下弦の月があがる頃 Ⅱ
熱い。
体が燃えるように熱い。
体の中で、熱い塊が、マグマのように出口を求めてる。
たぶん、今なら何でも出来るだろう。例えば、この世界を終わらすことさえも。
あたしは体中に溢れ出すエネルギーを右手一点に集中させた。
そして、天に向かって大きく右手を振り上げる、大天使ガブリエルの慈悲を請うために。
「智天使の長、神の英雄の名を持つ聖天使ガブリエルよ。
あなたの愛し子が希う。今宵の月を天に戻したまえ」
オリーブの徴から生まれた神々しい光が天に向かって伸びていく。
光は黒雲を押しのけ、その縄張りをまたたくまに広げる。
そして、光の勢力が天の大かたを占めた時、東の空から下弦の細い三日月が顔を出した。
ああ、月はあたしに、継承者に力を与えるもの。
もっと、降り注げ、聖なる月光よ。
あたしこそが、ラピエールの継承者なのだ。
「エティエンヌ、ラピエールをあんたの風で送り出してちょうだい!」
「Oui Maître.」(はい、マスター)
あたしはラピエールを両手で持つと、大上段に振り上げた。
そのまま、全身全霊の力をつぎ込み、敵の心臓に向かって放り投げた。
「行けぇえええっ・・・!」
ラピエールはあたしの渾身の力とエティエンヌの風に乗り、“ゆらぎ”の核を過たず貫いていった。
「うおおおおっ・・・・」
“ゆらぎ”の絶叫。
ラピエールはヤツの心臓から背中へ突き抜けている。
それを抜こうとしているのか、“ゆらぎ”の手が何度も胸をかきむしり、けれど、どうしてもラピエールに触れられず、とうとう膝をついてしまった。
「次はこんなもので済むと思うなよ」
“ゆらぎ”が捨て台詞を吐く。
それと同時に、力を失くした竜神の体が後ろへと倒れていった。
「おとといきやがれ、このすっとこどっこい!」
はは、もう聞こえないか。
「はぁ、何とか、倒したよ~」
あたしは、ゆらぎ”を倒した安堵のあまり、へなへなとその場にへたりこみそうになった。
でも、狐さんが気絶しているのを思い出し、エティエンヌの元へ走り寄る。
「エティエンヌ、狐さんはどう?」
「ご本人が大丈夫とおっしゃったのですから大丈夫なのでしょうが・・・・」
「治せる?」
「神を治癒したことはありませんが、たぶん」
火傷に手をかざしたエティエンヌは、ぽわんとした光を次々と生み出し、狐さんの火傷を癒していく。
「狐さん、目を開けて!」
彼の両前足を額にあてて、あたしはひたすら祈った。
(天の神様、この際、仏様でも、アラーの神様でもいいわ。
狐さんを、あたしの父さんみたいな狐さんを治したってください!)
べしっ、べしっ・・・・!
「えっ・・・・?」
しばらくして、小さくて硬いものが二連続で額を叩いていった。
「何が狐さんや、このボケっ!」
「へっ、狐さん?」
「何が狐や。この姿は使神の姿を借りただけやで。
本当のわしはえらい男前なんやからな」
そう言いながら、狐さんは何度もおでこをぺしぺし叩いた。
あっ、無我夢中だったから、狐さんって呼んじゃってたわ。はははっ。
「そうなの?」
あたしの軽いスルーに、狐さんは、
「そこにいるエチはんより男前なんやからな!」と、エティエンヌを指差した。
「それは、ない、ない!」
あたしは頭を振りながら、即行、突っ込んでやった。
こんなイケメンがその辺にごろごろしてたら・・・・逆ハーじゃないの。
いいや、そういうことじゃなくね。
「なんでや?」
「それよりさ、高淤さんを呼ばなくちゃ」
また軽くスルーをした後、強引に話題の転換をする。
ってか、子供たちを助けるために“ゆらぎ”と戦ってたんじゃん。
「竜神招来。来たれ、貴船の高淤加美神よ!」
あたしは高淤さんに教えられた通りに神呼びをした。
でも、高淤さんは来ない。いくら待っても全然来ない。
このままじゃ夜が明けちゃうよ~
「困ったねぇ・・・・」
夕飯、お蕎麦だったからお腹空いたなぁとか考えていると、ようやく南の空に小さく光るものを見つけた。
「もしかしてあれかな?」
あたしが指差すと、他の二人も同じように空の一点を見つめた。
「龍になって来よったんか、そりゃあ、時間かかるわ」
うん、貴船にどこでもドアは、なかったみたいだね。
さっきまで点だった高淤さんは、みるみる近づいてきて、その大きな龍体は五十メートルほど。
あたしは、彼をオカマとからかったのを深く後悔していた。
きゃ~お願いだから踏みつぶさないで~~~。
高淤さんはあたしたちの真上で、何回か旋回すると、その姿を龍から人形へと変えていった。
「真打ちは最後に登場するもんよね」
(えっ・・・・?)
いつもと変わらないオネエ言葉だったけれど、あたしは目を見開いてまじまじ高淤さんを見てしまった。
だって、光源氏もかくやって感じのイケメンだったんだもん。
二藍(青みを帯びた紫)の直衣に、蒲葡の袴。烏帽子を乗せず、後ろで緩く一つに括っただけ髪。でもそれが不思議とイケメン度を上げる結果になっている。
そりゃ高淤さんは小袿姿でも迫力の美人さんだったけど、こうして青年公達って感じの恰好をすると尚更美貌が際立つ。
ああ、エティエンヌと並べて写真を撮ったらネットでめちゃ売れるだろうな。いいお小遣い稼ぎになったのに。ちっ。
でも、そのイケメンの中身はやっぱり高淤さんなわけで。
「なぁに、じろじろ見てんのよ、気持ち悪い。
あんたに惚れられてもちっともうれしくないんだからね」
と、ぼろくそに言ってくれた。どうやらいまだ女性不信続行中らしい。
「あんさんなぁ。それだけ変わりゃ誰だって驚くやろ!」
狐さんがハートブレイク中のあたしに変わって突っ込んでくれた。
「えっ、そんなに変わったかしら?」
高淤さんの問いに、あたしはコクコクうなずいた。
ついでにそのオネエ言葉をやめてくれたら完璧なんだけどな。
乙ゲーだったらエティエンヌの次に落としにかかるのに、めちゃくちゃもったいない。
「緋奈・・・・!」
あたしが高淤さんを萌えの対象にしたのを感じたのか、エティエンヌが鋭くあたしの名を呼んだ。
はいはい、そうでした。
高淤さんの美貌を観賞するために呼んだんじゃありませんでしたね。
「高淤さん。早速だけど、守ヶ淵に囚われてる子供たちを助けてもらえるかな?」
「ええ、もちろんよ、そのために来たんだから」
高淤さんは二の腕に力こぶを作ると、パチンとウィンクした。
「ありがとう。よろしくお願いします」
あたしは深々と頭を下げた。
高淤さんは、「おおげさね」と返事をした後、人形から白い小さな蛇に姿を変じた。
「これでちょっと様子を見て来るわね」
そう言って、高淤さんは、守ヶ淵の中へ消えてしまった。
それから二十分くらい、高淤さんの飛び込んだ水面を見守っていたんだけど。
「遅いね」
「ほんまやな。大体、あんなちっこい蛇に姿を変えるさかい機動力が低いんや」
と、狐さんがブツブツ文句を言った。
けれど、いきなり大波が立ち、小さな津波がこれでもかってくらい押し寄せてきた。
近くで見ていたあたしたちは見事にびしょ濡れ。
まぁ、三人(?)ともこれ以上ないって位濡れてたから今さらだけどね。
「あれはなんや!?」
狐さんの叫びに、あたしとエティエンヌが目を凝らした。
なんと、ジャングルジム位ありそうなシャボン玉がぷかぷかと浮かんでくるではないか。
すると、その巨大シャボン玉は何かに押されるように、あたしたちの前に打ち上げられた。
「これってもしかしたら?」
「そうよ」
予想外のところから返事が返る。
巨大シャボン玉の後ろにいた小さな蛇が人形に戻りながら言ったのだ。
「子供たちは全員、無事よ」
「ありがとう。本当にありがとう」
あたしは喜びのあまり、高淤さんの手を取り、ぶんぶん振りまわした。
まぁ、例によって高淤さんはめちゃめちゃ嫌そうだったけどね。
「緋奈、この子らをどうするんや?」
「うん、衰弱してるならこのまま病院に送った方がいいよね」
「そうね、一日遅かったらヤバかった子が一人いるしね」
そう言うと、高淤さんは、巨大シャボン玉を割って子供たちを救出してくれた。
確かに一番年下らしい眼鏡の女の子の顔色がとっても悪い。
まぁ、シャボン玉の中で、仮冬眠状態だったとしても一週間以上飲まず食わずだったしね。
「高淤さん、お稲荷さん、お願いします。この子たちを山手中央病院に送ってもらえませんか?」
あたしが頭を下げると、ふたりの神様は、
「あんたが頭を下げることはないわ」
「そうやで」
と、それぞれ言ってくれた。
「ありがとう」
そうにっこり笑って返してからあたしは子供たちの中に友香の妹の里香ちゃんを探した。
写真より少しやつれた、けれど、友香によく似た面ざしの里香ちゃんは口の端に笑顔を浮かべて眠っていた。どうやら、楽しい夢の最中らしい。
竜神様は子供好きだったから、“ゆらぎ”と同化した後も子供たちをどうにかするなんてこれっぽっちも考えなかったんだろうな。
神様二人が『ほなら、送るで』という顔を向けてきたので、あたしはそれに頷き、「今度は、元気な時に遊ぼうね」と、里香ちゃんにバイバイと手を振った。
「よっしゃあ、行くで~~~!」
「はい、はい」
高淤さんが不可視の水で出来たカゴを作り上げる。
すると、そのカゴを狐さんが青い狐火で空中にゆっくり持ち上げた。
十三人の女の子を乗せたカゴは空高くぐんぐん上がっていくと、ふいにその姿を消した。たぶん、場つなぎ的なことが行われたんだろう。
「みんな、早く元気になるんだよ!」
あたしは心から願っていた。
「また泣いているのですか?」
と、エティエンヌが呆れたように訊いてくるので、
「今日のはね、うれし涙なの。うれし涙は、何回流してもいいんだよん」と、答えてやった。
「それでなくてもあなたは泣き虫ですけどね」
うちの相棒はいつも一言多いんだから。
あたしはエティエンヌのマントの端でチーンと鼻を噛んでやった。もちろん振りだけだけど。
「こら、そこのバカップル。なんか忘れてるんじゃないの?」
高淤さんが“ゆらぎ”の抜けた竜神様を指差している。
あ、そうでした。けして忘れていたわけじゃないのよ~
あたしはとことこと竜神様に近寄って脈を取ってみた。
「どうしよう、脈がないんだけど?」
すると、狐さんが、
「緋奈はほんまアホやな。神に脈があるわけないやろ!!」
と、心底バカにしたようなジェスチャーをした。
「緋奈、これは難しいかもよ。だって、ぜんぜん生きようって気力が感じられないんだもん」
さっきから竜神様の体をチェックしていた高淤さんが焦ったように言う。
「そこはひとつ、高淤加美神様のお力で」
あたしは揉手しながらゴマをするようにペコペコした。
「あんたがロイズの生チョコを持ってこようと堂島ロールを持ってこようとムリなものはムリ! 死にたがってるヤツを救うなんて誰にもできないんだからね」
千年、引きこもってた割には最近のお菓子事情に詳しい高淤さんが手でバッテンをした。
「ねぇ、エティエンヌ。どうしたら竜神様はもう一度生きようって気持ちになるかな?」
藁にもすがる気持ちになっていたあたしは相棒に目を向けた。エティエンヌには竜神様の夢を話していたから。
けれど、エティエンヌはめずらしく、
「そうですね・・・・」と言ったきり、黙り込んでしまったのだ。