チャプター11
ーコッペパン通り 竜の紅玉亭前ー
「ただいまー。あれ?」
「「エルちゃん!」」
「無事だったんだね!」
「よかった〜!」
「何事だったんだ?」
「みんな、飯も食えねーくらい心配したんだよ!」
「お前、それここが閉まってたからだろ?」
「そりゃその通りだ!」
何の気なしに自宅に戻ると、驚く事に店の周りに近所の住人が詰めかけていた。一体何事だというのか。いや、考えなくても分かる。エルリッヒの身の安全と、お城に呼ばれた事情を心配しているのだ。
なんとありがたい事だろうか。深刻な事情でなかっただけに申し訳ないが、ご近所の温かさに、涙が出そうになる。
みんな、エルリッヒの姿を見つけるや否や、どっと詰めかけ、盛んに話しかけて来た。これでは、なにがなんだか。
「み、みんな……」
「みんな、心配したんだよ、エルちゃん」
隣に住むマリーゼおばさんが、周囲を分け入って話しかけて来た。集まって来た中では一番親しい、この街で暮らすにあたってとてもお世話になった相手である。
「マリーゼおばさん!」
「その様子だと、無事に帰されたみたいだね。で、なんだったんだい? あんなものものしいお城の兵隊に連れて行かれただろ? みんなで心配してたんだよ。話せる範囲でいいから、色々教えてくれないかい? エルちゃんの口から聞けば、みんな安心するだろうさ」
恰幅のいいその姿は、見ているだけで安心する。母を亡くしたエルリッヒにとって、マリーゼはこの街の母と言っても過言ではないほど、大きな存在なのだ。だからこそ、その言葉には、思いには、応えなければならないと思った。
「うん、大丈夫だよ。だからみんな、聞いて。こないだ、て言っても秋になるちょっと前だから、結構前か。ドラゴン退治に付いてっちゃったでしょ? あれで、ドラゴン退治の功績を認められて、お城に呼ばれたんだ。ゲートムントとツァイネの二人に用があったみたいで、そのおまけでね」
「そうかい、そういう事だったのかい。でも、エルちゃんは戦ってないんだろ? お城の人も、とんだ早とちりだねぇ」
「だな。きっと、深く考えねーで一緒に呼んじまったんだろうな。で、あいつらが呼ばれた理由ってのは、なんなんだ? お城の用件じゃ、俺たちには話せねー、口止めされてる話かもしんねーけど」
とは、マリーゼの夫、ゲオルグの言葉。ちなみに、彼の名前はかの「聖ゲオルグ」から取られている。この街には、この名を持つ男性が多かった。彼もまた、エルリッヒにとっては人間界での父と言ってもいい存在なのだが、実の父とのあまりの性格の違いに、どうにもそのような目では見られないでいた。
「ゲオルグおじさん! おじさんも、心配してくれてありがと。んー、私もどこまで話していいか、実はよく分かんないんだよね。でも、魔物退治の依頼が来たって事だけは言ってもいいのかな」
「ほー、魔物退治か! かーっ、いいねぇ! 俺ももうちょっと若かったら一緒にはせ参じるんだけどよ! それにしても、お城から直々に任務が下るなんざ、あいつらも偉くなったもんだぜ」
この広い王都、顔の知らない者は多いが、ゲートムントやツァイネは、ギルドの戦士としてだけでなく、それ以前の子供時代から知られていた。
「本当に。ギルドの戦士っていうと、無骨なイメージばっかりだもんね。きらびやかなお城の人たちとは違うもんね」
「あはは! それを聞いたら、あの二人は悲しむよ? でも、そういう事情なら安心だ。魔物退治に行く二人の事は心配だけど、エルちゃんは行かないでしょ?」
さすがに行かなくて当然と思っての質問に、一瞬答えを口ごもる。まさか、飯炊き目的で同行する事になっているとは、なかなかに言い出しにくい。事実である以上伝えなければならないが、こんな事を言ったら、また心配されてしまう。が、しかし、その一瞬の躊躇を見抜かれてしまった。隠し通せない自分の甘さが、少し恨めしい。
「その様子じゃ、一緒に行くんだね? 心配だよあたしゃ」
「俺もだ。だけどよ、何しに付いて行くんだ? エルちゃんも戦うのか?」
「まさかまさか! 私はただ二人の食事を作りに同行するだけだから! 私なんかが戦っても足手まといになるだけだしね」
大きくかぶりを振って否定する。実際のところは、状況次第ではどうなるか分からないのだが、さすがにそんな事は言えない。もしそんな事を言えば、ますます心配されてしまう。いや、それ以上に、エルリッヒが戦う時というのは、二人が苦戦し、意識を失った時。それも前回のように、また竜の姿に戻って戦う可能性が高い。こんな事、言えるはずがないのだ。
幸い、これは表情が表に出ずに済んだらしい。
「そうだよね! エルちゃんが戦うなんて、無理だよねぇ。だけど、料理作りって言ったって、危険なんじゃないのかい? あたしゃ反対だねぇ」
「おばさん、ありがとう! でも、それは私にも行ってみないと分からなくて。あんまり危ないところだったら、ちゃんと身を引くから」
こればかりは、なんとも言えない。どんなところで戦うのか。どんな相手なのか、そして自分の戦場である野営の場所はどこに用意すればいいのか。フォルクローレに指摘された通り、不安よりわくわくが勝っている自分が少し恥ずかしかったが、みんなのためにも、なんとしても安全に帰ってこなければと思った。
「本当に、無理は禁物だからね!」
「もちろんだよ! でも、ここで話した事情を知らない人もいるだろうから、明日出発前に回覧板を作って出しておくね。おばさん、それ読んだら近所中に回してくれるかな」
そう言って、フォルクローレから受け取った紙を見せた。これに書く、という事である。王都と言えど紙は貴重品。またしても興味を集めてしまった。
「こ、これは友達からもらった紙なんだけど、これに書くからね! そ、それじゃあ明日の準備もあるし、今日はこれで! みんな、ありがとね!」
なんとなく、慌てて自宅に戻ってしまう。久しぶりに勝手口から入ってしまったのは、気持ちの動揺を沈めるためか。しかし、入ってすぐ、大事な事を言い忘れていた事に気付く。すぐさま店の外に出て、
「あ、今日からしばらくお店は休みだから!」
と叫ぶ。これを伝えなければ、今晩もまた訪れる人が出てくるかもしれない。
「じゃあね!」
夕暮れ色に染まる店内、そこには誰もいない。だが、片付けを中途半端に終えて出て来たため、まだまだ片付けている最中だった。まずは、これの片付けか。
〜三十分後〜
「ふー、疲れたー。さて、と、明日の支度から始めようかな」
まずは、持って行く調理器具を選別しなくては。そうたくさんは持って行けない。となれば、必然的に絞られて行くものである。
包丁、まな板、寸胴鍋、フライパン。めぼしいのはこれくらいだろうか。そして、忘れてはならないのが……
「これは、外せないよね」
前回の旅でも持って行った、鋼鉄のフライパン。実際は、竜人族の職人に作ってもらった特注品なので、そこらで手に入るような代物ではなく、それこそが異常とも言えるほどの重量の理由なのだが、これは旅の必需品だ。本当は、これがなくとも並のモンスターは相手にならないが、こういう物を持参するだけで、二人は安心するだろうし、何より本来の姿以前に、本来の力や気配ですら、人前で使うわけにもいかないため、目に見えて分かりやすい「武器」の存在は思いのほか都合が良かった。
「持って行くのはこれくらいでいいか。あんまり重たいと迷惑になるし。さて、次は、着るものと日用品と、回覧板作りかな。後は二階か」
一階の食堂でできる荷造りはとりあえず終わった。後は二階の住居部分での荷造りだ。一体何日の旅になるか分からない。着るものは現地で選択して足りなくならないようにしておきたいが、それにしても同じ物はできるだけ着たくない。どの程度持って行けるかは、大きな課題だった。
「ううむ」
荷造りに頭を抱えながら、その夜は更けて行った。
〜つづく〜