チャプター18
「お嬢さんは随分と熱心じゃな。感心感心。して、ワシがあんな辺鄙な場所に作った理由じゃったか。それを語る前に、まずは見てもらわなきゃならん物がある」
そう言って、ヨハンは立ち上がり工房部分から何かの木箱を持って来た。手のひらに乗るくらいの、さほど大きくない物だ。
「これは?」
「まあ、中を開けてみるがいい」
言われるままに木箱を受け取り、そっと箱を開けてみる。
「? これって……」
中は綿が敷き詰めてあった。そして、その中央に安置されていたのは、牙のような物。ぱっと見ると黒いが、よく見ると、外の光を受けて銀色に輝いている。恐らく、変色してしまったのだろう。
「これは、なんと竜の牙じゃ!」
「えーーーーーっ!!」
自慢げに叫んだヨハンの勢いと、そこで出て来た名前に、思わずエルリッヒまで叫び声を上げてしまった。
「偽物よ偽物。エルリッヒさん、だまされないでね」
「ほ。なんだ、偽物かー」
「偽物とはなんじゃ! これは本物じゃ! お前さんら若いもんには、これの真贋など分からぬワ!」
バカにするような、その上で怒りを感じさせるような目で、孫を睨みつけている。ルイスがこれを偽物と断じた事が、よほど気に入らないらしい。一般的に骨董品や貴重品という物は真贋の問題が存在し、意見が分かれるが、ここでもそれは同じという事か。
「だってさ、本物なんて誰も見た事ないんだし、しかも千年も前のじゃ、普通朽ちてなくなってるよー。エルリッヒさんだって、本物かどうかなんて言われても、分かんないでしょ?」
「うーん、確かに……あの、これ、触っても?」
「もちろんじゃ。見ているだけじゃこれの値打ちは分からんじゃろう。それに、竜の牙ともなれば、千年ぽっちじゃ朽ちぬのじゃ!」
これまた自信満々の様子である。果たしてどこまで信じてよいかは分からないが、まずは触らせてもらわなければ、手に取ってみなければ、始まらない。
「じゃ、ちょっと失礼して……」
箱に手を伸ばし、手に取って見る。見た目とは裏腹に、ずっしりと重い。しかし、手に取った瞬間、何かが流れ込んで来た。
「? っ!」
この感覚を形容するとしたら、なんだろうか。これは、明らかに竜の力である。それも、確かに太古と呼んでもいいような、少し時間の経った。そして、何よりも強くエルリッヒの意識を揺さぶったのは、この爪(とおぼしき物)から感じられた、古龍の力である。
言うまでもなく、エルリッヒたち王族が王たる地位を築き上げるのに一役を買った、太古より生きる超自然的能力を持った種族。彼ら古龍との交配によって、竜の王族は他の竜族とは一線を画す力と、一回り以上も大きい体を手にする事が出来た。そして、その力は何世代も経た今も尚、脈々と王族の中に伝わり、その血と力は流れ続けている。そう、今こうしているこの瞬間の、人の姿を取っているエルリッヒの中にも。
そのとても強い力、いや雄叫びや律動とも言えるべきものが、これにはあった。それが残滓というレベルではない、しっかりとした強さでエルリッヒに伝えていた。
『我が末裔よ、この力をしかと感じ取れ』
と。
「……」
本物だ。それも、同じ血筋である竜の王族の。血脈の情報には、逆らいようがない。
「ん、どうしたんじゃ?」
「ルイスさん、ごめん。これ、本物みたい」
「えーっっっ!!!」
次にけたたましい声を上げたのは、ルイス。偽物と信じて疑わなかった物が、一転第三者によって本物と言われてしまった。当然、ヨハンは得意げな顔をし、見下すように髭をいじっている。
「どうじゃ、これがワシの鑑定眼じゃ! いやー、お嬢さん、目が高いのぅ!」
「ね、ねえ、ホントにホント? 見間違いって事はない?」
「えっと……偽物じゃないと困る事でもあるの? ほら、私王都に住んでるでしょ? 色んな人がいて、色んな物を見る機会があるから。あ、でも、これは牙じゃなくて、爪みたい。翼に生えてる爪。分かるかな、あの砂時計の竜の像をイメージしてほしいんだけど」
炎を吐く際、それが直接触れる牙には炎の力が残る。しかし、これにはそれが感じられない。
確かに、形状が似ていて見分けがつかないのは、エルリッヒも認めるところであり、明確な判断基準を持たない人間には、牙に見えたのだろう。だから、これに関して驚かれる事はなかった。
むしろ、驚かれたのはエルリッヒの持つ鑑定眼である。
「ほへぇ〜、エルリッヒさんすごい!」
「ワシもびっくりじゃ。いや、これが牙じゃなく爪じゃったというのはしょうがないんじゃが、よくこれを見て分かったのぅ。さすがは王都の娘さんじゃ」
「いやいやー。それに、友達が竜の素材で作った鎧なんてのを着てるから、色々教えてもらっただけだよ〜」
大げさに謙遜し、あまつさえ勝手にゲートムントの名前まで出してみたが、本当はそのどれもが嘘である。がしかし、真実のどれもを言う事は出来ない。とてももどかしかった。今はただ、謙遜するのみである。
「で、ヨハンさん、これがどう関係して来るんですか? そもそも、これをどこで?」
あまり深く追求されないよう、慌てて話題を軌道修正する。こうすれば、大丈夫だろう。ヨハンも、脱線を認めていたようで、素直に応じてくれた。
「おう、そうじゃそうじゃ。これを見つけたのが、あの場所なのじゃ。あの頃、ワシがまだ幼かった頃、この町はまだ小さくてな、この辺りもただの広場だったんじゃ。その時仲間と落とし穴を彫って遊んでおったワシは、偶然にもこれを発見した。周りの連中は誰も信用せんかったが、これこそ竜の残した戦いの痕跡に違いないと思ったワシは、いつまでもこの場所を覚えておこうと思って、地面を埋めた後も目印を刻んでおいたのじゃ。そうしたら、町の拡張に伴って、あんな細い路地になってしまった」
「なるほど。それで、ご自分が職人として実力を蓄えたタイミングで砂時計を作ったんですね?」
「……ご近所さんには、突然できて驚いたのか、怒られもしたけどね」
呆れたようにため息を吐くルイスには、孫娘としての苦労がたくさんあるのだろう。その気持ちが、強く伝わって来た。
「まあまあ、よいではないか! この町にも観光名所が出来たんじゃ!」
「おじいちゃん、あんな場所じゃ目立たないから意味ないよ」
「あははー、それはそうかも。でも、家にならなくてよかったですね」
一歩間違えば、民家の下に埋まっていたかもしれない。と思うと、これは偶然の産物なのではないだろうか。この場所がたまたま路地として残ったからこそ、あそこに砂時計を作る事が出来たのだから。
「ううん、そうじゃないの。わたしが生まれる前の事なんだけど、おじいちゃんがあそこは絶対家を建ててはいかん! て反対したんだって」
「ふぉっふぉっふぉ、おかげであそこは今でも路地じゃ。ワシの作戦が成功したっちゅー事じゃな」
得意げになっているが、その時のやり取り等は、想像するだけでもめんどくさそうだ。しかし、なんと意志の強い人物であろうか。これには、感心するばかりである。
「ヨハンさん、すごいんですね。っとと、これも聞かなきゃ帰れない。それで、なんであんな精巧な竜の姿を彫る事ができたんですか? 竜なんて、本当に限られた人しか見た事のない生き物ですよね?」
そうだ。一番気になったのは、これなのだ。一般人は見た事もないはずの竜の姿を、あそこまで正確に彫刻で再現するなど、並大抵の事ではない。
実際に見た事があるのか、人から聞いたのか、おとぎ話の伝承を再現しただけなのか。それとも、他に何か理由が?
「それはの……ワシは見た事があるのじゃ。若い頃にな」
「えっ!!」
「あちゃー、始まった。エルリッヒさん、その質問は危険だったんだよ。止めなかったわたしも悪いけど……」
ルイスが顔を手で覆った。よほどの事なのだろうか。
「おじいちゃん、この話を始めると本当に面倒なの。よっぽど自慢なんだろうけど」
「そ、そうなんだ。でも、気になってたのは事実だから、覚悟はするよ!」
「二人とも、なんじゃその態度は! あれはワシがまだ若い頃、駆け出しの職人として師匠のもとで修行に励んでいた頃の事じゃ。もちろん、その頃から、いつかあの場所にワシが自らこさえたあの伝承にまつわる何かを設置したいとは考えておった。そんなある日、ワシはのんびりと散歩をしておったのじゃ。師匠は製作に行き詰まるとワシら弟子を外に追い出して、一人考える癖があってな」
遠い過去を思い出すように、しかしまるで昨日の事のように、ヨハンは生き生きと語っている。確かに、身内からすれば、何度も同じ話をされるのは鬱陶しいかもしれない。
「一人散歩をしておったワシはこの通りのある辺りを歩いておった。その頃はまだこの路地や通りはなくてな、子供時代の空き地のままだったんじゃ。あの場所に付けた目印を見ては、志を新たにする、それが日課じゃった。その日もそうして目印を見に行こうとここまで来た時の事じゃ。急に足下が暗くなってな、雨雲でも張り出して来たかと思って空を見たら、そこを飛んでおったのじゃ! 竜が!」
その興奮はさぞすごかったのだろう。話を聞いているこちらまでがその時間に引き込まれるようだった。初めて聞くからか、他人だからか、ルイスが言うほど面倒には感じなかった。
もちろん、これから面倒になるのかもしれないが。
「もっとも、この話も、誰も信じてくれなかったがな」
「あははー。で、その竜って、どんな色をしてたんですか?」
「色? エルリッヒさん、変な事聞くんだね。でも、そういえばわたしも色の話なんか聞いた事なかったかも」
彫刻には色はついていない。石材のよさをそのまま活かすためだろうか。ヨハンの作品からは、彼が見たという竜の色までは、窺い知る事は出来ない。
「ワシも、色に付いて聞かれたのなんぞ初めてじゃわい。あれは、赤い鱗に覆われておるように感じたがな。それが、どうかしたのか?」
「いえ、竜にも色んな色の個体がいるって聞いたもんですから。戦士の友達に」
「あー、なるほど。それで。わたしたちなんか、そんな事も知らないから」
ヨハンが見たのは、一般の火竜、それも雄の火竜だった。なんとなく、ほっとする。もしその時目撃されていたのが自分の家族だったらと思うと、想像しただけでも動悸がする。
「じゃが、ワシはそれを千載一遇のチャンスと捉え、目で追い、必死にその姿を記憶し、記録した。その結晶が、あの竜の彫刻なのじゃ!」
自慢げに語るその姿に、いつしかなんとも言えない愛着がわいていた。竜を好む者に悪人はいない。それがエルリッヒの信条だった。
「いいお話、ありがとうございました」
そう言った事に、一切の偽りや誇張はなかった。
〜つづく〜