チャプター17
できれば、この砂時計を作った人から直接話を聞きたい。そのためには、どうすればいいのか。誰が作ったのかを教えてもらえればいいのだが。
生きていれば本人に。死んでいれば家族に。話が聞ければ幸いだ。
「とはいえ、この路地じゃーなー」
細い路地、人が通るとしたら、通り沿いの家に住んでいる住人か、その住人に用のある他の通りや他の町の住人である。もともとにぎやかな町ではないのに、これではほとんど人が通らないではないか。
「ううむ、虎穴に入らずんば虎子を得ず。当たって砕けろだ!」
意を決すると、砂時計から最も近い家のドアをノックした。
「すみませーん!」
本来なら、余所の町で一般家庭相手にこうして飛び込むのは緊張するのだが、竜の彫刻の事とあらば、話は別だ。度胸も三割増しである。
「はいはい、どなた〜?」
中から聴こえて来たのは、恰幅の良さそうなおばさんの声。この家の人間だろう。あわてて居住まいを正し、顔を合わせてもいいように備える。
ガチャリ、とドアが開き、中から予想通り恰幅のよいおばさんが出てくる。
「あら、お嬢さんは?」
「えっと、はじめまして! 私、王都からやって来たエルリッヒと申します!」
挨拶をしながら、深々と頭を下げる。おばさんは何の用で尋ねて来たのかと、首を傾げる。それはそうだろう。王都から来たと自称する娘が突然やって来たのだ、怪訝に思わない方がおかしい。
「それでお嬢さん、何の用かしら?」
「はい。そこの砂時計についてなんですが」
早速本題を切り出すも、何から訊こうか、頭の中がざわざわする。謂れ? 作者? この場所について? 一体何から?
「あぁ、この砂時計? 珍しいね、これに気付くなんて」
「はい、私も偶然気付いたんです。でも、どうしてこんな辺鄙な場所にあるんですか? もっと大通りに置けば観光名所になるのに」
するり、と言葉が出て来た。そうだ、あれこれ考えるより行動すればいいのだ。話せば自然と知りたい事が出てくる。何となく、ほっとした。
「それがねぇ、なんでもこの場所に置かないとダメなんだってさ。あたしも詳しい事はさっぱりでねぇ。色々知りたかったら、これ作った人に訊いてみるといいよ。ちょっと行ったところに住んでるヨハンじいさんって人さ」
ヨハンじいさん。その人に会えば色々分かるという事か。これは楽しみだ。
「おばさん、ありがとうございます!」
「あっはっは! 大した事じゃないよ。一緒に付いて行ってあげるからね。こっちだよ」
忙しいのかもしれないのに、おばさんはわざわざ案内してくれた。数軒先とは言え、行った事のない場所に行くのは戸惑う物だ。これはありがたい。おばさんの先導について歩いて行く。
「ヨハンじいさんはこの町でも腕利きの職人でね。普段は偏屈で有名なんだけど、この砂時計の事となると訊いてもいないのに色々話してくれるのさ。だから、ちょーっとめんどくさいかもしれないけど、いいかい?」
「いいも何も、それが聞きたくておばさんの家を訪ねたんじゃないですか。願ったり叶ったりですよ。どんな話が聞けるか、今からわくわくです!」
あれだけ精巧、いや正確なドラゴンが彫れたという事や、砂時計の謂れ、あの場所に置いてある理由等、楽しみでならない。
「はい、ここだよ」
「ありがとうございます」
案内されたそこは、看板も出ていない、ただの民家だった。しかし、中からはカンカンという音が聞こえる。彫り物をするノミの音だろうか。
「ヨハンじいさ〜ん! ヨハンじいさ〜ん!」
ドアをノックしつつ、おばさんが大きな声で叫ぶ。そして、少し時間があって、ドアが開いた。鎚音のようなものは聴こえたままだ。
「はーい。おじいちゃんは今仕事ちゅ……なんだ、おばさん。どうしたんですか?」
「あら、ルイスちゃん。この子がね、あの砂時計についてヨハンじいさんに話が聞きたいんだってさ」
「はじめまして! 王都から来たエルリッヒって言います!」
ルイスと呼ばれたのはどうやら孫娘らしい。年の頃はそう変わらないように見える。この子が一緒にいてくれるなら、こんなに心強い事はない。
「なんだ、そういう事だったんだ。エル……リッヒさん、はじめまして。わたしは孫娘のルイスと言います。よろしくね」
「こちらこそ。南に行く旅の途中なんだけど、偶然見つけたあの砂時計の事が詳しく知りたくて」
二人は微笑みながら軽く握手する。同世代の娘同士という事で、打ち解けるのは一瞬だった。その様子に、おばさんの顔もほころぶ。
「じゃ、あたしは帰るけど、いい話が聞けるといいね」
「はい。本当に、ありがとうございました」
にっこりと微笑んで礼を返す。さあ、ここからが本番だ。
おばさんと分かれると、ルイスに家の中へと案内してもらった。
「おじいちゃ〜ん。おじいちゃ〜ん」
「なんじゃルイス。わしゃ忙しいんじゃ後にせんか」
家は、入ってすぐヨハンの工房になっており、視界に入る作りかけの彫刻、納品待ちと思われる彫刻、その素材となる石の固まり等、とても興味深かった。ヨハンは、その中央で黙々とノミを振るい、何かを彫っている。険しい表情に白髪、そして豊かな髭を蓄えたその姿は、まさに気難しい老練の職人と言った風情であった。
「忙しいのはいつもじゃん。分かってるよー」
「じゃあなんなんじゃ。用がないなら静かにしていてくれんか」
これがいつものやり取りなのだろう。ヨハンは嫌そうだったがルイスは意に介さないで話を続けていた。
「用があるから話しかけてんじゃん。この子が砂時計について聞きたいんだってさ」
「なんと! 砂時計! そうかそうか、そういう事か。じゃあこちらへ来なさい。なんでも話してやろう。これルイス、お茶を出さんか。しつけが足りなくてすまんな。して、何から話そうかの」
「えっと……」
ヨハンは急に態度を変え、奥にある窓際のテーブルに案内してくれた。そして、手のひらを返したようにルイスを急かす。
ルイスはルイスで、慣れっこなのだろうが、苦笑いをしながらエルリッヒに目配せをしながらキッチンだろうか奥へと消えた。その、あまりの様子に、こちらも苦笑いするしかないエルリッヒ。
「さ、話を聞こうかのぅ。何が知りたいんじゃ?」
「何がって、色々です。じゃあ、まずはあの砂時計の謂れから教えてもらっていいですか? どういう経緯であの砂時計を作ったんですか?」
椅子に座り、向かい合って話を始める。ヨハンはコホンと咳払いをすると、粛々と話し始めた。
「あれは、この土地に伝わる伝承を形にした物じゃ。と言っても、この町でも古いもんしか知らんがな」
「へぇ。で、どんな伝承なんですか?」
多分、これは聞いたら長くなる話だ。それでも、聞きたいという気持ちに偽りも歯止めもなかった。
「それは遥か昔の話じゃ。この地には悪魔が跳梁跋扈しておった」
「悪……魔……」
なんとまあタイムリーな話題だろう。悪魔退治に行く旅の初日で悪魔の話題と出会うとは。伝承なんていうものは真実とも歪曲とも言われているから、信じていいのかは分からない。ただ、物語として面白ければそれでいい。そして、その導入としての悪魔というキーワードは、とても適切だった。
「おじいちゃんの話、長くなるからほどほどに聞くといいよ」
「ありがと」
ルイスが紅茶を出してくれた。とても温かく、いい香りだ。
「神は、悪魔を退治するため、天使を遣わし、遥か遠くの地にいる竜の王にその討伐を命じたのじゃ」
「竜の王……」
これまた気になるキーワード。もしその伝承が本当なら、父かご先祖様か、という事になる。ますます引き込まれるではないか。
「そして、この地に降り立った竜の王はその力を持って悪魔と戦った。七日七晩ならぬ、十日間にも渡る死闘の末、その悪魔を倒す事に成功した竜の王は、この地を去って自らの地に帰った。とまあ、こういう話じゃ」
「なるほど……」
この手の話は、大体が故事の歪曲だ。悪魔というのは悪党の事だったり悪の限りを尽くした役人の事で、竜の王というのは、お城から遣わされた騎士や討伐担当の役人の事だったりする。が、それでも、興味深い事に変わりはなかった。
「それで、いつの話なんですか?」
もしこれが史実そのままで、歪曲ではなかったという事であれば、年代を知る事で、物語に出てくる竜の王が父なのかご先祖様なのかが分かる。当人に確認しようとは思わないが、年代は知りたいと思った。知らなければ、なんとなくもやもやする。
「およそ、千年前の事だと言われておる」
「千年か……」
自分がこの世に生を受けて、覚えているだけで四百年は経っている。生まれ故郷を後にするまで、覚えているだけで百年。人間界に混じってからは覚えているだけで三百年。そして、それ以上の細かい数字は覚えておらず、エルリッヒ自身、年齢的には親になっていてもいい年だ。とすると、父は今何歳なのか。少なくとも、父か祖父の武勇伝、という事以上の事は確定できなかった。
「そして、ワシはこの物語を子供の頃から愛読しておってな。十年前、職人としての人生の集大成として、あの砂時計を作ったのじゃ」
「ふむふむ。だから天使と竜が彫られているんですね?」
それは納得できる。が、なぜ砂時計なのか。なぜあれほど巨大なのか。これも聞かねば。
「あの、あの砂時計ですけど……」
「ん、あれか? この物語に出てくる竜と悪魔の戦いは十日続いたとされておる。そこで! あの砂時計は十日で砂が落ち切るように作ったのじゃ!」
自慢げに語るが、そういう事か。なんとも芸の細かい。
「見事ですね。あれ、本当によく出来てましたもんね」
「ふぉっふぉっふぉ! そうじゃろうそうじゃろう!」
嬉しそうなヨハンの顔が、何よりも雄弁にあの砂時計に掛けた情熱を物語っていた。
「それで……」
今度は次の気になるポイントだ。これも確認しなくてはならない。
「なんじゃ? なんでも答えるぞ?」
「なんであんなへんぴな場所に立っているんですか?」
次なる質問は、これだった。もっと目立つ場所に作ればいいのに、という疑問だ。
〜つづく〜