ファティマの預言書 Ⅲ
「性格が悪いと言われませんか?」
あたしがすっかり冷めてしまったミネストローネをスプーンで口に運んでいると、お行儀良く足をそろえて座っている騎士様が訊いてきた。
「はんで、ほんなほと、ひふの?」
「しゃべるか、食べるかどっちかにしてください。まったく行儀の悪い」
「仕方ないじゃん。死ぬほどお腹が空いてたんだから。
それに、なんであんたが他人の性格をどうこういうわけ?
あんたにだけはとやかく言われたくないんだけど」
「それはどういう意味ですか!?」
またまた一触即発の危機。
エティエンヌって怒れる者という二つ名なだけあって本当に怒りっぽいのよね。
今も眉間にびっちり青筋を浮かべている。
「エティエンヌ、いい加減怒るの止めなよ。あんたのせいで少しも話が進まないじゃん」
ようやく食べ終えた食器をシンクに下げると、あたしは彼の眉間のシワをぐりぐりと伸ばしてやった。
「だから、エティエンヌと呼ばないでくださいと。
あっ・・・・!」
また、自分が話を脱線させていることに気づいたエティエンヌが口元に手をやった。
「緋奈はわたしが導きの騎士だと気づいていたのですね。
それでは先ほどバカといったことは訂正しましょう。
それで、何を訊きたいのですか?」
「全部と言いたいところだけど。
まず訊きたいのは、母さんたちに焼死する未来を教えたのはあんたなのかってことなんだけど」
「いいえ、わたしはお伝えしただけです。
幾つかの未来の中からより最善と思われるものを選んだのは黎子達ですしね。
ですが、黎子達が生存する未来だけはなかったのです」
こないだまで母さんの導きの騎士だった男は、ふいに目をそらし、その蒼い双眸をテーブルの上に落とした。
「んじゃ、あんたに教えた人って誰なの?」
「人ではありません。大天使ガブリエル様です」
「えっと・・・・ガブリエルって、ジャンヌ・ダルクに神の使徒たる啓示を与えた天使だったっけ?」
あたしは脳味噌の底の底から絞り出して言った。
「はい、ガブリエル様はジャンヌの死後もその末裔を気にかけてくださっていたのですよ」
「へぇ、そうなんだ。
次は“ゆらぎ”について教えてくれる?」
天使だの神だのに興味がなかったあたしは、軽ーく流したんだけど、向かいの騎士様から地球外生命体でも見るように見られてしまった。
「まあ、いいでしょう。
“ゆらぎ”とは、原初の闇より出でて、人を滅びに向かわせる存在。
緋奈、あなたは創世記を読んだことがありますか?」
「旧約聖書の?」
「ええ。創世記の冒頭、『神が光よ、あれ』と仰せられたとあります。そして、昼と夜が別たれた。では、光は昼、闇は夜を指すことになりますよね。
ですが、光を呼び、昼と夜を創ってもなおも闇は地に溢れかえっていた。
そこで神は仕方なく、残った闇を地中深く封じたのです。
けれど、エデンから追われた人間が地に満ちると、負の感情が積もりはじめ、封じられた闇を呼び覚ましたのです」
「それが“ゆらぎ”?」
「はい。便宜上彼らといいますが、“ゆらぎ”はひとつの大きな意思であり、無数に枝葉の分かれた精神生命体でもあるのです
史実にはありませんが、ジャンヌが神から与えられた使命はフランス一国を救うだけのものではなく“ゆらぎ”を封じ、この世を平和に導くことでした。
ですが、彼女はその使命を完全に果すことができませんでした。
そして今、封じ損ねた“ゆらぎ”は再び力をつけ、この世を我が物にせんと動き始めたのです。
いいですか、緋奈。彼らはこの世界を原初の混沌とした闇に還したいと願っているのですよ」
彼の話はあまりにも荒唐無稽だった、エティエンヌの口から語られるのでなければ笑い飛ばしたいほどの。
けれど、彼がここに存在する、それが真実であることの証しなのだ。
「でも、あたしにはなんの力もないわ。どんなに父さんと母さんの敵を討ちたいと願ってもね」
あたしはテーブルに目を落とすと、血が滲むほどにこぶしを握り締めた。
「いいえ、力はすでにあなたの中に。トランプがあなたの助け手となるでしょう」
そう言うと、エティエンヌはトランプの蓋を開け、出したカードをテーブルに大きく広げた。
そこから、長く白い指でハートのジャックを選び出す。
「これはわたしのカードです。
いいですか、このトランプの各スート(トランプのマーク)、ジャック、クイーン、キングにはそれぞれルーラー(支配者)がいて、あなたのエナジーが満ちるごとに新しいファクリティ(能力)を授けてくれます。
そして、すべてのエナジーが満ちれば、あなたは全部で十二のファクリティを得ることができるでしょう」
「ふーん。どんなファクリティが得られるの?」
「さぁ、それは得たときのお楽しみですね。
それより、ハートのジャック(わたしの)のファクリティを欲しくはありませんか?」
「く、くれるの?」
「ええ、今のままでは丸腰で敵に立ち向かうようなもの。お立ちなさい、緋奈」
エティエンヌは躊躇いがちに立ち上がったあたしの前に恭しく跪いた。
「巡れ、因果律! 神の英雄、聖天使ガブリエルよ。この者をサクセサー(継承者)たらしめよ!」
刹那、虚空に振り上げた彼の左手から夥しい光が溢れ出していった。
エティエンヌはあたしの手を額に押し頂くようにしてから、手のひらの中心に口づけた。
すると、彼の口唇が触れた場所に小さな刻印が刻まれる。
「オリーブ・・・?」
「はい。オリーブは聖天使ガブリエルの標ですから」
「ふーん、それはいいんだけどさ。いつまでキスしてんのよ?」
「イヤですか?」
上目遣いの、潤んだ瞳で見つめられて考えられないほどドキドキしてしまう。
「イヤって、あんた・・・・」
エティエンヌはとっさに引っ込めようとしたあたしの手を強引に掴むと、手のひらの中心をゆっくりと舐めあげた。
すると、中心から指先へ甘い痺れが広がっていく。
「あっ・・・・」
「感じてしまいましたか?」
絶対こいつ、あたしで遊んでる。なんつう騎士様だ。つくづく先が思いやられるわ。
「エティエンヌのバカ。このセクハラ親父!」
あたしが掴まれた手をぶんぶん振り払いながら罵ると、エティエンヌは、
「セクハラ親父とはなんですか! わたしは女性からそんな言葉を頂いたことはありませんよ」と、こめかみをピクピクさせた。
「何よ、少しばっかり顔がいいからって。
大体、何百年生きてるわけ? 親父なんていってもらえるだけありがたいと思いなさいよ!」
すぐさまあたしが言い返す。すると、エティエンヌもエティエンヌで少しも黙っちゃいない。
「あなたは今までの継承者の中で最低の礼儀知らずですね。そんなことでは一生、結婚出来ませんよ」
むっ、あんた、この世で一番口にしちゃいけないことを言ったわね。
あたしとエティエンヌは長い間睨みあった末、ふんとばかりに顔をそむけあった。
どうやらあたしたちの相性は前途多難に最悪である。
あたしはエティエンヌがくれたファクリティがなんなのか確かめることも忘れて、もう一度お腹が空いてくる時間まで、えんえんとやりあったのだった。