恋を眠らせて Ⅰ
「ただいま」
誰もいないと知っているのについそう声をかけている。
アパートは冷え冷えとしていてあたしはカーテンを閉めるとエアコンのスイッチをONにした。
「あたしもこれでいいかぁ~」
キッチンの棚から赤いきつねを取りだすと、やかんでお湯を沸かし始める。
「いただきます」
あたしは質素でジャンキーな食事を終えると、ティーポットに茶葉を入れた。トロピカルピーチティーを。
「エティエンヌ・・・・?」
机の二番目の引き出しからトランプを取り出し、その中のハートのジャックを抜きだしていく。
「本当にごめんね。
あんたが許してくれるなら、もう一度あたしのパートナーになってくんないかな?」
しばらく待ってみてもエティエンヌは現れない。
仕方ない、呼びだすかぁ。あの呪文、マジ嫌なんだけどな。
「智天使の長、神の英雄の名を持つ聖天使ガブリエルよ。
あなたの導きにより我が騎士を降臨させたまえ。
エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール。大好きだから来てっ・・・・!」
ああ、背中がムズムズする。日本人になんていう羞恥プレイをさせるんだ、エティエンヌのヤツ。
日本にはな、恥の文化があるんだぞ。
そんなことを口の中でブツブツ言ってたら、騎士様がいつのまにか降臨していた。
「本当に大好きですか?」
第一声がそれですか、エティエンヌさん。
「当たり前じゃん、あんたはあたしの大事な相棒だもん。
えっとさ、こないだは本当にゴメン。
ちょっといろいろあったから疲れてて、あんたに八つ当たりしちゃった」
あたしは恥ずかしさを隠すように笑ってぺこりと頭を下げた。
ちぇっ、エティエンヌってば、相変わらずきれいでやんの。
そうしみじみ思っちゃうのはやっぱりこの男が好きだからなんだろうな。
「いいえ、わたしのほうこそ緋奈にジャンヌを求めすぎました。
確かに緋奈はジャンヌではありません。人とは、魂と、記憶と、肉体とで出来ているものですから」
「そりゃあ、DNAはまったく違うだろね。
でも、この魂はエティエンヌが愛したジャンヌのものだよ。
だってさ、エティエンヌに初めて会った時、不思議と懐かしかったもん」
あたしは俯いたままのエティエンヌの両手を取ると、下から顔を覗き込んだ。
「わたしを懐かしいと感じたのですか?」
エティエンヌがやっと顔を上げた。
ああ、エティエンヌのBluest Blue in blueの瞳が見れた。あたしにとっては世界で一番きれいな色だ。
「うん、きっとあたしの中のジャンヌはエティエンヌに会えてうれしかったんだと思うよ」
ジャンヌもあたしと同じように空を映したような瞳に見つめられたかったに違いない。きっと、たぶん、狂おしいほどに。
「ありがとう、緋奈」
「ううん、こっちこそだよ。っていうか、これからもよろしくね。
エティエンヌがいなくちゃ“ゆらぎ”は倒せないんだからさ」
あたしは握ったままのエティエンヌの手をぶんぶんと振りまわした。
けれど、けれど、あたしたちはなんて悲しい恋をしているんだろう。
エティエンヌはあたしの中のジャンヌを、あたしはジャンヌしか愛さないエティエンヌに恋してる。
それでも、あたしたちは背中合わせのまま、一緒に戦い続けなければならない。だから・・・・。
「ねぇ、エティエンヌ、一緒にお茶、飲まない?
あんたの好きなトロピカルピーチティー、用意しといたんだ」
「それは気が利きますね。
それではわたしはティーカップを用意しましょう」
エティエンヌはキッチンの食器棚からカップを取り出し、ついでにあるものを見つけてしまった。
「これはなんですか?」
「うん・・・・?」
エティエンヌはあたしがさっき食べた赤いきつねを指差している。
「赤いきつね・ふっくらお揚げ二枚入りだよん♪」
あたしはやかんに水を入れながら答えた。
「だよん♪じゃありません。
今、食べた物が十年後のあなたを作るのですよ。
“ゆらぎ”を倒すにはまず、食生活の改善をしなくてはなりません!」
ああ、うちの騎士様は母ちゃんかっていうの。
「あんたってば、いちいち口うるさい。
なんで、こんな男、呼び出しちゃったんだろ?」
「今、なんと言いました?」
「うるさいっていったのよ、うるさいって!」
あたしはそう言い返しながら、どこか安心していた、いつものあたしたちに、口げんかばっかりしてる、いつものあたしたちに戻れたことに。