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初めての試練 Ⅲ

「ちょっと、人を荷物みたいに持たないでよ!」


 あたしはそう怒鳴りながら、エティエンヌの肩の上でバタバタと暴れてやった。

 すると、エティエンヌは、


「大人しくしなさい、緋奈。

 これからマドモアゼルのお宅と場を繋げます。

 深夜にあなた方をふたりっきりで帰すわけにはいきませんからね」と、言った。


 何、「場」って?

 と、聞き返す暇など全くなかった。

 何でかというと、エティエンヌがすぐに行動に出たからだ。

 エティエンヌの右手がすいと垂直に空を切る。

 もちろん、何かが切れたわけじゃない。

 けれど、確実にそこから違う空気が生まれる。

 あたしはそれをエティエンヌの首にしがみついて、ぽかんと口を開けたまま見ていた。

 そして、エティエンヌは散歩にでも出るように気軽に歩き出す、冴子の肩を抱きながら。

 ぷつりっ ――――――― 。

 卵の薄い膜を破る、そんな感覚がして、あたしたちは空間を渡った。

 たぶん渡るというほど長い時間ではなく、気づいたら冴子んちの中庭だったといったふう。

 けれど・・・・。


「おぇ、気持ち悪い」


 胃液が喉を上がってくる。どうやら冴子も同じらしい。

 この『場をつなぐ』っていうのは、よっぽど非常事態じゃない限り絶対にごめんだ。

 もう少しでエティエンヌの背中に吐くところだったもん。

 でも、ひとり平気だったのはエティエンヌ。


「マドモアゼル、申し訳ありません。今回は非常事態でしたからお会いできましたが。

 本来、わたしが姿を現せる人間は継承者のみなのです。

 このような手段でご気分を悪くさせたことをお許しください」


 エティエンヌはあたしを担いだまま、蹲っている冴子に深々と頭を下げた。

 相変わらず冴子には優しいでやんの。マジむかつくわ。


「さて、わたしたちも帰りますよ」


 そう言ってエティエンヌはもう一度場を繋ごうとした。


「ちょっと待って、エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール!」


 ようやく復活した冴子がエティエンヌを呼び止める。


「お願いがあります。

 あなたの命を賭けてこの子を、緋奈を守ると誓っていただけませんか?」


 日本人形のように黒目がちな冴子の瞳がまっすぐにエティエンヌを見つめている。

 担がれてるからエティエンヌの表情はわからない。でも頷くわけなんかない。だって、あたしのことなんか嫌いだもの。


「Oui Mademoiselle.わたしの全身全霊で緋奈を守りましょう」


 少しの間も置かず答えたエティエンヌ。


「Merci beaucoup Monsieur.」


 冴子が流暢なフランス語で返す。

 蚊帳の外に置かれたあたしはひとり唖然としていた。


「そんな、どうして? 嘘でしょう?」

「6百年前にとうに立てた誓いを繰り返すのになんの躊躇いがいると言うのです」

 憮然とそう答えたエティエンヌは冴子に会釈すると、再び場を繋いだ。

 今度こそあたしたちの狭いアパ-トに帰るために。

 あたしはその間一言もしゃべらなかった。っていうか、しゃべれなかったのよ。

 だって、嫌われているとばっかり思っていたエティエンヌに「全身全霊で守る」なんて言われたんだもの。

 


 ***



「痛いってば!」


 あたしは、脇腹に触れたエティエンヌの手を叩いて遮った。


「緋奈、触れなければ治すことは出来ませんよ」


 そう言いながら、エティエンヌは、思いっきりブラウスを捲り上げてくる。


「痛っ・・・・!」


 冷たい手に触れられて激痛が走る。

 あの後、エティエンヌに担がれてアパートの部屋に戻ったんだけど、脇腹が痛んで一歩も歩くことが出来なくなっていた。“ゆらぎ”に警棒で叩かれた後もさんざん動き回ったことが原因だと思うんだけどね。

 そんなあたしを、エティエンヌはいつになく優しくベッドに降ろして、治療してくれようとしたんだけど。なんとエティエンヌってば、治癒のファクリティまで持ってるっていうのよ。

 まったく、さっきの「場つなぎ」といい、導きの騎士様は幾つのファクリティをお持ちなことやら。

 たぶん聞いても絶対に教えてくれないんだろうなぁ。だってそれがエティエンヌだもん。

 ってことで治療開始。

 でも、ちょっと触られるだけだっていうのに、これがすっごく痛いのよ。

 しかも、エティエンヌってば、何の気遣いもなくブラウスを捲りあげてくるし。

 そりゃ、すぐ治してもらえるというのはとってもありがたいのよ。

 でも、場所が場所だしさ。女の子の羞恥心をわかって欲しいっていうか。

 まぁ、そんなことをこの男に望んでも仕方ないんだけどね。


「これは・・・・ずいぶん腫れてしまいましたね」


 エティエンヌはあたしのわき腹を見た瞬間、痛ましそうに眉を寄せた。

 あっ、ほんとだ。腫れあがっているだけじゃなく、じくじく熱を持ったように赤いでやんの。


「すぐに治しましょう!」


 エティエンヌはそう言うと、ひときわ真剣な顔になる。

 そっと宝物を扱うにみたいに優しく触れてきて、そこからあっという間に痛みが消えていく。

 あたしは、ほっと息を吐き出した。


「もう大丈夫ですよ」


「どうもありがとう、エティエンヌ。

 それから・・・・」


 少し言いよどんだ後、それでも思い切って続ける。


「それから、こないだは無神経なことを言っちゃってごめんなさい」


 あたしの言葉にエティエンヌは、まるで珍獣でも見るかのように瞳を瞬かせた。


「今日はやけに素直なのですね」


「失礼ね。あたしだってそういうときもあるわよ」


 あたしはベッドから弾みをつけて起き上がり、窓際に立つエティエンヌの隣に寄り添った。

 うーん、何でだかそうしたかったのよ。

 それにね、エティエンヌもそうして欲しいような気がしたの。


「それに・・・・。

 理由は違っても“ゆらぎ”を討ちたいという利害は一致してるんだから仲良くしたほうがいっかなと思って。

 えっと、ほんと少しよ、ほんと少しなんだからね」


 なおもブツブツ言いながらあたしは居たたまれなさに俯いた。

 すべての熱が顔に集まってる気がして。

 あたしはバカみたいにひとりでわたわたしていたんだけど、エティエンヌから返事が返らない。

 仕方ないので思い切って顔を上げた。

 すると、エティエンヌもこっちを見ていたみたいで、あたしは恥ずかしくなってまたそっぽを向いた。

 そのまま、ふたりして黙ったままでいたんだけど、いつもエティエンヌから香るセージの匂いが強くなった瞬間、ふうわりとセルリアンブルーのマントが動いた。

 抱きしめられる ――――――― 。

 恐らく無意識の、エティエンヌが一瞬だけ浮かべた何かを受け取ってしまったのかも知れない。

 けれど、そんな感情を瞬く間に消し去っていつもの彼に戻っていた、横柄で小言ばかり言ういつものエティエンヌに。


「いいですか、緋奈。

 あんなむちゃな戦い方をしていたら、命が幾つあっても足りませんよ。

 それに、レイピアは日本刀とは違うのです」


「わかったわよ、明日からあんたに使い方を習うわよ」


 あたしはエティエンヌのお説教を遮って言った。

 なんでだか無性に腹立たしかった。

 でも、自分でも何に怒っているのかわからなくて、エティエンヌの冷静な顔を見るとさらに腹が立ち、あたしは、ベッドに腰かけると、ペンギンの抱き枕をぎゅっと抱きつぶしてやった。

 エティエンヌは、そんなあたしを「コイツ何してんだ?」と言いたげな顔で見ていたけど、


「ゆっくりお休みなさい。

 それから、今日はよく頑張りましたね」と、ねぎらうように言った。


(えっ!?)


 あたしは、エティエンヌのいつにない態度に目を瞠った。

 でも、考えてみたら彼のことは一週間分しか知らない。

 これからもっと知っていきたいな。

 だから、返した言葉はとても素直なものだった。


「うん。ありがとう、エティエンヌ。

 あんたもゆっくり休んでね」


 でも、エティエンヌはわずかに頷いただけで、そのまま長いこと、高窓越しに夜空をながめていたようだった。月はすっかり、西の山に隠れてしまったというのに。

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