌駕され、魔法の力を扱い、遥かに長く生きている、まったくもって嫌な相手である。
再戦の事を考えて、二人は苦笑いの後、大きく肩を落とした。相手が相手だから仕方ないとは言え、二人にとっては、久しぶりに味わった敗北感だった。実力不足をここまで思い知らせてくれた相手も、久しぶりなのだ。
「……修行し直さなきゃって思ったよ」
「俺も。あぐらかいてたつもりはないんだけどな。武器や鎧だけで強くなった気がしてたのは事実だったし」
ゲートムントが言っているように、武具を強くする事で戦士としての強さが上がるという事は紛れもない事実なのだが、それだけで渡り合える戦場が広がるほど、世間は甘くない。この悪魔は、そういう事を思い知らせてくれた。
「あれ? ねえ、二人とも、見て」
「ん、今度は何?」
「お? なんか、血色良くなってね?」
次に気付いたのは、エルリッヒ。それは悪魔の顔色だ。心臓に剣を突き立てた事で、多くの血が失われているはずなのに、どういう事か、青白かった肌の色が、煙が収まりつつあるのに合わせて、徐々に温かみのある色に変わっていた。
「これ、どういう事かな」
「煙も収まったみたいだし、剣を抜いてみるか?」
「一応、油断はしないようにね」
三人の中で一番背の高いゲートムントが、代表して剣を抜く。ゆっくりと、ゆっくりと。
人体に突き刺さった刃物を抜いた事は初めてではないが、何度経験しても慣れる物ではない。ずるりという嫌な感覚を我慢しながら抜いて行く。刀身は、やはり赤く染まっている。
「どうだ?」
抜いた剣を足下に放り投げると、三人で悪魔の様子を見た。そこにいるのは、三人を苦しめ、多くの兵士を殺して来た悪魔というより、やはり人間、それもとても人徳のありそうな人物の姿だった。
「……ん……」
ぴくり、と指先が動き、悪魔(だった者)がゆっくりと目を開けた。
「ここは……私は……一体、なんなのだ? ちょうど良い、そなたら、説明をしてくれんか……?」
気だるそうに起き上がった男の物言いは、まるで王侯貴族のそれだった。
〜つづく〜




