水はすべてを流すのか Ⅰ
『TO 冴子
FROM 緋奈
おはよう。戦線離脱して悪いんだけど、今朝、新幹線に乗って京都に来ちゃった。
もち、エティエンヌも一緒だから心配いらないよんww』
はい、送信と。
あたしは親友にメールを送ると、「うっわぁ・・・!」と声を上げた。
伏見稲荷の紅葉がめちゃくちゃきれいだったから。
表参道の紅葉は鳥居の朱と競うように、秋の空に鮮やかに映えている。
でも、伏見大社MAPを見た途端、あたしのテンションは急降下した。
『一の峰までのお山めぐりと呼ばれる巡拝コースは四キロ(約二時間)程あります』って?本堂に参るだけじゃダメかなぁ?
すぐに箭弓稲荷さんの手をバッテンにした姿が浮かび、あたしはしぶしぶ本殿裏から千本鳥居に向かう山道を歩き始めた。
「うっわぁ、すごい」
昼なお暗い千本鳥居はまるで異次元回廊のよう。
このまま千と千尋の世界に誘われる様な気になってしまう。
伏見稲荷は京都駅からそんなに遠くない。
それなのに、この空気の清浄さはなんでだろう。全山をおおう紅葉と、いくつも滝と、幾十ものお社。神がおられる聖地と言わんばかりの威容がここにある。
神は確かにここにいらっしゃるのだ。
秋の日暮れが早いためか、すっかり人少なになった拝殿にはすでに明かりが灯されている。
本堂の鐘を鳴らし、二拝、二拍手、一拝する。そして、目を閉じ、深く祈る。
(箭弓稲荷さんの紹介で来ました紫堂緋奈です。お手すきでしたらお話を伺えませんか?)
しばらくそのまま目を閉じていると、ガラスが割れるような音が聞こえ、何か眩しいものが目の前に現れたような感じがした。あたしはゆっくり目を開けた。
すると、箭弓稲荷さんより一回り大きく、目に痛いほどまばゆい狐さんが拝殿の縁に座っていた。
「緋奈、よく来たな。
箭弓のヤツが『緋奈はもう来たか?』と、何度も遣いを寄越しやがってうるさくてたまらんわ」
長い間、高い地位にいた老人のような声の伏見稲荷さんは目を細めて楽しそうに笑っていた。
「お会いできてうれしいです。
箭弓稲荷さんから聞いたんですが、わたしの“ゆらぎ”退治を手伝ってくださるそうで心から感謝しています」
あたしは深々と頭を下げた。
「気にするな、これはお前だけの問題ではない。
わたしたちだとて二千七百年、守ってきたこの国を、西洋の妖にいい様にされるのは我慢がならないのだ。
お前は見かけこそ西洋人のようだが、その心はわたしたちと共にある。
日の本の神ならば、お前を気にいらぬ者はおらぬだろうよ」
「でも、わたしはあなたたちに気に入ってもらえるような素晴らしい人間じゃありません。
それでもお稲荷さんたちはあたしに力を貸してくれますか?」
悔しいけどあたしは自分を知っている。
たぶん、ファクリティ(能力)を全部もらったところで、ジャンヌには遠く及ばないことも。
「ああ、貸すとも。お前がこの国の者を守りたいと言うなら、わたしたちはお前の助け手となろう。
だが、神の世界にも決まりごとがある。お前(人間)の代わりに戦うことは出来ないが、出来る限りお前の手助けをすると約束しよう」
伏見稲荷さんはあたしの前にぷかぷか浮いてくると、その白い前足であたしの頬を包んだ。
「ありがとう、伏見稲荷さん」
ああ、箭弓稲荷さんが父さんなら、伏見稲荷さんはお祖父ちゃんみたいだ。ふたりとも、とってもあったかい。
「あのぅ、本殿に誰も来ないのって偶然じゃないですよね?」
「ああ、先ほど結界を張った。
わたしも貴船ほどではないが、人にあまり姿を見せたくないのでな」
「そうなんですか、お手数をおかけします。
実は今日は、貴船の神様を紹介してもらいたくて来たんです。
高淤加美神はあたしに会ってくれますかねぇ?」
「ああ、あやつにはいくつか貸しがあるのでな。お前に会うよう言いつけておいた。
だから、会ってはくれるだろうが。何せ、変わったヤツだからのう。お前の頼みをすんなり聞いてくれるかどうかわからぬ」
あたしの問いに伏見稲荷さんは何とも微妙な顔で答えた。
「そうなんですか・・・・」
もしかしたら貴船の高淤加美神は人嫌いなんかなぁ?
けんもほろろに追い返されたらどうしよう?
「といっても当たって砕けるしかないではないか。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、というしな」
えっ、それって箭弓稲荷さんが言った『案ずるより産むがやすし』より、リスクが高くなってるんですけど。
仕方がないのであたしは「当たって砕けたら骨は拾ってくださいね」と言って、とぼとぼ帰途に着いたのだった。