初めての試練 Ⅱ
「ちょっと、そんなに強くつかまないでよ、痛いじゃない」
あたしは震えながら、冴子の左腕をがっちりと掴んでいた。
「だってこの公園、こないだ子供の死体が見つかったとこなんだよ」
「バカねぇ~。もう一カ月も前のことじゃないの」
冴子はそう言いながらも仕方ないなという顔をしてあたしと手を繋いでくれた。
まぁ、あたしが幽霊を大の苦手としているからだけどね。
「そ、それだけでもすっごく怖いよ。それに・・・・見るからに出そう」
あたしと冴子は駅前のマックで軽くご飯した後、お互いの家へ帰ろうとしていた。
でも、その途中にある大きな公園がね、女児連続殺人事件の現場というか、死体が捨てられてあった場所なのだ。
それに、夜の公園の人気のなさってマジありえない。昼間はあんなに賑わってるのにさ。
びびりまくったあたしは冴子の手をいっそう強く握り締めた。
すると、痛そうに顔をしかめながら冴子は、
「何言ってんのよ。何かが出たとしてもあんたにはかっこいい騎士様がついてるじゃないの。
ピンチにはスーパーマンよろしく助けに来るんでしょ!」と、言ってくれやがったのだ。
冴子さん、エティエンヌはランプの精じゃないから『呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃ~ん!』ってことは絶対ないと思うよ。
それに、エティエンヌが童話に出てくるような親切な騎士様だったらこんなに悩んでないしね。
「冴子さん、お聞きしますが、あのエティエンヌがそんなにアグレッシブだと思いますか?」
「うーん、どうだろ? 聖樹なら絶対助けに来そうだけど」
はい、はい。ご馳走さま。そりゃ聖樹は冴子がちょっとでも困っていると、スーパーマンよろしく現れてたけどね。
あの父母を亡くした冷たい雨の降る晩。
一生分の涙を流すみたいに泣いているあたしの隣で、冴子はずっと肩を抱いてくれていた、一緒に涙を流しながら。
でも冴子は手でごしごし涙を拭ってから、思ってもみないことを言った。
『ねぇ、おば様の手紙に聖樹は生きてるって書いてあったんでしょ? それならあたし、泣かないで待つわ。
だから、あんたもあたしと一緒に泣かないで待つことにしない?』
あたしは顔を上げると、鼻水を拭うのも忘れて幼なじみ兼親友の顔をまじまじと見つめた。
そりゃ冴子の顔は、泣きすぎてひどいもんだったけど、今までで一番まっすぐな瞳をしていた。
ああ、恋はなんてすごいんだろう。ただの女の子をこんなに強くするのだから。
でも、少しだけ怖い。誰かを自分の中に住まわせるなんて。
あたしはきっと、その誰かにひどくのめりこんでしまう、そんな予感がして。
『うん、一緒に待とう。
そして、帰ってきたら一緒にぼこぼこにしてやろうよ』
あたしはそう言うと少し笑い、冴子を思いっきり抱きしめた。
それ以来、あたしたちは、本当の家族のように寄り添って生きてきたのだった。
「でも聖樹って食事中だと来ないじゃない。
だからこんなとこ、さっさと通り抜けてうちへ帰ろう」
「それはありえるわね」
あたしたちは笑い合うと、再び小走りで歩き出した。
そんな時、「すいませ~ん」
後ろから間延びした男の人の声。あたし達はあまりのタイミングのよさにぎょっとしてしまった。
恐る恐る振り返ると、若い二人組のお巡りさん。
なんだぁ、お巡りさんかぁ。脅かさないでよ、もう。
すると、ノッポのほうのお巡りさんが、
「ここを通るのはあぶないですよ!」と、懐中電灯を振り回しながら注意してきた。
「すいません。二人だから大丈夫かと思って」と、冴子。
「最近、物騒だから家まで送っていってあげるよ」と、眼鏡をかけているほうのお巡りさん。
どうやら親切にも家まで送ってくれるらしい。
でも・・・・。
「ありがとうございます」
あたしが断るより先に冴子がOKしてしまった。
「・・・・」
あたしたちはお巡りさん達に先導されて一番人気のない場所にさしかかった。
けれど、学校を出る時、シャムシール(半月刀)のように光り輝いていた月は恐ろしい速さで流れていく雲に隠されようとしている。
その上、さっきまでうるさいほど鳴いていた虫の音も聞こえない、これから起こる出来事に身を潜めたみたいに。
あたしは熱さを増していく右手を爪が食い込むほど握り締めていた。
「冴子、逃げるよ」
小声で言うと、冴子の手を引いて走り出そうとした。だが、すでに回り込まれている。
「どきなさいよ!」
あたしは行く手をふさぐ眼鏡の警官を怒鳴りつけた。
「何故わかった、継承者。我は完全にこの男を乗っ取ったつもりだったのだがな」
先ほどまで人間だった男が底知れない笑いを浮かべて近寄ってくる。
「さぁね。女の勘とでも答えておこうかしら」
あたしは空っとぼけて答えておいた。
けれど、本当は違う。こいつらは人間だったら必ずすることをしなかった、まばたきを。
それにあたしは覚えていた、ブラックホールの匂いを。こいつらからは血の焦げるような腐臭がしたのだ。
「まぁいい。お久しぶりと挨拶するべきかな、継承者殿」
と、後ろからノッポの警官。
あたしは今、エティエンヌが教えてくれた“ゆらぎ”がひとつの大きな意思であるという事実を目の当たりにしていた。彼らはひとつの生物が二つに分裂したかのように交互に話しかけてくる。
「そうね。でも、またお会い出来て光栄、とは言えないわ」
そう軽口を返しながら、ずっとヤツらの隙を窺っていた。
冴子だけはどんなことをしても無事に帰してやりたかったから。
だが、そんな願いも空しく、なんの隙も見出せないまま、あたしたちは大きなケヤキを背に追い詰められてしまった。
冷たい汗が背中を幾筋も伝っていく。
あたしは心の中で冴子に詫びながら、“ゆらぎ“の手が自分に振り下ろされるのを待つしかなかった。
そんな時だった、冴子が大声で叫んだのは。
「呼びなさい、緋奈。あんたの騎士を、エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョールを呼びなさい!」
ああ、そうだ。あたしにはエティエンヌがいたんだっけ。
彼が愛想を尽かしきってなければ助けに来てくれるだろう。
あたしはまだ隠れきっていない月に向かい、右手を振り上げた。
すぐにオリーブの徴からまばゆい光が溢れてくる。
「智天使の長、神の英雄の名を持つ聖天使ガブリエルよ。
あなたの導きにより我が騎士を降臨させたまえ。
エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール、大好きだから来てぇ・・・・!」
初めてエティエンヌを希った。
それにしてもこのこっぱずかしい呪文、絶対、嫌がらせだよね。
だからエティエンヌは呼び出したくなかったのよ。
刹那、公園の木々を大きく揺らめかせて一陣の風が吹き、聖天使ガブリエルによって送り出されたエティエンヌが姿を現した。
「遅いですよ、緋奈。わたしを呼ぶのが本当に遅すぎます!」
はい?久しぶりに会ったってのにそれなの?
でも、盛大に文句を言われても彼の出現にほっとしている自分がいて。
「そう思ったんだったら自分から出てきたらいいでしょうが」
あたしはやっぱりいつもの調子で言い返していた。
「やだ、こんな時まで喧嘩しないでよ」
「そうですね。そちらのマドモワゼルの言う通りです。
受け取りなさい、緋奈」
エティエンヌが渡してくれたのは例のレイピアだった。
「えっ? こんなんで切ったら、乗っ取られたお廻りさんたちまで死んじゃうんじゃないの?」
あたしはレイピアをすらりと鞘から抜き放ちながら訊ねた。
「いいえ。その剣は“ゆらぎ”を滅ぼすための剣。
人を傷つけることはありません」
うーん、こういった剣は使ったことないんだけどな。
あたしは『どうすりゃいいのよ』といった視線をエティエンヌに向けた。
それなのにエティエンヌってば何してたと思う?
金輪際、あたしに見せた事のない優しそうな顔で冴子の肩を抱いてたんだよ。
「ばかやろ~~~! 絶対、許さないかんね!」
ものすんごい怒りがすべてを吹き飛ばしていく、初めてレイピアを手にする不安も、“ゆらぎ”に対する恐怖も。
あたしは怒りの矛先が目の前にあることを神に感謝していた。
無造作に鞘を落とす。
その乾いた音が人少くなな公園に大きく響き渡る。
あたしはそれを合図に両手で掴んだレイピアごと“ゆらぎ”に突っ込んでいった。
中段からきれいな半円を描いた一撃が、眼鏡の警官の肩先をほんのわずかかすめる。
けれど、ヤツが顔をしかめてもその身体からは一滴の血も流れない。
ふぅん、なるほどね。それならさくさくいかせてもらおうじゃないの。
自慢じゃないけど身の軽さには自信があるのよね。
あたしは時代劇の侍のようにレイピアを正眼に構えた。
「ジャンヌの剣『ラピエール』などとは、こざかしいぞ、継承者」
「ふん、誰の剣だっていいわ。あんたたちをぶち殺せるならね」
口唇を舌先で湿らし、“ゆらぎ”めがけてダッと走り出す。
ベンチを踏み台に大きくジャンプしたあたしはレイピアを袈裟懸けに振り下ろした。
決まった・・・!
眼鏡の警官は操り手を失ったマリオネットのように後方へ崩れおちていった。
後一人。 あたしは息もつかずノッポの警官との間合いを詰めていった。
「思い上がるな継承者よ。お前は我の怖さをいまだ知らぬ」
そう言い放つと、“ゆらぎ”は懐中電灯を放り投げ、腰から警棒を外した。
ふん。レイピアと警棒、どっちに分があると思ってんの。
あたしはなおもレイピアを正眼に構えたまま、攻撃のチャンスを窺った。
何の音もしない切りとられた空間。
けれど、お互いなんの隙も見出せぬまま、時間ばかりが過ぎていく。
頭の奥が緊張の連続に耐え切れず、キーンと金属製の音を立てる。
それでも言い聞かせる、最初に動いたほうが敗者となるのだと。
ぶわんと音を立てて空気が動く。
耐え切れずに動いたのは向こうが先。
銀色に光る警棒であたしの腰を薙いでくる。
あたしはそれを後方に跳んでやり過ごし・・・。
えっ! あたしは、スローモションになっていく視界の中で警棒が長く長く伸びていくのを見つめていた。
伸縮式の警棒は、大きな弧を描き、あたしの左腰を叩いていった。
もし、後一秒でも気づくのが遅れたらしたたか腰を殴られていただろう。
それでも打たれたダメージは軽くない。
「痛っ・・・・」
あたしは腰をかばうように膝をついてしまった。
「緋奈っ・・・・!」
冴子の絶叫が聞こえる。
ああ、ここで負けるわけにはいかない。
あたしが死んだら冴子を次の標的にするだろうから。
だが、今のままではジャンプするどころか走ることすらできない。
どうするのよ、緋奈。この痛みだと繰り出せるのは、たぶん後一撃。
だから決める。
あたしはレイピアをささえに立ち上がると、薄ら笑いを浮かべている“ゆらぎ”を睨みつけてやった。
あたしのダメージの重さから勝利を確信したノッポの警官は、こちらへ向かって走り出した。
その勢いのまま、大きくジャンプし、二メートルほど伸ばした警棒で頭上から叩きつけようとする。
「死ね、継承者!」
けれど、一呼吸先にターンしていたあたしは、“ゆらぎ”の一撃が空しく地面を打った瞬間、ヤツの右側につけ、左足から胴体を切り上げていた。
まさかという顔。けれどもう遅い。決着はすでについている。
「The Endってとこかしら」
あたしがそう言い終えた瞬間、ノッポの警官は後ろ向きに倒れていった。
「緋奈、大丈夫?」
すぐに冴子が駆け寄ってくる。
あたしは冴子の肩とレイピアを支えに何とか立ち上がった。
エティエンヌのこっちを気にする視線をふいとそらし、
「あんたにはがっかりしたわ」
あたしはエティエンヌにそれだけを言うと、踵を返そうとした。
その瞬間だった、頬の上で大きな音が鳴ったのは。
「冴子・・・・?」
訳がわからぬまま目をやると、そこには呆れたような苛立ったような冴子の顔。
「あんたはわかんないの?
あんたの騎士様はあんたが戦ってる間中、ずっと心を痛めてた。
あたしはそれをずっと見てたのよ。今だってそう。あんたのこと、死ぬ程心配してるわ」
冴子はまだケヤキの下にいるエティエンヌを指差した。
「エティエンヌ・・・・?」
あたしは冴子に頷いて見せてから、くるりと振り向き、自分の騎士に声をかけた。
すると、エティエンヌは『なんの用ですか』と言いたげな顔をする。
どうやら、あたしの騎士様はとことん素直じゃないらしい。
仕方ない、今日はあたしが折れてやるか。
「エティエンヌ、早く来ないと置いてっちゃうよ~!」
あたしたちは二番目の月が西に傾き始める頃、ようやく家路へと着いたのだった。