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下弦の月があがる頃 Ⅲ

「そうですね」


 と、言ったきり、黙っていたエティエンヌだけど、ふいに何かを思いついたように顔を上げた。


「竜神は何故、十三人の少女を誘拐したのか、その辺を理解することが出来るならあるいはと思いますが」


「それはやっぱり、ひとりでいるのが淋しかったからじゃないの?」


「あいつは子供好きやったからな」


 神様たちがそれぞれの意見を言う。

 あたしがしばらく黙っていると、『あんたは、どう考えてるのよ?』という顔を高淤さんに向けられた。


「うーん、これは仮定なんだけど」


 と、断ってから、あたしは、キサナの話を始めた。

 最初に生贄に捧げられたキサナは自分が死ぬ時も、竜神の心配しかしなかったくらい彼を慕っていたこと。

 そして、たぶん・・・・・・。


「竜神様本人も気づいてなかったと思うんだけど。

 彼も、キサナを特別に考えていたんじゃないかと思うんだ」


「神が人を?」


 高淤さんがにわかに声を尖らせた。  

「いいや、ありえるかもしれんで。あいつは人と神との垣根をあまり考えんヤツやったからな。

 わしも緋奈を娘のように思うてしもうとるさかい。竜神の気持ちはようわかるで。

 なぁ、貴船の。わしらは神やが、木石で出来とるんやない。

 例え、寿命の短い人を大切に思うたとこでしゃあないと思うてもいつの間にやら大事になってしまいよる。そんなもんやあらへんか。

 あんさんかて、なんで千年前、和泉式部ちゅう女にわざわざ返歌してやったんや。

 亭主に夜離れされて悲しむ女が哀れでほっとけんかったやろ?」


「狐さん・・・・」


 あたしはぷかぷか浮いてる狐さんをぎゅっと抱きしめた。


「こらっ、狐やない言うてるやろ!」


 狐さんにまた頭を叩かれたけど、あんまりにも嬉しかったので気にならなかった。


「そうね、あんたの言う通りかもしれない。

 あの頃はまだそんなに女が嫌いじゃなかったから、きれいな女が蛍を見ながらわんわん泣いてるのに興味を惹かれたわ。だから、思いがけなく歌を返してた。

 それに、あんたほどじゃないけど、緋奈を応援してあげたいと思っちゃってるしね」


 高淤さんが昔を懐かしむように目を眇めて言った。


「高淤さん、ありがとう。

 んじゃ、取りあえず声をかけてみるよ」


「竜神様、あたしはこの山手市緑が丘に住む紫堂緋奈と言います。

 あたし、こないだ、あなたの夢を見ました。

 ずっとこの街を愛し守ってくれたあなたを、心ない人間たちが何度も裏切ったことを。

 それでも、あなたは、自分の心を押さえてあたしたちを守ってくれたんですよね。

 守ヶ淵の竜神様、ありがとう。そしてごめんなさい」


 あたしは地面に両膝をつくと、深々と頭を下げた。


「こんなバカなあたしたちをもう一度守って欲しいなんて言えた義理じゃないんだけど。

 でも、この世界を、この日本を、闇の世界に戻そうとする妖が西洋からやってきてるんです。

 どうか、未来を作る子供たちのために、もう一度力をお貸しください」


 けれど、返事がないどころか指先すら動かない。彼は根の国(黄泉の国)の住人となってしまったんだろうか。

 それでもあたしは返事が返るのをいつまでも待っていた。  

 しばらくして、竜神様のまつ毛がふるふると震え、澄んだ水色の瞳があたしの顔を映し出した。


「ああ、あれがそうだったのか。

 我に取りついたあれが、この国を闇に落そうとしておるのか?」


 少しかすれてはいたけど、間違いなく竜神様の声が響いた。


「おお、守ヶ淵の。ようやく目覚めたんか。わしや、箭弓の稲荷や!」


 狐さんが、竜神様の胸の上にジャンプして来る。


「おお、これは箭弓様。ご無沙汰しております」


 竜神様は狐さんを認めると、あわてて起き上がった。


「何がご無沙汰や、このボケがっ! 

 わしらがどんなにあんさんを心配したと思うてるんや!」


 狐さんは起き上がった竜神様の胸のあたりをしきりにキックして言った。


「私はあなた様に気にしていただけるようなものではありません」


「何を言うんや。そんなもん、あんさんが決めるんやない。わしが決めることや」


 少し怒ったように告げた狐さんはあたしの肩の辺りに浮いてくると続けた。


「よく見てみいや、この娘なんぞ人間やで。人間やのにわしはこの娘が可愛くて仕方ないんや。

 わかるか、あんさんの価値はな、あんさんの周りのもんが決めるもんやで」


「はい、箭弓様がその娘を可愛がるお気持ちはよくわかります。

 その娘は重い使命を持つものですから」


「いいや、あんさんはわかっとらん。

 わしが緋奈を可愛いと思うんは、この子が継承者やからやない。

 そりゃあ、最初は伏見の稲荷大神に頼まれたからしゃあないと思うとった。

 でもな、継承者や言われたからって命がけで化け物退治せなならん義理なんかこの娘にはこれっぽっちもないんやで。

 それなのに、ただの人の身ですっ転びながらも頑張りよる。そんなら氏神として応援せなあかんやろが」


「そうよ、箭弓の言う通りよ。

 それに、緋奈がさっき言ったでしょ? 

 この街にもこの国にもあんたの力が必要なのよ。なんてったって、天地開闢以来の危機なんだから。

 いい? 嵐を呼べるほどの力のある竜神なんてそうそういないんだからね。いつまでもグチグチいじけてないであんたの出来ることをしなさい!」


 高淤さんが、龍神の王が、一喝した。


「もしや・・・・貴船の高淤加美神でいらっしゃいますか?」


 竜神様は目が飛び出るんじゃないかってほど驚くと、殿様の前に出た下級武士のように畏まって平伏した。


「そうよ、あんたの尻拭いをしにわざわざここまでやって来てやったのよ!」


 ものすっごく上から目線で高淤さんはのたまった。


「はい、申し訳ありません。あなた様のおっしゃる通りにいたします」


 竜神様は平伏したまま答えた。


「よかった。狐さん、高淤さん、本当にありがとう」


 あたしはふたりにお礼を言ってから、竜神様に頭を下げた。


「これからもよろしくお願いします」と言って。


「ああ、そなたにも苦労をかけたな。すまなかった」


「でも、ひとつ、大きな問題が残ってるわ。

 守ヶ淵に向けられた人間たちの悪しき念をどうするかよ!」


 高淤さんがうーんと顎に手を当てた。


「そうやな、夏に隣の公園で女の子がようけ殺されたさかい、尚更なんや」


「はーい!」


 あたしは高淤さんに向かって手をあげた。


「何よ、緋奈のくせにいい案があるっていうの?」


 高淤さん、いくらなんでも、緋奈のくせにってひどすぎない?

 大体、ここにいる人間、あたしだけなんだからね。


「人間代表として言わせていただきます。

 ここに、生贄にされた女の子たちと夏に殺された女の子たちのための供養塔を作るのはどうかな? 

 そうすれば、誰もここに悪感情を向けなくなると思うんだよね」


「えっ、そんな簡単なことで?」


「人間とは単純なものなのだな」


 ふたりの竜神様が首をひねりながら言った。


「そやな。多少時間はかかるかもしれんがそれが一番やろ」


 さすが、人間に一番近い稲荷神、理解が早くて助かるわ。


「エティエンヌはどう思う?」


 あたしは元人間の相棒に訊ねた。


「いい考えだと思いますよ。

 そうですね、供養塔を作るついでに、ここを元の川に戻すというのはいかがでしょう? 

 元々、この守ヶ淵は雪解け水や湧水の流れ込む農業用水だったもの。近年、農業が行われなくなったため、ため池となっていますが、戦前までは清流が流れていたはず。水質がよいとなれば、さまざまな使い道もあるのではないですか?」


 エティエンヌはあたしの意見をさらに広げてくれた。

 確かに、我が国日本は水資源が豊かだが、それも未来永劫とは行かないだろう。

 もし、もう一度守ヶ淵を河川に戻し、山手市の水源を守ヶ淵から取ることが出来たら、利根川から取るより、安価で良質な水道水が供給できるかもしれない。庶民としては高い水道代がちょっぴり下がったらうれしいしね。


「そうだね、すぐにはムリかもしれないけど、この街の水道水に利用出来たらいいね」


 と、あたしは締めくくった。


「んじゃ、そっちは任した。

 あたしは守ヶ淵の竜神(こいつ)を連れて帰るわ。

 うちの神水に一カ月も漬けときゃ汚れが取れると思うからさ」


 そう言うと、高淤さんはしきりに恐縮している竜神様の首根っこを掴んで、あっという間に飛んで行ってしまった。


「高淤さん、本当にどうもありがとう~~~!」


 あたしは点になっていくニ体の龍に向かって叫んだ。


「さて、わしらも帰るか」


 狐さんがほとほと疲れたといった顔をして言った。


「そうだね、体の芯まで冷え切っちゃたし、お風呂に入って寝るわ」


 あたしはだいぶ南に傾いた下弦の月を見上げながら答えた。


「緋奈、またな」


「うん、今日は本当にありがとう。

 落ち着いたら、アンシャンテのバウムクーヘンを持ってお礼に行くからね」


 返事の代わりに、尻尾が揺れ、ばてばての狐さんは自分の神社に帰って行った。


「んじゃ、あたしたちも帰ろう」


 あたしはオリーブの徴にラピエールをしまうと、相棒とともに場を渡ったのだった。

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