水はすべてを流すのか Ⅱ
JR京都駅から二回乗り換えた後、貴船口駅。貴船口駅から徒歩で貴船神社へ。
所要時間、約一時間半なり。
こりゃ、京都に来たからついでに貴船神社へって距離じゃないな。
なんてことを考えながら、旅館や茶屋が軒を連ねる道を二十五分ほど歩くと、両脇に灯篭が並ぶ石段が見えてきた。
その石段を上がると大きな大きな桂の木。桂の木を過ぎると、ようやく本宮に到着。
いつもように手水屋で清めをすると、拝殿に祈りを捧げる。
貴船は本殿の奥に奥宮があって、以前はそちらが本殿だったらしい。
神様は奥宮にいらっしゃるんではないかと考えたあたしは、この先にある奥宮に行くことにしたんだけど、さらにここから七百メートル。
そして、ようやく奥宮。
こっちは本宮と違って歴史が感じられる。なんと文久三年製だってさ。
文久三年ってことは幕末じゃん。この京都で武士たちが尊王だの攘夷だの争ってた頃、このお社は出来たんだ。なんか感激しちゃうな。どんな時も変わらず神があることに。
鐘を鳴らし、お賽銭をあげてから、二拝、二拍手、一拝。
(貴船の神様、わたしは“ゆらぎ”に苦しめられている子供たちを救うためにここに来ました。
お願いです、あなたの力をお貸しください)
あたしは目を閉じたまま、深く祈った。
でも、なんの答えもないまま、時間ばかりが過ぎていく。
たぶん、三十分ほど、周りの参拝者に変に思われるくらいの時間が経ったと思う。
もうダメなのか。他の方法を取るしかないのか、そうあきらめはじめた頃。
頭の中に『奥宮に入ってらっしゃい』という声が聞こえた。
顔を上げると、確かに奥宮へ続く扉が開いている。
「失礼します」
あたしはそう声かけると、こじんまりとした拝殿にそろりそろりと上がった。
(長い黒髪の女の人・・・・?)
紅葉がさねの袿を纏った背の高い女性が立っていた。不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら。
「あのぅ貴船の神様・・・・?」
「ふん、伏見との約束は果たしたわ。もう帰りなさいよ。
あたしはね、女ってもんが大っきらいなのよ!」
えっ、この声はもしかして男性ですか?
高淤加美神が、オネエだったとは・・・。
あたしの頭をガーンという衝撃が走った。
「それなのに、なんで女の恰好を?」
衝撃のあまりすっかり敬語が抜け落ちている。
「昔はちゃんと男の恰好をしてたのよ。
でも、この美貌のせいか女どもに死ぬほど追っかけられてさ。ほとほと女ってもんがいやになったのよ!」
「もしかしてそれで女の恰好をするようになったとか?」
「そうよ。それから女に追っかけらんなくなったしね」
貴船の神様はツーンとすまして答えた。
うーん、うちのエティエンヌも貴船の神様と同じくらいのイケメンだけど、女嫌いどころかセクハラ男なのにな。
やっぱり日本の神様はシャイなのかなぁ。
「そりゃあ、大変だったね」
答えようがなかったあたしは取りあえずそう答えた。
「あんた、緋奈って言ったっけ?
あたしのことは高淤って呼んでちょうだい。あたしも緋奈って呼ぶから」
へっ?神様に名前で呼べと言われたのは初めてなんですけど。
「高淤さん? なんかテレるなぁ」
「あたしだって恥ずかしいわよ。
でも、神様、神様って言われるのはもっと恥ずかしいのよ」
と、貴船の神様改め、高淤さんは少し顔を赤らめた。
「それで、あんたの頼みはなんなのよ?」
「聞いてくれるの!?」
あたしは、がばっと高淤さんの袖を掴んだ。
「ええ、聞くだけは聞いてあげるわ。
でも、叶えてあげられるかどうかはわかんないわよ。神の世界にもルールはあるんだからね」
高淤さんはやっぱり女性は苦手なのか、あたしの手からすぐに袖を取り返した。少し傷つくなぁ。
「ありがとう、高淤さん。
実はうちの街の竜神様のことなんだけど」
あたしは夢のことを含め、今までの経過を高淤さんに話した。
もしかしたら“ゆらぎ”やエティエンヌのことも話した方がいいのかなと思っていたら、そっちの方はすでに知っていたようで「伏見稲荷に聞いてるから大丈夫よ」と言ってくれた。
「それで、守ヶ淵に囚われてる子供たちを救う方法があったらなと思って」
「ふーん、あんたはさ、具体的にどうしたいわけ?
どうなったら万々歳なわけ?」
(えっ・・・・?)
突然の変わりようだった。
さっきまでの優しさなんてかけらもない。
高淤さんの双眸は人間を断罪する神のように鋭いものに変わっていた。
「子供たちを助けるだけならスキューバダイビングで守ヶ淵に潜れば、可能だと思います。
でも、“ゆらぎ”はそんなことを許してくれないでしょう。子供たちはあたしに対する大事な人質ですから。
あたしが一番、心配なのはもし竜神様を首尾よく倒せたとして、子供たちを無事に救いだせるかどうかなんです」
あたしは縋るように言った。
「そう。あなた、今日は帰りなさい。
今のあなたに貸せる力なんてこれっぽっちもないわ。
いつから日本人はこんな惰弱になってしまったのかしら。
自分の国をよその国に守ってもらって平気なくらい平和ボケしてるのよね。
いい? この世界は弱肉強食よ、生きることは戦いなのよ。弱い者は捕食されるのが当たり前なの。
もし、喉笛に噛みつかれたくなきゃ自分を守る盾を持つしかない。
それなのに、今のあなたは何? あたしや稲荷神に守ってもらうことばっかり考えて。あなたは“将”なんじゃなかったの?
もし、リーダーだと言うなら、勝つための作戦を考えなさい。戦はね、勝ってなんぼなのよ!」
なんとも耳と心に痛い言葉だった。
あたしは「はい、わかりました・・・・」と、言うと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「わかったら、今度は勝つための作戦を持ってらっしゃい」
高淤さんの冷たい言葉を背中に受けながら、あたしは奥宮を出た。
もう振り返ることなんてできない。心が壊れそうだったから。